二神編成
その瞬間、災亀ゼーヴァドローンの魔眼が<渇望の災淵>に突っ込んだ樹海船アイオネイリアに釘づけられたのがわかった。
裁定神オットルルーも、不可侵領海の闖入に最大限の警戒を示し、注意深くその深淵を覗こうとしている。
彼女たちの魔眼が、魔王列車から完全に離れた。
「行け」
俺の言葉よりも先に、動き出していたのは暗殺偶人を操る軍師レコル。次いで、パリントンと狩猟貴族の二人が行動を起こした。
彼らは暗殺偶人の<変幻自在>にて透明化すると、最後尾の射出室から飛び出した。
邪火山ゲルドヘイヴに降り立ち、すぐさま駆け出す。四人はみるみる内に序列戦の舞台から離れていく。
『アノス。お前の本体はどこにいる?』
パリントンから<思念通信>が届く。
この体は、彼に作ってもらった魔法人形だ。
人型学会の人形皇子と呼ばれるだけあり、人体と見分けがつかぬほど精巧だ。今、<思念平行憑依>で動かしている俺でさえ、人形を操っている気がまるでしない。
エレオノールに疑似根源も入れてもらっており、魔眼に優れた者でも時間をかけねばそうそう見抜けまい。オットルルーも気がつくことはなかった。
「すでに<渇望の災淵>に到着した。アイオネイリアの降下にまぎれてな」
正確には、アイオネイリアを操縦しているのが俺の本体だ。
父さんと母さんもこちらに乗せてある。
『……やはり、あれはお前が図ったことなのか……?』
パリントンが疑問を投げかける。
次いで、機関室にいるバルツァロンドが口を開いた。
「二律僭主をどうやって誘い出した?」
「お前を助けた際に球遊びをしてな。奴もイーヴェゼイノに用があるというので、情報を流した。パブロヘタラに敵対する不可侵領海がやってくれば、否が応でも奴らはそちらの対応に追われる」
その分、研究塔へ潜入するパリントンたちが動きやすい。
「逆に私たちの障害になるかもしれない。災人イザークが目覚める危険もあるぞ」
「わざわざイーヴェゼイノに来たのだから、二律僭主の目的は俺たちではない。上手く囮に使え、パリントン。災人イザークが目覚めるなら、研究塔はそちらに人員を割かれる。潜入しやすくなるというものだ」
結果、起きるにせよ、この程度ではまだ可能性は低いだろう。
起きたとて対処のしようがある。
でなければ、ナーガも序列戦を続けるとは言うまい。
『……確かに好都合と言えば好都合である。姉様の容態を回復させるのが最優先、この混乱に乗じて、速やかに研究塔へ潜入する』
パリントンがそう言った。
直後、別の<思念通信>が届く。
『元首アノス、元首代理ナーガ。オットルルーは提案します』
上空にて、裁定神は<渇望の災淵>へ沈んでいった樹海船アイオネイリアを注視し続けている。
『災淵世界に侵入した船は、二律僭主が有する樹海船アイオネイリアです。パブロヘタラ学院条約第四条、不可侵領海への対処は聖上六学院の元首及び主神が行うと規定がありますが、イーヴェゼイノはその両者ともに眠っています』
起きていたところで、パブロヘタラの条約に従うとも思えぬがな。
なにせ、気まぐれに世界を一つ容易く滅ぼす災人だ。
ともあれ、これでパリントンがイーヴェゼイノへ来る口実ができた。
今すぐ姿を現すのは不自然だが、ゼリドヘヴヌスに乗ってきたことにすれば、そこからは動きやすくなる。
『ここは幻獣機関、魔王学院、双方の力を合わせての対処が望ましいです。銀水序列戦の<裁定契約>を破棄するため、同意を願います』
「構わぬ」
当然、パブロヘタラとしてはそう判断せざるを得まい。
まずは外敵への対処が最優先だ。
そうなれば、二律僭主を排除するまでは堂々と災淵世界にいられる。
そして、二律僭主が見つかることはない。
仮面を外せばいいわけだからな。
俺は二律僭主を捜すフリをして、堂々と動くことができる。
イーヴェゼイノが同意するなら、少ない戦力で銀水序列戦を行う必要もなくなるのだが――
