五世界の主張
オットルルーは、穴の空いた天井を見上げた。
空の彼方、黒穹を注意深く観察した後、彼女は静かに視線を下ろす。
「災人イザーク、ナーガ・アーツェノンは第七エレネシアを離脱しました」
聖上六学院の代表に向き直り、彼女は言う。
「災人イザークの発言は、イーヴェゼイノによるパブロヘタラへの敵対宣言と見なされます。パブロヘタラ学院条約第五条、パブロヘタラへの敵対表明ないしは明確な敵対行為を行った小世界は、当学院同盟を除名される。条約に則り、現時点をもって、災淵世界イーヴェゼイノをパブロヘタラから除名します」
異論の声はない。
災人は聖剣世界ハイフォリアを潰すと言った。
パブロヘタラとしては看過できぬだろう。
「緊急事態につき、全学院同盟へ状況を報告します」
彼女は<思念通信>を使い、パブロヘタラ中へ情報を伝達していく。
ギーが部屋の中心に歩み出る。
「<魔弾索敵>」
描かれた魔法陣から、黄色の弾が出現した。
天井の穴から覗く空へ、ギーがその魔弾を飛ばせば、無数に分裂し、空を覆う傘のように広がっていく。
「自分が第七エレネシアへの再侵入を警戒します」
ギーが言う。
広がった<魔弾索敵>は第七エレネシアの全上空を網羅している。
領域に入ったものを探知する術式のようだ。あれだけ広範囲ならば、外から入ってくる者は見逃すまい。
「全学院同盟へ災人イザーク襲来及びイーヴェゼイノの除名を報告しました」
オットルルーが言った。
「しかし、面倒なことになったもんだねぇ」
ベラミーは魔法陣の中心に手を入れ、大槌を取り出す。
それを軽く振って、半壊していた机を粉々に砕き、床を割った。すると、そこに魔法陣が描かれ、机や床がみるみる復元していく。
あっという間に、天井に空けられた穴まで元通りになり、三分の一ほど破壊された宮殿までもが修復された。
「魔力は戻んないよ。単なるハリボテでもないよりはマシだろう」
「パブロヘタラ宮殿の機能は、後ほどオットルルーが修復します」
「それで、だ」
ベラミーがレブラハルドに視線を向ける。
「こりゃ、お父上に助力を請うた方がいいんじゃないかい? レブラハルド君」
「災人の狙いは先王のようだ。引き合わせるわけにはいかない」
「会わせる云々はこの際どうでもいいさ。あんたが一番理解してると思うが、オルドフは災人と戦って生き延びた男だ。奴のことをよく知っているだろうし、なにより彼がいるだけで士気が違う」
レブラハルドは真顔でうなずく。
「先王の偉大さを疑う余地はない。しかし、ハイフォリアの狩猟義塾院はそこまでやわではないよ。災人のことも、すべては先王より伝えられている」
ベラミーは眉をひそめる。
「自分たちだけで対処できるってのかい?」
「危機に陥る度に退位した者を引っ張り出しては、いつまで経っても未来へ進めない。私たちはそのための準備はしてきたつもりだ」
肩をすくめ、ベラミーは言う。
「ご立派な考えだがねぇ。未来へ進むのは、災人を片付けた後で遅くはないんじゃないかい? そもそも、イザークの狙いはお父上なんだから、このまま浅層世界を放浪させておくのは危険だろう」
「保護はする。誰にも知られないように匿おう」
老いた父を戦場に向かわせたくないというのはわかるが、こうも頑ななのは疑問だな。
災人のことを伝えられているとはいえ、実際にその力を肌身に感じた者とそうでない者とではやはり雲泥の差がある。
ベラミーの言う通り、前線に出ずとも、後方で指揮を執っていればよい。
それまで拒否する理由はなんだ?
