魔剣大会
魔剣大会当日。
俺が家を出ようとすると、母さんが慌てて走ってきた。
「アノスちゃん、待って待ってっ! お母さんも一緒に行くから」
母さんは珍しく、着飾っている。外出用の服だろう。
「デルゾゲードに来るのか?」
「うん。だって、魔剣大会はチケットさえあれば誰でも校内に入れるんだもの。学院から送られてきたから、お母さんも入れるし」
「まだ魔剣大会に出られるとは限らないぞ」
学院でアイヴィスと落ち合い、報告を聞く手筈になっている。
それ次第で大会に参加するかどうかを最終的に決めるつもりだ。
「剣が間に合うかわからないの?」
「まあ、そんなところだ」
母さんに説明しても理解してもらえないので、そう言っておく。
「でも、出るかもしれないんだったら、やっぱりお母さん行くわ。それに、ほら、普段アノスちゃんが通っている学院がどんなところか見ておきたいし」
そんなものを見て、なにがどうなるとも思えないが、まあ、いいか。
「じゃ、行くか」
「うんっ」
家を出て、戸締まりをする。
歩き出すと、母さんは腕を組んできた。
「ふふっ、アノスちゃんとお出かけするなんて滅多にないから、お母さん楽しくなっちゃうな」
こうぴたりとくっつかれると、少々歩きにくいのだが……
「ねっ、アノスちゃん」
母さんはいつになく上機嫌ではしゃいでいる。
「……そうだな」
まあ、いいだろう。腕を組まれたぐらいでこの俺の自由が奪えるわけでもない。
母さんがせっかく楽しそうなのだ。水を差すこともあるまい。
「ところで、父さん最近見ないけど?」
野暮用があるといって飛び出していった後、一旦は帰ってきたのだが、それからはしばしば家を空けるようになった。
以前の様子からして、魔剣をどうにかしようとしていたのかと思ったが、まさかまだ頑張っているのか?
「他の鍛冶屋さんで人手が足りないから、手伝ってるんだって」
なるほど。一応そういう交流もあったのか。
「迷惑をかけていなければいいけど」
母さんが楽しそうに笑う。
「そうね。でも、仕事はちゃんとする人だから、大丈夫だと思うわよ」
父さんが仕事をしているところは見たことがないからな。
正直、普段の姿からはまるで想像がつかない。
「そういえば、アノスちゃんのクラスで魔剣大会に選ばれたもう一人って、レイ君なんだって?」
母さんの質問に答えながら、のんびりと歩いていく。
デルゾゲード魔王学院へやってくると、闘技場まで母さんを案内した。
「そこをまっすぐ行けば、観客席に出る」
「うん、ありがと。アノスちゃん、がんばってね」
「ああ。まだわからないがな」
「じゃあね。お母さん、応援してるからっ!」
母さんは俺の言葉などまるで聞いていない様子で去っていった。
ずいぶんとゆっくり来たから、そろそろ試合が始まる頃だろう。
俺の出番は一回戦第一試合なので、あまり時間はない。
しかし、控え室へは向かわず、俺は踵を返した。
闘技場を後にして、やってきたのは魔樹の森だ。
この間の班別対抗試験で一度は荒野と化したが、すっかり緑を取り戻している。
しばらく、そこを進むと、頭上からニャーという鳴き声が聞こえた。
見れば、木の枝に黒猫がいた。その猫はぴょんぴょんと軽い足取りで飛び跳ね、木から下りてくる。
アイヴィスだ。
「調べはついたか?」
黒猫と化したアイヴィスが口を開く。
「今回の魔剣大会には七魔皇老の二人、ガイオスとイドルが裏で関わっているようだ」
あの二人か。
ガイオスは記憶を消され、体をアヴォス・ディルヘヴィアの配下に乗っ取られている。
恐らく、イドルもその可能性が高いだろう。
「奴らの狙いは?」
「アノス様としか思えぬ。なにかしらの罠にはめようという腹づもりだろう」
「だとすれば、ルールで俺を負かしたところでなんの意味もないはずだ」
アイヴィスが首肯する。
「ルールを枷にし、アノス様のお力を削るつもりかと」
ふむ。一理あるな。
どうやら、そのセンが濃厚か。
「ガイオスとイドルの居場所は?」
「わからぬ。だが、明日の決勝戦を観に来るという情報を入手した」
ただの観戦とは思えぬな。
俺が勝ち進むのを見越して、なにか企んでいるのか?
