雷をつかむ者
<渇望の災淵>が紫に染まる。
狂った幻獣に取り憑かれた狂獣部隊へ指先を伸ばし、渦巻く滅びの紫電を静かに撃ち放った。
だが――
ふむ。遅いな。
<掌魔灰燼紫滅雷火電界>は、鈍重と言っても過言ではないほどの速度で進む。
「ぐふ、ぐふふふふっ、遅えぇっ、遅すぎるぜ、なぁっ!!」
「ひゃっはーっ! 避けてくれって言っているようなものだぁっ!」
「いいやぁ、そぉれどころか! 格好のエサではなぁぁいかねぇぇっ!! 雷貝竜のぉぉっ!」
狂獣部隊の一人が合図とばかりに指を鳴らせば、唸り声を上げて、雷貝竜ジェルドヌゥラが大きく口を開く。
そいつは、遅々と進む滅びの紫電をぱくりと食らった。
「ぐふふふふふ、ぐははははははははははっ!! 雷を食らうことでジェルドヌゥラは、真の姿を発揮すぅるぅのだぁっ! 見ぃよ! 災淵世界において、大災雷の化身と謳われた恐怖の幻獣のすが――」
「ギッ、ギッ、ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォンッ……………………!!!!!」
断末魔のような叫び声が、水中に残響していた。
雷貝竜ジェルドヌゥラの巨体に紫電が走り、体の鱗貝が一つ残らず吹き飛んだ。
全身は黒こげになっており、ぐったりと水中を漂う。
その遺体の一点がチカッと紫に輝いた瞬間、体内をぶち破り、<掌魔灰燼紫滅雷火電界>が現れた。
遅すぎる紫電の魔法陣は、しかし凶暴なまでの滅びの力を内に宿し、なおも幻魔族のいる場所へ向かっていく。
「な…………」
「あ…………」
口を開けたまま、言葉に詰まったように幻魔族はその光景を見つめる。
「………………ジェルドヌゥラが……」
「……大災雷の化身が……」
「……雷に……やられ……た…………?」
ごくりと唾を飲み込み、自分たちのもとへ向かってくる滅びの紫電を、恐れおののいた表情で彼らは見つめる。
「ひゃあっはーっ、怖じ気づいてんじゃねえっ……!!」
「がばぁっ……!!」
後ろから狂獣部隊の一人が、味方を蹴り飛ばす。勢いよく弾け飛んだ三名は、滅びの紫電を体にかすめる。
その瞬間、激しい紫電が全身を襲った。
「「「があああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!!」」」
「ぎゃははははっ、すげえ、こいつはたまんねえぜぇっ! ジェルドヌゥラがやられるわけだっ!」
あっという間に黒こげになった仲間たちを見て、そいつは笑った。
見れば、他の者も狂気に染まったように薄ら笑いを浮かべている。
「ビビッてんじゃねえよ、あん? 狂え狂えっ! 笑えっ! 狂気こそ力ぁぁっ! 戦いってなぁぁ、正気に戻ったもんから死ぬんだよぉぉぉっ!!」
その幻魔族は、滅びの紫電へ突っ込んでいき、それを寸前で避けた。
「ひゃははっ、度胸試しにちょうどいいぜ、この魔法はぁっ!!」
狂気が乗り移るかのように次々と幻魔族たちが動き出す。
「遅えぇっ! 当たりっこねぇぇっ、遅すぎんぜぇぇっ……!!」
「おらおらおらぁっ! 滅ぶぜぇぇっ、当たったら滅びちまうぜぇぇっ……!!」
かすれば一瞬で滅び去ってもおかしくない滅びの紫電の、あえてぎりぎりを通り抜ける。頭のおかしい無意味な行動だったが、しかし彼らの狂気が高まれば高まるほどに、その魔力は上昇した。
「「「ひゃーはっはっはっはっはっは!!!」」」
紫の雷をやり過ごし、奴らは狂ったように笑う。
何人か度胸試しに失敗し、黒こげになっているというに、それすらも楽しんでいるかのようだった。
「ふむ」
パシッと俺は紫電をつかんだ。
「ひゃっは――は……?」
「完成度は四割強といったところか。威力はまずまずだが、こう遅くてはな」
狂獣部隊が目を見開く。
魔法に気をとられた隙に、俺は奴らを回り込み、<掌魔灰燼紫滅雷火電界>を<掌握魔手>でつかんでいた。
「いちいち投げねば当てられぬ」
つかんだ滅びの紫電を今度は投げつけてやれば、奴らの瞳がますます狂気に染まる。
目にも止まらぬ速度で紫の稲妻が疾走した。
「ひゃはーっ……! 避けろ避けろ避けろぉぉっ! 死んじまうぞぉぉぉ……!!」
「無ぅぅ駄なこぉとだよぉ。この水域で我らより速き獣は存在しなぁいぃ」
「ぐはははははははっ、当たらぬっ、当たらぬっ。これさえ、凌ぎきればよい話だぁぁっ……!!!」
瞬時に散開し、幻魔族は<掌魔灰燼紫滅雷火電界>を寸前のところで回避する。
「「「……ひゃーはっはっはっっはっはっは……!!」」」
「見ぃよぉ、当たらないぃぃ」
外れた滅びの紫電が明後日の方向へと飛んでいき、それを俺がパシッと<掌握魔手>でキャッチした。
「……ばっ……!?」
幻魔族たちが驚いたように振り向いた。
「…………追い越し……た……?」
「……だが……さっきまで……逆方向に……」
「分身……? いや、どう見ても一人だった……」
「…………いいや……。いいや、そんな馬鹿なっ……! 自分で放った魔法を……追い抜いて……自分でつかんだ……と……!? あの速度の魔法をかっ……!?」
