熾死王の推理
邪火山ゲルドヘイヴ――
ツインテールをなびかせ、サーシャがくるりと回転する。
<理滅の魔眼>にて全方位へ視線を放ち、その空域一帯をデルゾゲードの領域とした。
回転を殺さず、そのままの勢いで振るわれた理滅剣を、コーストリアが同じく理滅剣にて受け止める。
影と影が衝突し、闇と闇が鬩ぎ合う。
理滅剣は相手の理滅剣を滅ぼそうと牙を剥き、刃が当たっていないにもかかわらず、二人の体が斬り裂かれ、鮮血が散った。
「ねえ。その人真似の魔眼、なんでも複製できるみたいだけど」
「<転写の魔眼>。変な名前で呼ばないで」
コーストリアは力任せに闇色の長剣を打ち払おうとするも、しかしサーシャはびくともしない。
純粋な力比べならば、滅びの獅子であるコーストリアの方が上だ。
つまり、理滅剣の扱いにおいてはサーシャが勝っているのだ。
「ふーん。転写ね。幻獣の力の源が渇望なら、あなたのそれはなにかしら?」
「うるさい」
宙に浮かぶ獅子の眼球がサーシャの背後に回り込む。
瞳に魔法陣を描かれ、<災炎業火灼熱砲>を撃ち放たれた。
理滅剣を使っている最中、サーシャは他の魔眼を使えぬ。
黒緑の炎球が次々と着弾し、彼女は炎に包まれる。
「このっ!」
黒き粒子を体に纏わせ、コーストリアはサーシャの理滅剣を渾身の力で打ち払った。
「死んじゃえっ!!」
無防備なサーシャに、コーストリアの理滅剣が振り下ろされる。闇色の刃が彼女の肩口から胴体までを、斜めに斬り裂いた。
根源さえも斬滅する致命的な一撃。
だが、斬り裂いたかのように見えたサーシャは無傷――
彼女の理滅剣がその理を滅ぼし、斬られた後に刃を受け止めたのだ。
「幻獣の特性かしら? わたしはミーシャみたいに感情の機微なんて見抜けないけど、あなたの気持ちはなんとなくわかるわ」
お返しとばかりにコーストリアの剣を打ち払い、サーシャは理滅剣を振り下ろす。
コーストリアは咄嗟に飛び退き、それをかわした。
だが――血が溢れた。
「……あっ……く……」
確かにかわしたはずが、彼女の胸が斬り裂かれていた。
サーシャは理滅剣を優雅に構える。
「さっきからわたしに向けてきているその魔眼。覚えがあるわ。羨望の眼差し。自分が持たないものを、持っている人を羨んでる。欲しくて妬ましくてたまらない。だから、どんな魔法も転写できるけれど、結局本物には敵わない」
「うるさいっ! 誰が――あ……ぅ……!!」
彼女が激昂したその瞬間、サーシャの理滅剣がコーストリアの腹部を貫いていた。
「だって、羨むのは敵わないからでしょ? 自分が使えない魔法を、転写して劣化させることしかできないんじゃないかしら?」
「どいつもこいつもムカつく奴ばっかりっ。だからなに? それでも、私は君より強い」
腹部を貫かれながらもコーストリアは、理滅剣を握るサーシャの手をぐっとつかんだ。
サーシャのヴェヌズドノアが、僅かに薄くなった。
「魔力不足。本当はこの一撃で決めたかったんでしょ? この<理滅剣>はあいつからの借り物? 君だって身の丈に合ってない。私と同じくせに! 偉そうなことを言うなっ!!」
彼女は苛立ちをあらわにしながら、ヴェヌズドノアを振り下ろす。
サーシャが<理滅の魔眼>を向け、理滅剣に魔力を送れば、コーストリアの右手が切断され、ヴェヌズドノアごと落ちていった。
しかし、同時にコーストリアに突き刺さっていたサーシャの理滅剣も消滅する。
「おあいにくさま。借り物じゃなくて、交換したの。羨ましい?」
コーストリアを蹴った反動で、サーシャは素早く後退する。
「誰がっ!」
後退するサーシャを追い、コーストリアは飛ぶ。
サーシャは魔力切れ、あちらは複製ストックがないため、二人とも理滅剣はもう使えぬ。
だが、コーストリアは十分に魔力を残している。
「死んじゃえ」
「沢山魔眼があるくせに、羨むことにしか使えないの?」
「――うるさい!」
サーシャの挑発に怒りをあらわにし、苛立ちをぶつけるようにコーストリアが魔法陣を描く。
その直後だった。
空中を後退するサーシャと追うコーストリア。ちょうど両者の間に亀裂が入ったかと思えば、黒い水がどっと溢れ出した。