「メルヘイスの件はどうだ?」
「つかめたことはあまりない。しかし、少なくとも魔剣大会の運営には関わっていないようだ。アノス様に弓を引くような気配も見せぬ」
白だったか。
まあ、断言はできぬが、今回についてはさほど気にすることもないか。
「レイはどうだ?」
「ログノース魔法医院に入院しているレイ・グランズドリィの母親は、容態が芳しくないようだ。死の危険性がある。治癒魔法の効果も芳しくはない。入院していることでなんとか小康状態を保っている」
それで浮かない顔をしていたわけか。
だが、なぜ俺に頼らなかった?
「なんの病だ?」
「医院の記録には、精霊病と書いてあった」
ふむ。聞いたこともないな。
少なくとも二千年前にはなかった。
「どんな病気だ?」
「わからぬ。我も聞いたことがない。調べては見たが、非常に希な病のようだ」
それでディルヘイド一のログノース魔法医院に入院しているというわけか。
「それ以外には?」
「つかめたことはそれだけだ」
母親の病気のことは、直接診てみぬことにはわからぬな。
例の何者かわからぬ魔族と関連性があるのかも謎だ。
ともあれ、まずは今日の魔剣大会からか。
「ご苦労だった。引き続き頼んだぞ」
「御意」
アイヴィスは森の中へと去っていった。
俺は再び闘技場へ引き返す。
やってきたのは、選手用の控え室ではなく、観客席だ。
しばらくそこで待つことにする。
「それでは、ただいまより、ディルヘイド魔剣大会一回戦を行います!」
上空を飛ぶフクロウから声が聞こえる。
「一回戦第一試合! まず登場するのは、ログノース魔剣協会所属、クルト・ルードウェル選手っ!!」
大歓声と共に、颯爽と闘技場に姿を現したのは、長髪の優男だった。腰にはレイピアのような細い魔剣を提げている。
「いきなり、来たぞぉぉっ! 前大会の覇者、ディルヘイド最強の剣士クルト・ルードウェルッ!」
「あいつの試合を始めて見たときの衝撃ったら、なかったよな!」
「ああ。当時、二○歳にも満たないクルトが手練れの剣士たちをバッサバッサと斬り捨てていくのは、痛快を通り越して、末恐ろしいものを感じたよ」
「あれから、三○○年経った今、どれだけの剣技を身につけているのか。考えただけでも身の毛がよだつぜ……」
「一回戦からクルトと当たる不幸な奴は誰だ?」
どうやら有名人らしく、観客たちは盛り上がっている。
「ログノース魔剣協会は皇族派で有名な団体です」
俺の隣にやってきて、ミサが言った。
「なるほど。ところで、あれはエミリアの兄か弟なのか?」
「兄ですよ」
家族全員が皇族派というわけか。珍しくもないのだろうな。
「続いて登場しますのは、デルゾゲード魔王学院所属、アノス・ヴォルディゴード選手ッ!」
フクロウがそう口にするも、闘技場の舞台へ姿を現す者はない。
なにせ、ここにいるのだからな。
「……すみません。あたしたちのために……」
「なに、アヴォス・ディルヘヴィアの思惑通りに進むのが癪なだけだ」
俺が魔剣大会に参加しなければ、確実に奴らの計画が狂う。
そうすれば、案外、ボロを出すかもしれぬしな。
さて、これでどう出るつもりか?
奴がこんな計画を立てたのは、まさか俺が逃げるとは思っていなかったからだろう。
でなければ、俺が参加しなければ成り立たないような杜撰な計画を立てるはずもない。
暴虐の魔王とまで言われた俺のプライドが高いと踏んでの算段だろうが、しかし、戦うべき相手は魔剣大会の参加者ではなく、アヴォス・ディルヘヴィアだ。
それを見誤る俺ではないぞ。
「……おい、対戦相手が現れないぞ……?」
「相手がクルトだからな。学院の生徒じゃ荷が重いだろ。逃げたんじゃないか?」
「でも、アノス・ヴォルディゴードってあれだろ? 近頃、統一派が暴虐の魔王の生まれ変わりだって、喧伝してまわってる奴じゃないか?」
「ああ、そういや、そうだな。なんだ、結局噂倒れか」
「ははっ、笑わせてくれるよな。大体、混血は混血らしく、最初から学院なんか通わずに皇族の下働きでもしてろってんだよ」
「ほんっと、頑張ったって魔皇になれっこないってのに、馬鹿なもんだよな」
「まったく。統一派といい、そのアノスってガキといい、なに夢見てんだかって感じだ」
皇族派の連中だろう。奴らは付近にいた白服の生徒たちにわざわざ聞こえるように声を張り上げている。
混血である彼らは悔しそうな表情で、ぐっと拳を握り耐えていた。周りは皇族ばかりだ。それゆえ、言葉を飲むことしかできない。
白服の生徒にとっては俺が希望なのだろうな。
ここで俺が出ていかなければ、彼らの悔しさは晴らせぬだろう。
しかし、それがどうした?
