末路
一番、二番、三番、四番、五番――幻名騎士団は、名付けられた順番に<転生>の実験体となった。
悲壮感はまるでなく、彼らはおつかいにでも行くように消えていく。
見送るセリスもまた厳しい表情を崩さず、鋭い視線にて魔法の深淵を覗くのみ。
まるで作業のように淡々としており、それが幻名騎士団が亡霊であることを際立たせた。
一人を転生させるごとに、セリスは洞穴にこもり、その間は満足な食事もとらずに考え続けている。
<転生>の結果とその術式の問題点、そしてそれをいかに改善するかを。
だが、思うような結果は得られていないのだろう。
日増しにセリスの表情は険しくなり、雷を宿す鮮やかな魔眼は曇っていく。
その澱みに、ルナは覚えがあった。
<渇望の災淵>だ。
その水底には、様々な欲望や渇望が混濁している。
満たされない想いが募りに募り、乾ききった切望は、いつしか暗き衝動へと移り変わっていく。
アーツェノンの滅びの獅子。
未だ自らの胎内に結びつけられた怪物と似たような存在へと彼が変貌してしまうのではないかと思い、ルナは不安だった。
そうして、とうとう最後の一人が逝ってしまった。
セリスの瞳は澱んだままだ。
黙って見守るしかないルナだったが、それでもなにかできることがないかと思った。
彼女はバルファッバ山を下りて、近くの森へ入った。
魔眼が届かなくなるため、セリスから行かないように言いつけられている場所だ。
そこで、キノコを採った。
ルナにできるのは料理を作ることだけ。
だから、毎日みんなに料理を振る舞い、一番との約束通り、頑張ってセリスにパンを食べさせた。
死にゆく彼らを、止めてあげることができない。
だから、せめて美味しい料理を食べてもらいたかった。
彼らの気持ちがわからずとも、一緒に食卓を囲むことはできると思ったから――
今はもう、彼一人だ。
「……暗い顔しちゃ、だめ……」
ルナは口角を上げ、無理矢理に笑顔を作る。
セリスは<転生>を完成させるつもりなのだ。
たとえ秩序がそれを許さないとしても、彼はそれをねじ伏せるつもりでいる。
傍観者にすぎない自分が暗い顔を見せてはいけないと思い、笑った。
「ふふっ、沢山採ーれたっ。なににしようかなっ? スープ? ソテー? グラタンもいいけど、材料がないなぁ」
「山を下りるなと言ったはずだ」
予想だにしない声に、ルナがびくっと体を震わせる。
彼女が振り向くと、そこにセリスが立っていた。
魔眼の視界から外れたため、急ぎ追ってきたのだろう。
「……ご、ごめんなさい……だって、バルファッバ山にはあんまりキノコがないから……美味しいでしょ、キノコ。ソテーもいいし、スープもいいし。毒キノコも、毒抜きできるから、大丈夫だわっ……」
「口に入れば、なんでも構わぬ」
すげなく言われ、ルナはしょげ返る。
「……でも……美味しいお料理を食べてもらいたかったから……」
一瞬の沈黙。
真顔のまま、セリスは言った。
「そうか。仕方のない」
「え?」
ルナが顔を上げれば、セリスはもう背を見せていた。
「戻るぞ」
「……うん」
セリスの後についていきながら、ルナは考える。
少し、いつもと違っている。
いつもより、少し優しい気がした。
それが無性に嬉しくて、自然と笑みがこぼれてしまう。
「どうした?」
「だって、仕方のない、なんていつもは言わないから」
彼は歩いていく。
足早に進む彼に、おいて行かれないようルナは追いかけた。
「そうか」
「うん」
不思議だった。
こんなときでも、こんな些細なことで心は弾む。
どうして自分はこんなにも、彼に心惹かれてしまうのか。
まだ名前も知らないのに、どうして?
考えても理由がわかるはずもなく、前を行くセリスの背中をルナは追いかけた。
バルファッバ山の集落に着くと、彼女はすぐに料理の支度を始める。
やっぱりここでも、いつもと様子が違った。
毎日、洞穴にこもっていたセリスが、なぜかその様子を眺めているのだ。
なにをしているのだろうか?
