剣の理合
シンとザイモン、二人は互いに剣を構え、真っ向から対峙していた。
「臆病だと?」
ザイモンが殺気を込めた鋭い視線を放つ。
「ええ」
ジリジリと間合いを詰めてくるザイモンに、シンは油断なく視線を配る。
「絵を描きたいという願いすら叶わない理不尽な世界。その理不尽に挑もうとすらせず、唯々諾々と従う城主たち。バランディアスを臆病と呼ばずして、なにを臆病と呼びますか」
ザイモンが城剣を振りかぶり、大きく踏み込んだ。
彼は奇妙な錯覚を陥っただろう。二人の間合いに変化はない。前へ進んだはずが、僅かたりともシンに近づかないのだ。
それは起こりを皆無に等しくしたシンの歩法が為せる技。予備動作がほぼ見えぬ彼の足捌きが動いたことを知覚させずに、間合いを計る。
ザイモンが踏み込む呼吸を読み、その分だけ後退したにすぎぬが、そうと気がつくまでの僅かな時間が、ザイモンの感覚を微妙に狂わせていた。
「銀城世界とはよく言ったものですね。あなた方は庇護された城から出る勇気のない、臆病な戦士にすぎません」
シンの魔剣が、ザイモンの魔眼に突き刺さる。
瞳を貫こうかというその直前で、やはり魔剣の方がバキンッと折れた。
奴の魔眼には、僅かに血が滲むばかりだ。
「それは、戦う覚悟を決めたファリスに対しても侮辱だ」
ザイモンの姿が、二人に分かれた。
魔法ではない。残像だ。軽やかに歩いているようにしか見えぬ奴は、その実高速で動き回り、シンの視界を幻惑している。
技には技で対抗する。
呼吸や間隔を狂わすシンの歩法を、逆に乱そうというのだろう。
「我らは待った。真にバランディアスに相応しい王が現れるのを。屈辱に耐え、泥をすすり、城剣を抜かずに忍びに忍んだ。臆病とそしられようとも、それが我らの戦いだったのだっ! 誇りと命を捨てても、崇高なる城を築かんっ! それが城魔族の魂だっ!!」
分身するザイモンが、一斉にシンを襲う。
目にも止まらぬ速度で走った刺突は、またしてもシンの体をすり抜ける。
だが、今度は先程とは違う。
シンの頬から、血が滴っていた。避けきれなかったのだ。
「我が戦友ファリスは、光を待っていた。優しく無欲なあやつは、自らが元首になることなど、想像すらしなかったようだ。だからこそ、我らは示したのだ! この命を差し出して、お前は確かに元首に足る器だとっ!!」
ザイモンの速度が更に増す。
深層世界バランディアスにおいて筆頭を名乗るほどの城魔族は、シンよりも数段上手の速さを誇り、彼の視界を翻弄する。
「ファリスはその魂でもって応えてくれたっ!! 戦う決意をし、カルティナスを討ち取り、この銀水聖海にバランディアスという真の銀城を築く誓いを示したのだっ!! 我らが覇道、最早何人たりとも妨げられはせんっ!!」
六人に分身したザイモンは、目にも止まらぬ連撃を繰り出す。
一秒毎に、シンの体から鮮血が散った。
その歩法と体捌きにて、ぎりぎり致命傷を避けているが、ザイモンは速すぎた。
彼の服が、みるみる朱に染め上げられていく。
だが、それでもなお、その眼光は鋭いままだ。
「命を差し出し、元首の器だと示した……ですか」
ゆらりとシンの体が揺れる。
ザイモンの知覚を乱すように、彼は歩を進ませる。
「自らの命を人質に取り、彼を脅したのではありませんか?」
ザイモンの刺突を寸前のところでかわしながら、シンはその左胸に刺突を繰り出す。
見事に本体を捉え、ザイモンの足が止まった。奴の体から血が溢れると同時に、シンの魔剣が砕け散る。
「あのとき、ファリスがカルティナスを討たなければ、あなた方城主はその一族郎党に至るまで皆殺しにされていたはずですが……それでも、彼は自分で決意し、選んだと言えるのでしょうか?」
至近距離で、ザイモンとシンは睨み合う。
「彼は強欲ですよ。戦乱の時代に、平和を求めるほどに」
「だからこそ、覇道を行く決意を決めた」
「彼が本当に光を待っていたのではないかと、考えはしませんでしたか?」
ザイモンは袈裟懸けに剣を振り下ろす。
「己でなすしかなかろうっ! 最も相応しきは、あやつなのだからっ!! 覇道を為せば、どのみちすべてに手が届くのだ」
高速の斬撃が、シンの胸を僅かに斬り裂く。
