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獅子の両眼


 コーストリアに魔眼を向け、その深淵を覗く。

 

 魔力は平素の状態そのもの、臨戦態勢にはほど遠い。


 彼女は黙ったまま、俺の返事を待っている。

 二律僭主に接触し、どうするつもりだ?


「パブロヘタラの者がここへ立ち入るな」


 コーストリアの影に<二律影踏ダグダラ>の魔法陣を描き、ゆるりと目前まで歩いていった。


 だが、そのまま踏み抜かれても構わぬとばかりに、彼女は無防備に突っ立っている。


「私はパブロヘタラの味方じゃない。イーヴェゼイノが加盟しただけ」


「手短に話せ」


「君の世界は、もう滅びたんでしょ」


 ふむ。知らぬな。

 ない話でもないだろうが。 


「それは肯定かな?」


 わざわざ尋ねるということは、周知の事実ではないのだろうな。


「好きに判断しろ」


「知ってる人がいないから、直接訊きにきた。君のことは、噂ばかりでアテにならない。二律僭主の世界の名前も、その場所も、どのくらい深層にあったかさえ、誰も知らない」


 パブロヘタラに敵対している不可侵領海だ。


 接触しないようにしているなら知らぬ者ばかりなのは不自然ではない。


 二律僭主の使う魔法から、ある程度の傾向は掴めそうなものだが、該当する世界がないからこそ、滅びたと推測したか。


 あるいは出身世界を隠すために、二律僭主は本気を見せなかったのやもしれぬな。


「だとしたら、なんだ?」


「君の世界に<ふち>はあった?」


 黙っていると、それを肯定と見なしたか、コーストリアは続けた。


「どんな<淵>? 世界が滅びたら、<淵>も一緒に滅びる? それとも、<淵>だけは残る?」


「知ってどうする?」


「君には関係ない」


 訊いておいてその返答か。


 誰が相手でも変わらぬ女だ。


「人にものを尋ねるならば、事情ぐらいは話すものだ」


 俺は<二律影踏ダグダラ>の魔法陣を消した。


「去れ」


 踵を返し、本来の目的を果たすため、幽玄樹海に魔眼を向けた。

 

 俺が歩く後ろを、コーストリアがついてくる。


「怒ったの?」


 無視して歩いていけば、彼女はなにを考えたか、頭上を向いた。

 日傘を閉じれば、太陽の光が閉じたまぶたに降り注ぐ。


「災淵世界には<淵>があるの。<渇望の災淵>。銀水聖海の渇望が集まって、災禍に変わる。私はその深淵から生まれたアーツェノンの滅びの獅子」


 俺が幽玄樹海の深淵を覗く横で、コーストリアは脈絡もなく話し始めた。


「両眼だけの醜い幻獣」


 彼女はそっとまぶたを開く。


 降り注ぐ日の光が、ガラス玉の義眼をキラキラと輝かせた。


「この義眼、どう思う?」

 

「普通だな」


 振り返りもせずに答えたが、しかし、コーストリアはなぜか顔を綻ばせた。


「そうでしょ」


 彼女は静かに瞳を閉じる。

 

「私はね、私が嫌いなの。私の渇望が。浅ましくて、醜くて、愚かしい。だけど、喉が渇いたみたいにいつも心は抑えられない」


 コーストリアはまぶたに触れる。


「私が本当に欲しかったのは、この義眼。これだけが私を普通にしてくれる。醜い獣の魔眼を隠してくれる」


 そう口にすると、彼女はなにかを思い出したようにムッとした表情を浮かべた。

 黒き粒子が彼女の全身から立ち上り、殺気が森中に充満していく。

 

 俺が振り向けば、彼女も足を止めた。

 

「君にじゃない。ムカツク奴がいてね」


 彼女は奥歯を噛み、抑えきれないとばかりに感情を吐露する。


「……私の義眼を奪って、壊して、あいつ、絶対に許さない……」


「手癖の悪い者に会ったようだが」


 そしらぬフリをして、俺は言う。


「滅びの獅子の魔眼がそんなに憎いか?」


 コーストリアがまた俺を見た。


「憎いよ」


「己の魔眼だろうに」


「それってなにか関係があるの?」


「破滅しか招かぬ」


 言い捨て、俺は歩き出す。

 コーストリアは遅れて、やはり後ろについてきた。


「なにもかもぜんぶぐちゃぐちゃにしてやれって、誰だって思うときぐらいあるでしょ?」


 俺は答えない。

 すると、少し弱々しく彼女は言った。


「自分が嫌いになるときだってある」


「否定はせぬ」


 今度は返事をやったが、関係なしに彼女の語調は弱くなる。


「私はそれが人より、ほんの少し長いだけ」


 コーストリアは滅びを厭わず、<契約ゼクト>に逆らった。

 <二律影踏ダグダラ>を使われても、無防備に身を曝した。


 自分が嫌いだという言葉通り、行き過ぎた自己嫌悪の為せる技だろう。


 コーストリアが持って生まれた渇望が関係しているのか、それともドミニクに渇望を支配されているからこそか?


