精霊病
俺はさして苦戦することなく、順当に魔剣大会を勝ち上がっていく。
<秘匿魔力>を常時行使し続けるのは、魔力の消耗がかなり大きいのだが、対戦相手は皆一回戦で戦ったクルト以下の雑魚ばかりだ。
平均戦闘時間が三秒にも満たないのだから、魔力の枯渇を心配する恐れはまるでなかった。
「ノイリア選手の剣の破壊を確認しました。アノス・ヴォルディゴード選手の勝利です」
観客席の一角から歓声があがる。ファンユニオンや白服の生徒たちだろう。
それとは別種のどよめきが、違う場所から聞こえてきた。
「マジかよ、あいつ……また秒殺しやがった……」
「無傷で決勝進出か……混血とは思えない強さだな……」
「こうなったら、もう錬魔の剣聖に懸けるしかないぞっ!」
「ああ、レイ・グランズドリィもここまで無傷で勝ち抜いている。俺たちの期待に応えてくれるはずだ」
皇族派の戯れ言を背中で聞きながら、俺は控え室へ戻っていった。
中へ入ると、ミサが待っていた。
「すぐに向かいますか?」
「ああ、父さんと母さんに声をかけてからな」
控え室を出て、観客席の方へ向かう。
ちょうど父さんと出くわした。
「ああ、アノス。父さん、仕事があるからもう行くな。明日は絶対に観に来るからな」
「忙しいなら、観に来なくてもいいが。魔法放送もあるだろ」
魔剣大会は<遠隔透視>の魔法でディルヘイド各地に声や映像を送っている。
魔法放送用の魔法具はディルヘイドの五割ぐらいには行き渡っているため、デルゾゲードに来なくても観ることはできる。
それもあるから、皇族派は混血の俺に優勝させたくないのだろうな。
「心配するな。忙しくたって、観に来るに決まってるだろ。お前の晴れ舞台なんだからな」
父さんが俺の肩をドスンッと叩く。
「……う……!」
自分が怪我をしていることを忘れていたのだろう。父さんは顔をしかめた。
まったく、ずいぶんと無理をしたものだ。
<治癒>の魔法を使い、父さんの怪我を治す。
「どうだ?」
「お……おおっ、治ったぞ! さすがだな、アノス。全然痛くない! ほら、こんなに動いても」
父さんが完治をアピールするように前後左右に無駄な動きをする。
そして――
「うお……!!」
うっかりつまずき、近くにあった石壁に頭を打った。
しゃがみ込み、父さんは頭を抱える。
「うぐぐ……すまん、もう一発、治してくれ……」
「放っておけば治るぞ」
さすがに魔法を使うほどではない。
「……おお、ほんとだ。治ってきた」
父さんはすっと立ち上がる。
「じゃあな」
手を振って、父さんは足早に走り去っていった。
「ごめんね、お父さん、慌ただしくて。これでも無理して時間作ってくれたみたいよ」
そう言いながら、母さんがやってくる。
「父さん、今なんの仕事してるんだ?」
「うーんとね、お父さんには内緒にしとけって言われてたんだけどね」
母さんはにっこりと笑い、そう前置きをする。
「金剛鉄の剣を鍛えるにはうちじゃ無理だからって、お父さん、知り合いの工房の人に頭を下げて設備を貸してもらったの。代わりに仕事を手伝うからって言って」
なるほど。だから、最近家にいなかったのか。
「アノスちゃんは賢いから、きっとわたしたちに迷惑をかけられないと思って、剣を買って欲しいって言い出せないんだって。アノスちゃんに知られたら、きっと止められると思って、お父さん、こそっとその剣を造ったのよ」
ふむ。完全に勘違いだな。
勘違いではあるのだが、やれやれ。
優勝したら、父さんの剣のおかげで勝てたとでも言ってやるか。
「お母さんが口を滑らせたっていうのは、内緒よ?」
「わかった。それから、今日はもう出番がないから帰るぞ」
「あれ? アノスちゃん、残りの試合観ていかないの?」
「ちょっと用事がある。それに、どうせレイが勝つ」
「そうなんだ。じゃ、その剣、お母さんが預かってあげよっか? そんなの持ってたら、なにもできないでしょ?」
母さんは俺の持っている金剛鉄の剣を手にする。
「別に大丈夫だが」
「でも、重たいでしょ。アノスちゃんは明日に備えて体を休めないとね」
母さんは半ば強引に俺の剣を取った。
「大丈夫よ。この剣がなかったら、アノスちゃんが決勝戦に参加できないんだもの。お母さん、なにがあっても守るわ」
確かに魔剣大会では予備の剣の使用は認められていない。だが、アヴォス・ディルヘヴィアは決勝戦でなにか仕掛けてくる腹づもりのはずだ。
わざわざ俺を参加できなくすることはあるまい。
「大げさだな」
「そう?」
母さんは金剛鉄の剣を胸に抱くように抱える。
「じゃ、任せた」
「うん。大事に家に持って帰るね」