彼は魔法陣から新たな魔剣を抜いた。
「覇道を行く者の後ろ姿は、その人には見えません」
再び振るわれたザイモンの斬撃は、一呼吸の間に一〇〇を数えた。
それをすっとすり抜け、シンは奴の背後を取る。
「見えないものを、誰がどうして描けるのでしょう?」
ザイモンの背中に、シンは魔剣を突きつける。
「……己を俯瞰して見ることぐらい、俺の魔眼でもできることだ。絵を描きたければ、好きに描けばいい」
突きつけられた魔剣に意識を傾けながらも、ザイモンは言った。
「私もそう思います」
「……なに?」
「ですから、あなたはわかっていないのですよ。私と同じように」
業炎剣、秘奥が伍――<轟魔炎獄>。
渾身の力で振り下ろされた形を持たぬ炎の刃が、ザイモンを斬りつけ、燃やす。
蜷局を巻いた炎刃は決して離れず、いかに奴の体が頑強とて折れることはない。刻一刻と反魔法を突破し、皮膚を焼いては、肉を焦がす。
その瞬間――
「<堅塞固塁不動城>」
ザイモンが呟く。
銀城世界バランディアスの築城属性最上級魔法が、彼の全身に城を彷彿させる鎧を創る。
シンが放った炎刃が一瞬にして消し飛んだ。
「業炎剣、秘奥が陸――」
炎の刃が、鎧の隙間となる首筋を狙った。
「――<赤熱紅蓮>」
極限まで熱せられた紅蓮の刃、根源を焼き切る<赤熱紅蓮>が、ザイモンの首に触れ、そして弾け飛んだ。
剣身だけではなく、シンの手の中にあった柄すらも消滅している。
「切り札が、この程度か」
落胆したように、ザイモンが言う。
「ファリスの戦友。万が一に備えていたが、どうやら警戒するまでもなかったようだな」
城鎧を纏ったザイモンは、真正面から飛び込んできた。
シンは新たな魔剣を抜き、振り下ろすも城剣に容易く打ち払われた。
同時にシンの太ももが斬り裂かれ、血が溢れ出す。
「美辞麗句を並べ立てるだけで世界が変わるならば、喉が裂けるまで喋り倒そうぞっ!!」
瞬く間に攻守が逆転していた。
シンは肩を斬られ、頬を裂かれ、腹を貫かれ、みるみる追い込まれていく。
「ファリスもそれに気がついたのだ! 絵など描いても一人も救えんっ! 強き城を、何者にも屈することなき強大な城を建ててこそ、初めてバランディアスの平定はなるのだっ!」
シンの最大の一撃が致命傷にならぬと悟ったザイモンは、間合いも呼吸もなにも考えず、<堅塞固塁不動城>の鎧に任せてただ猛進した。
どう斬られても構わぬという防御を捨てた攻撃。
それでは、シンの技も歩法も効果が薄い。
「お前の言葉は、お前の剣と同じだっ! 美しく、敵を幻惑こそすれ、速さも力も重さもない。俺一人斬り捨てられん男が、バランディアスを斬り裂くだと!?」
シンは左手でもう一本の魔剣を抜こうとするが、それよりも速く、ザイモンが魔法陣ごとその魔剣を叩き斬った。
すかさずシンは右手の魔剣をザイモンの鎧の隙間に通す。
ガギィンッと硬質な音が鳴り響き、薄皮一枚裂けなかった。
「見ろ。これが現実、これが世界の秩序だ。それが間違っているとほざく暇があれば、我らは目の前の敵を斬り捨てねばならなかった」
「あなた方はそうやって言い訳をして、真の敵である秩序から逃げたのです。己の弱さを武器にして、味方へ突きつけるのはやめることです。敵に立ち向かってこその戦士でしょう」
「もう黙れ」
ザイモンが振るった城剣を、シンはその魔剣で受けとめる。鈍い音が響き、奴は膂力任せにシンの体を宙へ弾き飛ばした。
瞬間、ザイモンの魔力が無になり、その根源が城剣をつかんだ。
「斬城剣、秘奥が壱――」
シンが地面に着地した直後、魔力が迸る斬城剣が振り下ろされた。
「――<凩一刀>」
それは、目に見えぬ不可視の斬撃。
袈裟懸けに振るわれた長大な刃は、天井と城の内壁ごと、シンの体を肩口から斜めに両断していた。
「二度と綺麗事は言えまい」
血振りをし、斬城剣を鞘に納め、ザイモンはくるりと踵を返す。
あまりの斬れ味に数瞬遅れ、シンの体がズレ落ちる。
その刹那、シンの腕が動いた。魔法陣から魔剣が抜かれ、彼は自らの体に突き刺した。両断された体を縫いとめたのだ。
「今の秘奥は、悪くありませんね」
