聖道三学院
「なるほど」
深層講堂の一角から、重たい声が響いた。
「ミリティアの元首殿は大層な自信があるようだ」
立ち上がったのは、ベレー帽の男だ。
いかにも学者といった雰囲気の彼は、泰然と言葉を放つ。
「確かに汝は只者ではない。ベルマス殿の聖句を返した手並みと言い、治めている小世界といい、異質な存在であることは事実。単騎で王虎メイティレンを圧倒した、というのも、信憑性がある」
手にしている魔王新聞の号外に視線を落としながら、ベレー帽の男は続けた。
「一端の力があることは認めよう。しかし、肝心の知恵はどうかな? 力押し一辺倒で乗り越えられるほど、深層講堂の洗礼は甘くない」
男が号外を指で弾けば、それは空中で燃え、瞬く間に灰になった。
「聖道三学院の一角、思念世界ライニーエリオンが元首、このドネルド・ヘブニッチがそれを教授しようじゃないか」
「まとめて挑みたいというのは不作法さ」
と、今度は顔に派手な化粧を施した男がぴょんっと飛び上がり、机の上に立った。
ひょうきんな法衣を纏っており、まるでピエロだ。
「ま、でも、新入りっていうのはそういうもんさ。コーストリアも一緒にやるっていっても、別にオイラは構わないけどね。どうせ、彼女まで順番は回りゃしないのさ」
「なかなか愉快な格好だな。お前も聖道三学院か?」
そう問えば、「そうさ」と答え、ピエロの男はおどけるようなお辞儀をした。
「オイラは粉塵世界パリビーリャの元首、道化一門の導師リップ・クルテンさ」
リップは再び跳躍し、その場でくるんと一回転をする。
「いやはや、敵を甘く見る癖はなかなか直らんものだな」
先程まで壁にめり込んでいた大僧正ベルマスが、また元の場所に平然と立っていた。
捻り潰された体はすっかり元通りだ。聖句魔法は治癒にも使えるようだな。
「なにせ、それがしの聖句は強すぎる余り、並の者では致命傷となるのでな。手加減しすぎてすまなかった」
他に立ち上がろうという者はいない。
洗礼を行うのは、聖道三学院――聖句世界の大僧正ベルマス、思念世界の元首ドネルド、粉塵世界の導師リップ、それとコーストリアだ。
「参加者の確認を行いました」
オットルルーが床の魔法陣にねじ巻きを差し込むと、深層講堂全体に魔法陣が広がっていく。
立体魔法陣だ。
ぎい、ぎい、ぎい、と彼女はねじを巻くように、ねじ巻きを回転させる。
「<異界講堂>」
壁や床、天井が青く染まり、辺りは水の講堂へと変わった。
体が沈むことはなく、普通に歩くことができる。
「<異界講堂>はパブロヘタラ宮殿の魔力を利用した隔離された講堂です。魔法を行使しても実空間への影響はなく、参加者以外への被害はありません。<異界講堂>の外からは見ること、話すこと、また集団魔法の行使は可能です」
俺の配下たちを見れば、皆体が青く透き通って見える。
ミーシャが俺へちょんと手を伸ばすと、それは俺の体をすり抜けた。
「……干渉できない」
洗礼の参加者五名以外は、<異界講堂>の外にいるため、傷つけることはできぬというわけだ。
「順番決めよっか? 悪いけど、コーストリアは最後にさせてもらうよ」
ピエロの格好をした導師リップが言う。
「なんでもいい」
コーストリアはそっけなく言うと、円形の教壇から跳躍して、生徒側の机に座った。
「じゃ、今回はこれで」
リップは四枚のカードを取りだし、放り投げる。
くるくると回転しながら、それらは教壇の中央に浮かんだ。
カードの両面とも、同じ魔法陣が描かれている。
「カードを取って、魔力を送るのさ」
そう言いながら、リップが手を伸ばせば、一枚のカードが彼のもとへ飛んでいった。
俺も人差し指で手招きをし、一枚のカードを呼び寄せる。
骸骨仮面のベルマス、ベレー帽のドネルドも同じようにしてカードを手にした。
魔力を送る。
俺のカードから光が溢れ、数字の四を描いた。
「アハッ、外れさ。一番だったら、一人くらい脱落させられたかもしれないのにね」
まるでタネがあると言わんばかりに、ピエロが言う。
引いたカードはリップが二、ベルマスが一、ドネルドが三だ。
それが今回の洗礼における『構築者』の順番である。コーストリアは最後のため、俺の後、五番目となる。
「それがしが一番か。では」
大僧正ベルマスが手をかざし、魔法陣を描く。
すると、同じ術式の魔法陣が俺と他の三人の目の前に展開された。
