一暴れ
<渇望の災淵>。
そのどでかい水たまりの中、樹海船アイオネイリアは水底へ進路をとり、潜水していく。
水面よりも内部は大きく、巨大な樹海を丸ごと飲み込んで、なおも広々としている。
潜れば潜るほど水は濁り、魔力場は荒れ狂う。
樹海船から俺は、魔眼を向けた。
その水の深淵を覗けば、不気味な声が反響した。
欲しい――
足りない――
もっと――
渇く、渇く、渇く――
「ふむ。渇望が溶けて混ざった水か」
銀水聖海中の渇望が<淵>であるイーヴェゼイノに集い、雨となって降り注いでは、この水溜まりに沈んでいる。
まだ浅層にもかかわらず、幻獣どもの声は呪詛のように頭に響く。
抵抗力の弱い者は、ここに来ただけでも気が触れるだろう。
深層には果たして、どれほどの渇望が溜っているのか。
もっとも今の目的は、そこではないがな。
「パリントン。<渇望の災淵>に、幻獣機関の研究塔があるのだったな?」
火山地帯から離れ、こちらへ向かっているパリントンへ<思念通信>を飛ばす。
『その通りである。雷貝竜ジェルドヌゥラの貝殻で作られた施設だ。巨大なため、一目でわかるだろう』
視線を下層へ向ければ、そこに無数の棘がついた巨大な貝殻が見えた。
あれか。
縦に長く、貝殻は塔のように水底へ向かって伸びている。
『入り口は一つ。それが開くのは、雷貝竜ジェルドヌゥラが餌を捕食するために貝殻から飛び出してくるときのみである』
貝の口が入り口か。
授肉した幻獣を、そのまま研究塔に使っているのだろう。
「それはまた不便そうだな」
『ドミニクが研究塔から出るのは一〇〇年に一度あるかないかである。不都合はないのだ』
雷貝竜ジェルドヌゥラは、幻獣研究の邪魔をされぬためのもの。
あの中ですべてが事足りるのなら、確かに滅多に入り口が開かずとも問題はない。
いざとなれば餌を用意して、開ければよいわけだからな。
『上手くジェルドヌゥラを誘き出し、その隙に研究塔へ忍び込む他ないのである。姿を見られるわけにはいかぬ以上、真っ向からやり合うのは得策ではない』
「なに、どうやら二律僭主の船は<渇望の災淵>の底を目指しているようだ。幻獣機関は応戦するだろう。奴が一暴れするなら、その隙に中へ入る。お前たちも早く来い。機を逸するぞ」
『急ぎ、向かっている』
<思念通信>を切る。
踏みしめた樹海の大地へ魔力を送れば、アイオネイリアの木々が魔法陣の形へと変化した。
この船の砲門だ。
「<覇弾炎魔熾重砲>」
巨大な樹木の魔法陣から蒼き恒星が姿を現す。
それは光の尾を引いて、水中を突き進み、幻獣機関の研究塔に着弾した。
派手な振動を巻き起こすも、貝殻の研究塔は無傷。
一瞬ついた炎もすぐに消えた。
「なかなかどうして頑丈なことだ」
次々とアイオネイリアの砲門を開いていき、<覇弾炎魔熾重砲>を連射する。
けたたましい音を響かせながら、研究塔は激しく揺さぶられる。いかに堅かろうと、弱点に魔法砲撃を集中すれば、いずれ穴は空くものだ。
狙いは、貝の口。
開け閉めができるのなら、他よりも脆いのが道理だ。
俺はそこへ、蒼き恒星を撃って、撃って、撃ちまくった。
蒼き恒星が幾度となく爆ぜ、貝殻に亀裂が入り始める。貝の口に隙間ができかけたその瞬間、耳を劈くほどの咆吼が水中を伝播した。
巨大な貝の口がぱっくりと開き、そこから勢いよく飛び出してきたのは、ひたすらに長く、貝殻のような鱗を持った竜である。
