嘘つきの天秤
熾死王が杖の先にて、多重魔法陣を描く。
すると、周囲に振りまかれた魔法の粉がみるみるその空域に広がった。
「<界化粧虚構現実>」
辺りは化粧を施されたかの如く、がらりと姿を変えた。
玩具とガラクタが積み上げられた、カラフルな空間だ。
その中央に一つ、ドクロがつけられた巨大な天秤が浮かんでいる。
その天秤をざっと魔眼で見通すと、ナーガが言った。
「不思議なことをするのね」
「そう思うかね?」
「<界化粧虚構現実>は、タネを知られていたら、なんの効力も発揮しない。だからさっき、熾死王さんは<変幻自在>で隠してたんでしょ?」
<界化粧虚構現実>は、その中にいる者の合意により、領域内のルールが決定する。
たとえば熾死王とナーガが、ここに火は存在しないと思ったならば、どんな魔法を使おうと火をおこすことは不可能だ。しかし、一方がそう思わなければなんの効力も発揮しない。
初見の相手にはかなり強力だが、そうでない場合は、<界化粧虚構現実>を使ったことに気づかせないことが肝要だ。
領域内に入ったとわかっていれば、相手の言葉を信じないだけで対処はできる。
「アレは嘘つきの天秤だ」
巨大な天秤を指し、エールドメードが言う。
「オレが嘘をつけば右側に、オマエが嘘をつけば左側に傾く。針が中央にある状態から三度同じ方向へ傾けば、嘘をついた方の魔力の半分が相手に移動する。どうかね?」
「どうって?」
「ハンデだ。オマエが嘘つきでないのなら、分の良い勝負ではないか」
ナーガは人の好さそうな笑みを浮かべる。
「ハンデなんて嘘ばっかり。熾死王さんはあたしを疑ってるのね?」
「自らを正直者だと名乗る男をオマエはどう思う? あー、いやいや、返事はいらんぞ。わかっている。胡散臭いことこの上ない」
ナーガが言葉を挟む隙すらなく、エールドメードはまくし立てる。
「同じように<契約>で嘘偽りはないとわざわざ誓う女も、同じ臭いがするのではないか? ん?」
「嘘じゃないのに?」
「信用できんね。所詮、魔法ではないか」
熾死王はふてぶてしい表情を見せた。
「心外ね。これでも嘘ついたことはないんだけど」
「カカカ、奇遇ではないか。オレもだ」
ガゴンッと重厚な音が響き、天秤の針が右側へ傾いた。
先程熾死王が口にしたルールに、ナーガが合意した。
<界化粧虚構現実>が、嘘つきの天秤を働かせたのだ。
「ほら、やっぱり。熾死王さんが嘘つきね」
ナーガは背もたれの魔法陣から、<災炎業火灼熱砲>を発射する。
「これで少しは信用してもらえた?」
連射される黒緑の炎球を、エールドメードは犬車の車輪を回転させ、宙を疾走しながら避けていく。
「オレの口車に乗ってくるとは、ますます怪しいではないかっ! 嘘をつかない自信があるなど、大嘘つきとしか言いようがないっ!」
熾死王が杖をくるりと回せば、まるで手品の如く、一〇本の神剣ロードユイエが中空に出現した。
爆炎を駆け抜けながら、奴はその神剣をナーガに向かって射出する。
「よいしょ」
ナーガは足に引っかけた犬、ギリシリスをふわりと浮かせ、それを盾にする。
「ソレは駄犬だ。盾にもならんぞ」
ロードユイエはあっさりとギリシリスを貫通し、ナーガの顔に迫る。彼女は座ったままの姿勢で、それを蹴り上げ、弾き飛ばした。
「名犬って言ってたのに、可哀相なワンちゃん」
そう言って、ナーガが背もたれの魔法陣から鎖鎌を取りだし、横たわるギリシリスに投擲する。
ジェル状の体を貫通し、鎌の刃が食い込んだ。
「庇護の渇望から生まれた聖なる鎖の盾。他者の根源から魔力を搾り取って所有者を守るの」
ギリシリスのジェル状の体が鎌に吸い込まれていく。
すると、刃が盾に変化した。
「面白いではないか」
エールドメードが杖を向ければ、弾き返され、宙を舞っていたロードユイエがピタリと止まる。
彼が杖を下へ振り下ろせば、剣先がくるりと回転し、再びナーガへ落下した。
「意外と普通よ」
頭上から強襲する一〇本のロードユイエに対して、ナーガは鎖をぐるぐると回した。
先端の盾が光り輝き、渦状の魔法障壁が出現する。