『幻獣機関は反対ね。イーヴェゼイノを自由に動き回られてもいい迷惑』
ナーガからそう<思念通信>が飛んできた。
そうそう都合良くは回らぬか。
二律僭主を捜すフリをして、俺がドミニクに接触すると考えるのは当然だ。
ナーガからすれば、俺も二律僭主も、早々にイーヴェゼイノから追い出したい邪魔者に違いはない。
『魔王学院が退くなら、イーヴェゼイノだけで対処するけど?』
「退いてやっても構わぬぞ。お前の負けでいいならな」
『要求が飲めないのはわかってるわよね?』
<裁定契約>では、銀水序列戦に魔王学院が勝利すれば、ドミニクのもとへ案内してもらうことになっている。
ナーガが承服できるはずもない。
「あいにくとこちらも時間がない。二律僭主は第七エレネシアの一部を領土にするような輩だ。追い払うのを待っていれば、何年かかるかわからぬ」
『そう言うと思ったわよ』
特に困った風でもなく、ナーガは言った。
『オットルルー。<裁定契約>は破棄しない。このまま銀水序列戦を続行する。二律僭主は、幻獣機関の所長ドミニクが対処を行うわ』
『承知しました。両学院の意向を優先し、他の聖上六学院へ応援を求めます。聖剣世界ハイフォリアよりすでに回答がありました。聖王レブラハルド率いる狩猟義塾院がイーヴェゼイノ到着まで凡そ一時間の予定です』
不可侵領海が闖入してきた状況で銀水序列戦を続行するのは賢い判断とは言いがたいが、オットルルーは自らの秩序に従い、ルール通りに振る舞うしかないのだろうな。
しかし、一時間か。思ったより早い。
偶然近くにいたか。
それとも、イーヴェゼイノでなにかが起きるだろうと踏んでいたか?
ハイフォリアが来るまでに事を終えねば、面倒な事態になりかねぬな。
『応援はいらないわね。イーヴェゼイノのことは、あたしたちが対処するから』
『要求は却下されます。パブロヘタラ学院条約第四条より、不可侵領海に関しては、聖上六学院は他の小世界へ介入する権利を有します』
パブロヘタラは法に厳格だ。
拒否するには、学院同盟から脱退する以外にないだろう。
『相変わらず、融通が利かないのね。わかった。だったら、一時間以内に魔王学院を片付けて、二律僭主を追い払ってあげるわよ。それなら文句ないでしょ』
ふむ。大きく出たな。
『かかってらっしゃい、アノス。泡沫世界で育ったあなたに、滅びの獅子の戦い方を教えてあげる』
巨大な岩の亀、ゼーヴァドローンの魔眼が光り、その視線が魔王列車に降り注ぐ。
まるで獲物を補足したかのように、災亀はゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「カカカカカッ!」
エールドメードの笑い声とともに、魔王列車が急上昇し、災亀へ向かって接近を始めた。
「面白いではないかっ!! 是非、ご教授願いたいものだ、その戦い方とやらをっ!! 果たして、魔王の力になるものかどうか、この熾死王が確かめてやろうっ!」
『お呼びじゃない』
災亀の甲羅にコーストリアが姿を現す。
彼女は日傘を広げ、そこに魔法陣を描いた。
「エンネちゃん」
「うんっ!」
魔王列車の結界室では、素早くエレオノールがエンネスオーネと魔法線をつなげ、<根源降誕母胎>を行使していた。
コウノトリの羽根が舞い、彼女の魔力が際限なく増幅していく。
「結界を張ってはならない」
バルツァロンドが忠告する。
戦局が見えるようにと彼は魔眼室へ移動していた。
「コーストリアは<災禍相似入替>を使う。属性が同じ、形が同じといった具合に、相似関係にあるものの位置を入れ替えるのだ。相似か否かは奴の主観によるところが大きい。結界を張った途端、攻撃魔法と交換されてしまう」
コーストリアは黒き粒子を日傘の魔法陣に溜めながら、こちらに顔を向けている。
先に仕掛けてこないのは、バルツァロンドが言う通りの狙いだからだろう。
