遺作
バンッと扉が開け放たれる音が鳴り響いた。
鼻息荒くやってきたのは、不動王カルティナスである。
彼のすぐ後ろに、学院筆頭のザイモンもいた。
「聞いたぞ、ファリス。あの泡沫世界の元首めと親しかったそうだな? 以前、貴様が仕えていた者か」
ファリスは絵画から視線を外し、不動王を見た。
「それが、どうかしましたか?」
「決まっておろう」
ファリスのもとまで歩み寄り、カルティナスは言った。
「弱点だ。奴の弱点を洗いざらい話すがいいぞ」
小さく息を吐き、ファリスは瞳を閉じる。
「相手はパブロヘタラでは格下の浅層世界。ミリティアはバランディアスの手の内を知らないどころか、銀海に出たばかりと聞きました。銀水序列戦の舞台は、第二バランディアス。我らが城の中でしょう。ならば美しく、魔王学院の全力に、虎城学院の全力でもって応えるのが人道かと」
「馬鹿めが。何度も言っておろうが、これが戦ぞ。綺麗事など言っていては、食いものにされる。それがわからんから、主神は貴様を元首に選ばず、朕を選んだのであろう」
「パブロヘタラの理念は、この銀水聖海の凪。銀水序列戦は、平和的解決の手段でしょう。正々堂々力を競い合ってこそ、友好の美が生まれます。それは、いつの日か、バランディアスを守る盾とも剣ともなりましょう」
「建前もわからんか。凪? くだらんっ! そんなことを頭から信じてる奴らは、パブロヘタラにおらんわっ! 正々堂々もくそもない。どんな汚い手を使ってでも出し抜き、徹底的にバランディアスの力を知らしめる。そうして初めて、不動王たる朕の力が内外に轟き、我がバランディアスに平安の礎できるのだっ!!」
上から押さえつけるようにカルティナスは言う。
「ときに力は必要でしょう。しかし、それは一つの手段。争いの種は人の心にこそ生まれるもの。人道なくして、平安はありません」
ふん、と不動王は鼻を鳴らす。
「すべての銀泡が我がバランディアスとなれば、それで終わりよ」
「仮にそうなったとしても、それは始まりにすぎないでしょう。醜く膨れあがった泡は、ふとしたきっかけでいとも容易く弾け散るもの」
「青いことを言うな。元首は朕ぞ。貴様は手足だろうが。ならば、考えなど持つな。頭の言うことを素直に聞き、従っておればよい」
ファリスは冷めた瞳でただカルティナスを見返した。
「嫌ならば、この城から即刻出ていけっ!」
目を剥きながら、大げさな身振りで不動王は出口を指さす。ファリスに対する怒りが全身からありありと溢れ出ていた。
「カルティナス様」
後ろに控えていたザイモンが、静かに言う。
「ファリスは銀城創手。バランディアス最強の城ゼリドヘヴヌスを駆ることのできる唯一の男です。主命に従わぬからと処罰するのは容易いこと。しかし、不忠の臣下をそばにおくのも王の度量かと」
ファリスを擁護するように、ザイモンがそう申し出る。
「私が言い聞かせますので、ご一考を」
跪き、彼は頭を下げる。
「ふん。心配せんでも、こやつは出ていく勇気もない腰抜けよ」
ザイモンは疑問の表情を浮かべる。
「そうであろう、ファリス。貴様が出ていけば、朕はそこにある五つの城に手をつけるまで。どれもゼリドヘヴヌスに劣らぬ名城よ」
嫌らしい笑みを浮かべ、舌なめずりをするようにして、カルティナスは五つの絵画に視線を向けた。
「よいか? 勘違いしてくれるなよ。貴様がどうしてもこの城を戦に使うなと申すから、代わりにゼリドヘヴヌスを使ってやっているのだ。少々城造りが上手いからといって調子に乗るな」
「……約束は守ります」
「初めからそう言えばいいのだ、バカタレが。お前は朕の下。よいか? くれぐれも弁えよ。朕の下だ」
「……わかっております。カルティナス様、あなたは私の主君であらせられる……」
わっはっはっはっは、とカルティナスは溜飲を下げるように笑った。
「それでいい、それでいいのだ。まったく貴様と来たら、腕は良いが頭は悪い。城を額縁に収める魔法まで開発しておいて、戦に使うなというのだからな。城は戦場にあってこそ価値のあるものだというのを、まるで理解しておらん」
ファリスを見下すように不動王は言った。
「城とは眺めるものではないぞ。守るべき主君がいてこその鎧だ。貴様はそれと同じく、朕という頭脳があってこそ、初めてその真価を発揮できる。到底、元首の器ではないわ」
奴がしきりにファリスの上に立とうとしているのは、銀城世界バランディアスではそれだけ彼の才能が脅威だからか?
