真の愛
研究塔。
最深部魔道工房――
入り口から足音が響き、おかっぱ頭の青年、パリントンが姿を現した。
「……レブラハルドが到着した。予定より早いのである……」
まだ一時間は経っていない。
だが、急いだからといって船の航行速度はそうそう変わるものではないだろう。
つまり――
「到着時間をあえて遅く伝えていたのだろうな」
「二律僭主の手引きをした者が、パブロヘタラの内部にいると勘づいているということであるか?」
二律僭主がパブロヘタラ内部の者に通じているなら、誤った情報を与えることで攪乱することができる。
「俺たちに気がついたわけではあるまい。先走って尻尾を見せる者がいれば儲けものといったところか」
つまり、揺さぶりをかけているだけだ。
レブラハルドにも確証があるわけではない。
「しかし、もう時間はないのである」
言いながら、パリントンはこちらへ歩いてくる。
彼は一瞬、災人イザークが眠る氷柱に視線を向ける。
足を止め、すぐに俺に問うた。
「銀水序列戦の決着はついたようだが、どうか? 少なくとも私の魔眼には、奴らが手を抜いたようには見えなかった。銀城創手による伏兵の策が功を奏しただけであり、あれがなければナーガに二、三人やられていた」
サーシャは魔力切れ寸前、エールドメードとナーヤが瀕死だったのは確かだ。
「しかし、お前の部下、エールドメードが見抜いた通り、あの女は自分でついた嘘を真実と思い込むことができる可能性がある。そうなれば、前提が変わってくるが」
「あれは嘘だ」
一瞬、パリントンは沈黙した。
「……嘘……とは……? どれのことであるか?」
「奴らが手を抜いていたかどうかなど、誰にも見抜けぬ」
彼は訝しむような表情を見せた。
「…………なぜ、そのような嘘を?」
「確かめたかったのは三つ。母さんを理滅剣で襲ったのが、ドミニク以外の者である可能性。ナーガが<契約>を交わしながらも嘘をつけた可能性」
パリントンを指さし、俺は言った。
「そして、お前がナーガたちと通じている可能性だ」
疑いをかけられた彼は、しかし納得したように言葉を返した。
「なるほど。お前にとっては、もっともな疑念である」
「手抜きを見破る手段があると、俺はお前に伝えた。お前と奴らアーツェノンの滅びの獅子が通じているなら、銀水序列戦で負けたくとも手は抜けぬ。ドミニクが死んだことには気がついていないフリをしなければならないからな」
ドミニクを殺し、首輪と鎖を外すことがナーガたちの表向きの目的だ。
真偽はともかく、その通りの行動をするなら、奴らは是が非でも銀水序列戦で魔王学院を退け、ドミニクの隙をつく機会を待たねばならぬ。
「奴らは全力で戦い、コーストリアは獅子の両眼を、ナーガは虚言癖があることを見せざるを得なかった。ルール上の負けに持っていったのは、うまくこちらの探りをかわしたといったところか」
俺の言葉に動じることなく、パリントンは冷静に耳を傾けている。
「しかし、ナーガが<契約>で嘘をつけたのなら、俺に話したことはアテにならぬ」
「恐らくは、嘘と本当が入り交じっているであろう」
「同感だ。どの言葉が真実で、どの言葉が嘘かということだが、怪しいのは鎖と首輪だ」
パリントンの表情に特に変化はない。
俺は続けて言った。
「ナーガはドミニクに鎖と首輪をつけられ、渇望を支配されていると説明した。俺はボボンガにそれを見せてみろと言ったが、奴は無言だった」
プライドに障ったのかとも思ったが、腑に落ちぬ。
「ボロが出ぬようにあまり喋るなと言われていたのだろう。いかにナーガが空想を本当のことと思い込めたとしても、説明に矛盾が出れば騙しきれぬ」
なるほど、とパリントンはうなずく。
「そのときだけだ、お前が口を挟んだのは。首輪と鎖は、つながれている本人か、ドミニク、災禍の淵姫にしか見えぬとな。ナーガは嘘をつけるが、嘘には物証がない。アーツェノンの滅びの獅子を縛る代物となれば尚更だ」
首輪が俺に滅ぼされては、奴らの企ては成り立たぬ。
ゆえに、絶対に滅ぼすことのできぬ存在しない首輪を用意した。
だが、それを俺に信じてもらうためには、物証の代わりとなるものが必要だった。
「パリントン。朧気に見えていると言ったな。鎖と首輪が。ナーガとボボンガとコーストリアに、本当に首輪がついているか?」
「無論である。必要ならば、<契約>に応じ、嘘ではないことを証明しよう」
「さて、<赤糸>で記憶を上書きできるお前と<契約>を交わしてもな」
