コーツェ
自ら空けたどでかい穴の中で、コーストリアは立ち尽くしている。
すました顔をこちらへ向け、目を閉じているというのに、まるで俺を睨んでいるかのようだった。
「いつまでそうしているつもりだ?」
「上げてくれないの?」
彼女はそっけなく顔を背ける。
「幼子のようなことを言う」
魔力を送り、<飛行>の魔法で浮かせてやろうとしたが、しかし、コーストリアは反魔法でそれを防いだ。
「なにをしている?」
「横着しないで。物みたいに飛ばされるのは嫌」
注文の多いことだ。
俺は<飛行>で飛び、ゆっくりと穴の中へと下りていく。そっぽを向いているコーストリアへ手を伸ばす。
彼女が僅かに俺の方を向けば、その頭をむんずとわしづかみにした。
「仕方のない」
「えっ……ちょっと……物扱いしないでっ……!」
俺はそのまま上昇し、穴の外へ出る。
頭をつかまれ、宙吊りにされながら、ジタバタとコーストリアが暴れた。
「死んじゃえっ……! このっ……放せっ……!」
黒き粒子が彼女の体に集う。
俺の腕めがけ、日傘を突き出そうとした。
「大人しくしていろ」
「きゃっ――」
コーストリアの頭をつかんだまま、肩をぐるぐると回してやる。高速で回転する力に圧倒され、彼女は日傘を突き出すことができない。
いや、最早それどころではなかった。
「ちょっと……なにして……!? やめっ、やめなさいっ……なにしてるのぉっ……!?」
三〇回転ほどした後に、コーストリアを大地に下ろしてやる。
俺が着地すれば、彼女は義眼を開いてキッと睨んできた。
「ぞんざいに扱わないで。物じゃないっ。あと目が回った! すごく回った!」
ふっと俺は笑声をこぼす。
「優しくしてほしかったか?」
そう問うてやれば、コーストリアは言葉に詰まったように閉口した。
「……そんなこと、言ってない……」
肩肘を張ったその態度とは裏腹に、声はか細く消えていく。
「では構わぬだろう」
「どこが? 私が滅びの獅子じゃなかったら首が千切れてた!」
「くはは。そういうことは、千切れてから言え」
「千切れたら言えないし!」
不平を訴えるコーストリアは、段々と興奮度合いを高めていく。
「首が千切れた程度で喋れぬのか? 可愛らしいことだな」
「……化け物扱いしないでっ!」
くつくつと笑う俺の姿を、彼女は不満そうに睨んでくる。
「それで? 今日は何用だ?」
「それは、こっちの台詞っ。この船でイーヴェゼイノに来たでしょ。なにしに来たの?」
それか。
馬鹿正直に話すわけにはいかぬが、
「見せてやると言っただろう」
すると、コーストリアが一瞬固まった。
「退屈は吹き飛んだか?」
「そもそも君が来たときは忙しかったんだけど。大体、追いかけたのに止まらなかった」
「それはそれは、間が悪かったようだな」
不服そうにコーストリアが唇を噛む。
「わざわざ私に船を見せに来たの?」
「所用があってな。そのついでだ」
鋭い視線がこちらに向けられる。
俺の企みを推し量ろうとでもするように彼女は訊く。
「所用ってなに?」
「ふむ。そんなに俺のことが知りたいか?」
刹那、きらり黒き粒子が輝き、投擲された日傘が俺の仮面に迫る。
それを軽く受け止め、傘を開く。
「気が利くな、コーツェ。ちょうど銀灯が眩しかったところだ」
「あげてないっ! 返してっ!」
日傘を取り返そうと、コーストリアがずんずん近づいてきては、手を伸ばす。
ひょいと腕を持ち上げて、それをかわした。
「帰るときに返してやる。凶器を持たせたままではおちおち話もできぬ」
「かすり傷もつかないくせに」
諦めたように彼女はため息をつく。
そうして、こちらを窺うようにちらりと見た。
数秒間の静寂がこの場に訪れる。
彼女は言った。
「名前……考えた?」
「ああ」