さて、ミーシャやサーシャも闘技場のどこかにいるだろうが、まあ、いいか。
「じゃあな」
母さんにそう言い、踵を返す。
背中から、女子生徒の声が聞こえてきた。
「あ、お母様ー、新しい応援歌のアドバイスをして欲しいんですけどっ」
「はーい、じゃ、聴かせてくれる?」
すっかりファンユニオンの連中と打ち解けている様子だ。
どんな歌が出来上がるのか、あまり考えたくはない。
「待たせたな」
観客席の入り口で待っていたミサに声をかける。
「いえ」
ミサに手を触れ、<転移>の魔法を使った。
転移した場所は、ログノース魔法医院のすぐ近くだ。
「どうしますか?」
「そうだな。いくらでもやりようはあるのだが、班別対抗試験で見せた、あれを使えるか?」
「<雨霊霧消>……ですか? その、雨になる精霊魔法の……?」
「ああ、魔力を貸してやる。できるだけ広範囲にな」
「わかりました」
<魔王軍>の魔法で、ミサに魔力を融通する。
次第に街全体を覆う雨雲が現れ、パラパラと雨が振り始めた。
俺の魔力が<雨霊霧消>の雨と霧に溶けこみ、覆い隠される。
魔法医院の扉を開ければ、そこにうっすらとした霧が入っていく。
俺たちは堂々と歩いているが、他の者には<雨霊霧消>の効果で姿を判別できないだろう。
遠見の魔眼で受付にある入院者名簿を確認する。
シーラ・グランズドリィの名前を見つけた。レイの母親だろう。
地下一〇階の特別病室に入っているようだ。
そのまま階段を降りていき、地下一〇階に到着する。
特に変わった様子もない普通の病室だ。
俺は迷わずドアを開けた。
部屋全体が治療用の魔法陣になっている。
中央には寝台があり、そこに一人の女性が眠っていた。シーラだろう。
俺とミサは彼女の傍らまで歩いていく。
「……体が……」
ミサはそう声を漏らす。
シーラの体は今にも消えそうなぐらい、透き通っていた。
目を覚ます気配はなく、本当に生きているのか疑問に思えるほど生気がない。
「ふむ。これが精霊病か」
シーラの頭に指先で触れ、魔眼で彼女の体内を診断する。
だが、どれだけ深淵を深く覗こうと、病巣らしきものは見当たらない。
魔力の乱れはまるでなく、ただ微弱なだけだ。
妙なのは、これだけ魔力が微弱な状態なら、どんどん状態が悪化するのが自然だということだ。
しかし、今のところ、シーラの容態は小康状態を保っている。
「……わかりますか……?」
「老衰のときの状態に似ているが……」
彼女の体は正常だ。ただ寿命が来て弱っているとしか思えない。
だが、そんな年齢とも思えぬが。
いや、これは――?
「なるほど。だから、精霊病か」
「どういうことですか?」
「この女はお前と同じ半霊半魔だ」
ミサはびっくりしたように目を丸くする。
「でも、レイさんは皇族ですよね……?」
「生みの親と育ての親が違っても不思議はない」
「……それは、はい……ですね……」
「恐らく精霊に関連した病なのだろう。精霊の生態は少々ややこしい。魔族の常識は殆ど通用しないと見ていいだろう」
でなければ、俺の魔眼で病巣が特定できぬわけがない。
「そういえば、レイさんが前に半霊半魔は長く生きられないって言ってました。精霊魔法まで使って、ピンピンしてる半霊半魔はいないって」
俺の家の庭で話したことか。
「心当たりはあるのか?」
「いえ……。わたしは半霊半魔ですけど、精霊のことはなにも知りませんから……すみません……」
母親を人質に取られ、レイは体に魔法具を埋め込まれたのだろう。
この状況から察するに、母親の病気を治す交換条件に、皇族派の言うことを聞いているといったところか。
しかし、どうやって小康状態を保っている?
見たところ、周囲の魔法陣はシーラの病状に対してなんの効果も上げてはいない。
だが、レイが闇雲に皇族派を信用したとも思えぬ。
この魔法医院では精霊病に効果のある治療を行えるのだろう。
つまり、精霊に詳しい魔族がいる、というわけだ。
神話の時代の魔族の可能性が高いな。
どうするか?
母親を助けてさえしまえば、後はレイの体の魔法具を取り除くだけだ。
それにはまず母親の治療法を探る必要があるか。
いや、その前に一つ試してみよう。
「ミサ、頼みがある」
「はい。なんでしょうか?」
「レイから事情を訊き出す。特に母親のことだ。彼女の過去がわかれば、それを起源に<時間操作>が使える。時間が戻れば、病巣の特定ができなくとも治るからな。無論、しくじればお前もレイも危険にさらされるかもしれないが……?」
ミサは決意したようにうなずく。
「やってみます」
さてさて、うまく母親の話を聞きだし、<時間操作>を使えるのでしょーか?