「ほら、話した」


 すました顔で、彼女は言った。


「教えて。イーヴェゼイノを滅ぼせば、<渇望の災淵>は滅びるの?」


「それで自らを縛る鎖から開放されるか?」


 不思議そうにコーストリアが首を捻った。


「どういう意味?」


 ふむ。乗ってこぬか。


「不自由そうな女だと思ってな」


「私を縛れる鎖があるならつけて欲しいぐらい。首輪をつけて、厳しく躾けて、そうしたら少しはマトモになれる」


 ナーガの話では、コーストリアもドミニクに鎖をつけられているはずだが、気がついていないのか?


 馬鹿正直に飼い犬だと吹聴したい輩もいないだろうが、少々解せぬな。


「こないだ母親に会いにいった。私を産んでくれなかった母親。今更、興味なんてなかったけど、ナーガ姉様に言われたし、一応行ってみた」


 また唐突にコーストリアが話し始める。


「子供を産んで暮らしてた。それがさっきのムカツク奴。姉様は兄妹だから仲良くしろって。完全体に一番近いからだと思うけど。ボボンガもそう」


 つらつらと述べる言葉からは、不満ばかりが滲んでいる。


「二人とも完全体で生まれたいみたい。私は理解できない。今まで我慢してたけど、あいつを味方にするなんて言い出したから、冷めちゃった。ねえまだ?」


「なんの話だ?」


「事情を話してる」


 ふむ。今のが事情とは思わなかったな。


「たかだか気持ちが冷めたぐらいのことで、<渇望の災淵>を滅ぼしたいのか?」


「私の話を聞かないから。完全体になれなくなっちゃえって思うでしょ」


 要はあてつけか。

 ミリティア世界に来たのも、ただのおつかいだったわけだ。


「はい、話した。次はそっちの番」 


「答えるとは言っていない」


 俺は<飛行フレス>にて飛び上がった。


「待って。ずるい」


 すぐにコーストリアが飛んで追いかけてくる。

 それに構わず、上空から幽玄樹海を見渡し、地上から見た魔力の流れと照合する。


「さっきから、なにをしてるの?」


「傘をさせ」


「はぁ?」


 空に手を掲げ、黒穹めがけ<覇弾炎魔熾重砲ドグダ・アズベダラ>を乱れ撃つ。


「<掌握魔手レイオン>」


 一瞬でコーストリアを置き去りにし、蒼い爆炎の中に紛れると、夕闇に輝く二律剣にて、燃える黒穹を一閃する。


 すかさず<掌握魔手レイオン>の手にて銀灯をつかむ。


 光が増幅され、その風に乗って、俺は第七エレネシアの外へ出た。


「<森羅万掌イ・グネアス>」


 二律剣を鞘に納め、また外套の内に隠すと、蒼白き右手にて周囲にある銀水をつかんだ。


 俺は再び第七エレネシアへ降下する。

 黒穹から空にまで戻ってくると、唖然としているコーストリアが見えてきた。


「……なにを…………?」


「傘をさせと言ったはずだ。雨が降るぞ」


 <森羅万掌イ・グネアス>でつかんだ大量の銀水が、土砂降りの雨と化して、幽玄樹海に降り注ぐ。


「日傘なんだけど……」


 言いながら、日傘に魔法陣を描き、彼女は頭上に強固な魔法障壁を展開する。


 銀水の雨はまるで刃物のように鋭く、魔法障壁に突き刺さっては魔力を奪う。

 それは地上に降り注ぎ、次々と大地を抉った。


「この間は荒野にして、今度は銀水? 幽玄樹海を壊してどうす――」


 コーストリアが目の前の光景に息を飲んだ。


 銀水の中を生命は生きられない。

 それは植物も同様だ。


 しかし、その樹海は銀水を養分にするように魔力に変え、みるみる内に木々の枝葉を再生していく。


 終末の火により、半ば荒野と化していた大地からは多くの芽が出て、たちまち樹木にまで育った。


 あっという間の出来事だ。

 目の前には、かつての幽玄樹海が蘇っていた。


 どうやら、睨んだ通りのようだな。二律僭主の縄張りであるこの深い森は、ロンクルスの記憶にあった銀水聖海を渡る巨大な船――


 樹海船アイオネイリアだ。



アノスの目的は二律僭主の船――

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