降下する船
翌日――
銀水聖海に銀灯のレールを敷き、魔王列車は前進していた。
目的地は災淵世界イーヴェゼイノだ。
機関室後方にて、オットルルーは言った。
「災淵世界の暗雲に入ります。これより先は、オットルルーが先導します」
彼女はまっすぐ機関室の扉へ向かう。
振り返ることなく、エールドメードが口を開く。
「機関室、扉の施錠を外したまえ」
「了解。施錠解除。完了しました」
オットルルーは扉を開け、迷いなく銀海へ身を投げた。
そのまま生身で飛ぶのかと思えば、彼女は銀水に飲み込まれるように沈んでいく。
すると、彼方に青い影が見えた。
それはとてつもない速さで近づいてきて、巨体をあらわにする。
銀海クジラだ。
オットルルーを乗せると、背中から噴出された青い泡が彼女を包み込み、結界と化した。
ほどなくして、目の前の銀水が黒く濁り始める。
銀灯の明かりさえも闇に飲まれ、視界は殆どない。
銀海クジラはぐんと加速して、その闇の海中へ入っていく。
体表の青い輝きを目印とし、魔王列車は銀灯のレールを延ばした。
『アノス』
銀灯のレールを通じて、ミリティア世界から<思念通信>が届いた。
声の主はミーシャだ。
『セリスとルナの痕跡を見つけた』
思ったよりも難航したが、備えの一つにはなりそうか。
「こちらはこれから銀水序列戦だ。イーヴェゼイノまで来い。パリントンの<赤糸>で母さんの容態は一応落ち着いてはいるが、まだ予断を許さぬ」
『それでは美しく、ゼリドヘヴヌスの最速をもって馳せ参じましょう』
ファリスの声が響く。
ゼリドヘヴヌスの全速ならば、ここまでそれほど時間はかからぬはずだ。
とはいえ、さすがに銀水序列戦の開始には間に合うまい。
出発前にはわかっていたことだがな。
『序列戦は平気?』
「なに、いざとなれば、俺抜きでもイーヴェゼイノを潰せる」
「無茶言わないでよね……」
機関室にいるサーシャがぼやくように言った。
『急ぐから。待ってて』
ミーシャがそう言った後、<思念通信>が切断された。
「さて、聞いての通りだ。ミーシャとファリスは遅刻決定。シン、ミサ、アルカナはミリティア世界を守るため序列戦には出られぬ」
機関室の玉座より、俺は各室にいる配下たちへ告げる。
「今の戦力にて、アーツェノンの滅びの獅子どもを押さえ込む」
すぐに結界室のエレオノールが声を上げた。
「んー、それってちょっと厳しくなあい? ボクたちの戦力は半減どころじゃないし、アノス君は序列戦に全然出らないんじゃなかった?」
イーヴェゼイノへ到着後、俺はドミニクに会いにいき、懐胎の鳳凰を滅ぼす。
銀水序列戦は残りの配下たちだけで戦い抜かなければならぬ。
「そう気張る必要もない。目的は時間稼ぎだ」
「って言っても、ナーガとコーストリアとボボンガ。わかっているだけでも、アーツェノンの滅びの獅子が三人はいるわけよね……」
考え込むように、サーシャが口元に手をやる。
「わたしもミーシャがいないと<終滅の日蝕>が使えないし」
「いい訓練だ。勝てる勝負ばかりしていては成長もせぬ」
「そんなこと言われたって……うっかり負けてアノスがいないってバレたら、そのままイーヴェゼイノでなにかしてるって勘づかれるでしょ。ただでさえフォールフォーラル滅亡の首謀者かもって疑いがかけられてるのに、ますます状況が悪化するわ……」
まあ、今よりも面倒なことになるのは確かだろう。
「アーツェノンの滅びの獅子に詳しい者がいる。戦い方を聞いておけ」
機関室に飾ってあるメイティレンの絵画へ魔力を送る。
事前にかけておいた<変幻自在>を解除すれば、絵画には子虎の他に、数人の男の絵が現れた。
「オットルルーが出ていった。もう姿を見せても構わぬ」
指先で軽く手招きすれば、男たちの絵がこちら側に飛び出してきた。
「獣の狩り方は一筋縄ではいかず、狩り場で覚える他にない」
バルツァロンドが言う。
彼の後ろには、その部下、二名の狩猟貴族がいた。
ここに連れてくるということは手練れだろう。
鎧と聖剣、弓にて武装している。
「ならば、この伯爵のバルツァロンド・フレネロスが列車に残り、滅びの獅子どもの狩り方を教授しよう」
「フォールフォーラル滅亡の首謀者は誰が見つける? お前の部下たちだけで、災淵世界を探れるか?」