「どうやら、お主は聖句魔法には適性がある模様。したらば少々、趣向を変えさせてもらおう」
ベルマスは手の平に魔力を集中する。
『「呪言属性中級魔法、<斬呪狂言>」』
それは、呪言の刃。
呪いの言葉は、中央の教壇に向けられ、それを斬り刻む。
『「「「<斬呪狂言>」」」』
と、一斉にリップ、ドネルド、コーストリアが唱えた。
魔法陣自体はベルマスが構築しているため、異なる世界に属する三人も行使することができる。
「さあ、聖なる言葉と真逆のこの呪言を、果たしてお主に――」
『「<斬呪狂言>」』
俺が放った鋭い呪言の刃が、円形の教壇を滅多斬りにしてのけた。
「あいにく呪いの方が得意でな」
構築者が放った魔法の深淵と、目の前にある術式の深淵を覗くことができれば、後は魔力と技量次第だ。
できぬ道理はない。
「……まだ一周目だ。小手調べで図に乗るなよ…………」
「二度も小手調べをする奴がどこにいる? いいから、次は深層大魔法で来い。欠伸をしながら合格できては洗礼にもならぬと言ったはずだ」
「深層大魔法を見せて欲しかったら、それなりの力を見せることさ」
二番手、粉塵世界の導師リップがそう軽口を叩いて、魔法陣を描く
先程同様、他の四人の目の前に同じ魔法陣が現れた。
「オイラの魔法は、粉塵ふりまく道化の魔法。真似できるものなら、真似してごらんよ。ほうら、化粧属性中級魔法――」
リップが俺へ指先を向ける。
「<変幻自在>」
魔法の粉が降りかかったその瞬間、俺の右手が腐り、ぼとりと落ちた。
「ほう」
「それはね、化粧した通りの結果を及ぼす魔法さ。傷を化粧すれば本当に血が溢れ、腐敗を化粧すれば腐り落ちる。早く<変幻自在>で元の肌に化粧しないと、大変なことになるよぉ」
<変幻自在>の効果でみるみる俺の体は腐り、崩れ落ち、腐食した黒い錆と化した。
「アハッ」
リップが<転移>で転移し、黒い錆の前に現れる。
「失敗だね、ざーんねん。治してあげよっか?」
突如、耳を劈く獰猛な唸り声が上がり、黒い錆から巨大な骨の龍が現れる。
絶句したリップに、うねるように体を伸ばし、骨の龍は猛然と押し迫り、鋭い牙を突き立てた。
「失敗したからって、なにムキになってんのさ」
導師リップが魔法陣を描くと、六つの魔法球が出現する。それを両手の指に挟むと、彼は魔力を込めて、骨の龍へと投げつけた。
魔法球は骨の龍を貫通し、その後ろにある水の壁にめり込んだ。
「どんなもんだ――」
途中で言葉を止め、リップはびくんと震えた。
俺が、背後から彼の肩をつかんだのだ。
「なにを一人で踊っている? あれはお前の世界の魔法だろうに」
リップがぎこちなく振り向く。
「……いつ気がついたのさ…………?」
「<変幻自在>が粉で幻影を生み出すだけの魔法ということなら、術式を見た瞬間にな。俺が使う魔法によく似ている」
俺の体が腐食したのは奴の<変幻自在>で、そこから骨の龍となって現れたのが俺の<変幻自在>だ。
その魔法は<幻影擬態>と同じく、幻影を見せるだけの効果しかない。
とはいえ、視覚だけではなく、臭覚や聴覚など五感や魔眼にさえ影響を与える。幻影の見極めは困難だ。
<変幻自在>をよく知っているリップさえ、欺けるほどに。
<幻影擬態>の上位魔法といったところだろう。
「なるほど。<変幻自在>を食らっても動じないところを見ると、洗礼のルール上、相手の魔法による妨害が入る可能性を折り込み済みだったか」
思念世界の元首ドネルドが言った。
「魔法効果の説明が嘘だとも見抜いた。どうやら頭もそこそこ回るようだ」
彼やコーストリアたちも、今のいざこざの隙にすでに<変幻自在>発動をクリアしている。
次は三番手、ドネルドが構築者となる。
「言語や化粧を用いた魔法はお手の物と見えるが、それでは思念はどうかね?」
ドネルドが魔法陣を描く。
他の四人の目の前にも同じ魔法陣が構築された。
「君の力に敬意を表し、我が世界における思念属性上級魔法を見せてあげよう。思念による魔法制御は、普段は使わない意識の底の領域を使用するため、耳に聞こえる言葉や目に見える化粧とは難度が違う」
ドネルドが<創造建築>の魔法を使い、教壇にざっと一〇〇体の人形を並べた。
皆、人間並の大きさだ。
「説明しよう。これが我が思念世界において、一流の魔法使いと認められる証、<思念平行憑依>」
魔法が発動すれば、一体の人形が動きだし、口を開いた。
「わかるかな? 操っているわけではない。このドネルドの思念が直接人形に乗り移ったのだ」