真に自らが元首に相応しいと思っているなら、なにも言わず、堂々と構えていればよい。
「さあ、奴の弱点だ。話せ」
「かつての主君の内情を曝すは醜きことかな。その不忠はいずれ、不動王、あなたに返ってくることになるでしょう」
「馬鹿め。朕が謀反人など出すと思うてか? 貴様の力は朕の物。みすみす他人に渡すぐらいならば、その指粉々に砕き、二度と城剣など持てんようにしてやる」
カルティナスが、ファリスの胸ぐらをつかみ上げる。
「よいか? 朕を侮るなよ。頭を冷やして、よーく考えるがいいぞ。朕に逆らえば、あの五つの城を、次の戦で使ってもいいのだぞ?」
瞬間、ファリスが放った鋭い視線に、カルティナスは気圧された。
「……な、なんだ、その反抗的な目は? よいのか? 使うぞ? 使ってしまうぞ?」
ファリスは無言で答えるしかない。
五枚の絵をカルティナスに使わせるわけにはいかない。
しかし、俺の弱点を話すこともできぬ。
そんなものはないのだから、素直に口にすればいいものを。
義理堅いことだ。
「不動王。ネズミを狩るのにそこまで全力を出さずともよいでしょう。ファリスが頑ななのも、カルティナス様が擁するバランディアス城艦部隊ならば正々堂々戦い、難なく勝利できると信じてのこと。ここは一つ、ファリスに指揮を任せることで手を打ってはいかがでしょう?」
見かねて、ザイモンがそう折衝案を出した。
ファリスが指揮をとるなら、自ずと弱点を突かざるを得ないといった考えだろう。
「かつての主君を自ら討つことで、カルティナス様への更なる忠誠を誓うことにもなりましょう」
ふん、と不動王はファリスを地面に突き飛ばし、踵を返した。
「ザイモンに感謝しろ」
言い捨てて、カルティナスは部屋から立ち去っていく。
奴が見えなくなるまで、ザイモンは頭を下げたまま見送った。
足音も完全に消え、ザイモンはため息を一つつく。そうして、床に座り込んでいるファリスに手を伸ばした。
「あまり意地を張ると今に死ぬぞ」
「あなたにはいつも迷惑をかけますね」
ザイモンの手を取り、ファリスは起き上がった。
「この絵が、そんなに大事なものか?」
ザイモンは壁にかけられた五枚の絵に視線を向ける。
「ええ」
「わからん。俺にはただの城を収めた額縁にしか見えんな」
絵画の前で首を捻るザイモンを見て、ファリスは苦笑する。
「ただの城を収めた額縁ですよ」
呆れたようにザイモンはため息をつく。
だが、すぐに真面目な顔になり、彼に言った。
「そろそろつき合いも長い。いい加減、話してくれてもいいだろう」
「……あなたは絵になど興味はないと思いましたが?」
「絵にはな。お前は別だ」
愚直な物言いで、ザイモンは言う。
ファリスの視線を、彼はまっすぐ受けとめた。
「言いたくないなら、無理には聞かんが。これだけ戦場をともにし、まだ隠しごとをされているというのもな」
「……そうですね……あなたには、つまらない話だと思ったのですが」
ファリスは五枚の絵に視線を向けた。
「この五つの城は、私が創ったものではありません」
「……ゼリドヘヴヌスに匹敵する、これらの城をか?」
こくりとファリスはうなずく。
「私は元々、絵画や造形物などを創る創術家だったのですよ」
「創術家とは?」
「あなたにわかりやすく言えば、絵描きです。創るのは絵だけではないのですが、バランディアスでは芸術品は馴染みが薄いでしょう?」
ザイモンは訝しげな表情で相槌を打った。
「かつては作品を見てもらうため、各地を放浪していました。戦のための城、城剣や魔法具、鎧など、機能美を尊ぶバランディアスでは、私の絵は殆ど受け入れられませんでした。しかし、ある寒村で同志を見つけました」
絵を見つめながらも、ファリスは語る。
「彼らは皆、実用性ばかりを追求する物作りに飽きていました。もっと違う、もっと別の作品に飢えていたのです。私はそこでアトリエを構え、彼らとともに作品を創って暮らしました。同志たちの才能は目覚ましく、独創性に溢れていました。元々、城造りに長けたバランディアスの住人、みるみる創術魔法を学んでいき、多くの作品を生み出していったのです」
違う世界に生まれ変わっても、ファリスはまた志を同じくする仲間を見つけたのだ。
ともに切磋琢磨し、楽しい日々を過ごしたのだろう。
「寒村にいたのは殆どが年老いた者で、そこには老師カルゼンという方がいらっしゃいました」