「探らずとも、目星はついている。ドミニク側近の狂獣部隊。狂った幻獣どもを取り憑かせた幻魔族たちだが、フォールフォーラル滅亡に関わっている可能性が高い。罠を仕掛け、捕らえるだけならば十分だ」
ドミニクがやったにせよ、滅びの獅子たちがやったにせよ、単独犯ではないと踏んでいるわけか。
捕らえた後に、自白させれば首謀者がわかる。
そうすれば、聖上六学院の総力を挙げてそいつを叩けばよい。
「不測の事態が起こらぬとも限らぬ」
「銀水序列戦を長引かせることが、作戦成功の第一条件だ。現状において、アーツェノンの滅びの獅子以上の脅威はありはしない」
ドミニクを除けば、ナーガたちがなにより障害になるというのはわかるがな。
すると、パリントンが前へ出た。
「提案がある。狩猟貴族とともに、この者を同行させるというのはどうだ?」
絵画の中から、また一人姿を現す。
闇を纏った全身鎧だ。
関節の部分など所々鎧に隙間があるのだが、生身の手足は見えず、闇が鎧を纏っているといった具合だ。
「我が人型学会が製作した暗殺偶人、隠密活動に特化した魔法人形だ」
ふむ。なにやら、大柄な代物を持ち込んだと思えば、それか。
オットルルーに気がつかれぬよう一も二も間もなく、メイティレンの絵画に彼らを隠した。
狩猟貴族の二人も、その暗殺偶人も、落ち着いて見るのはこれが初めてだ。
「操っているのは、ルツェンドフォルトの軍師レコル。私が最も信頼を寄せる腹心である」
「…………」
会釈をしただけで、レコルは言葉を発しなかった。
暗殺偶人というだけあって、この闇の全身鎧の深淵はまるで覗けぬ。それどころか、これほど目立つ出で立ちだというに、ともすれば見落としそうなほどに存在が稀薄だ。
災淵世界をよく知っているパリントンが、狩猟貴族二人と探らせるというのなら、それで十分な戦力だと思って間違いあるまい。
「では、首謀者についての調査は人型学会の軍師レコルを入れ、合計三名で行う。それでよいな?」
バルツァロンドはうなずいた。
「問題ありはしない」
「銀水序列戦の最中、幻獣機関に悟られぬように抜け出す機会を作る。それまでは待機せよ。俺とパリントンは、母さんを連れ、まずはドミニクを捜す」
「承知している」
パリントンが覇気のある声で言う。
「ああ、そういえば――」
ふと気になったことを、バルツァロンドへ尋ねる。
「レブラハルドは災禍の淵姫に会ったことがあるか?」
「……私の知る限りでは、ありはしない……災禍の淵姫の情報は、ハイフォリアにもあまりない……」
災禍の淵姫がアーツェノンの滅びの獅子を産むと知れば、ハイフォリアの狩猟貴族たちは彼女を狙う。
ルナ・アーツェノンを守るために、レブラハルドは秘密を守り通したといったところか。
だが、母さんは未だに災禍の淵姫のままだ。
レブラハルドは霊神人剣にてその宿命を断ちきることができなかったのか?
『元首アノス。まもなくイーヴェゼイノの銀泡内に入ります』
オットルルーから、<思念通信>が届く。
見れば、前方を塞ぐ分厚い暗雲が渦を巻き、その中心に穴が空いた。
トンネル状になった暗雲の向こう側には、銀灯の明かりが見えている。
普段はこの暗雲が結界のように災淵世界を覆いつくし、外の世界の者が入れぬようにしているのだろう。
「レールを連結したまえ」
エールドメードが言う。
「了解! 線路連結!」
銀のレールがまっすぐ延びていき、小世界からこぼれ落ちる銀の光の中へ入っていった。
「線路連結、完了しました!」
「汽笛を鳴らせ」
甲高い汽笛を鳴らしながら、魔王列車は直進し、やがて目の前が銀一色に染め上げられた。
そこを抜ければ黒穹だ。
だが、他の世界とは違い、雨が降っていた。
銀泡を覆っていたあの暗雲から、小世界の内側へしとしとと雨が降り続けている。
「線路固定」
「了解。線路固定完了しましたっ」
進行方向に延び続けていた線路を固定する。
「脱線」
「了解、脱線っ!!」
車輪が銀のレールから外れた。
魔王列車は宙を走り、銀海クジラの後に続いて、黒穹を降下していく。
「オットルルー。銀水序列戦に参加予定の二人が遅れている」