「レブラハルド元首」
直立不動の姿勢で、ギーは実直な声を発した。
「自分はオルドフ先王を囮に使い、確実に災人を殲滅することを提案します。先王の身の安全は我々エレネシアの深淵総軍が保証します」
「それは呑めない」
「我々も不合理な作戦には参加できません」
きっぱりとギーは断言した。
「それで構わないよ。イーヴェゼイノとの紛争は、古くから続いてきたハイフォリアの問題だ。エレネシア側に力を貸す義理はないのは承知している」
「正気とは思えないねぇ」
そうベラミーがぼやく。
「ハイフォリアが災人に落とされるリスクは、我々エレネシアも看過できません。深淵総軍の力なしに、イーヴェゼイノを撃退するお考えが?」
生真面目な顔でギーが問う。
「イーヴェゼイノとハイフォリアは天敵同士。奴らの牙と爪は私たちを裂き、私たちの剣と矢は奴らを貫く。災人は恐るべき力を有しているが、対抗する手段がないわけでもない。勝敗を決めるのは、戦地となる場所と見ていい」
理路整然とレブラハルドは答えた。
「奴らの縄張りでは勝算は薄いが、私たちの狩り場ならば、狩猟貴族の勝利は揺るぎない」
災淵世界イーヴェゼイノで戦えば災人が有利、聖剣世界ハイフォリアで戦えば聖王が有利か。
二つの世界の秩序は、それぞれの世界の住人に、真逆の恩恵をもたらすのだろう。
「ハイフォリアに災人をおびき寄せるというわけか」
俺の言葉に、レブラハルドはうなずいた。
「災人の目的は目下のところ先王だとわかっている。言葉通り、三日経てばハイフォリアへ乗り込んでくると見ていいだろうね」
「情報戦で、ハイフォリアにオルドフを匿っていると思わせられれば問題はありません。しかし、乗ってこなければどうします?」
ギーの質問に、レブラハルドが答える。
「ギー隊長、深淵総軍は戦上手ですが、災人は獣だ。狩りならば、私たち狩猟義塾院の独壇場。イザークに時期を待つという選択肢はない」
「その根拠をお聞きしたい」
「たとえ、ハイフォリアにオルドフがいなくとも、故郷で暴れていれば必ず駆けつけてくると考えるのが獣の思考。災人にとってはハイフォリアを襲うのが最も手っ取り早い」
「イーヴェゼイノにとって、リスクが大きすぎると判断しますが」
すぐさま、ギーが疑問点を述べる。
「理性と渇望が鬩ぎ合うとき、必ず渇望が勝るのがイーヴェゼイノの住人だ。リスクなど、災人にとっては頭にないだろうね。重要なのは己の衝動のみ。そうでなければ、そもそも単身でこのパブロヘタラに乗り込んでは来ない」
「事実と仮定します。それでも先王オルドフを実際に囮とすることが、より獣の渇望に対して効果的かと。災人が先王に接触するより先に、我々の魔弾で撃ち抜きます」
「先王に囮の役目を務めさせるわけにはいかない」
「深淵総軍の戦力が不安ということなら、必要な分だけの部隊を用意します」
レブラハルドは小さく首を振った。
「リスクの問題ではないよ。どれだけの大部隊に守られていようとも、狩猟貴族の誇りにかけ、偉大なる先王に囮などという不名誉な真似はさせられない。その作戦は、我がハイフォリアでは理解が得られない」
直立不動のままギーは言葉を返さなかった。
これ以上の交渉は無意味と悟ったのだろう。
根っこのところでは、ハイフォリアもイーヴェゼイノと同じだ。
合理性の代わりに選ぶものが、衝動か誇りかの違いでしかない。
それゆえに、奴らの考えがわかるのやもしれぬな。
「不合理なのは承知している。エレネシアに理解が得られないのは仕方がない」
「失礼いたしました、元首レブラハルド」
生真面目な顔を崩さず、ギーは言った。
「ジジ大提督の許可が下りなければ、深淵総軍の本隊は動かせません。しかし、自分が率いる一番隊にはある程度の裁量があります。決戦のとき、ハイフォリア近くに布陣し、援護を行うことは可能であります」
「十分だよ。感謝しよう」
ギーが一歩下がり、ベラミーが大きくため息をついた。
今の決定には、不服があると言わんばかりだ。
「あたしゃ、正気の沙汰とは思えないけどねぇ。ハイフォリアを狩り場にすれば、有利なのは確かだろうさ。だが、いるのは狩猟貴族だけじゃないだろう。戦えない民はどうするんだい?」
