邪道の射手
「……ふん……エヴァンスマナの剣身か……」
左腕を失いながらも、ボボンガは冷静に言った。
魔王列車の屋根の上、レイの眼光が鋭く彼に突き刺さっている。
「アーツェノンの滅びの獅子を狩るために鍛えられたハイフォリアの聖剣。狩猟貴族ではない貴様が、なぜ持っているか知らんが――」
突きつけられたエヴァンスマナをまるで意にも介さず、ボボンガは無造作に動く。
「――それで、兄弟が倒せたか!」
奴は大口を開け、そこに魔法陣を描く。
黒緑の炎が溢れ出し、唸りを上げた。
「<災炎業火灼熱――がっ……!!」
放たれつつあった火炎ごと、レイは霊神人剣にてボボンガの口を貫いた。
射出寸前の魔法がその場で爆炎を撒き散らし、ボボンガの全身を包み込む。
「アノスが倒せなかったら、なんだい?」
ボボンガは霊神人剣に口を串刺しにされたまま、己の魔法に身を焼かれ続ける。
身動きの取れぬその状態で、しかし狂ったような笑みを見せた。
「皆まで言わねばわからんか。アーツェノンの滅びの獅子は、そんなものには負けぬということだっ……!!」
黒き粒子が、ボボンガの全身に集う。
「ふっ……!」
レイは霊神人剣を真っ直ぐ下へ斬り落とす。
喉を裂き、体を裂き、その神々しい刃がボボンガの根源を斬り裂こうとした瞬間、どっと黒緑の血が噴出した。
それが魔王列車にふりかかれば、<魔固聖煙不動歯車城>の装甲を瞬く間に腐食させた。
魔王の血に酷似している。
『滅びの獅子が本性を現す。右腕に気をつけるのだ』
バルツァロンドの言葉がレイの耳に届く。
その次の瞬間、ボボンガの右腕の切断面に禍々しい魔法陣が描かれた。
斬り裂いた奴の体から黒き粒子が立ち上り、みるみる傷口が塞がっていく。
「狩人の聖剣を持ったぐらいで粋がるなぁっ……!!」
黒き異形の右腕が、生えた。
通常の二倍ほどの長さがあるその腕は、まるで滅びを凝縮したかのように凄まじい魔力を放ち、レイの体めがけて横から猛然と薙ぎ払われた。
バルツァロンドの指示を聞いていたレイは、予想通りとばかりに霊神人剣を引き、大きく飛び退く。
空を切った異形の右腕は、車両の屋根にかする。その滅びの力が屋根を根こそぎ吹き飛ばした。
貨物室だ。
魔王学院の保有する火露の一部が舞い上がり、この空域に散らばっていく。
「<災淵黒獄反撥魔弾>」
ここぞとばかりに災亀から単身飛んできたコーストリアが、レイと魔王列車めがけて、無数の魔弾を撃ち放つ。
「ふっ……!」
彼はそれを霊神人剣で斬り裂いていく。
その隙にボボンガは貨物室に降り立った。
中には防備につく生徒数名がいた。
「マジかよ……このバケモン……」
「……<魔固聖煙不動歯車城>だぞ…………死ぬ気で練習したってのに……」
顔面を蒼白にしながらも、彼らはボボンガと対峙する。異形の右腕が触れれば、一瞬にして滅び去ってもおかしくはない。
「雑魚め。貧弱極まりない」
容赦なくボボンガは距離を詰めていく。
「<憑依召喚>――」
声が響いた瞬間、ボボンガは足を止めた。
ついさっきまでは、そこには著しく魔力の劣る者しかいなかった。
だが、突如、一人の魔力が急激に跳ね上がったのだ。
「――<融合神>!」
「貴様からだ。死ね、女」
反転すると、ボボンガはナーヤに向かって猛突進し、黒き右腕を振り上げた。
『カカカッ、狙え狙え、外せば、死ぬぞっ!』
<知識の杖>がカタカタと喋る。
「<重渦>ッ!」
ナーヤが狙ったのは、ボボンガの右腕から一番遠い左足。空間が捻れ、重さを伴う渦が奴の足を巻き込んでいく。
圧し潰れはしない。僅かに傷をつけることさえない。しかしボボンガは足をとられ、体勢を崩す。そのまま振り下ろされた異形の右腕は、壁を粉々に打ち砕き、無残に破壊した。