雷貝竜ジェルドヌゥラは、その顎を開くと、バチバチと激しく放電する。
激しい雷のブレスが樹海船アイオネイリアに直撃した。
だが、あちらの貝殻同様、この船の結界はそうそう破れぬ。
『応答しなさい、二律僭主』
樹海船の内部へ<思念通信>が響いた。
貝殻の研究塔の中から、幻獣機関の兵士たちが続々と水中に飛び出してきている。
皆、雷貝竜の鱗そっくりな、貝殻の白衣を身につけていた。
『我々はイーヴェゼイノ幻獣機関、所長ドミニク直轄の狂獣部隊。警告します。ただちにイーヴェゼイノから立ち去りなさい。速やかに船を浮上させなかった場合、狂った渇望があなたを飲み込むこととなりましょう』
狂獣部隊。バルツァロンドの話では、フォールフォーラル滅亡に関わっている可能性が高いということだったな。
いかに不可侵領海といえど、イーヴェゼイノの中枢である<渇望の災淵>までやってきては、放っておくわけにもいかぬだろう。
最大戦力を投入したといったところか。
『父さん』
樹海船の中、母さんを抱き抱える父さんへ<思念通信>を送りつつ、俺は地面を蹴った。
『一暴れしてくる』
『お、おうっ! イザベラのことは任せろっ!』
樹海船から飛び上がり、俺は一番高い木の上に乗った。
二律僭主に扮するため、顔にはアヴォスの仮面をつけ、外套を身に纏っている。
船の中は枝葉の結界で隠れ、見通せぬ。
もっとも、奴らは俺から魔眼を離せぬだろうがな。
その証拠とばかりに、姿を曝した途端、狂獣部隊の視線がこの身に釘付けになっている。
奴らの背後では雷貝竜が凶暴な雷を鱗に走らせていた。
できる限り穏便に潜入する手もあったが、今回は急ぎだ。可能な限り奴らの戦力を引きつけ、徹底的に叩いてやった方が早く済む。
ついでにロンクルスとの約束も果たせることだしな。
「……二律僭主からの応答なし。只今より当該不可侵領海を敵と認定、狂獣部隊の総力をもって排除します……!」
数十名の幻魔族たちが、魔力を全開にし臨戦態勢に移行する。
が、思ったよりも弱い。
この程度では――
「ここは<渇望の災淵>、雷貝竜ジェルドヌゥラがあ……る……限……り……が、がが……!!!」
ふむ。なんだ?
奴らの様子がおかしい。
目が血走り、筋肉は怒張して、その形相が悪鬼のように豹変している。
魔力が、数段跳ね上がった。
「殺す……殺してやる……!」
「ああぁ、あぁ、あぁぁぁぁ……死ねっ…! 早く死ねぇぇぇっ……!」
「ひゃーはーっっっ!! 不可侵領海だかなんだか知らねえが、のこのこおいでなすったぜ、よそもんがっ」
「二律僭主を滅ぼしてやりゃ、俺が不可侵領海だっ!」
「俺の獲物だ! 手を出すなっ!!」
「馬鹿め馬鹿め。ここは我らの領域ぞっ! この<渇望の災淵>は、幻獣と幻魔族以外の生物には、水災そのものなのだっ……!!」
性格まで豹変したな。それも全員。
理性が消え、欲望に染め上げられたといった具合だ。
狂獣部隊の所以というわけか。
「ぐふ、ぐふふはははは……!!」
幻魔族たちが俺めがけて突っ込んでくる。
その数、十五名。
「ぐへへへへ――がっ……!?」
飛び込んできた幻魔族全員が真っ二つに切断されていた。
「……な…………ん、だ…………?」
奴らの魔眼に、二律剣は見えていない。
正体が知られぬように、<変幻自在>にて透明化しているのだ。
もっとも、透明化していなかったところで、外套の中の剣を抜いたのが見えたかどうか?
