変遷
聖船エルトフェウスの甲板に、俺は着地する。
左右には鎧を纏った狩猟貴族たちが整然と並んでおり、その中央に聖王レブラハルドとオットルルーが待っていた。
一瞬彼の顔に影が差したかと思えば、上空から車椅子に乗ったナーガがエルトフェウスに下りてくる。
俺たちは三人はそれぞれに相対した。
線で結べば、ちょうど三角形が描かれる位置取りだ。
レブラハルドは、穏やかさを顔にたたえ、静かに言った。
「こちらの船に呼び出してしまってすまないね。他意がないことは理解してもらいたい」
「構わぬ」
俺に続き、ナーガが口を開く。
「それよりも、早くイーヴェゼイノから出てもらえると助かるわね。二律僭主はもういないし、ここに留まる理由はないはずでしょ?」
人の良さそうな顔で、柔らかく彼女は要求を突きつける。
「始めからそのつもりだ」
レブラハルドが口にすれば、聖船は上昇を始めた。
すぐに銀海へ出るだろう。
魔王列車がエルトフェウスに並走し、上昇していく。
ハイフォリアの船団も同じく、イーヴェゼイノから離脱を始めた。
「これで安心して話ができるということでいいね?」
「そうね。でも、なんの話かしら?」
目を細め、とぼけるようにナーガが疑問を呈する。
それに答えたのはレブラハルドではなく、オットルルーだった。
「元首代理ナーガ。先刻、あなた方、幻獣機関の所長、ドミニクの殺害が確認されました」
ナーガは驚いた素振りもなく、すました顔でオットルルーの言葉に耳を傾けている。
「所長ドミニクのつけていた校章から、界間通信がパブロヘタラへ送られたのです。魔法記録の解析結果、死後彼のそばにいたのはミリティア世界元首アノス・ヴォルディゴードと特定されました」
やはりナーガは口を挟まず、涼しい顔で聞いている。
すると、レブラハルドが俺に視線を向けた。
「近くにいたから、犯人だと断定するわけではない。そなたは同じパブロヘタラの学院同盟、その元首だ。同盟世界の要人を手にかけたと見なすには、なにより証拠を重視したい。わかってくれるね?」
冷静なことだ。
言葉だけではなく、疑うような気配すらない。
「なにが知りたい?」
「ドミニクが殺害されたのは、ちょうど銀水序列戦の真っ最中とわかった。ということは、元首アノス、そなたは序列戦を抜け出し、イーヴェゼイノの幻獣塔へ赴いた。このことは問題だが、今は優先するべきことが他にある」
あくまで論理的に、レブラハルドは俺に問いただす。
「そこでなにをしていたのか、教えてもらえるね?」
納得のいく説明ができなければ、また面倒なことになったのだろうがな。
「夢想世界フォールフォーラル滅亡の首謀者を炙り出していた」
俺は手にした赤いわら人形を、レブラハルドに見せた。
彼は魔眼を向け、その深淵を覗く。
そして、小さく息を吐いた。
「ルツェンドフォルトの元首、パリントンだね」
「こいつがフォールフォーラルを滅ぼした犯人だ。俺の母を手に入れるためにな。その上、ドミニクの記憶を<赤糸>で上書きし、自らに従順な人形に変えていた」
「つまり、ドミニク殺害も、パリントンの仕業と主張するわけだね?」
「ああ。それと」
俺はナーガを親指でさす。
「そいつも一枚噛んでいたぞ」
「なるほど。彼はこう言っているが、幻獣機関の見解はどうかな?」
レブラハルドが、ナーガに視線を向ける。
「概ねアノスの言う通り」
彼女は迷いなくそう口にした。
「聖王さんはどこまでご存じか知らないけど、パリントンはルツェンドフォルトの元首になる前は、イーヴェゼイノの住人だったのね。私たちとは交流があり、ちょっとした同盟を結んでいた。でも、フォールフォーラル滅亡は、パリントンの独断よ。疑ってはいたけど、私たちにも確証はなかった」
「では、どうしてそれをパブロヘタラに伝えなかった?」
レブラハルドの追求に、臆することなくナーガは言う。