「きゃあぁっ……!!」
どうにか寸前でかわしたナーヤだったが、巻き起こった余波で体をズタズタにされる。
「足を引っかけたからどうした? 二度目はないぞ、女。ひねり潰してくれるわっ!!」
<重渦>を力尽くで振り払い、ボボンガが前進しようとした瞬間、目の前に<血界門>が現れた。
「こんな脆弱な門がどうしたっ……!!」
異形の右腕を猛然と振り上げ、ボボンガは<血界門>を破壊しようとする。だが、勢いよく門が開き、その拳は空振った。
「馬鹿力の持ち主と戦うのは慣れたものよ」
勢い余りボボンガが門に一歩を踏み込む。その先には転移してきた冥王がいた。<血界門>が発動し、ボボンガの体は魔王列車の外に飛ばされた。
「行ったぞ、カノン」
空に強制転移されたボボンガの背後に、まるで計算尽くとばかりにレイが迫っていた。
「お早いお帰りだね」
「抜かすなぁっ……!!」
くるりと反転した勢いでボボンガは裏拳を放つ。レイはそれを冷静にくぐって、霊神人剣を突き出した。
「はぁっ……!!」
ボボンガの根源に霊神人剣が突き刺さり、黒緑の血が溢れ出る。剣先を腐食させようと、血の魔力が猛威を振るう。それを斬り裂かんとエヴァンスマナが白々とした光を放ち、鬩ぎ合う両者は白と黒の粒子を撒き散らした。
レイはその魔眼で、ボボンガの根源の深淵を覗く。
「不可解といった顔だな、狩人モドキ。霊神人剣で、不完全な獅子の血を封じきれぬのが、そんなに不思議か?」
異形の右腕が僅かに動く。
根源を刺され、弱ってはいるものの、俺に対するより遙かに霊神人剣の効果が薄い。
「獅子の腕は一本、授肉もしていない。兄弟よりも不完全だが、その分、滅びの獅子の特性が弱い。今の己たちには、その錆びた剣は大した弱点ではないわぁっ!!」
振り下ろされた黒き異形の右腕を、レイは霊神人剣で受けとめ、弾き飛ばした。
「ぐぅっ……!」
「これだけ効けば十分だよ」
返す刀で霊神人剣を肩口に振り下ろす。
だが、突如ボボンガは消え、その刃は代わりに小さな人形を斬り裂いた。
「変なことを偉そうに言わないで。それ、自慢じゃない」
空に浮くコーストリアが苦言を呈する。
隣にボボンガが浮いていた。
<災禍相似入替>で入れ替えたのだ。
「事実だろう。お前は、完全体が嫌いなんだから、別に構わんはずだ」
「だからって、中途半端な今の体が好きなわけじゃない」
アーツェノンの滅びの獅子は二人並び、全身から黒き粒子を立ち上らせる。
「あいつはなんで出て来ないの?」
「僕たちだけで十分だからじゃないかい?」
さらりとレイが嘘をつく。
ムッとしたようにコーストリアが言った。
「ナーガ姉様」
今の交戦の最中、巨大な岩の亀が魔王列車と距離を詰めていた。
甲羅の上には、車椅子に乗ったナーガの姿がある。
「炙り出して」
「嫌に決まってるでしょ。手を抜いてるならそれでけっこう。アノスが出るより先に火露を回収して終わらせるわ」
邪火山から噴出されていた無数の岩石が、吸い寄せられるように災亀の周囲に集う。
ナーガの足元に黒い水たまりができていた。彼女の魔力だ。ナーガはそれを手ですくいあげて、宙に魔法陣を描いた。
「<幻獣共鳴邪火山隕石>」
ギィン、ギィン、と災亀ゼーヴァドローンと邪火山ゲルドヘイヴが共鳴する。
無数の火山岩石が黒緑に染まったかと思えば、魔王列車めがけて一斉に落下を始めた。
『船の高度を下げてはならない。あの隕石魔法は、落ちれば落ちるほど威力が高まる。手数重視で、早めに撃ち落とすのだ!』
素早くバルツァロンドが指示を出す。
レイが<聖域熾光砲>を乱射し、イージェスは<次元衝>を放ち、降り注ぐ黒緑の岩石を撃ち落としていく。