エールドメードの<界化粧虚構現実>が破壊され、そこからナーガの放った<獅子災淵滅水衝黒渦>が、火山一帯を飲み込まんばかりの勢いで降り注ぐ。
それに気がついていたサーシャはぎりぎり回避し、逆にサーシャを追うことだけに集中していたコーストリアは黒渦に飲み込まれた。
カカカカ、カーカッカッカ、と笑い声が空に響いた。
「危機一髪、九死に一生、紙一重だぁぁっ!!」
体をドロドロに溶かしながら、エールドメードが溢れ出る黒水に流されていく。天父神の翼が、背後にいるナーヤを包み込み、かろうじて守っていた。
「いやいや、居残り。あの土壇場で、<獅子災淵滅水衝黒渦>だけではなく、<界化粧虚構現実>にも深淵草棘を放つとは、深いところまで見えたではないか! さすがに奴の魔法は瓦解しきれなかったが、<界化粧虚構現実>の崩壊によって、力の方向をそらすことができた!」
エールドメードは饒舌に語っているが、ナーヤは答える力も残されていない。
深化神の権能を食らったために、器が著しく傷ついている。
「って、死にかけじゃないっ」
サーシャが残り少ない魔力を瞳にかき集め、<破滅の魔眼>で黒水の威力を削ぐと、手を伸ばして二人を引っ張り上げた。
「そういうオマエも、手ひどくやられたな、破壊神。魔力が殆ど残っていないではないか」
「これは理滅剣のせいだわ。馬鹿みたいに魔力を持ってかれるんだもの。まともに戦えてたら、こんなにぎりぎりじゃないわよ」
すると、彼らの頭上から声が響いた。
「怖いのね、魔王学院さんは。銀水序列戦でコーストリアの力を暴いて、なにを企んでいるのかしら?」
サーシャたちよりも更に上空、そこにナーガがいた。
漆黒の両脚から夥しい魔力が溢れ、彼女の全身を強化している。
「両眼だけと思ったかね、獅子の両脚? オマエの力にも見当がついた」
「そう? 当たっているかしらね?」
動じず、ナーガは冷静に言った。
「庇護の渇望から生まれた聖なる鎖の盾。他者の根源から魔力を搾り取り所有者を守る、とオマエは言った。嘘つきの天秤は傾かなかった。つまり、嘘ではない。そしてその後にオマエはこうも言った。その説明はぜんぶ嘘。鎖の盾は聖なる力ではなく、庇護の渇望も関係ない。他者の根源から魔力を吸い取りはしない。あらゆる剣を破壊する鎖の鉄球、と」
熾死王が不敵に笑う。
「嘘つきの天秤は傾かなかった。つまり、それも嘘ではない」
否定も肯定もせず、ナーガはそれを聞いている。
「だが、鎖の盾と鎖の鉄球の説明は明らかに矛盾する。仮に、アレがオマエが口にした通りに変化する魔法具だったなら、そう説明しなければやはり判定は嘘となるだろう。では、なぜオマエの嘘が、嘘つきの天秤に判定されなかったのか?」
エールドメードは仕込み杖でナーガの顔を指した。
「オマエは虚言者だ。その渇望ゆえか、オマエは自らの空想を真実だと思い込むことができる。たとえ、事実に反したとしても本人が真実だと思い込んでいるなら、嘘つきの天秤は作動しない」
六学院法廷会議で聖王レブラハルドは言った。
<裁定契約>で嘘はつけずとも、その手の魔法は本人が嘘だと思っていなければよい。
稀にだが暗示のような力ですり抜けられる者もいる、と。
それと同じことだ。
「最初の鎖の盾と明らかに矛盾した鎖の鉄球の説明をオマエがすれば、誰にでもそれが嘘とわかる。嘘つきの天秤が偽物で、オレが操作しているなら、必ず左に傾ける。だが、天秤は本物でオマエの空想を真実と判定した。天秤が本物と断定できたオマエは、喋っていたのがオレではなく、第三者――居残りだということに気がついた」
半死半生の体で、それでも熾死王は勝ち誇ったかのように笑う。
「オレのブラフを見抜いたのが、虚言者である証拠ではないか? ん?」
「そうね。その可能性もあるけど、他にも色々考えられるんじゃない?」
「いやいや、それが一番しっくりくる。オマエが<契約>で嘘偽りないと誓ったことがただの空想による思い込みであれば、様々な謎が一つにつながるというものだ!」
ナーガは片脚を上げ、素早く魔法陣を描いた。
「熾死王さんは、魔王学院の参謀なのかしらね。よくそれだけ色んなことを空想できるものだわ」
