虚言
エールドメードは仕込み杖をくるくると宙で回転させながら、鮮やかな手並みでジャグリングを行い、頭上高くへ放り投げた。
落下してくる黄金の剣身に対して、奴はブリッジをしながら大口を開けて待ち構える。
勢いよく迫った仕込み杖は、そのまま熾死王の口内を貫いた。
「種も仕掛けもありはしない」
仕込み杖に貫かれながらも、血は一滴も流れていない。
完全に口が塞がれた状態で、それでも手品のように熾死王の声が響く。
「不思議に思ったかね、獅子の両脚。嘘つきの天秤は、オレが嘘をついていないと判定した。だが明らかに、オレは嘘をついている。オレが嘘をついていなければ、この仕込み杖が鎖の盾を貫通できるはずがない。そう考えたか? ん?」
上半身を起こし、エールドメードはニヤリと笑う。
「ならばまさしく、<疑神暗器>だ」
「それじゃ、あの嘘つきの天秤は、<界化粧虚構現実>の効果じゃなくて、熾死王さんが<創造建築>で作ったただの天秤ってことかしらね?」
「なっ……!? まさか、完璧に隠した通したはずっ……! こいつ……天……才か……!?」
大仰な身振りで、エールドメードが小物を演じる。
「ねえ。そんな人いる?」
「カカカカ、上ばかりを見ているから、そう思うのだ、獅子の両脚。いいことを教えてやろう。下には下がいる。この熾死王に言わせれば、そうっ!」
奴は大きく両手を広げた。
「人生に下限などないのだから!」
この上なく意味ありげに、しかしまるで無意味なことをエールドメードが宣う。
「嘘だと思うなら、試してみたまえ」
エールドメードが手をかざせば、そこに神々しい魔力が集う。
「<疑神暗器>の特性は一つ。そして、アーツェノンの滅びの獅子に対しての特効はない」
挑発するように熾死王は言う。
前回は滅びの獅子に特効がある。
今回は滅びの獅子に特効がない。
明らかに二つの説明には矛盾がある。
つまり、前回か今回、あるいはその両方で嘘をついていることを明らかにしたのだ。
「鎖の盾で剣身を折られればオレは死ぬが、その代わり盾を貫くことができれば絶大な威力を得る」
エールドメードの口に刺さっていた仕込み杖が、手元に転移した。神々しい光を放ちながら、奴はそれを射出する。
依然として嘘つきの天秤は動いていない。
「…………」
ナーガは無言で ぐるぐると回していた鎖の盾を大地にめり込ませ、その回転と魔法障壁を止めた。
<熾死王遊戯嘘秩序三竦>において、無言は真実に勝つ。
エールドメードの言葉を真実だと判断した。
否――恐らくはそれが本当に真実なのか確かめようとしたのだ。
目前に迫った<疑神暗器>の剣身を、ナーガはその義足で蹴り上げる。
だが、途中で仕込み杖はピタリと止まった。
くるりと逆方向へ回転し、<疑神暗器>は地面にめり込んだ鎖の盾に突っ込んでいく。
「あら? 今度は本当なのね?」
<疑神暗器>が鎖の盾を貫けば、絶大な威力を得る。
それゆえ、仕込み杖は反転し、鎖の盾を狙った。
そう判断したナーガが車椅子に魔力を込め、高速で走り出す。瞬間、<疑神暗器>が再びナーガの方へ回転し、跳ね返るように飛んだ。
「……う…………く…………!」
飛び出すように前進したナーガは虚を突かれ、<疑神暗器>を避け切ることができなかった。
彼女の根源が抉られ、夥しい量の血が溢れ出た。
先程と同じく、アーツェノンの滅びの獅子に対して、確かに特効がある。
鎖の盾を貫かずとも、その威力に違いはなかったのだ。
「カカカカ、そろそろ答えがわかったかね、獅子の両脚」
熾死王が人を食ったような笑みを、ナーガに突きつける。
「狐か? 狸か?」
「……だから……どっちがどっち……?」
根源から黒緑の血がどっと溢れ、それが<疑神暗器>に抵抗する。
彼女がその柄を握り、抜こうとすれば、仕込み杖はすうっと消えた。
再び熾死王の手元に、<疑神暗器>が出現する。
「獅子の脚を使うか、とっておきの爪を出したまえ。手の内を隠したままなら、次はないかもしれんぞ?」
熾死王は<疑神暗器>を指先で押し、宙に回転させる。
「カッカッカッカ」
と、四度手と手を打ち合わせれば、仕込み杖が五本に増えた。
「さあさあさあさあ! 二度あることは三度あるぞ、獅子の両脚っ!」
五本の<疑神暗器>が、孤を描きながらナーガに襲いかかる。
車椅子を飛行させ、素早く回避行動を取りながら、ナーガは言った。
「仕方ないわね。手の内を見せるわ」
ガゴンッと嘘つきの天秤が左に傾く。
嘘だ。
「本当よ」
今度は天秤は動かない。
つまり、気が変わった。手の内を見せるというのが本心だ。
