臭い
ビキ、ビギギギギ、と破砕音が響く。
エヴァンスマナでぶち抜かれた災亀ゼーヴァドローンがゆっくりと真っ二つに割れ、半円状の<聖域白煙結界>を滑り落ちた。
砂埃を立てながら、半分になった甲羅が二つ、山肌にめり込めば、青々とした蛍のような火が割れた甲羅から溢れ出す。
イーヴェゼイノの火露だ。
「チャンスッ。もらっちゃうよぉっ!」
「<吸収引力歯車>発射!」
魔王列車の砲塔から鎖つきの歯車が発射される。
それは磁石のように火露の光を引きつけ、瞬く間に車両内に回収した。
「お・ど・ろ・き・ではないかっ!!」
犬車の御者台に立ち乗りし、エールドメードがナーガを見下ろす。
災亀を破壊された彼女は、車椅子で宙に浮かんでいた。
「まさか獅子の両眼が、あのヴェヌズドノアを使えるとはっ!? いやいや、この熾死王には思いつきもしなかった。さすがは魔王、名推理ではないかっ!」
嘯くように大げさに熾死王は言い、これみよがしな笑みをナーガに見せる。
それに対して、彼女は上品な笑顔で応じた。
「アノスが出てくるまで手の内を曝したくはなかったのだけれど、コーストリアは困った子なのね」
「手の内を曝したくない? なるほど、手の内を曝したくないか。カカカカ、それはそうだろうな」
エールドメードを乗せたカボチャの犬車は、ナーガの頭上を大きく旋回している。
「獅子の両眼は、その力の一端をすでに深層講堂での洗礼で見せている。<極獄界滅灰燼魔砲>、なぜ魔王の構築した魔法陣を使わず、自ら魔法陣を描いたのか? 力を誇示するためとも思ったが、正解はアレだぁ」
エールドメードは、サーシャと理滅剣の鍔迫り合いを行っているコーストリアを杖で指す。
開いた義眼が漆黒に染まり、そこから理滅剣の魔力がこぼれ落ちていた。
「滅びの獅子の魔眼は、その魔眼に映った他者の魔法を複製し、発動する。自らの力と技術が及ばない魔法でさえも。洗礼で魔王が用意した魔法陣を使わなかった理由がそれだ」
コーストリアは正攻法では<極獄界滅灰燼魔砲>を魔法行使することができなかった。
ゆえに、魔法を複製する魔眼の力に頼った。
「あの魔眼は、一度の複製につき、一回きりしか魔法を発動できないのではないかね? 再び発動するには、もう一度同じ魔法をその魔眼で見なければならない」
「それはどうかしらね?」
「二回以上使えるなら、霊神人剣の勇者に至近距離で魔法を食らわせたつい先ほど、<災炎業火灼熱砲>ではなく、<極獄界滅灰燼魔砲>を使ったはずではないか」
出し惜しみする理由は、コーストリアにはなかったはずだ。
「だが、そう考えるともう一つ疑問が生まれる」
「お話が見えないわね」
「なるほどなるほど。そういえば、オマエはあのとき深層講堂にいなかったな。知らないのは無理もない。本当に知らんかはわからんがね」
人を食ったような笑みを向け、エールドメードは言った。
「獅子の両眼は、洗礼で理滅剣を見ている。だが、彼女は負けた。なぜかね? あのルールならば、魔法を複製できるコーストリア・アーツェノンに、敗北などあり得ないではないか」
洗礼でのコーストリアの敗北が、一度の複製につき、一回しか魔法を発動できないという予想のもう一つの裏付けだ。
彼女は、あのとき、理滅剣を複製しておきながら、あえて使わなかった。
「つまり、敗北と引き換えに<理滅剣>の複製ストックを手に入れたのだ。どこかでなにかの役に立つかもしれない、と計算高い女に指示されたのかもしれんなぁ」
コンッとエールドメードは御者台で杖をつく。
「今手にしているアレは破壊神が使った<理滅剣>の複製。獅子の両眼はもう一つ、<理滅剣>のストックを残している。あるいは、すでにどこかで使った」
コツン、と再びエールドメードは御者台を叩く。
「おやおやぁ? そういえば、災禍の淵姫が襲われたとき、<理滅剣>を使ってきた輩がいたのではなかったか? ん?」
「……コーストリアの仕業だったって言いたいの?」
「ありえない。ありえないはずだ。そう主張したいのはわかる。オマエには心辺りがなく、ドミニクの仕業だと予想した。研究に没頭し、イーヴェゼイノを出ることすらない、その男の仕業だと」
愉快そうにエールドメードが笑う。
「勿論、信じているとも! 獅子の両脚、オマエは嘘をついていないことを<契約>によって示したのだからな」
エールドメードの出方が読めぬためか、ナーガは警戒するように彼を注視している。
そうしながらも、恐らくは、災亀の中にいる幻魔族と<思念通信>でやりとりし、立て直しを図っているのだろう。
奴らの火露は甲羅の中だ。
それが真っ二つに割れた今、守りは手薄。
火山周辺では魔王学院が優勢だ。
根源を半分以上消費したレイは回復するまで動きが取りづらいが、イージェスやエレオノール、ゼシアたちが総力を上げれば、火露をすべて奪取することもできよう。そうなれば、この序列戦はイーヴェゼイノの敗北だ。
