最善手の果てに
禍々しい魔力が俺の全身から溢れ、強く激しく渦を巻く。
瞬間、わしづかみにしていた黄金の雷槍が朽ち、黒き灰へと変わった。
「……な…………どうし…………!?」
「……攻性魔法は、<絡繰淵盤>上では使えないはず……」
「攻性魔法ではないのでな」
根源で凝縮した滅びを表出し、俺の力を瞬間的に底上げする深化魔法。一挙手一投足、すべてが遙か深淵へ迫りゆく。
黄金の雷愴が灰燼と化したのは、あくまでその余波にやられたにすぎぬ。
敵を見据え、ゆるりと足を踏み出し、俺は一歩目を刻んだ。
足下に広がったのは巨大な魔法陣――
「<創造建築>」
展開した魔法陣から光がこぼれ、様々な物体が中空に創られていく。
襲いかかってきた十数体の銀水騎兵は怯まず、激しい魔力を放ちながら俺に突っ込んでくる。
「さ・せ・るかぁぁっ……! 今更、足の遅い創造魔法などっ……!」
「とったぁっ!!」
ガ、ギ、ギィィィンッと甲高い金属音が鳴り響く。
俺が創造した剣と盾は、向かってきた幾本もの雷槍をすべて防ぎきる。
「一撃目を防ごうともっ!」
「これだけの数の武器、同時には操れまいっ!!」
俊敏に移動し、創造した武器の隙間から俺を狙うような動きを見せながら、銀水機兵は雷愴を振り上げる。
その瞬間、槍がボロリと朽ち果て、黒き灰燼と化した。
「…………なっ……に…………?」
<涅槃七歩征服>を使えば、<創造建築>は正常に働かない。
なにを作ろうと創造した物質に滅びが伴い、触れたものを害してしまうのだ。
「……ま、さ、か……こんな……」
空から聞こえてきたのは、天狗大帝ガオウの声だ。
「……十界分の火露を込めた<深撃>が、火露を使わずに創造した剣に……」
「が、ガオウ殿っ! あれを……!?」
「奴が使おうとしている、あの術式は……!?」
元首たちの声が、悲鳴のように飛び交う。
大地を踏みしめ、俺は新たな魔法陣を描いていた。
二歩目――
「<三位一体>」
<創造建築>で創造した盾、絵の具、書物の輪郭が歪み、融合していく。
「盾を絵の具に、絵の具を書物に、書物を盾に。三つ交わり、一なりて、深きへ進め、深層階段――<深印>」
水の紋章が俺の足下に構築された。
「ばっ、馬鹿なっ! <深印>をっ……一切の火露を使わずにかっ……!?」
「……この魔力……この術式精度……信じられんっ! 奴は滅びの魔法と同レベルで対局にある創造魔法を操るというのかっ……!?」
これまで淀みなく攻撃を実行していた銀水機兵たちの動きに迷いが生じる。
俺の出方を窺うように、奴らは緩やかに後退していく。
「ふむ。リアナプリナ。お前の算盤はあらゆる戦局を計算し尽くすとのことだが、どうやら予測できぬことは計算に入れられぬようだな」
「それで十分です」
リアナプリナの声が響く。
「あなたの力をすべて暴いてさえしまえば、わたくしはすべての結果を予知に近い精度で把握できますので」
「予知でわかるのは俺には勝てぬということだ」
「さあ、それはどうでしょうね?」
俺は右手を頭の後ろに回し、背後から飛んできた砲弾を防ぐ。
そちらへ視線を飛ばせば、追撃の機会を窺っていた銀水機兵がピタリと固まった。
「……り、リアナプリナ女王っ! 早く次の一手をっ! 奴は<深印>に成功しました。もしかすれば銀水機兵や、<深撃>までもっ……!?」
「突撃しましょうっ! 銀水機兵を量産されれば、ますます手に負えませんっ!」
「数の利がある今ならば、倒しきることができるはずっ!!」
元首たちが、もう待てぬとばかりに騒ぎ立てる。
しかし、リアナプリナは冷静そのものの口調で言った。
「いいえ、そのまま距離を取りなさい。近づけば、あの深化魔法の余波を受け、こちらの駒をいたずらに減らすだけです」
指示通り、銀水機兵たちが俺を包囲しつつも距離を取り始める。
「しかし、こちらの被害は減らせますが、<深印>の砲撃だけでは倒しきることが……」
「あれをご覧なさい」
銀水機兵の一体が剣で指す。
宙に浮かんでいる剣や盾、書物、大砲、羽根車など、俺が創造した物体が、ボロボロと崩れ始めているのが見えた。
「あの<涅槃七歩征服>を使った場合、創造魔法にもかかわらず滅びを内包してしまい、長く形を保てません。要は、創れるのは欠陥品だけということです」