アヴォス・ディルヘヴィアも、こんな挑発に乗り、俺がのこのこ現れるとでも思っていたか?
「魔皇になれないなんて、どうしてわかるのっ!?」
聞き覚えのある声が耳朶を叩く。
俺は咄嗟にそちらを見た。
母さんだ。
「あん? なんだよ、姉ちゃん? 知ってるだろ? 魔皇っていうのは皇族がなるもんなんだよ。そう決まってるんだ」
その男が顔に手を伸ばすのを、母さんは毅然と払いのけた。
「アノスちゃんは、絶対、魔皇になるわっ!」
母さんは俺が暴虐の魔王だとは知らない。
魔皇のことを調べたのなら、ディルヘイドで魔皇になるには皇族であることが第一条件だということは、わかっていたはずだ。
それでも、母さんは迷いなくそう断言した。
ここに俺がいると知っているわけでもないのに。
俺の夢を侮辱されて、黙っていられなかったのだ。
「……アノスッ」
肩を叩かれ、振り向くと、そこに息を切らせた父さんがいた。
「……はぁ……はぁ……さ、捜したぞ……これを……」
父さんは一振りの剣を俺に差し出した。
「金剛鉄を使って、父さんが鍛えた魔剣だ。これで、お前も参加できるだろ」
魔眼を働かせて見れば、父さんは服の下に、大量の包帯を巻いている。
「父さん……その怪我……?」
「おっ、なんだわかるのか。ははっ、金剛鉄を獲りに行くには、けっこうな崖を登らなきゃいけなくてな……。一回しくじって落ちたんだが、まあ、なんてこたぁねえよっ! かすり傷だ」
腕をあげるのさえ一苦労のはずだ。
剣を鍛えるため、大鎚を振るう度に激痛が走っただろう。
そんな体で、この剣を完成させたのか。
俺のために。
「それより、ほら、行ってこい。この大会で優勝すれば、混血だって魔皇になれるかもしれないだろ」
適当に口にしているだけだと思っていた。
だが、父さんと母さんは、ただ脳天気だったわけではない。
混血の魔皇は前例がないと知っておきながら、それでも息子の夢を応援しようとしてくれたのだ。
「ミサ。メルヘイスに根回しは不要だと伝えてくれ」
「……わかりました……」
魔剣大会には参加しない方が、アヴォス・ディルヘヴィアの出方をうかがえる。
それは確かにそうだろう。
だが――
やれやれ、俺としたことが、堂々と姿を現すこともない小者に、なにを慎重になっていたのか。
そんなことよりも、大事なことがあるではないか。
「アノス・ヴォルディゴード選手っ! いらっしゃいませんか? 一〇秒以内に舞台へ上がらなければ、失格となります。アノス・ヴォルディゴード選手っ?」
上空を旋回するフクロウが声を発する。
「俺ならば、ここにいるぞ」
観客席から身を乗り出し、闘技場の舞台へ飛び降りる。
誤解があったにせよ、結果的に俺は嘘をついた。
魔皇になりたい、と。魔剣が手に入らぬ、と。
だが、父さんと母さんに本当のことを話すわけにもいくまい。
ならば、せめてこの嘘を本当に変えてやろう。
たとえ、今は話せぬことがあったとしても、俺が父さんと母さんの喜ぶ顔が見たいという気持ちに偽りはない。
それに比べれば、アヴォス・ディルヘヴィアの企みなど、取るに足らぬ。
どれだけ小細工を弄そうと、真正面から堂々と打ち砕いてくれる。
「てっきり、逃げたかと思いましたよ。統一派の英雄殿」
クルトが冷たい視線を俺に向ける。
「ふむ。少々迷ってしまってな。待たせたか?」
「構いませんよ。逃げずに私の前に現れた勇気に免じて許してあげましょう」
「それはそれは、なんとも寛容なことだな」
油断のない視線で、クルトは俺を見ている。
相当な使い手であることは間違いない。
剣の腕だけで言えば、恐らく七魔皇老のガイオスよりも上だ。
「時間を無駄にした詫びと言ってはなんだが」
父さんからもらった金剛鉄の剣を、ゆるりと下段に構える。
「一分で終わらせてやろう」
なんだかんだで、やっぱり戦うアノス……。……。