「そろそろイーヴェゼイノは限界なのね。主神が眠りについたままじゃ、いつまでも銀泡は安定を保てない。裁定神さんなら、わかっているんじゃない?」
レブラハルドが、オットルルーを振り向く。
「オットルルーは確認しました。イーヴェゼイノの一部神族が幻獣に取り憑かれています。それに伴い、以前よりも小世界の秩序が不安定になっています」
「イーヴェゼイノの秩序は、そもそもが<渇望の災淵>に影響を受けてる。制御された天災、理性のある狂気が、災淵世界の根幹ね。だけど、主神が眠ってからは少しずつ小世界の秩序が弱まっているの。このままいけば、災淵世界の住人は全員理性を失って、渇望に支配される」
真顔でレブラハルドは問う。
「それは証拠が出せる話と思っても構わないね?」
ナーガの特性を知っているのだろうな。
彼女はいくらでも嘘をつける。
だが、馬鹿ではない。そう考えれば、今ここで下手な嘘はつくまい。
「後で納得いくまで調べてもらってもいいわ。あなたじゃなく、オットルルーにね」
証拠は出すが、聖王に探らせるつもりはないのだろうな。
霊神人剣と滅びの獅子。幻獣たちと狩猟貴族。
古くからイーヴェゼイノとハイフォリアは敵対関係にあった。
パブロヘタラに加盟した今も、変化したのは表向きの関係だけだ。
「オットルルーが後ほど確認します」
「黙っていた理由はそんなところね。なにが起こるかわからないと知っていても、私たちは災人イザークを起こすしかないの。それをパリントンに協力してもらっていた。だから、確証がない内は彼の邪魔になるようなことをするわけにもいかなかった」
ふむ。そういうことか。
「幻獣塔に、災人イザークの氷柱を溶かそうとする術式があった。俺たちがイーヴェゼイノで暴れたことで、目覚め始めているのやもしれぬ」
俺がそう口にすると、レブラハルドが一瞬鋭い視線をこちらへ向けた。
氷柱には亀裂が入り、災人は一瞬目覚めかけた。
外の世界に興味を覚えたとも考えられる。
「俺をイーヴェゼイノへ入れたくなかったのはパリントン。それに協力するよう見せかけながらも、実際は俺と災人を出会わせたかったのがナーガ、お前というわけだ」
ナーガが肯定を示すように微笑する。
「アノスは完全体に近いアーツェノンの滅びの獅子。きっと、災人も興味を覚えると思ったのね。うまくいってよかったわ」
災人イザークを起こすのが、ナーガの一番の目的か。
奴ら滅びの獅子とパリントンは、同盟を結び、互いに協力し合っていたが信頼していたわけではない。
パリントンは姉のルナ・アーツェノンと添い遂げるのが目的だ。それを達成したところでナーガたちイーヴェゼイノの住人にはなんの益もないことだしな。
「災禍の淵姫に興味があったように見えたが?」
くすり、とナーガは笑声をこぼす。
「母親に興味がない子供がいると思う?」
「さてな。なんであれ、お前は母さんを危険に曝した」
「危険? あなたがそばにいるのに?」
ふむ。食えぬ女だ。
パリントンではどうあがいても俺には及ばぬと察していたか。
確かに事実だが――
「お前は嘘つきだからな」
「否定はできないわ」
どこまで本心なのかは定かではないな。
「そなたらの話は理解した」
レブラハルドが言う。
「結論を述べれば、フォールフォーラル滅亡も、ドミニク殺害も、すべてはパリントンが独断で企てたこと、という主張で構わないね?」
「その女はどうだか知らぬ」
「あら? 私はアノスに口添えしたのに、弁護してくれてもいいじゃない?」
俺とナーガは、視線を交換する。
「軽微な違反行為については追って話し合おう。まずはオットルルーに、今回の事実を確認させる」
「了解しました。元首アノス、そのわら人形をお渡しいただけますか?」
オットルルーは<裁定契約>を使う。
パリントンへの尋問結果は、公平公正に発表する旨が記載されていた。
俺はそれに調印し、パリントンをオットルルーへ投げる。
彼女はそれを両手で受け止めた。