そこにロードユイエが突っ込むと、バキバキと神剣が折られ、破片が地面に飛び散った。
「ほら、ね」
「いやいや、面白いのはその盾の力を律儀に説明しているオマエだ。嘘つきの天秤がある以上、嘘をつけないなら、沈黙した方が得ではないかね?」
シルクハットを手にして、熾死王はそれを飛ばす。
くるくると回転する毎に、シルクハットは数を増やし、合計一三個になった。
「天父神の秩序に従い、熾死王エールドメードが命ずる。産まれたまえ、十の秩序、理を守護せし番神よ」
シルクハットから、紙吹雪とリボンのような光がキラキラと大量に降り注ぐ。
瞬く間に、それらは神体を形作った。
白い手袋と真っ白なフード付きのローブを纏った、顔なき番神エウゴ・ラ・ラヴィアズ。
一〇名の番神が<時神の大鎌>を振り下ろせば、回転する鎖の盾がピタリと止まった。
時間が止められたのだ。
「あら、天父神の秩序? 半神なのね、あなた。どうりで少し魔族っぽくないと思ったわ」
魔法陣から、ナーガが取り出したのは懐中時計である。
「定刻の渇望。笑っちゃうけど、世の中には時間を守る脅迫観念に駆られてる人が沢山いるのね。この定刻の懐中時計は正しい時間を厳守させる」
そうナーガが口にすれば、止まったはずの鎖の盾がまた動き始めた。
時間停止が解除されたのだ。
そのまま鎖の盾は勢いよくエウゴ・ラ・ラヴィアズたちを襲い、次々とその魔法障壁の渦に飲み込んでは、消滅させた。
くるくると<時神の大鎌>が一本、宙を舞う。
ナーガの鎖の盾が、今度は熾死王めがけまっすぐ飛んできたが、奴は<時神の大鎌>をつかみ、それを振り下ろした。
定刻の懐中時計の影響下にあるにもかかわず、鎖の盾の時間は止まり、宙に静止した。
「<熾死王遊戯嘘秩序三竦>」
熾死王の周囲に飛んでいた残り三つのシルクハットから、光が落ち、三匹の動物が現れている。
狐、猫、狸である。
「真実は嘘に勝ち、嘘は無言に勝ち、無言は真実に勝つ。愛と優しさを掲げ、天父神の秩序をもちて、熾死王エールドメードが定める」
大げさな身振りをしながら、熾死王は謳う。
「神の遊戯は絶対だぁっ!」
「無言は真実に勝つ? つまり、あたしが定刻の懐中時計について真実を口にしたから、無言だったあなたの大鎌が勝ったってこと?」
「カカカカ、察しがいいではないか。とはいえ、この三竦みはあくまで相性が良くなる程度だ。圧倒的な力の差があれば覆せない」
エールドメードの説明を裏づけるように、<時神の大鎌>に亀裂が入る。
熾死王が退くと同時に大鎌は砕け散り、鎖の盾の時間が再び正常に動き始めた
「そうなのね。でも、熾死王さんこそ、嘘は言えないんだから黙ってた方がいいんじゃない?」
真実は嘘に勝ち、嘘は無言に勝ち、無言は真実に勝つ。
<熾死王遊戯嘘秩序三竦>がその三竦みの相性を作り出しているが、嘘つきの天秤があるため、嘘を三度続ければ魔力が半減する。
熾死王はすでに一度嘘を判定されているため、残り二回だ。
「そう思うかね?」
「魔力を半分取られたら、相性なんてもう関係ないでしょ」
ニヤリと熾死王は笑い、杖を狐、猫、狸へ向ける。
三匹の神は、すうっと杖の中に吸い込まれていった。
「<疑神暗器>」
仕込み杖のように、エールドメードが杖を抜き放てば、黄金に輝く剣身があらわになった。
「この仕込み杖は、<熾死王遊戯嘘秩序三竦>を使った際に、その特性とリスクを任意に定めることができる。リスクが大きければ大きいほど<疑神暗器>の威力は上がり、強い特性を持つ」
愉快そうにエールドメードは言い、その仕込み杖で自らの両頬を貫いた。
「種も仕掛けもありはしない」
笑みを浮かべる彼の顔からは、血の一滴も流れていない。
マジックショーでもしているかのようだ。
「今回の<疑神暗器>の特性は一つ。霊神人剣と同じくアーツェノンの滅びの獅子に特効がある。ただし、他者の根源から魔力を搾り取る鎖の盾で剣身を折られれば、オレは死ぬ」
ナーガが一瞬、嘘つきの天秤に視線を向ける。
傾きは変わっていない。
「狐か、狸か?」