流玉の算盤の力か、気がつくのが早い。
足下の水の紋章も、元の物質が崩壊しようとしていることで、すでに欠け始めている。
だが――
「<三位一体>」
三歩目を刻めば、大地が激しく振動する。
囮となっていた弱い銀水機兵がそれによって粉々に砕け散った。
「ぐ、ぐぅぅっ……!」
「ぬぅぅ……こうも容易くっ……!」
ほぼ同時に、剣と大砲と羽根車、三つの輪郭が歪み、それぞれが混ざり合う。
「白刃と、火弾放つは、羽根車。三つ交わり一なりて、螺子穴穿つ、渦の風」
俺の足下に火の紋章が浮かんだ。
「……<深撃>までも……」
元首たちが息を飲む中、銀水機兵の一体が鋭い視線をこちらへ向けた。
「ご安心ください。勝機が見えました」
「誠かっ?」
「しかし、あの化け物を相手に、いったいどうすれば……?」
「彼はこちらへの反撃手段に<深撃>と<深印>を用いました。それはつまり、彼をして、この<絡繰淵盤>の影響を無視することができないということ」
遠巻きに俺を警戒しながら、リアナプリナは元首たちにそう説明する。
「ですが、この銀水将棋の駒とルールで挑んでくるのでしたら、わたくしたちに一日の長があります。彼は<深撃>と<深印>をたった今見たばかり。どれだけ魔力があろうと付け焼き刃です。しかし、こちらは術式のすべてを熟知しています」
リアナプリナは先程から<思念通信>を使っていない。
「<深撃>の一撃は深く狭い。秘奥を使えない彼では攻撃範囲は狭まり、一度に倒せて数体でしょう。<深印>ならばチャンスはありますが、深化可能な魔法とそうでない魔法が存在します。少なくとも、この一局の間にそれを知る時間はありません」
ふむ。言葉による駆け引きで、俺に迷いを生じさせるつもりか?
「つまり、彼は先程見せた<深印>による砲撃と、素手による<深撃>でしか攻撃ができません。それならば――」
最後尾にいた銀水機兵が片手を上げる。
<思念通信>にて指示が出されたか、銀水機兵たちの周囲に、剣と大砲、羽根車が創造された。
<三位一体>によりそれらが交わり、次々と駒の前に火の紋章が浮かんだ。
「「「白刃と、火弾放つは、羽根車。三つ交わり一なりて、螺子穴穿つ、渦の風」」」」
そこかしこから、詠唱が反響する。
「「「<深撃>」」」
黄金の雷愴が投擲される。
十本、二十本と、世界をも滅ぼしかねぬ槍が雨あられの如く降り注いだ。
それらは、俺が創り出した盾や剣、羽根車などを貫き、次々と破壊し始めた。
相当な量の火露が込められているのか、<涅槃七歩征服>の余波にも対抗し、俺の守りを削っていく。
不可解なのは、投擲を繰り出しながらも、駒は各方向へ後退しているということだ。
「ふむ。時間制限でもあったか?」
『はい。貯蔵魔力を考慮し、銀水将棋の制限時間は三〇分と指定しています。制限時間を過ぎた場合、<絡繰淵盤>上の駒数の多寡にて勝敗を決します」
なるほど。
そういう狙いか。
駒に勝るあちらは、逃げ切れば勝利条件を満たす。
必然的にこちらは追わねばならぬ。
「追ってきなさい、アノス・ヴォルディゴード。ですが、東西南北どちらに先へ向かい、あなたがいかに最善手を打ち続けても、残り二一分で倒せるのは最大一四七界分の火露、銀水機兵にして七八体が限界――」
片足をゆるりと上げ、靴裏で火の紋章に軽く触れる。
「あなたの勝率は零です」
四歩目――
「<深撃>」
そのまま、<深印>を踏み抜き、大地を鳴らす。
「残念ですが、それは悪手でしたね。<深撃>はすでに深層大魔法、それ以上の深化はでき――」
リアナプリナが唖然としたように言葉を失う。
どこまでも続く<絡繰淵盤>の地平線。その大地のすべてが、俺の足に踏みつけられたことにより、激しく振動を始めた。
「……なぁ……っ……!?」
「なんだ、これは……!?」
銀水機兵たちが魔力を発し、かろうじて体勢を保ちながらも辺りを見回す。
尋常ではないほどの勢いで揺れている大地が、更に動き始めていた。水平だった地平線が斜めに傾き、そして今にも真横に達しようとしている。
「…………馬鹿な、これは……まさか、まさかっ……!?」