再びゆるりと<掌握魔手>を振りかぶる。
「どうした? 正気に戻ったか、狂獣部隊」
更に増幅された<掌魔灰燼紫滅雷火電界>を先程以上の速度で投げつける。
「笑え」
奴らは全速で回避行動をとった。
「な、長くは続かぬわぁぁっっ!! ここは<渇望の災淵>っ! 奴がどれほど強かろうと、あれほどの速度で泳げば、自ずと息が上がるっ!!」
「ぎゃはははっ、樹海船へ戻るしかないってぇわけだぁぁぁっ!! 二律僭主だろうと不可侵領海だろうと、ここで呼吸はできんっ。陸の狼も、深海では小魚一匹獲れやしねえのよっ。ましてや我らに勝てるはずもなぁぁしっ!」
「溺れるまで避け続ければいいだけのことぉっ! 簡単な仕事よぉぉ。ぐふふふ、ぐははははは――っ!!」
紫電を投げては、それを追い越しパシッと受けとめる。
中央にいる幻魔族たちは狂気と悲鳴が入り交じったような叫び声を上げ、右往左往した。
「……これだけの速度……すぐに、奴の息が……!」
「そら、次だ」
三球目。ぎりぎりのところを紫電がかすめていく。
「……相当無理をしているはずだ……仮面でわからぬが、最早限界のはず……」
「くはは、遅い。もっと全力で飛べ」
四球目。受けとめた紫電を、再び投げつける。
「あと……一度、これで……」
「ああ、準備運動は終わりだな」
五球目。息も絶え絶えの体に鞭を打ち、狂獣部隊は魔力を速度に変換する。
奴らは紫電の投球を避けるため、狂気を糧に限界以上の速さで水中を飛んでいる。
全力を上回る力を出せば、消耗が激しいのが道理だ。
それでも、俺が息継ぎをする方が早いという目算だったのだろう。
<渇望の災淵>は幻魔族と幻獣の水域であり、それ以外の種族は息ができぬ。
どうやらそれは事実のようで、俺の体の調子はいつになくよかった。
ゆえに――
「……ハッ……ハッ……ハッ……!」
「ぜっ……ぜぇっ……ぜぇ……!」
「あ……う…………ぁ…………」
先に息を切らしたのは、狂獣部隊の方だった。
「……な……な、ぜだ…………?」
「……<渇望の災淵>で、これほど長く活動できる……はずが……」
「…………化け物め……」
すっかり狂気もなりを潜めた。
投げる度に速度が上がっていく<掌魔灰燼紫滅雷火電界>に音を上げ、心身ともに限界といったところか。
「二律を定める」
六球目。滅びの紫電を握りしめ、ゆるりと振りかぶる。
「お前たちが食らいたいのはこの弱めの紫電か、それとも、もっと強力な紫電か」
<掌握魔手>の度に魔法は威力を増す。
いずれ食らうのなら、早い方がまだ助かる可能性があろう。
「選べ」
そう口にして、滅びの紫電を投げつける。
一瞬、迷ったあげく、奴らは声を上げた。
「「「ひゃ……ひゃははははははは、ひゃーはっはっはっ!!!」」」
回避しようとはしない。
最後の狂気を振り絞り、狂獣部隊は反魔法に全魔力を込め、突っ込んできた。
滅びの稲妻が、その顔を目映く照らす。
「「「ひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」」」
絶叫する狂獣部隊。
目にも止まらぬ速さで放たれた<掌魔灰燼紫滅雷火電界>は奴らをすり抜け、<渇望の災淵>の底へ突っ込んでいく。
直後、耳を劈く轟音と、<渇望の災淵>を飲み込む紫電の大爆発が巻き起こった。
「「「ひぃぃぃぃぃぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!!!」」」
死屍累々。
黒こげになった狂獣部隊の体が水中を漂う。
直撃しなかったとはいえ、滅びの紫電の余波に巻き込まれ、殆どの幻魔族は戦闘不能。
かろうじて動ける者も、大した脅威にはならぬだろう。
狂獣部隊は、フォールフォーラル滅亡に関わっている可能性がある。
瀕死で生かしておけば、後はパリントンの部下と狩猟貴族たちがうまく捕らえるだろう。
「こんなところか」
しかし、底が見えぬな。
あれだけ増幅した<掌魔灰燼紫滅雷火電界>を浅層で直撃させれば、地上に影響が出る。
<渇望の災淵>の底ならば、大丈夫だろうと踏んだが、なかなかどうして想像以上だ。
滅びの紫電を受けておきながらも、この水溜まりの深淵はびくともせぬ。
どうやら小世界よりも<淵>の方が遙かに頑丈なようだな。
『アノスッ……!』
つないだ魔法線から、父さんの声が聞こえた。
なにやら焦っている様子だ。
『どうした?』
『イザベラの様子が……さっきから何度も譫言を……』
耳をすます。
すると、母さんの声が聞こえた。
『……お祖父様が……言った……わたしは……渇望から……逃れ……られない……』
『イザベラ……しっかりしろっ……大丈夫だ。俺がついてるからなっ……!』
パリントンがつないだ<赤糸>が、父さんの声を伝えていく。
反対に母さんの脳裏によぎる過去が<赤糸>を伝って俺たちに押し寄せた――
蘇るのは、あの過去の続き――