途端にザイモンの顔色が変わった。
「……老師カルゼン? 銀城老師カルゼン・エルミナクか? 先代の元首のもとで、城造りを行ったという?」
ファリスはうなずく。
「老師カルゼンと彼とともに城を作り続けた城大工たちは、アトリエで作品を作る内に気がついたのです。戦いのための道具ではなく、美しい城を創りたいと。私はゼリドヘヴヌスで培った魔法技術を教え、それから彼らの魂を削るような城造りが始まりました」
「高齢のため、もう城が創れなくなり隠居されたとは聞いていたが……」
ザイモンは戸惑い、疑問を隠せずにいた。
美しい城の意味が理解できないと言わんばかりだ
「どうしても胸の燻りが消えず、城造りから身を引いた、と老師はおっしゃいました。同じ思いを抱える城大工たちとともに、寒村でひっそりと余生を過ごしていらっしゃったのです。彼らは、城造りをやめたはいいものの、その胸の燻りがなんなのか、まだ知らないままでいられました」
丁寧にファリスは言葉を紡いでいく。
その奥底には、作品を敬う彼の誠実な想いが込められているように思えた。
「ですから、きっと、巡り合わせだったのかもしれません」
バランディアスには、芸術作品を鑑賞する文化がないに等しいのだろう。二千年前のディルヘイドよりも、ずっと。
ゆえに、銀城老師カルゼンや城大工たちは、自分が本当はなにをしたいのかもわからず、胸の燻りを抱え続けた。
けれども、彼らは出会ったのだ。
希代の創術家と呼ばれた、ファリス・ノインと。
彼もまた自らの作品の理解者を求めていた。
「まるで憑きものが落ちていくかのようでしたよ。これが創りたかったのだと。何千何万と城を作ってきたのは戦のためではなく、ただ純粋に城が好きだったのだと、彼らの心はそう叫んでいるかのようでした。そうして、長い年月をかけ、五つの城が完成しました」
五つの絵画に、ファリスは視線を向ける。
その瞳は、どこまでも透明だった。
「それが、彼らの遺作です。満足したように皆笑って逝きました」
燻り続けていたのは、城という作品への愛に他ならぬ。
それを知ったとき、彼らの人生において、城への愛はかつてないほどに燃え上がった。
「この五つの城は同志たちの作品です。美しいと鑑賞するための城です。決して、これを戦いに用いてはならないのです。私は城を額縁に収め、バランディアスが外界との戦を終え、平和が訪れるまで封印することを決めました」
ザイモンを振り返り、ファリスは言う。
「ですが、私が留守にしている間、寒村に虎城軍がやってきました。彼らは、五つの城を収めた額縁を奪っていったのです。私はそれを取り返そうと思ったのですが」
絵画に向かって、彼が手を伸ばす。
すると、たちまち指先が焼かれ、その手を弾かれた。
眠ったようにうずくまっている主神が一瞬ちらりと神眼を開けた。
「なにをしておる? 結界には気をつけい」
そう口にして、王虎メイティレンは再び神眼を閉じた。
「ご覧の通りです。主神に敵うはずもなく、私は不動王に懇願したのです。その五つの城よりも、優れた城を創る代わりに、その額縁からは出さないでいただきたい、と」
「それで銀城創手になったわけか?」
「ええ」
ファリスには、亡くなった老師たちの気持ちがわかったのだろう。
彼らの魂が込められたその遺品を、決して戦いに使うことのないよう、自らの魂を差し出したのだ。
「あなたにはただの城かもしれませんが――」
「ならば、取り返そう」
ザイモンの言葉に、ファリスは耳を疑ったような顔をした。
彼は王虎メイティレンを振り返ったが、しかし、主神は興味なさげに目を閉じている。
「心配いらん。我らが主神には話を通してある」
「……どういうことでしょうか?」
「カルティナスは敵を作りすぎる。バランディアスを深層世界に至らせた手腕こそ評価できるものの、そのやり方は腹心の城主たちが嫌悪するほどだ。これではバランディアスがもたん。なにより奴は、元首の器ではない」
驚いたようにファリスは、ザイモンの目を見つめる。
「あなたは、カルティナス様に忠誠を誓っているものとばかり」
「大義をなすためだ。どんな腹芸でもしよう。奴の言葉ではないが、綺麗事ではバランディアスは変わらん」
謀反を企てているということだろう。
状況からして、先程すれ違った者たちも味方か?