「<複製魔法鏡>……です……!」
ゼシアが魔法の合わせ鏡を作り、レイの<聖域熾光砲>を次々と複製した。
「照準よしっ」
「連射重視で、発射発射ーっ!」
ファンユニオンの少女たちは、魔王列車の全歯車砲から<断裂欠損歯車>を連射し始めた。
サーシャは<破滅の魔眼>で、火山一帯を視界に収め、噴出する火山岩石を粉砕しては、ナーガへの弾の供給を断っている。
「そちらに構ってる場合か、狩人モドキ」
<幻獣共鳴邪火山隕石>の隙間をかいくぐり、ボボンガが異形の右腕をレイに振るう。
霊神人剣でそれを受けとめるも、その間は落ちてくる岩石を落とせない。
「<災淵黒獄反撥魔弾>」
だめ押しとばかりに、コーストリアは回転する傘から六発の魔弾を放った。
それは降り注ぐ無数の<幻獣共鳴邪火山隕石>の間を何度も何度も反射し、みるみる魔力と勢いを増幅させていく。
並の魔法では撃ち落とせぬ上、速い。
エレオノールの<聖域白煙結界>なら防ぎようもあるが、恐らくその瞬間を狙って、<災禍相似入替>で魔法を入れ替えてくるはずだ。
かといって距離をとるため高度を下げれば、<幻獣共鳴邪火山隕石>の餌食となろう。
「砲撃の手は増やせまいかっ? <災淵黒獄反撥魔弾>を落さねば、押し込まれる」
バルツァロンドが砲塔室へ言うと、砲撃を続けながらファンユニオンたちが応答した。
「カナッちもミサもいないから、これが限界」
「<古木斬轢車輪>で落とすしか……!」
「照準、もっと右」
「了解!」
「違う左っ! だめ、やっぱり右っ」
「速すぎるよっ……!」
少しずつ少しずつ、魔王列車は下降を余儀なくされる。
だが、下がれば下がるほど<幻獣共鳴邪火山隕石>は加速し、その威力を増す。
このままでは、撃ち落とせなくなるだろう。
「ええいっ! ならば、私がやるまでだ!」
魔眼室にて、バルツァロンドは背負っていた弓を手にした。
「イージェスとサーシャに任せよ。魔王列車に乗っていることを知られるぞ」
「なんの、このバルツァロンドにとって弓は邪道の技。聖剣世界の秩序に反するため、訓練でも見せたことはなく、知る者は最早一人とていない」
言うや否や、奴は予備動作すら見せず、すでに赤い矢を放っていた。
それは魔王列車の装甲を透過し、目にも止まらぬ速度で<災淵黒獄反撥魔弾>を射抜いた。
中心を貫かれたその魔弾はどこへ反射することもなく、その場で爆発した。
「この……よくも……」
コーストリアが苛立ちをあらわにした瞬間、残り五つの魔弾が赤い矢に貫かれ、同時に爆発する。
それに巻き込まれ、降り注ぐ岩石も粉々に砕け散った。
「……聖なる魔力と矢……? 号外には載ってなかった……」
「そこだ」
コーストリアが思考を巡らせた一瞬の隙をつき、放たれた赤い矢が疾走した。
全速の<飛行>にて、彼女はそれをかろうじてかわす。
「外れ」
空域を疾走する魔王列車を追いかけ、コーストリアは魔眼室に照準を定める。
「誰か知らないけど、死んじゃえ――」
日傘に魔力が集中する。
瞬間、地面の一点が輝き、日傘の魔力が霧散した。
赤い光に彼女は貫かれていた。
黒緑の血が肩に滲んだ。
「……な、に…………?」
「外れだと? 獣如きがよく言ったものだ」
魔眼室にて、バルツァロンドは一人呟く。
コーストリアに刺さったのは、一度かわしたはずのバルツァロンドの矢。
<幻獣共鳴邪火山隕石>と同じ性質で、遠くへ行けば行くほどに加速する矢が、空を越え、黒穹を越え、災淵世界を一周して大地をすり抜け、コーストリアを射抜いたのだ。
「このバルツァロンド、世界の果てだろうと、的を外したことなどありはしない」
必中の矢が獅子を射貫く――