「やっぱり嘘」
ガゴン、と嘘つきの天秤が左に傾く。
針はこれで中央に戻った。
「本当よ」
今度は無反応だ。
攪乱するように言いながらも、ナーガは天秤の反応を確かめている。
向かってきた仕込み杖をナーガは大きく回避したが、それは彼女を誘導するように旋回し、再び追いすがる。
ナーガの車椅子が、更に速度を上げ、<疑神暗器>を振り切ろうとする。
「カカカカ、面白いではないか! オレが天秤をなんらかの方法で操作していると踏んだか。確かに確かに、オレがアレを操っているなら、嘘と本当で攪乱するのは有効だ。オマエの嘘をオレが判別し損なえば、嘘つきの天秤は正しく傾かない」
ナーガが嘘をついたとき、嘘つきの天秤が反応しなければ、それはエールドメードが操作している証明になる。
その場合、天秤は偽物だ。
真偽を確かめるべく、ナーガは嘘と本当を不規則に交えて発しているのだろう。
「あたしの狙いは別にあるの」
言葉を放ちながら、ナーガは<疑神暗器>に追われるより速く突進していく。
「なにかね?」
「車椅子とカボチャの犬車、どちらの車が強い?」
真正面から突っ込んでくるナーガに対して、エールドメードはニヤリと笑う。
「ちょうど気になっていたところだっ!」
ぐんと加速したナーガの車椅子は黒き魔法障壁を纏う。
負けじと犬車の車輪が高速で回転し、銅色の魔法障壁が展開される。
両者は互いに減速することなく、真正面から突っ込んだ。
耳を劈くような激突音が響き渡り、車椅子から車輪が弾け飛び、犬車はぐしゃりと半壊した。
寸前で上空へ飛び出したエールドメードを、ナーガが追う。
「カカカカ、どうやら犬車の方が少し脆かったか」
エールドメードはシルクハットに手を入れ、そこから黄金に輝く仕込み杖を取り出した。
<疑神暗器>だ。
「五本だけと思ったかね?」
「滅びの獅子の右脚を見せてあげる」
反転し、<疑神暗器>を構えるエールドメードに、ナーガが迫る。その後ろを、五本の<疑神暗器>が追いかけていた。
「やっぱり嘘、やっぱり本当。嘘。本当。嘘本当嘘本当嘘本当」
自分で嘘と本当が区別ができているのか、早口でナーガがまくしたてる中、嘘つきの天秤は二度左に傾いた。
つまり、後一度ナーガが嘘をつけば、彼女の魔力の半分が熾死王のものとなる。
「嘘」
ナーガが右腕を伸ばせば、鎖がそこに絡みつく。
鎖の盾を彼女は振り回した。
「さっきの説明はぜんぶ嘘。鎖の盾は聖なる力を持っていない。庇護の渇望も関係ない。他者の根源から魔力を吸い取ったりしない」
そう口にすると、盾からジェル状の物体が排出された。
ギリシリスだ。
嘘つきの天秤は――動かない。
「これはあらゆる剣を破壊する鎖の鉄球」
鎖とつながる盾が鉄球に変化し、ナーガはそれを振り回す。
「ああ、そうそう、それを見て今思い出したが、<疑神暗器>は――」
熾死王が鉄球へ突っ込み、仕込み杖を突き刺す。
一瞬亀裂が入ったかと思えば、鎖の鉄球はボロボロと砕け散った。
「――鉄球に特効がある」
背後から迫った<疑神暗器>が、ナーガの義足に二本、両腕に二本、腹部に一本突き刺さった。
だめ押しとばかりにエールドメードは仕込み杖を投げ、それが彼女の頭を貫通した。
ぐらりとナーガがよろめき、<飛行>の力を失って、大地に落下していく。
「……狐か、狸か……なんて、熾死王さんは意地悪な質問をするのね……」
仕込み杖に貫かれた義足が粉々に砕け散る。
その代わりとばかりに禍々しい黒き粒子が彼女に集い、脚を象った。
滅びの獅子の両脚だ。
着地すると、彼女は頭に刺さった<疑神暗器>を抜き、放り捨てる。
「正解は猫。つまり、あなたは無言だった」
無言は真実に勝つ。
それゆえ、ナーガの鎖の盾も、鎖の鉄球も、相性に勝る<疑神暗器>が貫通した。
そう言いたいのだろう。
「手品のタネなんて、わかってしまえば簡単ね。誰かがあなたの代わりに嘘をついていた。嘘つきの天秤が反応するのは、あたしとあなたの嘘だけ。第三者が嘘をついても、反応しない。あなたがわざわざ嘘をついて、天秤を反応させたのは、ぜんぶ自分が喋っているとあたしに思い込ませるため」
片脚を上げ、ナーガは足先で器用に魔法陣を描く。
「いつ、どうやって紛れこんだのか。答えは一つ」
ナーガは、地面に転がっている半壊したカボチャの犬車を見た。
「最初から、あれに乗ってた」
描かれた魔法陣から、黒い水が溢れ出す。
瞬間、エールドメードが<飛行>で急降下していく。
「遅いわ」
軸足を入れ替え、黒き水の魔法陣をナーガは獅子の脚でまっすぐ蹴り抜いた。