「奴の機嫌を伺い、ようやくここまで上り詰めた。王虎メイティレン様も、より優秀な元首を選ぶことがバランディアスのためと、元首への謀反に目を瞑ってくださる」
「あなたが、代わりに元首になると?」
ザイモンを静かに首を振った。
「お前がやれ、ファリス。戦を好まぬお前は、真に戦うべきときを知っている。我らが銀城世界バランディアスの元首に相応しい」
思いもよらぬ台詞だったか、ファリスは目を丸くした。
「それでなにもかも丸く収まる。お前は絵を取り戻し、バランディアスはより相応しい元首を得る。主神は更に力を得るだろう。そして、俺や城主たちはようやくまともな主に仕えることができる。古巣のミリティアと和平を結ぶと言うのなら、それでも構わない」
ザイモンの申し出に、ファリスは答えあぐねたかのようだ。彼はすぐに言葉を発せなかった。
「……確かに失敗すれば、なにもかも終わりだ。不動王に知られれば、成功の目はない。だが、お前が一言、元首になるとさえ言ってくれれば、俺はこの命を懸けよう。俺だけではない。城主たちは皆、俺と同意見だ」
「ザイモン。私は」
考えるように俯き、ファリスは再び顔を上げる。
「……私は、一介の創術家だったのです。それでも、この筆に、絵の具の代わりに血を塗りたくらなければ、同志の作品一つ守れぬと悟りました。私が過ごしたミリティアは内乱の絶えない場所でした。バランディアスでは外界との紛争が殆どですが、相手が何者であれ争いが悲惨なことには変わりありません」
パブロヘタラに属さぬ小世界とバランディアスは戦いを続けてきたのだろう。
平和を夢見て転生したファリスは、しかし、再び戦火のもとに生まれたのだ。
「二千年前、ミリティアで大戦が激化する最中、私が絵を描き続けられたのは、それをひたすら守り続けてくれた仲間と、そして偉大な王がいたおかげです」
腰に下げた城剣を、彼は手にする。
「私は甘えていたのです。彼らと離れ、一人となったとき、私は初めて守る立場となりました。そして、ようやく気がついたのです。絵などどれだけ描いたところで、誰も救われはしない。一枚の絵よりも、皆を守るべき城が、敵を倒すべき剣が必要なのだと。そう……」
彼は城剣の柄を強く握り締めた。
「元首など、とても器ではありませんよ。そんな簡単なことに、これだけ生きてようやく気がつくような男なのです。仲間が戦っている間に、絵を描き続けた愚かで甘えた創術家、それが私です」
罪を告白するかのように、ファリスは言う。
「いつか、必ずバランディアスに光は生まれます。真にバランディアスを導く光が。私はそれを待ち続けたい。命を懸けるのならば、ザイモン、どうかそのときまで待っていただけませんか?」
「光など生まれん。もう我らは十分に待ったのだ。そして、お前がやってきたのではないかっ!」
ザイモンはファリスの両肩を力強くつかんだ。
そのまっすぐな視線が、ファリスを貫く。
「お前が我らを導く翼だ、ファリス。銀城創手としてお前は戦った。どんな過酷な戦場も、お前とゼリドヘヴヌスがいれば、恐れるものはなにもなかった。なによりお前は、自らの命を惜しむことなく、常に不動王に己の信念を貫いてきたではないか!」
熱く、真摯に、ザイモンは訴える。
「バランディアス城艦部隊、二四城主その配下の兵に至るまで、お前を認めぬ者など一人もいない!」
ザイモンはその場に跪き、両手をついた。
「頼む、ファリス、この通りだ。戦ってくれ。機会は作る。必ず、我らの覚悟を見せる。お前こそが戦の申し子、戦場を自由に飛ぶバランディアスの翼だ。何人たりとも、お前の行く道を妨げることはさせん」
彼は床に頭をこすりつける勢いで、ファリスに平伏した。
ファリスの出す答えは――?