「ご協力、感謝します」
裁定神は、これまでの経緯を見る限り、中立性を保っている。
信用してまず問題ないだろう。
仮に公正な結果が出ないようなら、それはそれでよい。
パブロヘタラの膿がわかるというものだ。
「すべての結果が出た後に、当事者のいるミリティアを含め、六学院法廷会議を行おう」
レブラハルドが言う。
「状況によっては、深層講堂以下の学院にも参加してもらった方がいいかもしれないね。元首アノスがフォールフォーラル滅亡の首謀者を生け捕りにしたとなれば、パブロヘタラが通達していた通り、ミリティア世界は聖上六学院に入ることになる」
そういえば、そんなことも言っていたな。
「法は正義だ。しかし、主神のいない泡沫世界が聖上六学院入りするなど前代未聞だからね。理解してもらうのは骨が折れるかもしれない」
「別にいいんじゃない」
ナーガが言う。
「弱小世界の皆さんに過度な配慮はしなくても。最初からそういうルールだったでしょ」
「そういうわけにはいかない。正義とはいえ、それで殴りつければ暴力と同じだ。可能な限りの納得が必要だよ」
「聖王さんは気苦労が多そうな性格ね。気をつけないと、幻獣に乗っ取られるわよ?」
「忠告に感謝を。そうならないように努力しているよ」
ナーガの笑顔を、レブラハルドは笑顔で受け流した。
すぐに彼女の車椅子が<飛行>の魔法で浮かび上がる。
「もういいわよね。法廷会議の日程はいつ?」
「各調査に三日、お時間をいただきます。法廷会議は四日後、パブロヘタラで行います」
オットルルーが答える。
「じゃ、また四日後に」
「元首代理」
飛び去ろうとしたナーガに、レブラハルドは声をかける。
「災淵世界の事情は察するが、災人イザークは不可侵領海に指定されている。独断は避け、法廷会議の判断を仰ぐことを具申しよう」
「四日後まではなにもしないわ」
そう言って、ナーガは飛び去っていった。
すでに、この聖船エルトフェウスは黒穹を抜け、銀海を飛んでいるが、イーヴェゼイノから迎えの船でも来るのだろう。
「お前とはゆっくり話したかったのだが、あいにく母さんが目覚めるときにそばにいなければならぬ」
「それは残念だ」
レブラハルドがそう答える。
頭上を見上げれば、そこに銀灯のレールができていた。
魔王列車が銀海を走って行き、その隣をゼリドヘヴヌスが飛んでいる。
俺が<飛行>を使うと、彼は言った。
「元首アノスは、二律僭主とどういう関係だ?」
「なに、ともに球遊びをした程度の仲にすぎぬ。しかし、なかなかどうして、話の通じる男だったぞ」
上方へ飛んでいきながら、俺は問い返す。
「こちらも、二、三訊いておこう。お前は霊神人剣がミリティア世界に盗まれたわけではないことを知っていたはずだ」
奴はすぐにはなにも言わなかった。
泰然とこちらに視線を向け、やがてゆっくりと口を開いた。
「迷惑をかけたことはすまないと思っている。ハイフォリアの内部で、様々な行き違いがあった」
「ある人物のことを、伏せておかねばならなかったからか?」
ルナ・アーツェノンの名前を出さなければ答えられるだろうと俺はそう問うた。
「そうかもしれないね」
「魔王学院の宿舎に来い。一万四千年前の戦いの結果を見せてやる」
数秒の沈黙の後、レブラハルドは言った。
「すまないね。男爵だったときとはもう違う。今の私は、ハイフォリアを治める聖王だ」
「ほう」
かつて、ルナ・アーツェノンを助けたときのような振る舞いはできぬという意味か。
確かに、あの頃とは性格にも行動にも少々違いが見える。
ハイフォリアの元首となった重責ゆえか。
それとも、一万四千年前のレブラハルドを変えたなにかがあったのか。
「まあよい。気が向いたなら、いつでも声をかけろ」
レブラハルドは無言でこちらへ視線を送る。
聖船エルトフェウスは舵を切り、ゆっくりとこの海域から去って行った。
目的を果たし、いざ凱旋――




