訓練
ナーガとボボンガ、バルツァロンドが帰った後、オットルルーが言った。
「元首アノス。本日の夕刻、またこちらへお伺いします」
「なにかあったか?」
「パブロヘタラへの本加盟の審査結果が出る予定です。形式的なものではありますが、可能でしたらご滞在を。難しければ、代理の者にお伝えします」
「戻るようにしよう」
軽くお辞儀をして、オットルルーは去っていった。
「私は一度、ルツェンドフォルトへ戻るのである。明日の準備をしてくる」
パリントンがそう言い、彼も部屋を出ていった。
「終わった?」
ドアからひょっこりとミーシャが顔を出す。
「見ての通りだ。入ってくるがいい」
ミーシャに続きサーシャ、ファリス、エールドメードが室内へ入ってくる。
「イーヴェゼイノとの銀水序列戦は明日だ。あちらの元首と主神、災人イザークとやらは眠りこけているが、それを差し引いてもバランディアスよりは手強い。なにより今回は勝つことが目的ではない」
「懐胎の鳳凰を捜す時間を稼ぐ?」
ミーシャの問いに、俺はうなずく。
「銀水序列戦の間はイーヴェゼイノに滞在できる。俺とパリントンは序列戦を抜け出し、まずドミニクに会う。バルツァロンドはフォールフォーラル滅亡の証拠を捜す」
銀水序列戦に勝利すれば、ドミニクに会わせてもらえる契約だが、いつ母さんの容態が悪化するかわからぬ。
先に手を打たれる前に、行動を起こすのが最善だ。
「ってことは、ドミニクは銀水序列戦には出てこないの?」
サーシャが問う。
「十中八九な。バルツァロンドの話では、奴は序列戦に出たことがない。ナーガも俺とドミニクを接触させる気はあるまい」
研究に没頭しているドミニクにとっては、銀水序列戦など些末なことだろう。
奴に余計な警戒心を抱かせたくないナーガは、相手がミリティア世界だということは伏せるはずだ。
万一出てきたとて、捜す手間が省けるだけだがな。
「懐胎の鳳凰を授肉させ、滅ぼすまでの間、お前たちは俺がいないことに気づかれぬよう、ナーガらアーツェノンの滅びの獅子を圧倒しろ」
「圧倒するのはわかったけど、勝っちゃってもいけないのよね?」
サーシャが考えながらもそう尋ねる。
序列戦が終われば、ナーガと話をすることになるだろうが、俺がいないことに気がつかれる。
ドミニクに会う前にその事態に陥るのは避けたいところだ。
「さほど心配せずとも、簡単に終わる相手ではない。特に元首代理のナーガという女はな」
すると、エールドメードが愉快そうな笑みを見せた。
「カカカカッ、まったく面白そうな状況になったではないか! コーストリア、ナーガ、ボボンガ。わかっているだけでもアーツェノンの滅びの獅子は三人。右腕、両足、両眼だ。他にも左腕や胴体がいてもおかしくはない。勿論、獅子以外の幻獣も」
「バランディアスの城魔族以上の力があるとなると、現代の魔族たちには、荷が重いかもしれませんね」
ファリスの言葉に、ミーシャがうなずく。
「バランディアス戦でも魔力切れだった」
「なに、殻を破るチャンスだと思えばよい」
サーシャがなんとも言えぬ顔をする。
「聞いてたら、みんな間違いなく絶望的な顔になってるわ」
「彼らはあの顔のときこそ、真価を発揮する」
サーシャは呆れたような表情を返してくる。
「熾死王。アレはもう覚えたか?」
エールドメードに問えば、彼はニヤリと思った。
「無論、覚えたは覚えたが、いやいや使いこなすとなれば一朝一夕ではな。アイツらに習得させるのはそれ以上に骨が折れる」
熾死王が杖を振るい、全員に<転移>の魔法陣を描く。
視界が真っ白に染まれば、やってきたのはパブロヘタラ宮殿内にある訓練場だ。
アルカナ、ミサ、エレオノール、ゼシアとともに魔王学院の生徒たちが魔法や魔王列車の操縦訓練を行っている。そこかしこで魔力の粒子が荒れ狂っていた。
