亡霊は語らず
一ヶ月後――
魔族の国ラーカファルセイト。
バルファッバ山の断崖に、魔法で隠された幻名騎士団たちの集落があった。
住居は石造りの簡素な建物で、中には寝床があるだけ。
まるで廃村かと思うほど、生活感がない。
そんな集落の中心で、薪が焚かれ、大鍋がぐつぐつと煮立っている。
湯気とともに漂うのは、猪肉と香草の匂い。
嗅ぐだけで涎が溢れ、食欲を誘う。
「はい、どうぞ。沢山食べてね」
ルナは猪肉と香草のスープを木のレードルですくい、幻名騎士たちの深皿に入れる。
「姫、こちらも」
「はーい、二番。いつもご苦労様」
エプロンをつけ、小鍋を抱え、ルナはスープを配っていく。
「三番、おかわりどうぞ。嫌いなニンジンは抜いてあげる」
「亡霊に好き嫌いはない」
ルナはニンジン抜きのスープをよそいながら、ふふっと笑った。
「そんなこと言っても、顔に書いてあったわ」
「…………」
無言でスープを飲み、三番は黒パンを口に放り込む。
現在のラーカファルセイトでは、質の良い食材はなかなか手に入らない。土壌は痩せ、ライ麦の栄養は少なく、パンにしても味気ない。猪肉も堅いものが殆どだ。
それでも、ルナの手にかかれば、美味しいパンやスープに早変わりした。
黒パンは堅いが、しっかりとしたライ麦の旨味を感じさせ、猪肉は口の中でほろりとほぐれるほどに柔らかく煮込まれている。
戦う技ばかりを磨いてきた幻名騎士たちはろくな調理法を知らず、彼らはルナのおかげで久方ぶりにまともな食事にありつけていた。
「まったく見違えるようだな」
四番が言う。
「確かに」
五番は彼と肩を並べ、パンをかじっている。
「だが、悪くない」
「ああ」
言葉少なげに食事をとっている二人に、ルナは近づいていく。
「また食事中に内緒話?」
ルナは四番と五番をじとっと睨む。
「内緒話というほどでは……」
「じゃ、なに?」
ずい、と身を寄せるルナに二人はたじろいだ。
たた争いに身を投じるだけの亡霊。
この時代、このエレネシア世界でも、幻名騎士団たちの行いは、二千年前と変わらなかった。
彼らの戦いは、遙か遠い前世から始まった。
情を捨て、心を捨て、死した亡霊を演じながらも大を生かすために小を殺す。
他者には決して理解されず、ひたすらに恐れられるだけの戦いの日々。
ルナはそれを、聞かされてはいない。
「姫が来て、希望が生まれたようだと」
「希望?」
ルナは首をひねる。
「我らは長く戦い続けてきた。終わりのないこの戦いに、一つ希望が見えた気がした」
「わたしは、ご飯を作ってるだけよ? この国のことも全然よくわからないし?」
すると、五番は笑った。
そのような朗らかな笑みを浮かべるのも、久方ぶりのことであった。
「それがよいのだ」
ルナはわからないといった風にまた首をひねった。
魔族の国は戦乱の最中、人間や精霊、竜人たち、果ては神族までもが参戦し、争いは激化の一途を辿っている。
幻名騎士団には、すでに戦いの行く末が見えていた。
滅びだ。
なにもかもが死に絶え、なにもかもが消え去っていく。
たとえ激化する戦いを乗り越えようとも、この世界は長くもたないだろう。
あまりに憎しみは積み重なり、あまりに人々は強くなりすぎた。
エレネシア世界の国々にいる数名の王が本気を出せば、そこに生きる民は容易く死ぬ。
彼らが全力でぶつかれば、世界さえも滅びるだろう。
それゆえ、これまでは衝突が回避されてきた。
だが、互いに譲れぬものがあり、なにより彼らは憎しみ合っている。
王と王の衝突は、日に日に避けられなくなっていった。
戦い抜こうとも、勝利しようとも、守りきることはできない。
死闘の果てにあるのはただ一つの絶望。
それがわかっていながら、しかしもう誰にも止めることはできないのだ。