パリントンは自分の人格を、別人のものに変えることすら可能だ。
疑念が深まろうとも、尻尾はつかませぬつもりだったのだろう。
だが、誤算があった。
コーストリアは首輪につながれていない。
私を縛れる鎖があるならつけて欲しいぐらい、と彼女は言った。
首輪をつけて、厳しく躾けて、マトモになりたい、と。
彼女の渇望は他者への憧憬、羨むことだ。
あの言葉に、ナーガのような嘘があったとは思えぬ。
パリントンは、俺が二律僭主としてコーストリアに接触していたことを知らぬ。
コーストリアに首輪がついているという説明が、矛盾を孕むことに気がついていないのだ。
「必要なのが物証というのなら、ここは<渇望の災淵>である。その場所へ行けば、お前にも見ることができよう」
「お前が嘘をついているのなら、そこへ行っても鎖と首輪はない。なら、なぜ連れて行く?」
俺の問いに、パリントンは訝しげな表情を返す。
だが、すぐに口を開いた。
「私がお前の敵ならば、そこに罠があるのであろう。だが、罠を承知でいかなければ確かめられないのも事実である」
「違うな。お前は時間を稼ぎたいのだ」
奴は無言で俺を見つめる。
「パリントン。お前が母さんと接触したのをきっかけに共鳴が起き、災禍の胎が目覚め始めた。運悪く、<渇望の災淵>で授肉していない滅びの獅子が暴れ狂い、容態が悪化した。この二つは偶然か?」
一度だけならば、そういうこともあるやもしれぬ。
「お前が<記憶石>で母さんの記憶を呼び覚まそうとしたとき、<渇望の災淵>から大量の記憶が押し寄せ、更に状況が悪化する」
悪い偶然が重なった。
絶対にないとは言い切れぬ。
だが――
「お前は、<赤糸>にて母さんの記憶を確実に呼び覚ます方法を提案した。そして、母さんは今の記憶を、前世の記憶に上書きされつつある」
奴の言葉ではなく、その行動と結果を見ていけば、常に一貫性がある。
「ドミニクを始末したのは、俺の魔眼で深淵を覗かれれば、<赤糸>で操られていることに気がつかれる恐れがあったからだ。研究塔にこもり続け、イーヴェゼイノから出なかったのは、外の世界の強者にそのことを悟られぬためだろう」
パブロヘタラには魔眼の優れた者も多い。
気がつかれれば、パリントンの計画は水泡に帰す。
俺をハメようとしたのは、ついでにすぎぬ。
「『いつもの優しいお祖父様はどこへ行ったの?』 過去にルナ・アーツェノンはそう言っていたな。お前が傀儡皇ベズと取引をしたのはいつだ? ルナが霊神人剣に斬られた後か、それとも――」
まるで人形のように表情を崩さない<赤糸の偶人>へ、俺は問うた。
「一万八千年前、ドミニク・アーツェノンの人格を上書きするためにそうしたか?」
あの時点で、パリントンは<偶人>の体を持っていなかった。
だが、傀儡皇の力を借り、<赤糸>を使うことはできただろう。
あるいはそれと引き換えに、ルツェンドフォルトの元首になるという取引を交わしたのやもしれぬ。
「姉への独占欲。それがお前の渇望だ、パリントン。お前はドミニクを<赤糸>で操り、恋に恋をしていたルナ・アーツェノンを災禍の淵姫にして、災淵世界というかごの中へ閉じ込めた。愛しい姉を誰にも渡さぬために」
俺は<契約>の魔法陣を描き、パリントンに突きつけた。
「違うというなら、<契約>に応じよ。俺の許可なく今後母さんには決して近づかぬ、とな。それならば、いかに記憶を上書きしたところで、抜け道はない」
この場は<契約>に応じ、切り抜けるといった手段もある。
だが、奴の行動が真実渇望から来るものならば、応じることは難しいだろう。
コーストリア然り、イーヴェゼイノの者たちが持つ渇望は、理性とはほど遠い。
「……アノス。お前は間違っているのである。私は独占欲など持ち合わせてはいない……」
静かに彼は言う。
「姉様がどこかで生まれ変わっていることを信じ、それだけを願い、ひたすらに捜し続けてきたのだ。失った姉様を取り戻したい、その一心で――」
迷いなくパリントンは手を伸ばす。
そうして、目の前に突きつけられた<契約>の魔法陣を、<災炎業火灼熱砲>で撃ち抜いた。
「――この気持ちは愛であるっ!!!」
<覇弾炎魔熾重砲>を撃ち放ち、黒緑の炎球を相殺する。
パリントンの両手から無数の<赤糸>が現れ、虚空へ向かって伸びた。
そこには<変幻自在>で透明化している父さんと母さんがいる。
「ふむ。どうやら当たりのようだな」
地面を蹴り、二律剣を抜いて、<赤糸>を両断する。