「ご覧の通り、死ぬ気で訓練中だが、明日までに間に合うかどうか?」
明日までにという言葉に反応し、何人かの生徒たちが一瞬こちらを向いた。
「お前ならば、できよう」
「いやいやいや、そう買い被られても、オレは魔王ではないのだからなぁ。そもそも、教師がどれだけ熱心に指導したからといって、生徒を無限に伸ばせるわけではない」
「胃は伸びるのにか?」
突如、カカカカカッとエールドメードは壊れた玩具のように笑い出した。
「確かに、確かに。確かにな。ああ、しかし、それは、なんと言っていいか。そう!」
ダンッと杖をつき、愉快そうに彼は言った。
「地獄を見るかもしれんなぁ」
生徒たちが耳を大きくするように、心なしかこちらへ寄ってきた。
なにかに祈るような顔つきだ。
「どのぐらいだ?」
「死ぬ気の上の上のそのまた上の、場合によっては滅ぶより辛――」
エールドメードが言葉を止める。
生徒たちが明らかに、こちらへ近づき、聞き耳を立てている。
「まあ、効率というものがある。これ以上厳しくするとしても」
そしらぬ顔で言いながら、人差し指と親指を近づけ、エールドメードは一センチほどの空間を作る。
「ちょっぴりだ」
「なるほど。ちょっぴりか」
遠くで生徒たちがほっと胸を撫で下ろした。
「ああ。いやいや。いやいや、しかしだ」
エールドメードは人差し指と親指の空間を二センチに広げた。
「ちょっぴりの二倍かもしれないなぁ。ちょっぴり二倍だ」
「一倍も二倍もさして変わらぬ。ちょっぴりぐらいではな」
満足そうな顔をして、熾死王は大仰に礼をする。
「魔王のお墨付きとあらば」
そんなやりとりを交わす俺たち二人に、サーシャが白けた視線を送ってくる。
「……なんか怪しいんだけど……」
「一倍も二倍も同じ……?」
彼女がぼやくと、隣でミーシャが小首を捻った。
「二倍も四倍も同じ?」
「……ちょっぴり無限に二倍だわ……」
「さて」
視線を巡らせば、レイが霊神人剣を素振りしていた。
玉のような汗を流しており、根源の数も四つまで減らしている。
だが――
「もう一回行くよ……」
「了解だぞっ」
レイが一歩を踏み出し、エレオノールが張り巡らせた魔法障壁を睨む。
素早く振り上げた聖剣を、渾身の力で振り下ろせば、魔法障壁を斬り裂いた。純白の剣閃は、そのまま後ろにあった堅い訓練場の壁を真っ二つにしていた。
僅かにかすっただけのエレオノールの腕から、たらりと血がこぼれる。
「わーおっ……! レイ君、それ、当たったら死んじゃうぞ……」
まだ完全ではないものの、まずまずの仕上がりか。
「シン、相手をしてやれ」
「御意」
静かに応え、シンはレイのもとへ向かった。
「ファリス、ミーシャはゼリドヘヴヌスで一度ミリティアへ戻れ」
ぱちぱちと瞬きをして、ミーシャが視線で問いかけてくる。
「生まれ変われば別人というのが、銀水聖海の常識だ。だが、母さんはミリティア世界でも同じルナという名を使っていた」
「<転生>を使った?」
「イーヴェゼイノの住人にどこまで扱えたかはわからぬが、ミリティア世界で死んだなら、可能性はある」
火露が移動しただけでは、成立せぬはずだ。
イーヴェゼイノのルナ・アーツェノンは、ミリティア世界を訪れていた。そこで転生したからこそ、名前の記憶が引き継がれたと考えられる。
「痕跡神リーバルシュネッドに、ミリティア世界の痕跡を探らせよ。あるいは、前世の記憶を持った母さんが、そこにいるやもしれぬ」
<記憶石>にあるのは、本来パリントンの記憶。母さんが<渇望の災淵>をどう制御していたかまではわからぬ。
ミリティア世界になら、その痕跡があるのかもしれない。
「ミリティア世界は転生した。前の世界の痕跡は探しにくい。欠損もあるから」
淡々とミーシャが言う。