『選択肢は二つあります。代理を立てるか、途中参加です。魔王学院は代理がいないため、今回は後者です。ただし、到着までに銀水序列戦が終了すれば参加できません』
「それで構わぬ」
『承知しました。イーヴェゼイノには銀水序列戦の終了まで銀灯を隠さないように伝えます』
ルールは事前に確認済みだ。
これで外からの道は確保できた。
『見えました』
オットルルーが言う。
黒穹を抜ければ、今度は青空が覗いた。
快晴だというのに、ぱらぱらと雨が降り続けている。
母さんの記憶からすれば、イーヴェゼイノで雨の止む日はない。
一万八千年前から変わらぬようだな。
地上に視界を向ければ、果てしなく広がる湖があった。
正確には雨が穿った巨大な水たまり。<渇望の災淵>だ。
あそこがひとまずの目的地。幻獣機関の研究塔があり、ドミニクがいる。
魔王列車はその水たまりを越えて、更に先を目指した。
『まもなくです。あちらが、今回の銀水序列戦の舞台です』
銀海クジラが更に速度を上げた。
オットルルーが向かう先には、六つの高い山々があった。
火山だ。
今まさに噴火している。
火口からはマグマや火山岩塊が噴出され、空高く突き上げられては地上に降り注いでいる。
普通の火山ではない。
噴火に魔力を伴っているのだ。
「噴火が収まるまで待つとかしないの……?」
サーシャが言う。
すぐにオットルルーから返事があった。
『問題ありません。邪火山ゲルドヘイヴは幻獣の一種、噴火が止むのは一年に数度と言われています』
「あ、そう……」
遠くにいる銀海クジラの背から、青々とした蛍のような光が噴出される。火露だ。
すると、それらが一箇所に吸い込まれ始めた。
ぬっと火山の陰から巨大な亀が姿を現す。
その全身は岩石でできている。
火露はみるみる吸い込まれ、亀の甲羅の中へ入っていった。
『隕石幻獣、災亀ゼーヴァドローン。イーヴェゼイノの船です』
災亀が宙に浮かび上がる。
距離はかなりあるが、それでも大きく見えるほどの巨躯だった。
『ようこそ、イーヴェゼイノへ。故郷の風景はどうかしらね?』
災亀からの<思念通信>だ。
声の主は、イーヴェゼイノの元首代理ナーガである。
『大切な兄妹を歓迎したいところだけど、あまり長居をさせるわけにはいかないの。早く終わらせてしまっても、いいかしら?』
「好きにせよ。できるならな」
魔王列車の高度を下げ、火山の頂上付近に陣取った。
魔王学院側の火露はすでにオットルルーから譲り受け、貨物室に積載されている。
「只今より、ミリティア世界、魔王学院と災淵世界イーヴェゼイノ、幻獣機関による銀水序列戦を開始します」
イーヴェゼイノの上空。
魔王列車と災亀の中間地点に陣取り、オットルルーは魔法陣を描く。
「舞台となるイーヴェゼイノの損傷は、これを不問とします。パブロヘタラの理念に従い、銀海の秩序に従うならば、我らは深き底へと到達せん」
オットルルーは大きなねじ巻きを魔法陣に差し込んだ。
両手でねじを巻けば、そこから紺碧の水が溢れ出す。
波打つ水は薄いカーテンのようになって、広大な範囲を覆い尽くし、銀水序列戦の結界が構築された。
「まずオットルルーと奴らの魔眼を盗み、この結界から抜け出なければならん。戦闘の混乱に乗じるのが一番だが、策はあるか?」
パリントンが問う。
「…………」
暗殺偶人のレコルは無言だ。
「やはり、まずは序列戦が激化するのを待つのが最善かと」
狩猟貴族の一人がそう言った。
「機会を作ると言ったはずだ。最後尾の射出室へ移動しろ。すぐに来る」
「……すぐに…………?」
パリントンが怪訝な表情を浮かべた――その瞬間である。
災亀よりも遙かに巨大な影が邪火山ゲルドヘイヴ一帯を覆った。
オットルルーが頭上を見上げ、神眼を凝らす。
空を浮遊する大陸。鬱蒼とした木々。それは、樹海だった。
「……まさか……あれは幽玄樹海……?」
「……アイオネイリアだと……? 噂には聞いていたが、まだ飛べたのか……」
パリントンとバルツァロンドが驚愕の声を漏らす。
樹海船アイオネイリアは、勢いを殺すことなく、イーヴェゼイノの巨大な水溜まり――<渇望の災淵>めがけて降下していく。
耳を劈く水音とともに、天地をつなげるほどの水の柱が勢いよく立ち上った。
<渇望の災淵>へ突っ込んでいった二律僭主の船――!!