洗礼
庭園に椅子と机を並べ、購買食堂『大海原の風』のテラス席を作った。
ちょうどよいので、ここで朝食とする。
生徒全員分を作るのは母さん一人では手が足りぬため、ミーシャたちが手伝っていた。
皆が殆ど食べ終わったという頃――
「まだ食べる時間あるかな?」
遅れて、レイがやってきた。
制服の上着を脱いでおり、手には霊神人剣を携えている。
シャツは汗でぐっしょりと濡れていた。
朝から、剣の鍛錬に励んでいたのだろう。
「少しは使いこなせるようになったか?」
希望パンをレイに放る。
それを受け取り、彼は爽やかに微笑んだ。
「油断すると、すぐに根源を持っていかれるんだよね」
魔眼を向ければ、レイの根源は残り一つにまで減っている。
珍しく苦戦しているようだが、なかなかどうして充実した顔だ。
新たな力を発揮した霊神人剣を振るのが、楽しくてたまらぬのだろう。
「いつハイフォリアの連中が返せと言ってくるかわからぬぞ」
「できれば、完全になった霊神人剣も試してみたいところだけど」
言って、レイはパンを頬ばる。
「さて、機会があればいいがな」
持っていたコーヒーのカップを渡してやれば、彼はそれを一気に飲んだ。
「あー、そういえば、ちょっと気になってたんだけど」
ゼシアの口元をテーブルナプキンで拭きながら、エレオノールが言った。
「バランディアスの人たちとか、ファリスって城魔族じゃなくなっちゃったのかな? ほら、バランディアスは主神がいなくなって、築城に偏った秩序が消えちゃったでしょ。ファリスはミリティア世界の住人になったから、ミリティアは秩序に偏りがないし」
「これから生まれる者はともかく、すでに生まれている者に変化はないようだ。この後は変わっていくやもしれぬがな」
世界が変わろうと、人は急には変わらぬ。
なにもかもが主神に左右されてしまうわけではないということだ。
「レイ。まだ食うのなら持っていけ。そろそろ時間だ」
「じゃ、少しだけ」
レイは大量のパンが入ったバスケットに手を伸ばし、そのまま持ち上げた。
まだ購買食堂に客が残っていたため、父さんと母さんの護衛にイージェスを残し、庭園を後にする。
残りの生徒たちとともに、宮殿の通路を進み、四つの柱に囲まれた場所へやってきた。
転移魔法陣の上に乗り、俺は言う。
「浅層第一」
魔力を送れば、視界が一瞬真っ白に染まる。
「――転移解除」
と、事務的な声が響き、視界が元に戻る。
転移は完了しておらず、俺たちはまだ四つの柱に囲まれた場所にいた。
目の前に裁定神オットルルーの姿があった。
「お伝えするのが遅くなりました。本日から魔王学院は深層講堂に籍を移します」
「あーれ? 小世界の深さで教室を分類しているんじゃなかった?」
不思議そうにエレオノールが尋ねる。
銀水序列戦でバランディアスを倒したが、火露は奪わなかったため、ミリティア世界は浅層世界のままだ。
「深さのみの評価ではありません。講堂の選定は、序列によっても左右されます。より深層の講堂では、それだけ深い魔法、また深淵へと迫るために必要な講義が行われます。浅層世界のものが序列を上げ、中層講堂での講義や訓練を経て、中層世界に進化するというのが一般的です」
序列が先に上がり、その後に世界が深くなる構造ということか。
確か、不動王カルティナスはあえて序列を低くして、浅層世界ばかりを相手にしていると言われていたが、パブロヘタラの仕組みを逆手にとったのだろう。
張り子の虎と揶揄されるわけだ。
「んー、でも、中層講堂を飛ばして、いきなり深層講堂なんだ?」
「深層世界であるバランディアスに勝利したこと。変則的ではありますが、事実上ミリティアに主神が二名存在すること。そして特に、主神である王虎メイティレンを滅ぼしたこと。以上三点をパブロヘタラの規定に則り、評価しました。ミリティアの現序列は一八位です。こちらへ来た当時は最下位の一八三位でした」
「わおっ。沢山上がったぞっ」
エレオノールが言うと、ゼシアが続けて言った。
「いっとうしょー……目指し……ます……」
「うんうん、がんばるぞー」
主神の数が序列の決定に関わるということは、小世界につき、主神は一人とは限らぬということか。
特に一位を目指す理由もないが、一〇位以内に入れば、聖上六学院のイーヴェゼイノにも接触しやすくなる。