「<獅子災淵滅水衝黒渦>」
溢れ出したのは黒緑の水。
怒濤の如く押し寄せるその黒渦は、カボチャの犬車へ直進した。
飛び散る飛沫が、それだけで周囲のすべてをどろりと溶かし、<界化粧虚構現実>の世界さえ容易く滅ぼそうとしていた。
「カカカカカ、たまらんたまらん、コイツはたまらんっ! 並の小世界ならば、軽く滅びそうではないかっ!」
熾死王がシルクハットを投げる。
中空でそれが一〇個に増えると、そこから透明の布が出現した。
結界神リーノローロスの結界布である。
その権能だけを生んだ熾死王は、犬車のキャビンを神の布でぐるぐる巻きにしていく。
直後、<獅子災淵滅水衝黒渦>が結界を飲み込んだ。あっという間に布が溶け始める。
熾死王は口を開き、手を突っ込むと、そこから<疑神暗器>を取り出した。
迷わず彼はキャビンの前、黒渦の真っ直中へ突っ込んだ。
結界布と自身の反魔法、滅びの獅子に特効のある<疑神暗器>にて護りを固めたが、しかし<獅子災淵滅水衝黒渦>は彼の身を容易く飲み込み、その全身が溶け始めた。
「いい、いいぞっ! 強敵、難敵、大敵だぁぁぁぁっ! なあ、居残り。コイツはいつもの雑魚ではない。さすがはアーツェノンの滅びの獅子っ! オレではなく、オマエが喋っていることにちゃんと気がついたぞ」
熾死王が<変幻自在>を解除すれば、半壊したキャビンの中にいた少女、ナーヤの姿があらわになった。
「喋ったのは私じゃなくて、杖先生ですけど……それより、熾死王先生、けっこう余裕なんですか? 体、溶けてますよ?」
「カカカカ、勿論ダメだぁ! 即死か瀕死か、溶滅だな。手品の種がバレた以上、力比べとなっては分が悪い。もってあと一分か」
熾死王が天父神の権能を使い、番神を次々と盾代わりに生んでいくも、一瞬で黒渦に飲まれて滅び去る。
時間稼ぎにすらなっていなかった。
「ど、どうするんですかっ?」
「これしかあるまい」
熾死王の頭からシルクハットが浮かび上がり、そこからぬっと杖が現れる。
深化神ディルフレッドからせしめた深化考杖ボストゥムだ。
「この黒い水は、世界をも破壊しかねない滅びそのものだが、魔法は魔法だ。さて、居残り、深化神はなんと言った?」
今にも黒渦に飲み込まれそうなこの状況で、熾死王はまるで教室にいるかの如くいつもの講義を始めた。
「……要を穿孔すらば、いかなる魔法も瓦解する……」
必死に頭を悩ませたナーヤの回答に、熾死王は愉快そうに唇をつり上げた。
「せ・い・か・い・だぁ。だが、しかしだ。オレはこれを防ぐのに手一杯でなぁ」
深化考杖ボストゥムが、宙を浮かびながらナーヤのもとへ移動する。
「オマエがやれ、居残り。アーツェノンの滅びの獅子による深層魔法、完全に瓦解させるのは不可能だろうが、刺さりどころがよければ助かるかもしれない」
「……でも…………」
怖じ気づいたナーヤが、次の瞬間目を見張る。
熾死王の片腕がどろりと溶けてなくなった。
「カカカ、迷っている暇に、溶けてしまうぞ? 安心したまえ。オマエは生き延びる。さてさて、教師を殺してしまった教え子の気分は、どんなものだと思う、居残り? ん? 想像してみろ」
「嫌ですっ!」
ナーヤは大きく声を上げて、深化考杖ボストゥムを見つめた。
深化神の権能の塊、かつて彼女はそれを自身の器に収めきることができなかった。
「……胃は伸びる胃は伸びる胃は伸びる胃は伸びる……!」
狂気に染まったような瞳で、ナーヤは神の杖に噛みついた。
神々しい光が、彼女の内側から漏れ、全身に切り傷が浮かぶ。
以前と同じく深化神の力が荒れ狂い、ナーヤの器を内側からズタズタに引き裂いていく。
だが、倒れない。
「……胃は伸びる胃は伸びる胃は伸びる胃は伸びる……!」
ボロボロになりながらも、彼女は両手をかざす。
そこに、神の棘、深淵草棘が無数に出現した。
愛と優しさを持つようになったミリティア世界の秩序。
彼女の愛が真に深いならば、かつてとは違い、深化神はそれに応えてくれるやもしれぬ。
深化する愛を、その神眼に見るために。
「女の子には、別腹があるんですからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
一瞬、ナーヤの神眼が深藍に輝いたかと思えば、一斉に深淵草棘が発射された。それが瞬く間に黒渦の中に飲み込まれていく。
数瞬後、大地が振動し、世界が割れた。
<獅子災淵滅水衝黒渦>が暴走するように波打ち、大空に亀裂が入る。
<界化粧虚構現実>の世界が、ガラガラと音を立てて崩壊していく――
命がけの講義の行方は――