「でも、<聖域白煙結界>なしに食らったら、そんなに長くもたないぞ?」
「列車自体を強固にするといい。同一の物体と見なせるものを切り離しての入れ替えはできない」
「ボクの創造魔法は、人体以外はいまいちだぞ。ミーシャちゃんかファリスがいればよかったんだけど、ミサちゃんまでいないし――わぁっ……!」
魔王列車がガタンッと揺れる。
火口から噴出された火山岩塊が、車体に当たったのだ。
さすがにそれだけで損傷はないが――
「カカカカ、迷っている暇はないぞ、魔王の魔法。あれを見たまえ」
無数の火山岩塊とマグマが、災亀の周囲に集まり、魔王列車に狙いを定めている。
先程直撃した岩も、あの幻獣が操ったものだろう。
「予習は済ませたではないか! さあさあ、やるぞ! 第一連結歯車を絵画に接続したまえ」
「りょ、了解! 第一連結歯車を絵画へ!」
メイティレンの絵画に歯車が描かれる。
火室が開けば、ごうごうと燃えるその場所にも歯車が現れていた。
「合体、接続――」
メイティレンの絵画をひょいと手にして、エールドメードは火室の前に立つ。
「連結だぁぁぁっ!」
絵画が火室に放り込まれる。
激しい炎に包まれながら、絵の中の歯車と火室の歯車が魔法のように噛み合った。
「カカカカ、缶焚き、火夫、全力で石炭をぶち込みたまえ。バランディアスのときのよりも骨が折れるぞ」
愉快そうなエールドメードの命令に従い、缶焚き、火夫の二人は全力で投炭していく。
「ちっきしょう……! こないだだって倒れたっていうのに……!!」
「喋ってる暇があったらぶち込めっ!! 燃やせぇぇっ!! あんな岩石まともに食らったらひとたまりもねえぞっ……!」
火室が勢いよく燃え上がり、炎に包まれた歯車がゆっくりと回り始める。
煙突からもうもうと黒煙が立ち上り、魔王列車の二両目を包み込む。
その車体に城の紋章が刻まれた。
「魔王列車、二神連結完了!」
ぐんと加速した魔王列車は、災亀から放たれた火山岩塊とマグマの隙間を縫うように走っていく。
直後、先頭車両の目の前にばっと巨大な火山岩塊が出現した。
コーストリアが<災禍相似入替>で小さな石と巨大な火山岩塊を入れ替えたのだ。
「いっくぞぉぉ……!!」
「「えいえいおー」」
コウノトリの羽根を舞わせながら、エレオノールが魔力を送る。
「<魔固聖煙不動歯車城>!!」
煙突から溢れ出た白煙が魔王列車全体を包み込み、その装甲が堅固に創り変えられていく。
車体は分厚く、城を連想させるフォルムと化した。
王虎メイティレンが有する築城の権能を使ったのだ。
ダッガァァァァンッと派手な音を轟かせ、先頭車両にぶつかった火山岩塊が真っ二つに割れた。
魔王列車には傷一つついていない。
「残念」
災亀の上で、コーストリアが静かに言った。
割れた火山岩塊の内部から、小さな人形が出てきて、宙を漂う。
それには片腕がなかった。
「<災禍相似入替>」
小さな人形が姿を消し、入れ替わるように現れたのが隻腕の男、ボボンガだ。
「出てこい、兄弟。こんな鉄屑では己の相手にならん」
黒き粒子が男の隻腕に集い、大気を震わす。
ミリティア世界でやり合ったときとは比べものにならぬ魔力だ。浅層世界を壊さぬよう、手加減していたのだろう。
「<根源戮殺>ッッッ!!!」
魔王列車の上部に乗り、ボボンガは漆黒に染まった拳を車体に思いきり叩きつけた。
破片が周囲に弾け飛び、<魔固聖煙不動歯車城>の装甲が大きく歪む。
瞬間、車体の内側から真白に輝く剣先が装甲を突き破ってきた。
「……ぬっ……が、ぁ……!!」
ボボンガの隻腕が、いとも容易く斬り落とされ、火山へ落ちていく。
「そう来るだろうと思っていたよ」
またしても、バルツァロンドの読み通りである。
魔王列車から現れたレイが、腕をなくしたボボンガに霊神人剣を突きつけた。
滅びの獅子を滅ぼす聖剣――