序列が上がるならば、それに越したことはあるまい。
「また説明が後になりましたが、前回の銀水序列戦にて、魔王学院は一〇二個の校章を獲得しました。登録した生徒数を上回ったため、パブロヘタラの学院同盟へ正式加盟の権利が与えられます。本日聖上六学院による審査を経て、加盟が完了となります。形式的なもののため、否決された前例はありません」
バランディアスの飛空城艦は一隻三〇名ほどで動かしていた。飛空城艦を武器に粉砕していったついでに、奪っていたのだが、少々取りすぎだったな。
「他にご質問はありませんか?」
「問題ない」
「では、移動します。深層第二」
視界が真っ白に染まり、俺たちは転移した。
目の前に現れた第二深層講堂の扉を、オットルルーがゆっくりと開け放つ。
その瞬間だ。
扉が開ききるより先に、鋭い刃物が俺の顔面に勢いよく突き出された。
素手でそれをつかむ。
見れば、それは先端が尖った日傘である。
「やあ、来たね。アノス・ヴォルディゴード」
三つ編みの少女が顔を近づけ、両眼を開く。
ガラス玉の義眼が俺をぎろりと睨んだ。
災淵世界イーヴェゼイノの住人、コーストリア・アーツェノン。
母さんを狙った二人組の内の一人だ。
「ふむ。なかなか熱烈な歓迎だな」
「ただの挨拶だよ。災淵世界の常識を教えてあげただけ」
「それはそれは、ずいぶんと品の良い世界のようだな」
睨んでくるコーストリアに、俺は笑みを向けて言った。
「ちょうどお前たちに会えぬものかと思っていてな。同じクラスならば好都合だ」
「まさか。聖上六学院は、君たちと一緒に授業なんか受けないよ。私は講義をしにきただけ」
深層講堂にいるのは深層世界の者ばかりだろう。講師役が聖上六学院でもなければ、授業にならぬといったところか。
「なぜ母さんを狙った?」
「君の一番大切なものってなに?」
コーストリアは日傘を引いて、好戦的な笑みをたたえる。
「教えてくれたら、答えるよ」
「平和だ」
即答してやれば、コーストリアは暗い情動に突き動かされたように唇を歪めた。
「じゃ、そのミリティアの平和を――」
「心穏やかにキノコグラタンを食べられる日常、それこそが俺の最も大切な至高の一時。それを奪おうという輩は何人たりとも決して許さぬ」
途端に真顔になり、奴は義眼で俺を睨めつける。
「死んじゃえ」
言い捨て、コーストリアは踵を返す。
彼女はふわりと跳躍し、円形の教壇に着地した。
浅層講堂と同じく席は全方位に設けられており、教壇を取り囲むように椅子と机が並べられていた。
「あなたの世界、序列何位になった?」
適当な席までゆるりと歩きながら、俺は答えた。
「一八位だそうだ」
「前代未聞ね」
コーストリアはすました顔で目を閉じる。
「泡沫世界で、元首は不適合者、あげくに世界の意思である主神の力を剥奪してしまったなんて、パブロヘタラの長い歴史の中にも、そんな前例はない」
淡々とした言葉には、けれども聞いているだけで人を不快にさせるような、負の感情が溢れ出ている。
義眼を潰してやったのを、ずいぶんと根に持っているようだな。
簡単に直せるだろうに、なにが逆鱗に触れるかわからぬものだ。
「君たちはこの学院の伝統に背いている」
「つい最近加盟したイーヴェゼイノが伝統を口にするとは面白い」
「うん、幻獣機関はまだ日が浅いよ。だけど、太古の昔からここにいる彼らはどう思うかな? 魔王学院を認めてると思う? 深層講堂の生徒たちが、泡沫世界の不適合者なんかを」
一瞬、他の学院の生徒たちが、俺たちに刺すような視線を向けた。
直接口には出さないものの、なかなかどうして、刺々しく発せられている魔力は、とても歓迎しているといった雰囲気ではないな。
「今日の授業だけど」
含みを持たせて、コーストリアが言う。
「新しく深層講堂に来た学院には洗礼を受けてもらう伝統があるの」
「ほう」
「ただのレクリエーションだよ。心配しないで」
くすりと笑い、コーストリアは続けた。
「ルールは簡単。『構築者』を一人選び、その人は任意の魔法陣を構築する。その他の生徒は『行使者』となって、『構築者』が展開した魔法陣を使って魔法を行使する。構築者が見本を見せるから、それと同じ魔法を発動できたら成功。できなかったら失格。失格した人を除き、構築者を変更して洗礼を続ける」