再生剣ケヘス。傷を癒やすその魔剣をもう一本抜き放ち、自らに突き刺しては、ズレた体をシンは強引に戻し、縫合する。
「力の差は十分に理解したと思ったが」
ザイモンが振り向く。
「捨て身で埋まるほど浅くはないぞ」
「この小世界にも慣れてきましたので。あなたと剣を交えたおかげで」
再び斬城剣が鞘から抜き放たれる。
ザイモンは言った。
「慣れたところで、力が増すわけでもあるまい」
一歩、奴は前へ踏み込んだ。
先程同様、<堅塞固塁不動城>の鎧に任せた、不倒の猛進だ。
洗練さの欠片もないそのシンプルな力こそが、シンの多彩な技を封じる。
「ましてや、その半死半生の体でっ!」
容赦なく振り下ろされた斬城剣を、しかし、シンの魔剣が受け流した。
「なに……っ?」
二撃、三撃、四撃と高速で繰り出されるザイモンの剣撃に、シンはついていった。
「ちっ!」
ザイモンがぐんと加速する。
ここに来て一番の速度でもって、シンの後ろに回り込んだ。
「速いだけの無駄な動きです」
ガギィンッと金属音が鳴り響く。
弾かれたザイモンの斬城剣が、くるくると回転して、床に突き刺さった。
「……手を抜いていたと?」
「いいえ。慣れてきただけです」
シンは一歩を刻み、魔剣を振るう。
ザイモンが大きく飛び退いてそれを避けると、後方に刺さっていた斬城剣を手にした。
「慣れたところで力も速さも増すわけがない」
ザイモンが魔眼を光らせる。
ここに来て、自分と伍する剣戟を演じた、シンの深淵を覗こうとしていた。
「力任せに振るえばそうでしょう」
大上段からシンが振り下ろした魔剣を、ザイモンは斬城剣で受けとめる。瞬間、途方もない重さに、奴は膝を折った。
「この第二バランディアスは、私たちのミリティア世界よりも深層にあるため、剣の重さも、魔力場も、まとわりつく空気まで、すべての作用が強く働きます」
「……ならば、お前は自由に動けないはずだ……」
「それが誤りですね。この第二バランディアスでは、私の剣はミリティア世界よりも速く、そして重くなります」
シンがぐっと力を込めれば、ザイモンが更に膝を折る。その力をなんとか受け流して、奴は後方に下がった。
「理合に適うように、剣を振るうなら、すべての枷は反転します。重さと魔力場は剣をより速く、より重く、そして強くするでしょう」
前へ出たシンを迎え打つが如く、まっすぐ最短距離に突き出されたザイモンの剣。
それに対してシンの魔剣は長く、複雑な軌道を描いた。
距離を考えればザイモンの方が早い。にもかかわらず、先に届いたのはシンの剣だ。
「……ぐっ……!!」
鎧の隙間に、魔剣が刺さる。
やはり、皮膚すら裂けないが、鈍い痛みにザイモンは顔をしかめた。
「築城の秩序、この世界ではそれが最も強いのでしょうね。ゆえに、秩序の城を斬り崩す剣がもっとも理合に適っています。それが成れば、力などいりません」
「……バランディアスでは、剣よりも、築城が強い……そんなことができるはずが……」
「では魔眼を凝らし、この剣の深淵を覗くといいでしょう」
シンは更にザイモンに剣を押し込んだ。バランディアスの秩序が彼に味方するように、ミリティア世界の何倍もの力と速度で魔剣が走った。
「……ぬうぅぅぅうっ……!!」
「剣の秩序が最大と築城の秩序が最小、二つが重なり合う一点にて、秩序を斬り裂く技は成る。これが剣の理合です」
その一点を見抜く魔眼もさることながら、斬り裂くとなれば尋常なことではない。速ければいいというわけではない。強ければいいというわけではない。
理に適った絶妙な技が成ったとき、その斬撃の瞬間だけ、魔剣は秩序を斬り伏せる。
重さ、魔力場、大気、あらゆる秩序の枷が、斬撃に味方するのだ。
力も速さも魔力も、ザイモンは今のシンよりも上手。
それでも、力任せの剣では彼に及ぶことはない。
ミリティア世界でなら、レイもそれに近しいことができるだろう。何度も繰り返した根源と体が、正しい剣の振り方を理解している。
だが、来たばかりの第二バランディアスでそれを容易くやってのける者は、俺の配下にもシンしかおらぬ。
「がっ……ぐぬ!!」
口から血を吐きながらも、ザイモンは魔力を噴出し、両足を床にめり込ませて、踏ん張った。その魔剣に左手を伸ばし、奴はぐっとつかみあげる。