「準備はしてきたと言った。民たちは安全な場所へ避難させる。そこを突破される前に、災人を狩る。よろず工房の鉄火人たちにも協力を要請するが、構わないね?」
「だから、反対してるのさ。ハイフォリアとはそういう約束だからねぇ。あんたらが戦争するんなら、あたしらは傍観できないじゃないか」
学院同盟以前に、二世界で協定を結んでいるのだろう。
拒否すれば、恐らくバーディルーアは自世界が侵略を受けた際に、ハイフォリアの援護を受けることができなくなる。
「災人は我々ハイフォリアが相手をする。アーツェノンの滅びの獅子もできる限り引き受けよう」
「ジジ大提督殿に頭を下げてみてもバチは当たらないんじゃないかい?」
「情で動くような人ではないと思うね」
はあ、とベラミーは盛大にため息をつく。
「ちょっと考えさせとくれよ」
レブラハルドは首肯する。
「軍師レコル。ルツェンドフォルトは戦力を融通できそうか?」
「時期が問題だ。傀儡皇は動けない」
「人型学会の人形部隊は?」
「傀儡皇次第だ」
「相手は不可侵領海。パブロヘタラへの敵対宣言をしてきた以上、そなたたちがまったく力を貸せないというのは、条約に反する。わかっているね?」
「無茶を言うもんじゃないよ」
諫めるようにベラミーが口を挟む。
「ルツェンドフォルトは元首がいなくなったばかりさ。外のことより、自分の世界をなんとかするのに精一杯だ。レコル君も代理で来てるだけ、決定権なんてあるとは思えないねぇ」
「わかっている。傀儡皇ベズに、そう言伝願いたい」
「伝えておく」
ふむ。
レコル一人でも動員できるのなら、十分すぎる戦力だと思うがな。力の底を見たわけではないが、それでもゆうにパリントンより上だ。
立場が軍師ということもある。あるいはこのパブロヘタラでは、まだ力を見せていないのやもしれぬな。
あるいは、力を隠しているのか?
「では、元首アノス」
レブラハルドが、俺の方を向く。
「ミリティアの魔王学院はどれだけ戦力を出せる?」
「奴がハイフォリアを滅ぼそうとするなら、俺が止めてやる」
「それは心強いね」
「だが、言葉より先に剣を向けるのは我が世界の流儀ではない」
レブラハルドが目を細くする。
ベラミーが呆れたような表情を浮かべた。
「今更なにが気になるっていうんだい?」
「災人イザークとオルドフの約束だ。あるいはあちらに大義があっても不思議はないと思ってな」
「イザークに大義ねぇ。気まぐれで世界を滅ぼすような奴にかい?」
「いかな悪人とて、悪行しかせぬわけではない」
「そりゃそうだけどねぇ」
気のない口調でベラミーが言う。
「レブラハルド。お前はその約束に心当たりがあるのではないか?」
静かに奴は答えた。
「元首アノス。狩人として忠告しておこう。獣の鳴き声に意味を求めようとすれば、たちまちその牙に食いつかれる」
俺の視線を、奴は堂々と受け止める。
隠し事など、なにもないと言わんばかりに。
「本当にそう思っているか?」
「思っていないように聞こえたかい?」
揺さぶりにも動じず、レブラハルドは普段と同じように聞き返してくる。
話す気はないということだろう。
「そこまで災人の肩を持つのは、そなたがアーツェノンの滅びの獅子だからとも考えられるね」
「くはは」
思わず、笑い声が漏れる。
「慎重なことだ。今更、カマをかけずとも否定はせぬぞ。ナーガが言った通り、俺はアーツェノンの滅びの獅子だ」
「では、気をつけた方がいい。そなたの立場で災人を擁護するような発言を行えば、彼らの仲間だと言っているように聞こえてしまう」
「それはそれは、耳が腐っているのだろうな」
レブラハルドは真顔で、しかしそれ以上はなにも言わない。
イザークの真意を探ろうとする俺の言葉に、価値がないと他の者に示したかっただけなのだろう。元より、俺と議論する気などあるまい。
「猶予はまだ三日ある」
俺は、転移の固定魔法陣に魔力を込める。
「災人に探りを入れ、対話の場を設ける。奴がハイフォリアを滅ぼそうというのなら守ってやる。俺が我を通したところで、なんの文句もあるまい」
この場から転移しながら、俺は言い残した。
「真相がわかったなら、お前たちにも教えてやるぞ」
真相へ向け、魔王学院が動き出す――