真心を亡霊に
お姫様は、不思議そうな顔をしました。
その骸骨はこう言いました。
「……キス……ヲ……」
お姫様は躊躇います。けれども、その骸骨が愛おしく思えてきたのです。
彼女は思い切って骸骨の頬にキスをしました。
すると、どうでしょう。
骸骨が光に包まれて、みるみる内に姿を変えていくのです。
気がつけば、目の前には金髪で青い瞳の王子様が立っていました。
彼は言いました。
「ありがとう。君のおかげで呪いが解けたよ。人の心を取り戻せた」
――本をぱたんと閉じると、ルナは勢いよく顔を上げた。
「……そうだわ……!」
はっと思いついたように彼女は寝床から抜け出す。
真夜中だ。
月明かりが降り注ぐ中、ルナは走り、石窯のある建物に入った。
彼女はすぐにスープの下ごしらえとパンを焼く準備を始める。
さっきまで読んでいたのは、古い童話だ。
邪悪な魔女に呪われてしまい、不気味な骸骨と成り果てた王子様を、お姫様のキスで救う。
怪物だった王子様は、人の心を取り戻し、洞窟に迷い込んだお姫様を助けた。
愛し合う二人はいつまでも幸せに暮らしたのだった。
それと同じだ、とルナは思った。
幻名騎士団は、人里を離れ、亡霊のように過ごしている。
心をなくしたわけじゃないはずなのに、心を捨てたように振る舞って。
まるで呪いをかけられたみたいに。
だけど、彼らが呪いをかけられた亡霊なら、それを解いてあげればいい。
人の心を取り戻したら、きっとあの人の名前も聞ける。
もっと色んなことを教えてもらえるし、楽しくお喋りもできるはず。
そうしたら、これが運命だって、はっきりとわかるかもしれない。
災禍の淵姫であるルナの宿命がそれでなくなるわけではないが、二人の恋が運命だったら乗り越えられるに違いない。
あの童話のように、人の心を取り戻した王子様は、お姫様を助けてくれるのだ。
「うん、美味しくできたわ」
スープが完成し、パンが焼き上がると、彼女はそれを持って飛び出した。
衝動に突き動かされるように、ルナは洞穴へと走る。
起きているだろうか? まずはなにから話そう?
そんなことを考えながら、洞穴の奥へ進むと、扉の前で一番が立っていた。
こんな真夜中まで、見張りをしているようだ。
彼はルナに気がつくと、彼女が鍋を抱えているのを見て、疑問の表情を浮かべた。
「どうしました?」
「あの……いいことを思いついて……一番の言う通り、行動を起こすなら早い方がいいと思って、だから……」
ルナは扉の向こうへ視線を向ける。
「会いたいんだけど、起きてるかな……?」
「この奥へは誰も通すなと言われています」
言葉とは裏腹に、一番は笑う。
そうして、槍の柄で扉をつき、開けてくれた。
「……いいの?」
「亡霊の気まぐれですが、できれば上手く誤魔化してください」
「ありがとうっ!」
お礼を言って、ルナは中へ入った。
薄暗く、人の気配がまるでしない。
彼女は暗闇に魔眼を配り、奥へ歩いて行った。
「一番はどうした?」
急に声をかけられ、びくんとルナが震える。
暗闇の向こう側に、セリスがいた。
固定魔法陣の上で、魔法の研究をしているようだ。
「えっと……貧血で休んでるみたいで……」
「あれの血は無尽蔵だ。貧血などありえぬ」
「あー……」
ごめん、一番、バレた、とルナは心の中で謝る。
こうなったら取り繕っても仕方がない。
ルナはセリスのもとへ駆け寄っていくと、満面の笑みで鍋を見せた。
「スープを持ってきたのっ」
「おいておけ」
すげなく言われたが、怯まずルナは言った。
「パンもあるのっ。今日はライ麦。堅いけど、美味しいわ」
「おいておけ」
冷たい言葉に、しかしルナは笑顔で続けた。
今日は一歩も引かない。
亡霊の呪いを解いてあげるのだ。
そのためには、まずなにがなんでも手料理を食べてもらう。
大丈夫。
きっと真心は通じるはずだ。
「猪肉が美味しいって、みんなからも好評だったの。最近、全然なにも食べてないでしょ。食べて」
「おいてお――」
今だ!