「――剣が止まっていれば、叩き折れるということだろうっ!!」
渾身の力で振り下ろされた斬城剣が、シンの魔剣に激しく叩きつけられた。
だが、僅かに刃は欠けたものの、その剣は折れない。
「……なに……っ……?」
「先程から折れなかったでしょう。この魔剣だけは」
シンが更に一歩を踏み込み、そのまま魔剣を突き出せば、ザイモンの鎧の隙間から血が滲んだ。
「<剛弾爆火大砲>ッ!!」
至近距離でシンに爆炎が放たれた。
直撃したかに思われたが、ザイモンの視線がすぐさま険しく染まる。
奴の腹から魔剣を抜き、シンは<剛弾爆火大砲>を受けとめていた。
ザイモンは飛び退きながら、<剛弾爆火大砲>を連射する。
それをシンは、悉く斬って捨てた。
「……なんだ、その魔剣は?」
「落城剣メズベレッタ。城しか斬れない上、斬れ味もさほどではないので、ミリティア世界では抜く機会もなかったのですが」
爆音とともに、斬り裂いた炎が渦を巻く。
「バランディアスは、この魔剣が苦手のようですね」
銀城世界という特性、城魔族という種族ゆえにだろう。
奴らは恐らく、その本質が城なのだ。
鎧の隙間を通しても、ザイモンの皮膚は貫けなかった。それは<堅塞固塁不動城>により、彼の体自体が堅固になっていたからだろう。
本質が城だからこそ、築城属性の魔法にて自らを強化することができる。
恐らくシンは戦っている途中に、魔剣によってミリティア世界とは僅かに力の多寡、その性質が異なることに気がついたのだろう。
もしやと思い、抜いてみた落城剣メズベレッタが、バランディアスの弱点だった。
「……馬鹿な……貴様らの主神の秩序は、回転……車輪や羽根車ではないのか……。バランディアスの秩序と相反するほど偏った属性の魔剣がなぜ……?」
「あれはただの乗り物です」
「とぼけるな。元首が羽根車のように回転していただろう」
「我が君が城とともにお回りなられましたのは、ただの気分、お気になさらず」
「ただの気――!?」
ザイモンが目を見開く。
<剛弾爆火大砲>の弾幕を駆け抜け、シンが奴に肉薄した。
「――おのれ、そのような揺さぶりをっ!!」
ザイモンの斬城剣が閃光の如く走った。
狙いは、シンの体をつなぎとめている再生剣である。
<凩一刀>にて斬り裂かれた体は、まるで癒えておらず、その魔剣さえ破壊すれば、シンは行動不能に陥るだろう。
だが、閃光よりなおも速く、シンは落城剣メズベレッタにて、ザイモンの斬城剣を打ち払った。
剣の理合にて振り下ろされたメズベレッタは、刃こぼれを起こしながらも、ザイモンの首筋を僅かに傷つける。
ぐっとその一撃を耐え、ザイモンは再び城剣を振りかぶる。
「斬城剣、秘奥が壱――」
不可視の斬撃が至近距離にて放たれる。
「落城剣、秘奥が参――」
同時にシンは、その場でくるりと回り、魔剣の力を解放していく。
「――<凩一刀>」
メズベレッタは巨大な魔力を纏う。
それはさながら、城壁を破壊する攻城兵器だ。
「――<破城槌>」
けたたましい衝撃音とともに、斬城剣がザイモンの手から離れた。
不可視の斬撃よりも先に、シンの<破城槌>が、ザイモンの土手っ腹に突き刺さったのだ。
<堅塞固塁不動城>の鎧が、ボロボロと崩れ落ちる。同時に落城剣の刃も、砕け散っていた。
銀城世界の弱点といえど、浅層世界の魔剣では耐えきれなかったのだろう。
「悪いが」
ザイモンの手が、シンの体に刺さっている再生剣をつかんだ。そこに<剛弾爆火大砲>の魔法陣が描かれる。
「俺の勝――」
ザイモンが目を疑ったように、それを見つめる。
彼の手から離れた城剣を、シンが整然と構えていた。
「――<凩一刀>」
不可視の斬撃にて、城の内壁が斬り裂かれ、ザイモンの首が飛んだ。
「……握った……ばかりの……斬城剣の、秘奥、を…………」
奴の体が倒れ、その首が床に転がる。
シンはその傍らに立ち、制服の胸についたパブロヘタラの校章を斬城剣で外し、宙へ飛ばす。
「何度でも申し上げましょう」
校章を手にし、身動きのとれぬザイモンへ、シンは言った。
「それが世界の秩序だからと言い訳をして、あなた方は現実から逃げたのです」
深層斬り裂く、強き魔剣――