「なにより、この熾死王、ミリティア世界では仁義に厚い正直者で通っている。他人様を疑うことなど、とてもではないが、いやいやできない。しかし、だ! しかし、どうにも一つだけ、確かめたいことがある」
「なにかしらね?」
「車椅子とカボチャの犬車。どちらの車が強いか知っているかね?」
煙に巻くような熾死王の台詞に、しかし虚を突かれた素振りもなくナーガは即答した。
「あなたの犬車と比べるなら、車椅子ね」
「根拠を聞こうではないか」
ナーガはすっと指先で、キャビンを引く犬、緋碑王ギリシリスを指す。
「そのワンちゃんね」
「なんと! 我がミリティアにおいて、並ぶものなしと謳われた究極の単細胞生物、名犬ギリッシーに目をつけるとはお目が高いっ!」
ナーガの車椅子、その背もたれの横に、砲門の如く四つの魔法陣が描かれる。
<災炎業火灼熱砲>が、次々とカボチャの犬車に連射された。
ギリシリスは遠吠えを上げながら、全力で<飛行>を使い、空を駆ける。
だが、ナーガの魔法砲撃は速い。<災炎業火灼熱砲>の掃射はみるみるカボチャの犬車を追い詰め、黒緑の炎球が熾死王の脇をかすめていく。
「名犬? 駄犬でしょ?」
<災炎業火灼熱砲>がジェル状の犬に直撃する。黒緑に炎上するギリシリスは、回復に手一杯となり<飛行>が止まった。
追撃とばかりに、再び<災炎業火灼熱砲>が連射された。
瞬間、キャビンについた木造の車輪が高速回転する。エクエスの一部だ。勢いよく魔力が噴出され、先程より数段速い速度でカボチャの犬車は炎球を回避していく。
「カカカカ、ご明察ではないかっ! 犬は飾りだ。引かせるよりキャビンの力を使った方が遙かに速いっ! だが、名犬ギリッシーの名犬たる由縁は、荷を引くことではない。コイツの恐ろしいところはな。どんな格上の相手にも、必ず噛みつくことができるその特異な性質だ!」
犬車からギリシリスを切り離し、エールドメードは魔法陣を描く。
「オマエたちアーツェノンの滅びの獅子の中で、最も完全体に近いとされるアノス・ヴォルディゴードを相手にしてさえ、その犬は見事に噛みついたぞ?」
ナーガの前に現れたのは、<契約>の魔法陣だ。
今熾死王が発言した内容に嘘偽りないことが示されている。
「嘘だと思うなら調印してみたまえ」
<根源再生>で復活したギリシリスは、獰猛な唸り声を上げながら、ナーガに迫った。
エールドメードは先程同様に、彼女の頭上を旋回し続けている。
ナーガはその魔眼を<契約>の魔法陣に向けた。
罠でなければそんな魔法を使う理由がないが、しかし術式に怪しいところはなにもない。
すぐさま、彼女は調印した。
熾死王が契約に背いているということはなく、つまり今彼が口にしたことは事実だ。
「さあさあさあ! 迎え撃たねば、噛みつくぞっ!」
ナーガは、車椅子の肘掛けについた魔法水晶に触れ、魔力を送る。
「この車椅子、ドミニクが幻獣から作ったのね。色んな幻獣の力が使えるのだけれど、たとえば、この槍」
背もたれの魔法陣から、ぬっと現れたのは投擲用の魔槍である。
「探求の渇望から生まれた真実の槍」
振りかぶり、彼女はそれをあさっての方向へ投げた。
「貫けば、隠蔽魔法を打ち破り、真実を白日のもとに曝す」
ガラスが割れるように、そこにあった空の風景が砕けていく。
空間の裏側に現れたのはキラキラと輝く魔法の粉と魔法陣。
粉塵世界の深層大魔法、<界化粧虚構現実>である。
無駄話をしていたわけではない。
エールドメードは空を旋回しながらその大魔法を構築していた。
それを<変幻自在>で隠していたのだ。
「正直者の熾死王さん」
魔槍を投擲した隙に、ギリシリスが接近を果たし、ナーガの腕に噛みついていた。
しかし、彼女にはなんの痛痒も与えることはできない。
義足から黒き粒子が溢れたかと思うと、<根源戮殺>のつま先がジェル状の犬を貫いた。
「ぎゃぎゃんっ……!!」
「どんな格上の相手にも必ず噛みつくことができるって、食ってかかったり、文句を言ってくるって意味でしょ?」
人の好さそうな顔で、ナーガは言う。
「本当のことを言いながら、人を騙そうとするなんてとんだ詐欺師なのね」
「カカカカ、ずいぶんな言われようだが――ん?」
熾死王はなにかに気がついたように、眉をひそめる。
「なにか臭わないかね?」
カボチャの犬車の高度を下げながら、エールドメードは芝居がかった仕草で臭いを嗅いでいる。
「気のせいじゃないかしら」
「いやいや、臭う。臭うぞ臭う。これは、なんの臭いだったか? 汚物が垂れ流しになったドブ川か、それとも死体が山積みになった収容所か、いや待て。もっと身近な」
おもむろに熾死王は自らの腕を鼻の前に持ってきた。
「こ・れ・だぁ」
愉快そうにエールドメードが唇を吊り上げる。
「獅子の両脚。オマエの口から、嘘つきの臭いがプンプンするぞ」
白けた視線を送ってくるナーガに、熾死王は人を食ったような笑みを返す。
彼はくるくると杖を回転させ、その先端でナーガを指した。
「今からこの正直者の熾死王が、オマエのペテンを暴いてやろうではないか」
どちらが先に、相手の嘘を嗅ぎ分けるか――