襲撃者
パブロヘタラ宮殿。庭園。
パンが売り切れたため、行列は途絶えており、生徒たちの姿はない。午後へ向けて仕込みをする母さんと父さんの姿が見えた。
『イージェス。警戒しろ。なにかが来る』
<思念通信>を飛ばすと同時、イージェスが紅血魔槍ディヒッドアテムを手にした。
「奥方様っ、そこを動きませぬようっ」
イージェスの声に、母さんが振り向く。
それより早く、
『「<斬呪狂言>!」』
と、不気味な声が響いた。
母さんの体に呪言の刃が浮かぶ。だが、傷はつかない。
イージェスが突き出した魔槍の穂先が消えていた。
「紅血魔槍、秘奥が壱――」
<斬呪狂言>に穴が空けられ、そこへ声が飲み込まれていく。
「<次元衝>」
初手を防いだイージェスは、腰を落とし、その隻眼にて、母さんを狙った者の居場所を探る。
だが、この庭園に魔力は感じられない。
「深層世界の魔法か。余の魔眼から隠れるとは大したものよ。しかし――」
冥王は紅血魔槍を振るう。
なにもない空間に、紅き槍閃が出現した。
「気配を隠しきれておらぬぞっ!」
秘奥が弐、<次元閃>にて、イージェスは察知した気配を斬り裂く。魔法が剥がれされながらも、そいつはかろうじて魔槍の直撃を避けた。
あらわになったのは、鎧兜を纏い、剣を携えた人形だ。
斬り裂いたのは、<変幻自在>の魔法。察知されたとはいえ、気配を隠した業は<思念平行憑依>によるものか?
だとすれば――
『人形は一体ではない』
「承知!」
イージェスは飛び退き、母さんを庇うように購買食堂の前に立つ。
ディヒッドアテムの穂先が消えた瞬間、イージェスの体から夥しい量の血が溢れ出た。
「紅血魔槍、秘奥が肆――<血界門>」
購買食堂を守るように、東西南北に四つの巨大な門が出現した。
「ぬんっ!」
冥王が目の前の鎧人形を突く。ミリティア世界の魔法人形ならば、一撃で串刺しだろうがそいつは槍を三度を打ち払う。
「人形風情がやるものよ」
四度目、時空を超えて後ろから突き出された穂先に人形は頭を貫かれた。
瞬間、イージェスが真横へ飛んだ。
彼の腕が見えぬ刃物に裂かれ、血が滴り落ちる。
やはり<変幻自在>で透明化している鎧人形が他にもいる。
粉塵世界の<変幻自在>と思念世界の<思念平行憑依>。
この襲撃には、複数の世界が絡んでいるのか?
それとも、俺が先程見たばかりの魔法を使っているのは、そう思わせたいだけか?