バゴッとセリスの口に黒パンが放り込まれた。
「美味しい?」
パンを喰らいながら、面を食らったような表情を浮かべるセリス。
遠くから、押し殺した笑い声が微かに漏れてきた。
一番のものだろう。
「…………」
セリスは無言でパンを噛みきり、入りきらなかった分を手に持つ。
すかさず、ルナはスプーンをぐっと握りしめる。
キラリと光った魔眼には、パンを飲み込んだ瞬間、今度は熱々のスープを口に放り込んでやると言わんばかりの気迫がありありと浮かんでいた。
「……確かに少しばかり空腹だ」
セリスは少々呆れ気味にそう言って、<創造建築>の魔法で、机と椅子を二脚を用意する。
「座れ」
「うんっ!」
やった。通じた。真心が通じた。
ルナは嬉しくなって、満面の笑みを浮かべる。
上機嫌で魔法陣を描くと、そこから取り出した深皿にスープを入れ、平皿に黒パンを置いた。
「馴染んだようだな」
「幻名騎士団に? うんっ、みんないい人ね。でも、誰も名前で呼ばないから、ちょっと変な感じ。一番、二番、三番って、この世界の言語で、数字の一、二、三なのね」
ルナが饒舌に喋ると、セリスが眼光を鋭くした。
「この世界?」
「あ……その、わたしは、別世界にいたようなものだから……」
泡沫世界には主神がおらず、外の世界を感知する術がない。
ルナもこのエレネシア世界から自力で外へ出ることはできないのだ。
銀水聖海やイーヴェゼイノの説明をしても、頭のおかしな女だと思われるだけだろう。
どう言ったものか、ルナは言葉に迷う。
「えっと……あの、結婚するとき、不便じゃないの? 名前知らないと……」
彼女は強引に話を変えることにした。
「名もなく、欲もなく、我らはただ彷徨うのみだ」
それは彼から何度も聞いた言葉だ。
だけど、やっぱりどう考えても、それが彼らの幸せにつながるとは思えなかった。
「あの、あなたはどうして、亡霊になったの?」
「理由などない」
「嘘だわ。だって、亡霊なんてやってても楽しくないじゃない。やりたいこともできないし、好きな人ができても結婚できないわ。そんなの、なんのために生きてるかわからないじゃない?」
セリスは無言だった。
ただパンをかじり、スープを飲む。
負けない、とルナは思った。
「……わたしが数字じゃなくて姫って呼ばれるのは、どうして……?」
「相容れぬ者だからだ」
その言葉に、ルナの胸は痛んだ。
ひどく疎外感を覚えたのだ。
「……わたしは、みんなの仲間になりたいと思ってるわ……」
「お前の腹に眠っている得体の知れぬ力」
魔眼に紫電を走らせ、セリスはルナの深淵を覗く。
「それは、お前の子にかけられる呪いの類か」
なにも話してはいない。
それなのに、彼は災禍の淵姫のことをここまで見抜いたのだ。
ルナは驚きを隠せなかった。
「……嘘だって、笑うかもしれないけど……」
そのことをもう黙ってはいられないと思った。
真心を持って接するなら、都合の悪いことを隠してはおけない。
「……わたしは、世界を滅ぼす忌み子を生むの。それが、宿命だって……」
災淵世界とアーツェノンの滅びの獅子という名を伏せ、ルナはセリスに己の宿命を打ち明けた。
どこまで信じてもらえるかはわからないし、逆に信じたなら、忌避せずにはいられないだろう、とルナは思う。
だが、セリスの答えは意外なものだった。
「お前はそれでも、幸せが欲しくてならぬ。己の子が欲しくてならぬのだろう?」
一瞬迷い、けれども、やはり彼女はうなずいた。
「……うん」
不思議だった。
彼は、いつもあんなにも冷たい。
それでも、ルナがなにも言っていないのに、大した言葉も交わしていないのに、彼女のことを理解してくれているような気がするのだ。
「その我欲は、我らの捨ててきたもの。その胸に渇望がある限り、お前は亡霊にはなれぬ。やがて我らを疎み、忌避するだろう」
セリスが指先から紫電を発すると、洞穴のろうそくに火が灯った。
彼は立ち上がり、灯火に囲まれた中央へ視線を向ける。
そこには魔法陣が描かれていた。
「生者と亡霊は相容れぬ。お前が光ならば、我らは影だ。ついぞ交わることはない」
セリスの言うことは、やはりルナにはよくわからなかった。
だけど、今日はいつもよりも沢山話をしてくれている。
きっと、心は伝わるはずだと思った。
「一番。いるな?」
「はい」
門番をしていた一番が、こちらへ歩いてきた。
「準備は済んだ」
「待っておりました」
疑問を覚えるルナの前へ、一番がやってくる。
そうして、彼はいつもと変わらぬ口調で、まるで世間話でもするかのように軽やかに言ったのだ。
「姫、お別れです。私はこれより冥府へ参ります」
彼になにが起きたのか――?