「それと、ルナ・ヴォルディゴードは、セリス・ヴォルディゴードと行動をともにしていた。彼は姿を隠すのが上手。神界からでは、わたしの神眼にも映らなかった」
「お前の神眼と痕跡神の権能を合わせれば、見つけられるやもしれぬ」
ぱちぱちとミーシャが二度瞬きをする。
「やってみる」
「行って参ります、陛下」
ミーシャとファリスは<転移>を使い、訓練場から転移した。
「ミサ」
真体を現し、魔法訓練を行っている彼女に声をかける。
深層魔法と精霊魔法の融合術式を編み出そうとしているところだった。
「仮面を出せるか?」
ミサは優雅に指先を動かし、魔法陣を描く。
闇の中から出現したのは、アヴォス・ディルヘヴィアの仮面である。
「こちらですの?」
「借りるぞ」
ミサからアヴォスの仮面を受け取る。
それを身につけ、足元に魔法陣を描く。
俺の衣服が、魔王学院の制服から二律僭主の纏っていた夕闇の外套に変わった。
「どうなさいますの?」
「調べたいことがあってな。エールドメード、後を任せる。なにかあれば報せろ」
熾死王に告げ、<転移>の魔法陣を描く。
視界が真っ白に染まり、宮殿の外へ転移した。
上空にはちょうど飛空城艦ゼリドヘヴヌスがパブロヘタラから出ようとしているところが見えた。
<飛行>で飛び上がり、その艦に並ぶと、俺は<思念通信>を飛ばす。
「道中に気をつけろ」
『アノスも』
ミーシャからの返事が返ってくる。
俺は再び<転移>の魔法陣を描く。
パブロヘタラの内と外では転移が効かぬが、魔法障壁の外まで出れば問題はない。
再び視界が真っ白に染まり、次の瞬間、木々の緑が目に映った。
幽玄樹海である。
<極獄界滅灰燼魔砲>で灰に変わったにもかかわらず、新しい樹木がもう生えている。
さすがに元通りとはいかず、ところどころは荒野のままだがな。
なかなかどうして、普通の樹海ではない。
「何者だっ……!?」
鋭い声が飛ぶ。
数人の男たちが集まってきた。
纏った制服にはパブロヘタラの校章と、本の意匠の校章がついている。
百識王ドネルドと同じく、思念世界ライニーエリオンの連中だ。
幽玄樹海の異変を調査しているのだろう。
奴らは俺を見た瞬間、一瞬怯んだ。
纏った外套に見覚えがあったからだ。
「見てわからぬか?」
奴らは魔眼を凝らし、慎重に俺の出方を窺っている。
現在のミサが持つアヴォスの仮面は、レイが使ったときのものと、シンが使ったときのもの、二つの効果を宿している。
つまりは根源を隠し、声を変える。
魔法とは違い、ミサの精霊としての特性に付随するものだ。この第七エレネシアでも十全に力を発揮している。
これをつけている限りは、俺の正体はわからぬ。
「この樹海に勝手に足を踏み入れるな」
外套の内側に隠した二律剣を握り、影に魔法陣を描く。
「<二律影踏>」
木々の影を踏めば、周囲の樹木が粉々に砕け散った。
様子を窺っていた他の者たちが、戦々恐々と目を見張る。
「……やはり……二律……僭主……戻ってきたのか……」
「……だが、どういうことだ……? なぜ姿が変わっている…………?」
「あの仮面は……? 幽玄樹海が荒野に変わったことと関係があるのか……?」
「と、とにかく退けいっ……!! 生きて戻った者は百識王に報告せよ! よいな!」
「「「りょ、了解っ!!!」」」
百識学院の者どもは、散り散りになって逃げていく。
ある者は全力で駆け、ある者は<飛行>を使い、またある者は<転移>にて転移する。
別々の方法で逃走を図ることにより、的を絞らせないつもりだろう。
追う気はないがな。
これで二律僭主がまだここにいることが広まり、迂闊には寄ってこなくなる。
調べ物もしやすくなるというものだ。
「――君が二律僭主?」
聞き覚えのある声に、俺は振り向く。
「話があるんだけど、いい?」
日傘をさした女、コーストリア・アーツェノンがそこにいた。
コーストリアの目的は――?