そんな中、なにも知らず笑顔に振る舞えるルナは、彼らにとっては僅かな希望であったのだ。
たとえ、大きな絶望の中に見えた微かな灯火であったとしても。
「五番はいつもはぐらかしてばっかり。いいわよ、一番に聞くから」
すると、くつくつと四番は喉を鳴らして笑う。
「よく見ておられる」
「確かにあやつは我らの中で一番口が軽い」
「おかわりは?」
「「もらおう」」
二人は声を揃える。
ルナは深皿に再びスープを注いだ。
「……じゃ、行ってこようかなっ……」
くるり、とルナは鍋を抱えて反転した。
「……あの人にも、今日こそ食べてもらわないと……」
うん、と決意を固めたようにうなずき、ルナは小走り気味に去って行く。
その背中を見ながら、五番が言った。
「団長が姫を連れてきたときは、正直面を食らったが」
「失い続けるのみの戦いだ。あの御方も、最後になにかを遺したかったのかもしれん」
集落の一角にある洞穴の中へルナはやってきた。
奥には魔法で作られた堅牢な扉があり、その前に槍を携えた一番が立っていた。
彼は門番のように、いつもここでそうしている。
「ご苦労様、一番。スープとパン、食べるよね? 今日は猪肉が獲れたわ」
「いただきます」
一番が魔法陣から深皿を取り出すと、ルナはそこへスープを注ぐ。エプロンの大きなポケットから黒パンを取り出して渡した。
一番は深皿を魔法で浮かせ、黒パンをかじる。
「あの、持っていこうと思うんだけど……?」
恐る恐るといった風に、ルナは一番の反応を窺う。
「だって、ほら、一ヶ月ぐらい全然食べてないでしょ? お腹空くと思うわ。元気も出ないし」
幻名騎士団に身を寄せるようになってから、ルナは毎日食事を作った。
だが、セリスは最初の頃に一度食べたきり、ずっと彼女の料理を口にしていない。
イーヴェゼイノの味つけは、口に合わなかったのかもしれない、とルナは反省した。
今度こそ、喜んでもらおうとラーカファルセイトの食材や調味料を研究し、一生懸命工夫を凝らしたのだ。
満足のいく味になった。自信があるのだ。
自分の料理であの仏頂面が綻ぶのだと思うと、なんだか楽しみで仕方なかった。
「今日は、美味しくできたと思って、だから……」
「出かけていますよ」
「あ……そうなの……」
ルナは肩を落とす。
浮かれた気持ちが一気にしぼんでいった。
「あの女の子に会ってるのかな……?」
「女の子?」
「神族の、その、エレネシアちゃん……」
それを聞き、一番は目を細くする。
「聞いてませんが、そうかもしれませんね」
セリスとエレネシアが会っているところを想像するだけで、ルナの気持ちはますます落ち込んでしまう。
それを見て、一番は笑った。
「姫は団長に好意がおありで?」
「え? あ、そ、そんなんじゃなくて、その、好意とかはよくわからないんだけどっ」
恥ずかしげに俯きながら、ルナは言った。
「……そんな風に……見える?」
「ええ」
即答されると、心臓が高鳴った。
セリスの顔が、頭に浮かぶ。
「まだ、わからないんだけど……運命だったらいいなって……思うかも……でも、エレネシアちゃんと付き合ってたりとか――?」
「ここへは来るなと言ったはずだ」
ルナが驚いたように振り向く。
すぐ後ろにセリスが立っていた。
「あ……き、聞いてた……?」
彼女を一瞥すると、セリスは質問には答えず、扉へ向かった。
「なんの用だ?」
「……あの、えっと、えっとね、す、スープを持ってきたの……!」
満面の笑みでルナは鍋を見せた。
「今日は美味しくできたから、これなら食べてもらえると思って。ほら、食べてないでしょ、最近。もう二四日、かな? 食べないと元気出ないし、心配だわ。忙しいのかもしれないけど、でもご飯食べる時間ぐらい作った方がいいと思うの」
セリスを前にすると、ルナは緊張してしまう。
