前世
「<極獄界滅灰燼魔砲>――」
自らの声を聞き、微睡んでいた意識が引き戻される。
次の瞬間――
「はああぁぁっ!?」
悲鳴のような声とともに、部屋の扉が勢いよく開け放たれ、血相を変えたサーシャと少し慌てたミーシャが入ってきた。
「ちょっと、アノスッ、起きなさいっ!! 寝ぼけるにもほどがあるわ!」
ベッドの上に飛び乗り、サーシャは眠る俺の体を揺する。気つけとばかりに、<破滅の魔眼>を叩き込んできた。
「まったく」
ベッドの脇から、ひょっこりとミーシャが顔を出す。
小首をかしげ、「起きた?」と訊いているかのようだ。
「朝から騒がしいことだ。そんな魔眼で見ずとも、とっくに起きているぞ」
「じゃ、その手はなんなのよっ!?」
仰向けになりながら、俺が伸ばした右手は複雑な魔法陣を描いている。
「<極獄界滅灰燼魔砲>だが?」
「<極獄界滅灰燼魔砲>だが、じゃないわっ! パブロヘタラを吹き飛ばすつもりっ!?」
途中まで構築した術式を維持したまま、俺はゆるりと身を起こし、ベッドに腰かけた。
場所はパブロヘタラ宮殿。
魔王学院に割り当てられている宿舎の一室である。
元首用の部屋のため、他よりも少々豪奢な造りだ。
「夢を見てな」
「……やっぱり寝ぼけてたんじゃない……! そういうのは、<獄炎殲滅砲>までにしておいてよね」
唇を尖らせながらサーシャがぼやく。
ミーシャが俺の目を覗いた。
「どんな夢?」
「一万四千年前の銀海だ。<融合転生>によって、記憶が混ざり合うと言っていたからな。ロンクルスの記憶だろう」
俺は自ら描いた<極獄界滅灰燼魔砲>の術式に、魔眼を向け、その深淵を覗いた。
「第一魔王、壊滅の暴君アムルという男がこれを使っていた」
サーシャは目を丸くして、ミーシャがぱちぱちと瞬きをする。
「ええと、銀水聖海の魔王って、六人全員が大魔王ジニア・シーヴァヘルドの継承者候補で、不可侵領海って話よね……?」
ミーシャはこくりとうなずく。
「あれ? でも、ちょっと待って。それって、色々おかしくないかしら?」
悩ましそうな顔で、サーシャが自らの頭に手をやった。
「<極獄界滅灰燼魔砲>は、アノスがミリティア世界で開発した魔法でしょ? 泡沫世界の秩序は、それより深層の小世界に流れていくけど、ミリティア世界を知らない第一魔王が、どうやってその術式を知ったのよ? それに一万四千年前って……?」
「アノスはまだ生まれていない」
ミーシャが言う。
サーシャは俯き、また考え込む。
「深層世界の魔法と考えるのが妥当だろうな」
二人は俺に問うような視線を向けた。
「ミリティア世界の魔法にしては、<極獄界滅灰燼魔砲>は強力すぎる」
ミーシャが小首をかしげる。
「遡航術式?」
「恐らくな」
状況から察するに、それが一番確実だろう。
<極獄界滅灰燼魔砲>には遡航術式が組み込まれている。他の世界の魔法律を使っているのだ。恐らくは、深層世界の。
同じ世界の魔法や秩序をもういくつか見られれば、その深淵を覗き、もっと詳しくわかったやもしれぬが、<極獄界滅灰燼魔砲>の術式だけでは、どの世界の魔法律を使っているかも確定できぬ。
単純化して考えるなら、魔法律、術者、術式、魔法効果によって、魔法の深淵は覗くことができる。
魔法律、術者、発動した魔法がわかっているなら、術式の意味は自ずと理解できよう。
たとえば世界が一つのみ、ミリティア世界だけだったならば、深層世界から浅層世界へ魔法律を逆流させる遡航術式を、考慮せずともよい。
選択肢はその分少なくなり、俺は<極獄界滅灰燼魔砲>の深淵を見ている、と思っていた。
だが、そうではないことが判明した今、その意味合いは変わってくる。
ミリティア世界の外側には、無数の小世界が存在し、数多の魔法律が存在する。
それらは複雑に他の世界に影響を及ぼす。
他の世界の魔法律を知らぬ以上、この滅びの魔法の深淵は覗けぬ。
遡航術式一つとっても様々だ。
<堅塞固塁不動城>は比較的わかりやすかった。
<二律影踏>、<掌握魔手>はそれより複雑だ。
つまり、魔法が深くなればなるほどその深淵が覗きにくくなる。
<極獄界滅灰燼魔砲>は、あるいは<掌握魔手>より深いか?