ミーシャやレイたちは第二深層講堂にいる。
待機しろと言われている以上、力尽くで抜け出せば疑いを増やす元となろう。
俺も法廷会議を抜ければ面倒なことになる。
イージェスに凌ぎきってもらいたいところだが、敵の数も力も未知数。いざとなれば、介入するしかあるまい。
「<血霧雨>」
イージェスが切られた腕を振るえば、血の霧雨が庭園に降り注ぐ。
次第に透明な鎧人形に血が付着していき、その輪郭があらわになった。
合計で一六名。それが平行思考の限界か。あるいは伏兵がいるのやもしれぬ。
「<次元閃>」
紅き槍閃を、鎧人形たちは打ち払う。
根源の入っていない魔法人形だというに、かなりの強さだ。
「そなたにも手伝ってもらおうぞ」
鎧人形と打ち合いながらも、イージェスは駈け、<血界門>の内側にあった子虎の絵画に手をつっこんだ。
「ぬんっ!」
つかんだ子虎を、冥王は猛然と投げつける。
『……妾をこのようなことに、口惜しやぁぁぁ……!!』
叫びながら、子虎メイティレンは<破城の銀爪>を振るう。
回避はできぬ。
因果が支配され、鎧人形たちは斬り裂かれたという結果を強制された。
その瞬間、イージェスはとどめとばかりに<次元衝>にて穴を穿ち、一六体の鎧人形をすべて時空の彼方へ飛ばしてのける。
すると、今度はイージェスの体を巨大な影が覆った。
素早く頭上に視線を向ければ、巨大な思念の大鉄槌が振り上げられていた。
思念世界ライニーエリオンの深層大魔法、<剛覇魔念粉砕大鉄槌>が、巨大な血の門を粉砕していく。
ドッゴオオオオォォォォォンッと破砕音を響かせながら、<血界門>四つが砕け散った。
魔力や魔法に対して強い威力を発揮する反面、それ以外にはさほどの損傷を与えない。
エクエス窯から飛び出た炎に守られ、母さんは無傷だ。
そこへ黒緑の魔弾が飛んできた。
「させん」
立ち塞がったイージェスは、メイティレンの絵画をその魔弾の盾にした。
『ぬががががががががががががががががががががががっっっ!!』
絵画のダメージを肩代わりするように、子虎が絶叫した。
魔弾は極限まで押し潰れ、そして勢いよく反対側へ跳ね返った。
コーストリアの<災淵黒獄反撥魔弾>である。
『「<祈希誓句聖言称名>」』
どこからともなく聖句が響くと同時に、魔弾の大きさが倍に膨れあがった。
深層講堂のときよりも反射時の威力上昇が大きいのは、今の<祈希誓句聖言称名>により、反射や魔弾を司る神の力が高められたからだ。
更に、跳ね返っていった<災淵黒獄反撥魔弾>がなにもない空間で突如停止し、押し潰れ始めた。
恐らくそこに、<変幻自在>で隠された結界がある。再度反射されれば、その魔弾はとてつもない威力に跳ね上がるだろう。
<剛覇魔念粉砕大鉄槌>がゆっくりと持ち上げられるように、再び頭上に姿を現す。
魔弾と大鉄槌による同時攻撃。
イージェスは即座に判断した。
手にしていた額縁を、<剛覇魔念粉砕大鉄槌>めがけて投げたのだ。
「画楼を出せ!」
額縁の中から、建物が姿を現す。
築城の秩序を有するメイティレンの力で建てられた画楼だ。
「ぬんっ!」
イージェスはその画楼にディヒッドアテムの穂先を飛ばし、支えた。
ドッ、ガガガガガッ、と外壁という外壁を破壊しながら大鉄槌が画楼を粉砕していく。
だが、どうにか止まった。
その間、反射した<災淵黒獄反撥魔弾>は、巨大に膨れあがり、目にも止まらぬ速度でイージェスの脇をすり抜けていた。
ディヒッドアテムの穂先が消える。
直後、イージェスの体から夥しい量の血が溢れ出た。
「紅血魔槍、秘奥が肆――」
魔弾の進行方向に、一つの門が現れる。
「<血界門>」
防げば反射する<災淵黒獄反撥魔弾>も、時空の彼方に飛ばす<血界門>には相性が悪い。ぶつからなければ、反射しようがないからだ。
唸りを上げて突き進む魔弾は、<血界門>をくぐった。
瞬間、イージェスは魔眼を見張った。
魔弾を飛ばせないのだ。<災淵黒獄反撥魔弾>は<血界門>を素通りし、母さんの目の前に迫った。