他人が構築した術式で魔法を使うのは難しい。
とはいえ、他者が構築した魔法陣というのは、術式の構築を補助されているに等しい。
難度は高いが独力では行使できぬ魔法も、そのやり方なら行使できる。
つまり、魔力の制御と魔法技術を試されるというわけだ。
難しいのは、異なる世界の魔法を使うという点だろうな。まして自らの世界より深い世界の魔法を行使するとなれば、普通ならば知識が足りぬ。
新しく深層講堂に来た学院にはずいぶんと不利だな。
「三周して失格にならなかったら、合格だよ」
「不合格なら?」
「序列五〇位、中層講堂からやり直し」
なるほど。
「洗礼とはよくいったものだな」
瞳を閉じたまま、コーストリアはふわりと微笑む。
「安心して。第二深層講堂のトップ、聖道三学院は不参加。小世界における最上級魔法、いわゆる深層大魔法の使用は禁止。一周目は基礎魔法、二周目は下級魔法、三周目は中級魔法に決まってるから」
それでも合格は無理だと言いたげだな。
「話にならぬ」
「逃げるのかな?」
嫌らしい笑みで、コーストリアは言う。
「逃げる? くはは。寝ぼけるのも大概にせよ。欠伸をしながら合格できては洗礼にもならぬと言っているのだ」
真っ先に反応を見せたのは、コーストリアではなく、他の生徒たちである。
かんに障ったと言わんばかりに鋭い視線を放つ彼らを無視し、俺はコーストリアへ言葉を続けた。
「端から聖道三学院など眼中にない。いいから、お前がかかってこい、アーツェノンの滅びの獅子」
「あ、そ。別にいいよ。君がそれでいいなら」
コーストリアの全身から黒き粒子が溢れ出す。
それは暴力的なまでの魔力の奔流だ。
「来い。先行は譲ってやる。せいぜい俺が行使できぬ魔法を――」
『「黙れ」』
俺の言葉に割りこむように、強制力を伴う呪いに満ちた声が、大気を劈いた。
振り向けば、ゆっくりと男が立ち上がる。
顔の下半分に骸骨の仮面を装着している。
その骨の牙から、多重魔法陣が展開されていた。
「名乗らせていただこう。それがしは聖道三学院が一、聖句寺院大僧正ベルマス・ファザット。聖句世界アズラベンの元首である」
大僧正ベルマスは、挑発するような視線を飛ばす。
「喋れぬであろう? それは我がアズラベンの聖句属性上級魔法<聖句従属命令>。聖なる言葉を聞いたが最後、それ以上の聖句魔法で上書きしなければ、効果が切れるまで命令に従うこととなる」
大僧正ベルマスは俺を指さした。
「聖道三学院など眼中にないとお主は言うたが、我が世界の深層大魔法どころか上級魔法にさえかような始末。ましてや、一足飛びに聖上六学院に挑もうとは、身の程知らずも甚だしい。大人しく普通の洗礼を受け、これからは言葉を慎重に選ぶことだ。わかったら、右手を上げなさい」
奴の忠告に対して、俺は無言の笑みを返してやる。
「仕方がないお人だ」
仮面についた骸骨の牙に魔法陣が重ねられる。
『「捻り潰れ、吹き飛べ!」』
向かってくる<聖句従属命令>に対し、俺は発声とともに魔法陣を描いた。
『「お前がな」』
「――――――なっ……」
俺の言葉が、奴の耳を通り、その根源を激しく揺さぶる。
「が、ぼぼぼぼぼぉぉ、ぐぼぉぉっ……!!!」
全身から血を噴き出しては捻り潰れ、大僧正ベルマスは勢いよくぶっ飛んだ。
そのまま彼は壁を砕き、勢いよくめり込む。
体の頑強さを無視して捻るとは、なかなかどうしてよい魔法だ。
まあ、欠点も多いがな。
「…………こ、れ……は…………<聖句従属命令>………なぜ、だ……? 口を封じられては使えないはず……」
大僧正ベルマスは、不可解そうに俺を睨む。
「黙れと言うので、静かにしてやっただけだ。こんなものは格下でもなければ、不意をつかねば通じぬ。おまけにかけ損なえば、聖句は容易く己の身に跳ね返る。今のお前のようにな」
「……う、ぬ…………」
屈辱に染まった顔で、ベルマスは歯をぎりぎりと鳴らす。
最初に飛んできた聖句は、<破滅の魔眼>で睨み消したのだ。
見たところ、<聖句従属命令>は口にした命令を実現する強い効果を発揮する分、僅かでも術式が乱れれば途端に力は薄れる。
「不服のある者は前へ出よ」
俺は講堂にいる生徒たちへざっと視線を向けた。
「お前たちの伝統に、俺の洗礼をくれてやろう」
パブロヘタラに襲いかかる魔王の洗礼――