「ふむ。仲間の死を見て、足を止める程度の理性は残っているようだな」
残りの幻魔族たちは、見えぬ二律剣を警戒するように俺から距離を取ったままだ。
「ぎゃははははははっっ! こいつは強えっ! 面白え獲物だぁぁっ!! 最高じゃねえのっ……!!」
雷貝竜が唸り声を上げ、その全身から放電した。それは幻魔族たちの魔剣に絡みつき、バチバチと音を立てて帯電する。
「「「<災雷落撃>ァァァッッッ!」」」
魔剣という魔剣から放たれた無数の災雷が俺を襲う。
大きく飛び退いてそれを避け、奴らめがけて魔法陣を描いた。
「<覇弾炎魔熾重砲>」
密集する幻獣部隊へ、蒼き恒星を撃ち放つ。
一人に着弾すれば、爆発する勢いで炎が燃え広がった。
だが、無傷だ。
後ろにいる雷貝竜、あれが奇妙な魔力場を作りだしている。
「教えてやろうかぁねぇ? 雷貝竜ジェルドヌゥラの水域では、雷属性の魔法は強化されるが、それ以外は弱体化するぅ」
そも得意げに、狂獣部隊の一人が言う。
あたかも顕示欲を満たすかのようだ。
「こんな風にぃぃぃっ!!」
俺を取り囲むように散らばり、狂獣部隊は魔剣を突き出す。
「「「ひゃっほぅーっ! <災雷落撃>ァァァッッッ!」」」
「焼け、焼けぇぇっ」
「消し炭にしちまえっ、ひゃはははっ!」
かわす隙もないほどの災雷が俺を襲う。
右手をゆるりと動かし、魔法陣を描いた。
「<掌握魔手>」
夕闇に染まった右手で、すべての災雷を受けとめ、ぐっと握り締める。
増幅した<災雷落撃>を、奴らに向かって投げ返した。
「おうおう、返ってきやがったぜぇっ、こいつはすげぇっ……!」
「ひゃあっはっーっ!!」
威力の上がった災雷を、奴らはいとも容易く弾き飛ばした。
「効かなぁいねぇぇ。雷貝竜の鱗貝は雷を通さないぃ。どういうことかぁ、わぁーかるかねぇ?」
再び、幻魔族の一人が顕示欲を剥き出しにする。
「接近しない限り、きぃみに我々を倒すのは不可能ということなぁのだよぉ、二律僭主くん」
奴らの鎧はすべて、雷貝竜の鱗で作られているようだな。
雷以外が弱体化する水域だ。
雷属性魔法の対策をするのは万全というわけだ。
「面白い。ちょうど一つ、試したかったところだ」
俺はまっすぐ前へ突っ込み、幻魔族を素手でなぎ倒す。
「ぬ……がぁっ……!」
「はっはーっ、逃げられると思ってんのかがべぇぇぇっ……!」
追ってきた幻魔族を足蹴にして吹っ飛ばす。
「逃げると思っているのか」
包囲網を破ったのは、奴ら全員を射程に入れるため。
俺は指先から紫電を放ち、球体魔法陣を描く。
我が父、セリス・ヴォルディゴードが有する滅びの魔法。球体魔法陣を手の平で圧縮するこの術式は、恐らくこれと相性がいい。
「<掌握魔手>」
夕闇に染まった右手で、紫電の球体魔法陣を握り締める。
紫の稲妻が膨れあがり、激しい雷光を周囲に撒き散らした。
<掌握魔手>で増幅されながら、手の平の中で荒れ狂い膨れあがろうとする紫電を、無理矢理に押さえつけ、凝縮していく。
手を天に掲げれば、溢れた紫電が一〇の魔法陣を描く。
それらから紫電が走り、魔法陣と魔法陣をつなげ、一つの巨大な魔法陣を構築した。
<掌握魔手>、そして他の深層魔法の術式を組み込んだ、深き滅びの紫電――
「<掌魔灰燼紫滅雷火電界>」
放たれる紫電の新魔法――