「ちいっ……!!」
イージェスの姿が消え、次の瞬間、<災淵黒獄反撥魔弾>を受けとめていた。
かき乱された魔力場の只中へは<転移>では飛べぬ。ゆえに、紅血魔槍を胸に突き刺し、穂先ごと自分の体を<災淵黒獄反撥魔弾>に向かって飛ばしたのである。
「ぬ……ぬあぁぁっ……!」
<災淵黒獄反撥魔弾>に押し込まれ、イージェスの全身がボロボロになっていく。溢れる血を魔力に変え、彼は反魔法を集中した。
直後――
「か……これ、は…………?」
<災淵黒獄反撥魔弾>の中から飛び出してきた影の剣に、イージェスの腹部が貫かれていた。
理滅剣ヴェヌズドノアだ。
それが<血界門>の理を滅ぼしたため、魔弾は門を素通りしたのである。
「イージェスッ……!」
購買食堂から父さんの声が響く。
万雷剣を握り締めていた。
「余に構わず、今の内に――ぐ、う……!!」
冥王の口から、血が溢れ出す。
理滅剣が更に深く、イージェスの腹に押し込まれた。
それが今にも体を貫通し、母さんへと迫ろうとする中、<災淵黒獄反撥魔弾>が不気味な鳴動を始めた。
「団長っ!! 奥方様をっ……!!」
「お、おうっ! イザベラッ!!」
瞬間、<災淵黒獄反撥魔弾>が弾け、庭園に派手な爆発が巻き起こった。
それに押され、理滅剣がイージェスの腹部を貫通する。
追いすがろうと、紅血魔槍の力で冥王が飛ぼうとしたその瞬間――彼の隻眼はヴェヌズドノアが血に染まる光景を捉えた。
ポタ、ポタ、と赤い雫が地面に染みをつける。
「――これは奇妙な魔剣、いや魔法であるか?」
男性の声が響いた。
父さんのものでも、イージェスのものでもない。
初めて聞く声だ。
「いつの間にパブロヘタラはこれほど物騒になったであろうか」
そこに立っているのは、一人の青年だ。
白いメッシュを入れたおかっぱ頭で、制服には人形の校章をつけている。
彼は右手を、影の剣に貫かれながらも、刃先をぐっと握り、押さえている。
次の瞬間、青年の手の平から、金粉混じりの赤い糸がしゅるしゅると伸びたかと思えば、理滅剣に巻きついていく。
いかなる力か、なおも動こうとしていたその魔剣が沈黙した。
「見たことのない魔法であるな。何者か存ぜぬが、パブロヘタラで暴れるとは不届きな。これ以上は、我が世界を敵に回すと知れ」
力強く青年が言う。
瞬間、影の剣は魔力が途絶えたかのようにふっと消滅し、赤い糸が地面に落ちた。青年が手の平をかざせば、糸はまた彼の体の中に戻っていった。
数秒の静寂が、その場を覆った。
父さんは万雷剣を手に、母さんを庇ったまま、じっとしている。
イージェスは、突如現れた青年と、周囲に魔眼を凝らし、警戒していた。
「どうやら、逃げたようであるな」
母さんが顔を上げ、ゆっくりと立ち上がる。
そして、ようやく頭が回ってきたとばかりに、おかっぱ頭の青年に近づいていった。
「あ、あの……」
青年は母さんを振り向く。
「怪我はないか?」
「はい。ありがとうございます」
子供のように青年は笑う。
「それはよきことである」
「あ、でも、あなたは怪我を……エクエスちゃん、治せる」
自分を守ろうとしていた炎体のエクエスに、母さんは言う。
『治したくないぃ』
「お願い」
母さんが青年に駆けより、そっと彼の手をとった。
ギィン、ギギィ、と耳鳴りがした。
母さんと青年が、まるで共鳴するかのように互いに魔力を放つ。
彼は咄嗟に手を引いた。
「あ……えっと……」
魔眼のない母さんには、今の共鳴が見えていない。
振り払われたように思ったのだろう。
「……いや、これは……申し訳ない……」
そう言いながらも、彼は母さんの顔をじっと見つめていた。
「心配は不要である。この身は頑丈なのだ」
そう言って、すぐに踵を返す。
「待って。あの、お名前は……?」
「またいずれ。少々急ぎである。さらばだ」
颯爽と踵を返し、おかっぱ頭の青年はその場から立ち去っていった。
襲撃者を退けた青年の正体は――?