樹海船
俺は樹海の奥深くへ降り立ち、二律剣の魔力を使う。
軽く大地を踏みしめ、夢で見たアイオネイリアの術式通りに魔法陣を描けば、それは辺り一帯に広がっていく。
魔法陣を起動してみれば、ゴ、ゴ、ゴォォォォと音を立て、幽玄樹海が震え始めた。
どうやら、使えそうだ。
「なにこれ、面白い」
無邪気な笑みを浮かべながら、コーストリアが着地する。
日傘を畳みながら、彼女は言った。
「船ね。パブロヘタラと同じ、大陸型の。でも、銀水を魔力に変えるなんて初めて見た」
パブロヘタラが船か。
確かに浮遊大陸だからな。あのまま銀海へ出てもおかしくはない。
現在、第七エレネシアにあるのは序列一位の小世界だからか?
「どこへ行くの?」
「試運転だ」
そう口にし、魔力の供給を止める。
魔法陣は消えていき、幽玄樹海の地震が止まった。
「つまんないの」
コーストリアはその場に座り込み、木にもたれかかった。
「そういえば、僭主はしばらく姿を消してたでしょ。フォールフォーラルを滅ぼしたのは、君の仕業?」
思ってもみぬ質問だな。
本気で訊いているのか?
「イーヴェゼイノはなにが目的だ?」
「コーストリア」
まぶたを開き、義眼に怒りを灯して、彼女は俺を睨んでくる。
「間違えないで。私はコーストリア。イーヴェゼイノでも、幻獣機関でもない。パブロヘタラの外でまで、みんなと同じ扱いを受けるなんて沢山」
「では、コーストリア」
「やっぱりコーストリアも嫌」
気まぐれなことだ。話が進まぬ。
「幻獣言語でコーストリアは目。名前じゃない」
「アーツェノンの目、滅びの獅子の目という意味か」
「うるさい」
コーストリアが日傘を投げつけてきた。
黒き粒子を纏わせ、風を切り裂きながらも仮面に迫ったそれを、俺は片手で軽くつかむ。
ずいぶんと頭に血が上りやすい。
常人ならば死んでいる。
「呆れた女だ。忌避するほどなら、自ら名をつければよい」
「惨めじゃない。まるで名前がコンプレックスみたい」
どう聞いても、コンプレックスだろうに。
「では、新しい名をくれてやろう」
「いらない」
コーストリアは目を閉じて、つんとそっぽを向く。
構わず、俺は続けた。
「コーストリア・アーツェノンから取り、コーツェでどうだ?」
「聞いてる? いらない。それになに、その適当な名前?」
「我が世界の古い魔法語で、義理を意味する。渇望のままに振る舞う獣のお前が、せめて人らしくあるようにと願いを込めた名だ」
すると、苛立ったような顔でコーストリアは俺を睨んできた。
「喧嘩売ってるの?」
「しかし、見えぬな。お前はなにをしにきた、コーツェ?」
「勝手に呼ぶなっ! 死んじゃえ!!」
コーストリアが魔弾を飛ばすが、俺はそれをつかみ、ぐしゃりと握り潰した。
「どうしても、コーストリアと呼んで欲しければそう言え」
コーストリアは押し黙り、地面を見つめた。
「…………好きにすれば……」
元々呼ばれたくもない名だ。
頼んでまで訂正する気力が湧かぬのは当然だろうな。
「それで?」
「なにが?」
つんとした口調でコーストリアが言う。
「お前の目的はなんだ?」
彼女はそのまま大地にころんと仰向けになり、投げやりに声を発した。
「……なんだろ? 暇つぶし?」
「フォールフォーラル滅亡の犯人捜しがか?」
「……なんでもいいんだけど。パブロヘタラは学院同盟全体に、首謀者を生け捕りにしたら聖上六学院の空いた席に座れるようにするって、これから通達を出すの」
思いきった措置だな。
聖上六学院の一角を滅ぼすほどの相手だ。浅層世界や中層世界の住人たちでは歯が立たぬだろうが、しかし、深層世界と手を結べばチャンスもあるか。元首と主神で連合を組めば、それなりの戦力になろう。
相応の見返りがなければ、動かぬ小世界もあるだろうしな。
逆に言えば、首謀者を生け捕りにできるほどの世界ならば、聖上六学院の資格は十分にあろう。
「聖上六学院も動く。ナーガ姉様がイーヴェゼイノも犯人捜しをするって言うから、それで一応ね。関係ないんだから、放っておけばいいのに。馬鹿みたい」
「イーヴェゼイノだけ動かねば、首謀者だと言っているようなものだ」
アーツェノンの滅びの獅子どもが、ミリティア世界と同じく、各世界から疑われているのは想像に難くない。
「やってないものはやってない」
それが通じぬから、ナーガも捜せと言ったのだろう。
「存外、お前が知らぬだけではないか?」
「ナーガ姉様も、ボボンガも一緒にいた。イザークはずっと寝てる。ドミニクは引きこもり。大体、フォールフォーラルなんて心底どうでもいい。私たちがやるなら、まずハイフォリアの狩猟貴族」
腑に落ちぬな。
今のところ、<極獄界滅灰燼魔砲>を使えると判明したのは、パブロヘタラでは俺とコーストリア、それからドミニクか。
アーツェノンの滅びの獅子なら使えるのだとすれば、ボボンガ、ナーガにも可能だろう。いずれせよ、イーヴェゼイノの住人だ。
百識王ドネルドら聖道三学院の反応を見るに、奴らより格下は魔法の存在自体を知らぬ。
他に術者の可能性があるとすれば、聖上六学院の者たちだが、奴らに同じ学院同盟の小世界を滅ぼすような動機があったとは思えぬ。
それゆえ、バルツァロンドはイーヴェゼイノに目をつけた。
俺も奴らが一番怪しいと踏んでいたが、コーストリアの口振りは首謀者に思えぬ。
自分たちがやったのなら、わざわざ二律僭主に犯人かと尋ねる意味もない。
それに、どうにもこいつは、己の欲望に正直なタチだからな。先程からの言動を見る限り、計画性などとは無縁そうだ。嘘をついているようには見えぬ。
鎖の件など、ナーガの言葉との食い違いもある。
コーストリアだけが、知らされていないのか?