「<銀水淵盤>を……ひっくり返したじゃとぉっ……!?」
振動は更に激しさを増していき、とうとう天地がひっくり返る。だが、それだけでは収まらず、今度はそのままぐるりと一回転した。
「がっ……ぐぅぅっ……!!」
「なっ、ぐああぁぁぁっ……!!」
ぐるぐると回り続ける大地から投げ出され、銀水機兵はどうにか宙に留まる。だが<銀水淵盤>が割れ、その無数の破片が奴らに襲いかかった。
凍らぬ銀水を固めた氷、<涅槃七歩征服>の一歩に耐えるほどの頑丈な物体だ。
それらが鋭利な刃と化して、銀水機兵に襲いかかった。
「あ、集まれっ……! バラバラのままではっ……!」
「だめだ、飛べぬ……こ、このままでは……!」
「馬鹿な、いかんっ……これ以上の被弾は、装甲が……!?」
「リアナプリナ殿っ、どうすればっ……!?」
「リアナプリナ殿、指示をっ……!!」
「もう火露が尽きるっ!! くそおおおおぉぉぉぉぉ、銀水機兵の損傷がっ……!! これ以上はっ……!」
「まだだっ! まだ終わるものかぁぁぁっ!! 我らが世界の威信にかけてぇぇっ!」
「うご、けぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!」
「「「う、あ・ああ・あ・あ・あ・ああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」」」
阿鼻叫喚を響かせながら、銀水機兵が次々と銀水の氷に貫かれ、その身をズタズタにされていく。
誰も彼もが抵抗できず、僅か一体すら残らずに、駒という駒が砕け散った。
しかし――
なおも高速で回転し続ける盤上の中、俺の視界に蒼い水が映った。
流玉の算盤だ。
それを弾きながら、リアナプリナが迫ってくる。
「計算通りですよ、アノス・ヴォルディゴード。<深撃>と<深印>を使えば、わたくしたちが全滅する確率は一〇割――」
直撃した銀水の氷はゆうに百を超えたが、彼女には傷一つつけることができぬ。
水算世界サイライナの火露を結集した銀水機兵よりも、今のリアナプリナは遙かに頑丈だ。
そのカラクリは――?
「ですが――」
「面白い」
突っ込んできたリアナプリナの土手っ腹めがけ、俺は五指を突き出す。
同時に五歩目を刻んだ。
ヌルリ、と水の感触が右手を覆う。リアナプリナの体は液体化し、五歩目の攻撃を完全に吸収するとともに、俺の手をきつく縛りつけていた。
「流玉の算盤は、自ら弾き出した計算結果をほんの僅かに超える力を与えるのです。それには予測を一〇割に収束させる必要がありました」
そう口にした頃、すでにリアナプリナは、俺の胸につけられた校章をつかんでいた。
それを引きちぎって奪えば、彼女の勝ちだ。
「なるほど。勝てぬとわかってからが、本領だったというわけだ」
「ええ。わたくしがあなたの力を知らなかったように、あなたもまたわたくしの力を知らなかったのです」
俺の体を水流で拘束し、リアナプリナが校章を引きちぎろうと力を込めた。
「だが、惜しかったな」
ガラスの破片が目の前に飛び散った。
否、それはガラスではなく、<銀水淵盤>だ。
リアナプリナが信じられないといった顔でそれを見た。
引き裂かれていた。
青い空が、まるで両手で引きちぎられるかのように裂け、真っ黒な亀裂が広がっていく。
「あっ…………」
リアナプリナは吐血する。
次の瞬間、<銀水淵盤>が跡形もなく砕け散った。
四歩目で最早崩壊寸前だったが、五歩目がとどめとなったのだ。
後に残ったのは、ふわふわと漂う火露と、ぐったりとしながら中空を漂う元首たちの無残な姿だ。
空も大地も完全に崩壊し、数秒後、俺たちはパブロヘタラの最深部――氷の床の上に戻ってきた。
目の前では、腹を貫かれたリアナプリナが俺の腕にぐったりともたれかかっている。
俺がもたらした結果が予測の範疇を超えたため、流玉の算盤の加護が失われ、彼女本来の力に戻ったのだ。
「……こんな……ことが…………」
「よい魔法だが、まだまだ視野が狭い」
腕を抜き、彼女の制服から、その校章を奪い取った。
「盤上遊戯をするならば、盤が壊れることも計算に入れておくべきだったな」
淵盤破壊す、鋭い一手――
 