八割を斬り裂いたが、狙いを外した残り二割の<赤糸>が魔剣に絡みついた。
くくられれば、理滅剣の力さえも抑えられる。
「<二律影踏>」
<赤糸>の影を踏む。
途端に、二律剣に巻き付いた糸は砕け散った。
「もう遅いのである。すでに<赤糸>により、<記憶石>が姉様の根源にくくられたのだ。なにをどうしようとも、姉様はかつての姉様に戻るであろう。姉様の子ならば、邪魔をしてくれるな、滅びの獅子よ」
パリントンが右腕を上げ、握る。
すると、金箔を散りばめるような光が、父さんたちからこぼれ始める。
<変幻自在>が無効化され、二人の姿があらわになった。
「母さんは穏やかな家庭を願った。それを壊すのがお前の愛か?」
「指一本で滅び去るその脆弱な男に、なにを愛せるというのだ? どうやって穏やかな家庭を守れるというのだ?」
パリントンと俺は同時に地面を蹴った。
奴が振り上げた右腕を、二律剣にて斬りつける。
血が溢れたが、刃は骨で止まった。堅い。
「災禍の淵姫であることも、お前が滅びの獅子であることも、その男はなにも知らんのだ。知ってしまえば、誰もが逃げようぞっ! 立ち向かったとて、弱き者に耐えられる重圧ではないっ! 知らぬがゆえの愛。知らぬのがゆえの安息。そのような薄氷を踏む幸せが、真の幸せであろうはずもないっ!」
パリントンの腕の傷口から<赤糸>が溢れ、二律剣に巻きつこうとする。
<二律影踏>を使った瞬間、奴は飛び退き、<災淵黒獄反撥魔弾>を乱射した。
黒緑の光が室内を満たし、影が消える。
<赤糸>が二律剣に巻き付いた。
「怖じ気づき、臆病風に吹かれ、その男は姉様を傷つけるであろう。地獄の底へ、突き落とすのである。真の愛を持たぬがゆえに」
<赤糸>を引き、パリントンは二律剣を奪い取ろうとする。
「真の愛が聞いて呆れる。そもそも母さんを災禍の淵姫にしたのはお前だ」
「穏やかな愛など弱きものである。生ぬるい平和につかっていたその軟弱な男の愛がどれほどのものかっ! 地獄のどん底へ落ちたとき、それでもそばにいる者こそが、偽りなき愛の輝きを放つのであるっ!」
全身から金粉のような魔力をまき散らし、パリントンが<赤糸>を全力で引いた。
「邪魔を、するなぁぁっ……!! 私は姉様を取り戻すっ!!」
「悪いが綱引きの景品にはできぬな」
黒き粒子が俺の腕に螺旋を描く。
足を踏みしめ、思いきり引けば、パリントンの体がすっ飛び、宙に舞い上がった。
「がっ…………」
勢いよく天井に突き刺さったパリントンに、蒼き恒星が迫った。
<覇弾炎魔熾重砲>が直撃し、炎上するパリントンは、しかし薄ら笑いを浮かべていた。
「くくったのである」
金箔が舞う。
今の一瞬の間に、父さんと母さんが<赤糸>で縛られている。
その先を辿ってみれば、滅びたはずのドミニクが立っていた。
死体を無理矢理<赤糸>で動かしているのだ。
「姉様、この記憶をお受け取りください」
ドミニクからの<赤糸>はパリントンの胸に通じている。
その根源が有する記憶にて、今以上に母さんの記憶を上書きするつもりだろう。
奴の狙いは、ルナ・アーツェノンを取り戻すこと。
金の光が<赤糸>を走っていく。
「なにも知らないのはあなた」
淡々とした声が響いた。
無機質で、けれども暖かく、優しい声が。
「ぬっ……!?」
砕けるように父さんと母さんの姿が消え、雪と化す。
<赤糸>はその雪の塊を縛りつけた。
<創造の魔眼>で創られた偽物だったのだ。
「どんな地獄の底でも、二人の絆は変わらなかった」
離れた位置に雪月花が舞い上がり、ミーシャがそこに姿を現す。
彼女の後ろには母さんを抱きかかえた父さんがいる。
「それがその証拠」
ミーシャが指を指す。
雪の中から現れたのは、極小の蒼い星。創星エリアルだ。
「待っていたぞ、ミーシャ。よくやった」
「ん」
ミーシャは僅かに微笑む。
パリントンが気をとられた隙をつき、俺はエリアルのそばまで移動していた。
「見てみるか、パリントン」
俺は創星エリアルをつかむ。
<赤糸>はエリアルからドミニクの死体へ続き、パリントンにつながっている。
俺の根源も父さんと母さんに<赤糸>でつなげられている。
「お前がなにも知らぬ脆弱な人間と見下した、我が父セリス・ヴォルディゴードの戦いを」
ミーシャが二度瞬きをする。
彼女の神眼が輝くと、創星エリアルが光を発し、この場の全員に過去の映像が流れ始めた――
それは稲妻のように過ぎ去った、亡霊と少女の恋物語――