それとも、首謀者はパブロヘタラの外にいるのか?
「コーツェって変な名前ね」
そう言いながら、コーストリアは立ち上がった。
「この船、いつ飛ばすの?」
「見たいか?」
「別に。つまんないと思うけど、暇だから」
コーストリアは自らの制服についた土を手で軽く払っている。
「見せてやる。退屈など吹き飛ぶぞ」
「吹き飛ばしてから言って」
すました顔で、コーストリアは<転移>の魔法陣を描く。
「姉様が戻れってうるさいから帰る。ムカツク奴が悲惨な目にあいそうなんだって」
ほう。なにがどうなったのやら?
恐らく、パブロヘタラ絡みだろうな。
「それは朗報だったな」
日傘を少し強めに投げ返してやれば、びっくりしたように目を開けて、コーストリアはそれをつかんだ。
「殺す気?」
「イーヴェゼイノの流儀と思ってな」
魔法陣の上でくるりと俺に背を向け、コーストリアは言った。
「もっと良い名前考えといて。適当なのじゃなくて」
「ではな、コーツェ」
「死んじゃえ」
振り返り様に侮蔑するように舌を見せ、彼女は転移していった。
「さて」
再び二律剣に魔力を送り、大地を踏みしめては、アイオネイリアを起動させる魔法陣を描く。
まともに飛ばすには、この樹海船のことを詳しく調べる必要がある。
俺は魔眼を凝らし、幽玄樹海を俯瞰するようにしながら、隅々までその深淵を覗いていく。
不可侵領海、二律僭主の船だけあって、その全貌を把握するのは骨が折れる。
次第に日は暮れていき、ようやくアイオネイリアを舵がとれそうといった頃には、もう夕刻となっていた。
パブロヘタラに戻り、魔王学院の宿舎に到着すると、大広間でサーシャとシンが出迎えた。
二律僭主の変装はすでに解いている。
「お見えになっています」
シンが言う。
大広間の奥には、オットルルーとともにバルツァロンド、パリントンが待っていた。
二人は厳しい面持ちをしている。
「悪い報せのようだな」
「魔王学院のパブロヘタラへの本加盟が見送りになりました」
オットルルーが事務的に述べる。
「形式的な審査との話だったが?」
「フォールフォーラル滅亡について、本日二回目の六学院法廷会議を行ったところ、賛成四、反対一にて、元首アノスを監視対象の一人と認定しました」
全学院が参加しているため、全会一致ではなく、多数決による判決か。
「すまぬ……力が足りなかった……」
パリントンが言う。
彼一人反対したところでどうしようもあるまい。
「またそれに伴い、パブロヘタラはミリティア世界を監視対象とします。聖上六学院より監視者を送り、不審な点があった場合のみ、証拠を確認するため強制力を行使します。調査は公平に行うことを約束します」
監視したところでなにも出てはこぬが、公平というのを頭から信用するわけにはいかぬな。
火のないところに煙を立てる術もあろう。
「結局、俺を容疑者の一人と見なしたというわけか」
「いいえ。あくまで監視対象です。前回否決されたミリティア世界を支配下におく案よりも、軽度の措置となります。監視者は聖上六学院の信頼できる者に。証拠確認時以外に強権はなく、渡航者が滞在するのと同等です。また元首アノスについても、パブロヘタラ内での監視はありません。ただし、ここを出る際には監視がつきます。行動の制限は一切ありません」
平素ならば、監視など気にせぬのだがな。イーヴェゼイノとの銀水序列戦中に抜け出したのに気がつかれれば、ミリティア世界になにをされるかわからぬ。
「俺が首謀者でない証明をすればいいのか?」
「本加盟済みの学院は決議取り消しの申し立てが可能です。その場合は元首を招き、再度、法廷会議が行われることになりますが、魔王学院には現在その権利がありません」
つまり、面倒な法廷会議を避けるために、本加盟を見送ったわけか。
誰が考えたことやら?
「本決議の有効期間は、フォールフォーラル滅亡の首謀者が発見されるまで。あるいは魔王学院が、パブロヘタラの学院同盟を脱退するまでとなります」
脱退すれば監視はなくなるだろうが、疑いはより深まる。
その上銀水序列戦が行えなくなり、イーヴェゼイノに入るのが困難となる。
今抜けるわけにはいかぬな。
「早い話、首謀者を見つけろというわけだ」
「魔王学院にも、ご協力いただければ助かります。首謀者を生け捕りにした場合、空席ができた聖上六学院への昇格が認められます。またその貢献度に応じて、火露の進呈、序列の評価に加算があります」
コーストリアが言っていた通りだな。
「なにか質問はありますか?」
「特にない」
「では、明日、銀水序列戦にはパブロヘタラからお供をします」
オットルルーが監視役か。
彼女は踵を返し、宿舎から去っていく。
「オットルルー。一つだけだ」
彼女は足を止め、俺を振り向いた。
「聖上六学院と監視者へ伝えておけ。貴様らの勝手な理屈で、我が世界の民にかすり傷一つつけてみよ。そのときが、パブロヘタラの最後だ」
「お伝えします」
事務的に述べ、彼女は今度こそ去っていった。
首謀者はどこに――