「そう。一応、聞いてあげるけど、また適当なやつだったら、わかってるわよね?」
本心を隠すように顔をすまし、コーストリアが脅してくるので、軽くうなずいてやった。
「なに?」
「コーツェ」
「変わってない!」
日傘を突き出そうとして、コーストリアは空をつかむ。二度、三度、指先が空を切った後、僅かに彼女は恥じらいを見せる。
あまりの怒りに日傘が手元にないことを忘れていたのだろう。
「改めて考えてはみたが、なかなかどうしてしっくりくる」
「自分勝手」
子供のようにコーストリアは舌を出す。
「コーツェ。よい名とは思わぬか?」
「知らない」
彼女はふて腐れるようにその場に座り、仰向けに寝転んだ。
他人の船に乗っておきながら、自由な女だ。
「……どこか行くの?」
「第七エレネシアに戻るところだ。パブロヘタラを監視せねばならぬ」
「そう」
興味なさげに彼女は答える。
当てが外れ、がっかりしているようにも見えた。
「どこか行くならどうした?」
「……なんでもない……」
コーストリアは寝返りを打ち、俺に背を向けた。
「この間の話だが」
「……この間? 覚えてない」
「小世界を滅ぼそうとも、<淵>は滅びぬ」
少なくとも、銀水世界リステリアが滅びようとも、<追憶の廃淵>は滅びることはなかった。
「………………そう……」
気のない返事が返ってくる。
落胆というよりは、無気力さが見て取れる。
「聖上六学院なら、知っていたはずだ」
「ナーガ姉様の手の届くところにある情報なんて信用できない」
まあ、あの女は真性の嘘つきだからな。
コーストリアにイーヴェゼイノを滅ぼさせぬためなら、どんな手段も取るだろう。
それで関わりがなさそうな二律僭主に訊きにきたわけか。
「でも、もうどうでもいい。面倒くさい」
そもそも、イーヴェゼイノを滅ぼすこと自体、ナーガやボボンガがいる以上は難しいだろう。
幻獣や幻魔族たちも黙ってはいないだろうし、災人が目を覚ますやもしれぬ。
「帰りたい」
「帰ればいいだろうに」
「どこに帰ればいいの?」
わからぬことを言う。
「イーヴェゼイノはどうした?」
「帰りたくない」
「喧嘩でもしたか?」
「逆。喧嘩しかしてない」
確かに、序列戦の最中ですら言い争っていたな。
「……君は、パブロヘタラを滅ぼしたいんだっけ……?」
ゆっくりとこちらに寝返りを打ち、彼女は義眼を開いた。
「……手伝ってあげようか? 私なら、パブロヘタラ宮殿の中に入れる。調べたいことはなんでも調べられる……」
なにがしたいのかわからなかったが、今は幾分かは予想がつく。
コーストリアには、そもそも大それた目的などないのだ。
刹那的な感情に流されているのみだろう。
「獣の手など借りぬ」
「なにそれっ?」
手をついて、上半身を起こし、コーストリアはムッとしたような表情を浮かべる。
瞬間、樹海船が激しく揺れた。
「……なっ……に……?」
不安定な体勢だったコーストリアは地面に顔を埋める。
樹海船アイオネイリアは第七エレネシアに着陸し、その大地を深く抉っている。かつてと同じく、この地と一体となり、幽玄樹海と化していった。
「降りるんなら先に言って」
「所用がある」
俺が歩き出すと、彼女は不満そうに身を起こそうとする。
「好きに寝ていろ」
日傘を放り投げ、コーストリアに返す。
「…………いいの? 君のテリトリーでしょ?」
「獣が入ろうとものの数ではない」
一瞬、不服そうな表情を浮かべたが、コーストリアは思い直したようにその場にこてんと寝転んだ。
構わず、俺がその場から立ち去ろうとすると――
「イーヴェゼイノの海域は荒れてる」
独り言のように彼女は言う。
「ナーガ姉様の様子がおかしい」
淡々と無気力に、けれども確かに俺に告げた。
「災人はもう目を覚ましてるのかもしれない」
告げられた不穏な言葉――