なかなかどうして、底には底があるものだ。
「じゃ、なに? アノスはミリティア世界にいながら、知りもしない深層世界の魔法律を使って、魔法術式と遡航術式を開発していたってこと?」
俺は無言でサーシャに視線を向けた。
「……違うの?」
「ミリティア世界では、他の世界の魔法律などいくら魔眼を凝らしてもわからぬ。闇雲に術式を構築していき、たまたまそれが遡航術式を組み込んだ深層魔法だったなど、あまりに偶然がすぎる」
数字も読めぬのに、数式を解けと言っているようなものだ。
偶然答えが合致する確率が限りなくゼロに近いことは、考えるまでもあるまい。
「なにより、俺が<極獄界滅灰燼魔砲>を開発したとき、確信があった。ミリティア世界の魔法律をねじ伏せ、終末の火を放つことができる、と」
「……えっと、じゃ、どういうこと…………?」
サーシャが問う。
「この根源は、かつて深層にあった。最初から<極獄界滅灰燼魔砲>を知っていたのだ」
だからこそ、ミリティア世界にありながら、その魔法に至ることができた。
「……ああ、そっか……。そう、よね……。ファリスがミリティア世界からバランディアスに転生したんだし、別の世界からミリティア世界に生まれ変わる人がいてもおかしくないのよね。銀水聖海じゃ、<転生>は使えないわけだから、記憶がなくて当然だもの……」
言いながら、サーシャはなにかに気がついたようにはっとした。
「――って、それじゃ、アノスの前世は、その壊滅の暴君ってことっ?」
ミーシャが二度、瞬きをする。
「バランディアスの城魔族たちが、姿を消した魔王がいるって」
「俺がアムルとも限らぬ。<極獄界滅灰燼魔砲>が壊滅の暴君にしか使えぬならそれで確定だろうが、そうではあるまい」
二律僭主の体に入っていたロンクルスと戦ったとき、俺が<極獄界滅灰燼魔砲>を放とうとも、あの男はさして驚いた風でもなかった。
壊滅の暴君の専売特許だったならば、二律僭主の執事であるロンクルスがなにも言わぬとも思えぬ。
「<極獄界滅灰燼魔砲>って起源魔法でしょ。破壊神アベルニユーと創造神ミリティア、魔王アノスの魔力を過去から借りるじゃない。どの世界の破壊神と創造神でもいいのかしら?」
「問題あるまい」
他の世界にも創造神がいることはわかっている。
同様に破壊神も存在するだろう。
多少の差異は出るとしても、使うことはできよう。
「……うーん、だとしても、そんなに術者が沢山いるとは思えないけど……」
「俺の前世がわかるなら、母さんを狙った災淵世界イーヴェゼイノともつながるやもしれぬ。確かめる価値はあるな」
「<極獄界滅灰燼魔砲>を使える人を探す?」
ミーシャの問いに、俺はうなずく。
「すでに死んだ術者をな。そこから辿り、母さんが災禍の淵姫と呼ばれている理由がわかれば僥倖だ。そうすれば、コーストリアたちが、母さんを狙った理由も察しがつく」
オットルルーに奴ら災淵世界イーヴェゼイノのことを尋ねたが、パブロヘタラの学院同盟に加盟してまもないため、さほど有益な情報を持ってはいなかった。
災禍の淵姫についても、様々な憶測と噂が飛び交い、正確なことはパブロヘタラにもわからないそうだ。
イーヴェゼイノが隠していると見た方がよい。
四の五の言わずにかかってくるのならば、さっさと潰してやるのだがな。
今のところ、まるで動きを見せぬ。
「あなたのお母さんも外の世界から転生してきたってことよね?」
「そうでなければ、奴らの勘違いだが」
どうにも、そのセンは薄そうだ。
「どうして深層世界の二人は、泡沫世界で生まれ変わった?」
小さく手を上げて、ミーシャが訊く。
「火露は泡沫世界から深層へ流出することはあっても、逆はない」
「普通ならばな」
銀水聖海では、火露は世界を渡っている。
根源は輪廻し、まるで別の世界で生まれ変わる。
その秩序から考えれば、誰もが皆深層へと向かっているのだろう。
「一人や二人、天の邪鬼がいたところで不思議はあるまい」
すると、ミーシャとサーシャは顔見合わせ、くすりと笑った。
「なんていうか、あなたとお母様らしいわ。銀水聖海の秩序に逆らって、深層世界から泡沫世界に生まれ変わるなんて。特にお母様なんてさっきも――」
あ、となにかを思い出したように、サーシャは声を上げた。
「そうだったわ! それを言いに来たのよっ」
「どうした?」
「あのね、だから、お母様がなんていうか、その、そうっ、またお母様らしいことをしてるのよっ! どうしようかと思って、それでアノスを起こしに来たのよ」
ふむ。わからぬ。
「もう。<極獄界滅灰燼魔砲>のせいですっかり忘れてたわ」
「母さんらしいこととは?」
「パンを焼いてる」
と、ミーシャが言う。
「いつものことだと思うが?」
「あー、とにかく来てっ。説明するより、見た方が早いわっ」
サーシャが俺の手を引く。
足元に魔法陣を描き、俺はさっと制服に着替える。
二人に案内されるがまま、宿舎を後にした。
お母様はいったいなにを――!?