それを押し隠すように、次から次へと言葉がこぼれた。
だが、彼はなにも言わない。
いつもそうだ。
鋭い目で睨むばかりで、言葉をくれない。
だから、彼がなにを考えているか、ルナにはよくわからなかった。
「あの……どうかな? もっと色々言ってくれたら、わかると思うんだけど……好きなものとか、どうして欲しいとか……」
「くだらぬ」
ルナは冷水を浴びせられたような顔になった。
「亡霊は語らず。死人が彷徨っていると思え」
そう言い残し、セリスは扉の向こうへ去っていった。
ルナはまた落ち込んでしまう。
どう考えても、好意を持たれてはいないだろう。
だけど、それでも彼の鮮やかな瞳に見つめられると呼吸が止まるのだ。
彼がなにを考えているのか、知りたくて仕方がない。
こんなに冷たくあしらわれて、こんな風に思うなんて絶対におかしいはずなのに、それでも気持ちは止まらない。
霊神人剣に斬られて、どこかおかしくなってしまったんだろうか、とルナは思う。
「……嫌われてるのかな……?」
「どうでしょうね?」
すぐに一番は言った。
それでも、嫌われていないとは明言しない。
「でも、冷たいし……」
「団長も言ったでしょう。亡霊は語らず。我々の言葉に価値はありません。理解したければ、観察し、推察するしかないでしょうね」
ルナはわからないといった風に頭を悩ませる。
「でも、エレネシアちゃんとは、よくお話ししてるわ。わたしは、スープも飲んでもらえなくて……」
「彼女は共謀者です。少なくとも、ここにいる生者はあなただけ。スープも飲まないのに、団長はあなたを迎え入れた。その意味を考えてみてはどうでしょう?」
「……でも、はっきり言ってもらわないと本当の気持ちはわからないわ……」
鍋の中身を見つめながら、ルナは呟く。
「……どうしたら、話してもらえるのかなぁ……」
言いながら、ルナは考える。
だけど、まるで理解できなかった。
彼女は顔を上げ、黒パンをかじっている男を見た。
「ねえ。なんで一番たちは亡霊なんて名乗ってるの? だって、みんな生きてるわ。なのに秘密ばっかり作って、こんなに人がいないところで、世捨て人みたいになって、たまに争いに参加して、なんか変じゃない?」
「そうかもしれませんね」
そう答えた一番は、他の幻名騎士たちと同じく、心が無くなったような顔をしていた。
「本当に亡霊になりたいわけじゃないんでしょ。じゃ、どうしてこんなことをしてるの?」
「それでも亡霊なのですよ、私たちは」
他の者たちに聞いたときと同じ答えだ。
やっぱり彼も教えてくれない、とルナは思う。
「……ごめんね。ここにいたら、一番も怒られるから、戻るね」
とぼとぼとルナは鍋を抱えて帰って行く。
その背中に、一番は言った。
「姫。行動は早い方がよいかと。亡霊などいつ消えゆくかわからないもの。待っていても、事態は好転するものではありません」
「どういう意味なの?」
「独り言です」
一番は笑い、手を振った。
「……教えてくれてもいいのに……」
洞穴を出て、ぼんやりと歩きながら、ルナは彼の口にした言葉について考えていた。
行動は早い方がいい、と言われてもどうすればいいか迷ってしまう。
彼はなにも言わない。
運命かどうかなんてわからない。
それに、彼女には急ぐわけにはいかない事情もある。
アーツェノンの滅びの獅子だ。
霊神人剣でも、結局、その宿命は断ち切れていない。
彼が運命の人だとしても、もしも想いが通じたとしても、子供を作るわけにはいかないのだ。
彼女は災禍の淵姫。
夢を叶えるにはまだまだ遠くて、その糸口さえも見えてこない。
それなのに――
まだだめだと言い聞かせているのに――
どうしてだろうか。
未来の家庭を想像するだけで、どうしようもなく頬が緩んだ。
止まらぬ想いが、募っていく――