「無論、本体もこうして動くことができる」
人形の声と重なるように、今度はドネルド本体が喋る。
「人形に乗り移るまではできたとて、その先は簡単なことではない。なぜなら、<思念平行憑依>に必要なのは、別々のことを同時に考える平行思考だ。君は割り算をしながら、同時にかけ算ができるかな? 思念魔法を極めた私ならば――」
ドネルドが指を鳴らせば、一〇〇体の人形がそれぞれ意思を持ち、別々に動き出した。
「この通りだ。さあ、一体でも制御できるなら合格と――なっ……!?」
ドネルドとその人形一〇〇体がまさに驚愕といったように、あんぐりと口を開いた。
俺の席では、<創造建築>で作った人形が一〇〇体、それぞれ別々の格好で、眠たそうに欠伸をしている。
「……わ、私と同じ、一〇〇体同時平行思考……」
足を組み、頬杖をついて、俺は言う。
「欠伸が止まらぬぞ、ドネルド・ヘブニッチ」
俺の一〇〇体の人形は、手を床につき、逆さになっては激しく踊り始めた。
「ば……ビッ……!? 路傍回転舞踊……」
感嘆したように奴は踊る人形に視線を向ける。
「<思念平行憑依>は、分けた意識を人形に憑依させるようなもの……操り人形ではなく、それぞれが術者の思考で動き、五感も直接返ってくるが、それだけに、同調した動きをするなら、普通のダンスと難度が変わらない。いや、それ以上の思考訓練が必要……それをこうも容易く、だが――!!」
ぎらりと魔眼を光らせ、奴の人形が次々と逆さになった。
「思念世界が元首、このドネルド・へヴニッチ、<思念平行憑依>で路傍回転舞踊ぐらいできぬと思ってかっ……!」
激しく奴の人形が踊り始める。
「ほう。そちらの世界では路傍回転舞踊と言うのか。では、ミリティア世界でのこれの名を教えてやろう」
俺は人形とともに、机の上に頭をつき、手を離しては足を広げ、その場に高速で回転した。
「――路辺回転舞踊だ」
「……ぬっ、ぬうぅ……!!」
すでに俺は<思念平行憑依>を行使した。
俺と奴の対決をよそに、他の三人も普通に<思念平行憑依>の発動を終えている。
さっさと次に進めばいいだけのことだが、それは思念世界を治めるドネルドのプライドが許さなかった。
「なんのっ、これしきぃっ!!」
奴の人形が床に頭をつき、その場で回転を始める。
即座にドネルドもベレー帽を投げ捨てると、机に頭をつき、激しくヘッドスピンした。
「思念世界が元首、この百識王ドネルド・へヴニッチを甘く見るな!!」
「遅い」
奴のヘッドスピンをよそに、俺は回転速度を三倍に上げた。
「ま・だ・ま・だぁぁーっ!!」
百識王ドネルドは、負けじと俺の更に三倍でヘッドスピンした。
「うりゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ほう。なかなかどうして、聖道三学院というのも伊達ではない」
首にぐっと力を入れ、俺は人形とともに逆さになったまま飛び上がる。
「褒美をくれてやろう」
「……なっ……首で飛んだっ……!?」
跳躍しながらドネルドの四倍の速度で回転すれば、それを見ていた創術家ファリス・ノインが言った。
「――あぁ、まさしくあれは偉大なる魔王陛下がもたらす回転の美」
「ちょ・ご・ざ・い・なぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
ドネルドは俺と同じく首の力だけで跳躍した。
そして、見事に四倍ヘッドスピンを決める。
ニヤリ、と奴は笑う。
その直後だった。
次々とドネルドの人形たちが落下して、ヘッドスピンの制御を失った。
「な、に…………!? これは…………!?」
ドネルドも真っ逆さまに落下し、頭が机についた瞬間、ぐきっと首を捻った。
「ぐふぅぅぅっ……!!」
「確かにお前は一〇〇の平行思考を難なくこなす。本体が平常な状態にあれば、な」
バタバタと百識王の人形たちが、その場に崩れ落ちていく。
「あまりに速すぎるヘッドスピンが、お前の平行思考を乱し、<思念平行憑依>の暴走につながったのだ」
一言で言えば、目を回した。
「……ぬ、ぬ……ぬぅぅ……」
頭で机に着地し、腕を組みながらも更に回転速度を増し、俺は百識王ドネルド・へヴニッチに言葉を突きつける。
「平行思考は互角でも、頭の回転は俺が速かったな」
思考力の変わらないただ一人の回転舞踏家――