包丁の扱いは目を閉じていたって問題ないくらい慣れているのに、彼に見られていると思うと、どこかぎこちなくなってしまう。
なんだか顔が火照っていて、三倍の量の野菜を切ってしまった。
恥ずかしい。
切りすぎてなんていないという風に装って、切った野菜を鍋に移しながら、ルナはちらりとセリスの顔を見る。
視線が合うと、恐る恐る彼女は尋ねた。
「……今日は、魔法の研究しなくていいの……?」
「終わったのだ」
短くセリスは言った。
「エレネシアが結果を持ってくる」
達観したようなその表情を見て、ルナは悟った。
「……そっか……」
なにを言おうか迷い、どんな言葉をかければいいのかを考える。
だけど――
「……………………美味しい料理……作るね……」
考えて、考えて、沢山考えたけれど、結局、思いついたのは、そんななんの役にも立たないような言葉だった。
ぽつり、ぽつりと不吉な雨音が聞こえ始めた。
雨が降っている。
聞き慣れた不吉な音が、耳をついて離れない。
やがて、ひとひらの雪月花がそこへ舞い降りた。
光が放たれ、姿を現したのは少女の姿の神――
創造神エレネシアである。
彼女を出迎えるため、外へ出たセリス。
ルナもすぐに後を追った。
雨の中、二人はその神と向かい合う。
エレネシアはなにも言わない。
ただ悲しげな表情をたたえるのみだ。
雨音がみるみる大きくなっていった。
「失敗した」
静謐な声で、エレネシアは言った。
「彼らの根源は、死の痛みを刻みつけられたまま、完全に滅び去ることもできず、この世の狭間で未来永劫苦しみ続ける」
「……嘘…………」
呆然とルナが呟く。
失敗は初めからわかっていたことだ。
それでも、どうしても訊かずにはいられなかった。
「……どうにか、ならないの……?」
「<転生>は、世界に適合しない。その秩序を、最後まで覆すことができなかった」
ルナは、セリスを振り向く。
彼はいつも通り、厳しい面持ちを崩さない。
けれども雨に濡れたその顔が、どうしてか、ルナには泣いているかのように見えた。
「では、次は俺の番だ」
無言でエレネシアはセリスを見つめる。
厳粛で、静謐で、それから慈愛に満ちた瞳だった。
「最後のヴォルディゴード。あなたは十分に戦った。もう勝算は残されていない。幻名騎士団の誰も、あなたが無謀な戦いに挑むことを望みはしない」
優しくエレネシアは言う。
「不可能に挑み、当たり前のように敗れた。亡霊にはふさわしい末路だ」
達観した声で、セリスは言う。
ああ、そうか、とルナは思った。
だから、彼はいつもと違い、優しかったのかもしれない。
自らの終わりを察していたから。
「俺が始めた戦いだ。敗れることが宿命づけられていようと、挑まぬわけにはいかぬ」
バチバチとセリスの右眼に紫の稲妻が走る。
<滅紫の雷眼>。
滅紫に染まったその雷の瞳に、彼は手をかざす。
凝縮された雷のような魔法珠が、彼の手に移った。
その瞳から雷の力が消え去って、両眼ともに<滅紫の魔眼>となった。
紫電の魔法珠を、セリスは差し出す。
それは彼の根源が有する電の源だ。
イージェスと同じく、転生しても力を引き継げぬ可能性をふまえ、信頼できる者に預けていくつもりなのだろう。
雷とともに込められていたのは、彼の意思。
最後まで戦い抜くという強い想いだ。
エレネシアは、それ以上引き止める言葉を口にせず、魔法珠を受け取った。
彼は心を変えないと悟ったのだろう。
セリスが洞穴へ向かい、足を踏み出す。
ルナは咄嗟にセリスの袖をつかんでいた。
稲妻のような眼光が、鋭く彼女の顔に突き刺さる。
「ここは亡霊の集落ぞ。そろそろ日の当たる国へ帰るがいい。お前ならば、どこで暮らそうとも幸せを得られよう」
セリスが、彼女の手を振りほどく。
本当は、とっくにわかっていたはずだった。
ここは滅び去っていく泡沫世界で、奇跡の象徴たる主神が存在しない。
なにより彼が敵に回しているのは、この小さな世界の秩序だけではなく、銀水聖海に遍くすべての秩序だ。
この広い海は、<転生>という魔法を許容しない。
勝てないとわかりながら、滅びるのみと知りながら、それでも戦うことしかしない彼は、まさしく亡霊だった。
奇跡など起きるはずがないのだから、滅び去るのは決まり切っている。
それなのに、彼に運命を夢見た。
振り向いてくれるはずもない彼に。
この宿命から、救ってくれるはずもない彼に。
自らの王子様であってくれればいいなんて、馬鹿な夢を見ていたのだ。
だけど――
「最後じゃないわ」
気がつけば、そんな言葉を口にしていた。
ルナの渇望が彼女に強く訴える。
いらない。
運命なんていらない。
宿命なんてどうでもいい。
救いたい。
すり切れていく彼を、自分が救ってあげたいのだ。
戦い続け、仲間を失い、それでも戦い抜くと決めた彼に、勝利を勝ち取って欲しいのだ。
だから、ずっとここにいた。
ありふれた日々も、幸せな家庭も、自分を愛してくれる旦那様も、彼のためなら、捨てられる。
捧げよう。ぜんぶ。
見返りは、なにもいらない。
なに一つ。
「次はわたしの順番。わたしに<転生>をかけて。きっと、うぅん、絶対、今度こそ上手くいくわ」
僅かに振り向いたセリスに、ルナは精一杯の愛を込めて笑いかけた。
「ね」
覚悟を決めたルナ。二人の行く末は――?