「嘘か真実かって言いたいんだろうけど、どっちがどっち?」
エールドメードが指を鳴らせば、頬を貫いていた<疑神暗器>が消え、彼の手元に現れた。
「当ててみたまえ」
エールドメードが仕込み杖を魔法で撃ち出す。
神々しい魔力を放ちながら、それはまっすぐナーガへ突っ込んでいく。
「この鎖の盾が聖なる魔法具だってわかってる? わたしの弱点はこの盾に効かないし、この盾の弱点はわたしに効かない」
己の弱点を補うための守りというわけだ。
ナーガは鎖の盾を回転させ、魔法障壁の渦で<疑神暗器>を飲み込む。
しかし、その仕込み杖は盾と魔法障壁をいとも容易く貫通し、ナーガの胸に突き刺さった。
「……っ……!」
彼女の根源が抉られる。
義足から溢れる黒き粒子が、悲鳴を上げるように渦を巻き、夥しい量の血を吐き出した。
霊神人剣には及ぶはずもないが、<疑神暗器>には確かにアーツェノンの滅びの獅子への特効が備わっている。
熾死王がそれだけのリスクを負っているのも確かだろう。
にもかかわらず、鎖の盾で弾き返せなかった。
「……おかしい……わね……」
彼女は根源に食い込んでいく仕込み杖を握り、黒き粒子を纏いながら、それを抜こうと力を込める。
「鎖の盾は聖なる属性。この剣が霊神人剣と同じなら、鎖の盾の弱点にはならないはず。こんなに簡単に貫通できるはずがないわ」
「カカカ」
熾死王が手をかざせば、ナーガに刺さった仕込み杖が消え、再び彼の手元に現れた。
「オレの力が相性を無視するほど強いというのはどうかね? ん?」
「嘘つきの熾死王さん? 疑問系なのは、次に嘘をつくと三度目になるからかしらね?」
そう口にするや否や、ナーガは背もたれの魔法陣から魔槍を射出した。
勢いよく、それが嘘つきの天秤に突き刺さる。
「ぬ……!?」
熾死王が驚いたように、天秤を振り向く。
「天秤が傾かなかったから嘘じゃないとあたしは思った。だけど、熾死王さんはあたしの魔眼を盗んで、天秤に<変幻自在>を使い、嘘をついてもそれが傾かないように擬装していたのね」
「…………む……むぅぅ…………」
「『今回の<疑神暗器>の特性は一つ。霊神人剣と同じくアーツェノンの滅びの獅子に特効がある。ただし、他者の根源から魔力を搾り取る鎖の盾で剣身を折られれば、オレは死ぬ』この言葉の内、特性は一つというのが嘘。本当は、鎖の盾に対しても特効があった」
今この場では、あらゆるものが発言に伴い、真実、嘘、無言のいずれかの属性を持つ。
ナーガの発言により、鎖の盾は真実の属性。
彼女の推理が確かなら、熾死王の発言により、<疑神暗器>は嘘の属性を持っていた。
<熾死王遊戯嘘秩序三竦>のルールにより、真実は嘘に勝る。
だが、<疑神暗器>が鎖の盾に特効を有しているなら、リスクによってはそれを上回ることができる。
ナーガはそう判断した。
「……な、な、なんと? この熾死王の嘘がぁぁぁ……こんなにもあっさりと……まさかぁぁぁ……!!」
「タネが割れた手品ほどつまらないものはないわね。ほら、真実の槍が隠蔽魔法を暴く。今、天秤は正しい傾きを示し――」
言葉を切り、ナーガは再び嘘つきの天秤を振り向く。
真実の槍が刺さり、その力は確かに働いている。
熾死王が<疑神暗器>の説明で嘘をついていたなら、天秤は右側へ二回分傾いているはずだった。
しかし、天秤は変わらず右側へ一回分傾いたのみだ。
<変幻自在>は使われていなかった。
熾死王は嘘をついていないということだ。
無言でナーガは熾死王を見た。
彼は芝居がかった風に両手で頭を抱え、うずくまっている。
「まさか、まさかぁぁぁ、こんなにあっさり騙せてしまうとはぁぁっ……!」
嘆くように言った後、エールドメードは顔を上げると、人を食ったようにニヤリと笑った。
「カカカカ、オマエの推理は外れだ、獅子の両脚。どうかね? この熾死王の狼狽したフリは? うんざりするほど負け犬を見てきてな。かませ感を出すのには定評があるっ!」
ガゴンッと天秤が右に傾く。
「おおっと。定評はなかったな」
熾死王の嘘が判定されていた。
おおっと――!?