「カカカカ、オレが魔王の頭脳だと思ったならば勘違いだぞ、獅子の両脚。オレ如きはせいぜいがアノ男の耳元でうるさく喋るオウムにすぎんっ。今更始末したところで、魔王はとっくにこの先の考えに到達しているっ!!」
「どうかしらね。熾死王さんは嘘つきだから」
空中で軸足を入れ替え、描いた魔法陣へナーガは足を蹴り出す。
「<獅子災淵――」
ガァァァンッと破砕音が響いた。
ナーガは魔法を中断し、咄嗟にそちらを見た。
邪火山ゲルドヘイヴの中腹。黒水に流され、溶けかけていた災亀の甲羅を、レイが霊神人剣で叩き斬ったのだ。
そこに収納されていた火露が、勢いよく上空に昇り、熾死王とナーガの間を横切っていく。
「ボボンガ、もう回復したでしょ。やられたフリはいいわ。火露を回収して」
<思念通信>が飛ぶ。
邪火山の火口。
霊神人剣にて根源を貫かれ、倒れていたボボンガがむくりと起き上がる。
「任せてお――」
「とどめ……です……!」
バゴンッととどめをさしに来たゼシアが子亀の甲羅でボボンガの頭を思い切り打ちつけた。
「がっ……!」
「二刀流……です……」
さらに、バゴ、バゴンッとゼシアは甲羅をボボンガの頭に叩きつける。
「このぉ、ガキッ!!!」
黒き獅子の右腕が唸りを上げ、ゼシアを軽く弾き飛ばした。
彼女は岩肌に叩きつけられ、がくりと脱力する。
「……舐めるなよ……八つ裂きにしてやる……」
「ボボンガ。先に火露を回収しなさい」
ナーガから再度<思念通信>が飛ぶ。
「一〇秒だ。やられたままでは済まさん……」
勢いよくボボンガが一歩を踏み出す。
「ボボンガッ!!!」
その怒声に、奴は足を止めた。
瞬間、小さな甲羅がバガンッとボボンガの顔面に直撃する。
ゼシアが投げたのだ。
頭から血を流しながら、ぎろり、とボボンガが彼女を睨みつける。
「鬼さん……こちら……です……」
「……この屈辱忘れんぞ……」
ボボンガは空に舞う火露を見据え、<飛行>で飛び上がった。
「本当、手間をかけさせる子たち――」
はっとしたようにナーガは頭上を振り返る。
強い魔力が近づいている。
遠くにキラリと光るものが見えた。
そして、それは次の瞬間にははっきりとわかるほどこの空域に接近してきた。
飛空城艦ゼリドヘヴヌスである。
「カカカッ、気がつくのが遅かったのではないか。あの距離でも、火露に届くのはこちらが速いぞ」
「<獅子災淵――」
迷わずナーガは魔法陣の照準をゼリドヘヴヌスの前方へ向け、その中心を蹴り抜いた。
「――滅水衝黒渦>」
黒水が渦を巻き、火露を分断するように壁を作った。
だが――
「美しくあれ」
ファリスの声が空域に響く。
行く手を遮るように放たれた<獅子災淵滅水衝黒渦>を、ゼリドヘヴヌスはまるで幽霊のようにすっとすり抜けた。
「……ぬぅっ……!?」
ボボンガの目の前に飛空城艦が立ちはだかる。
「……姉様の<獅子災淵滅水衝黒渦>を突っ切って、無傷だと……?」
「いえ。迂回しただけね」
ボボンガの言葉を、ナーガが冷静に否定する。
「……迂回するには、大回りする必要があったはず……」
「それだけ速いってことよ。銀城創手。バランディアスにいたときは本気を出し切れてないと思ったけれど、こんなに速かったなんて予想外。どうりでミリティア世界から戻ってこられたわけね」
彼女は臨戦態勢を解き、黒き獅子の両脚を消した。
すると、溢れかえっていた黒渦が、みるみる蒸発していく。
描いた魔法陣から義足を取り出すと、ナーガは緩慢な所作でそれを取り付けている。
まだまだ戦えるだろうがな。
あいにく、銀水序列戦のルールでは決着がついてしまった。
「すべての火露を魔王学院が占有しました」
オットルルーの無機質な声が響く。
今の一瞬の間に、ファリスは宙に浮かんだ火露をすべて回収していたのだ。
「魔王学院の勝利です。銀水序列戦を終了します」
続けて、オットルルーは言う。
「これより不可侵領海、二律僭主の対処を開始します。魔王学院、幻獣機関は協力を」
裁定神が頭上を見る。
遙か黒穹、そこに輝く星々が見えた。
船団だ。
中央は巨大な箱船。
その周囲に、銀水船ネフェウスが浮かんでいる。
予定よりも、ずいぶん早い。
「聖船エルトフェウス。元首レブラハルドの船が到着しました」
事態は混乱を極め――