城剣の男
銀水学院パブロヘタラでの初講義――
壇上では不動王カルティナスが魔法文字を描いている。
球形黒板は、立体的な映像を作りだす。それは円形の講堂のどの角度からでも正しく見ることができるようだ。
「――であって、すなわち、これが銀城世界バランディアスにて使われている象形魔法文字ぞ。この文字は、象形の描き方によってそれ自体が魔力を持つ。優れた術者ならば一文字で城を建てるが、凡俗の術者では何千字描こうと犬小屋一つ建てられん」
カルティナスはいくつもの魔法象形文字を球形黒板に書き記す。
鳥を模したような文字。水を模したような文字。城を模したような文字。
象形というだけあり、文字よりも絵に近く、確かに術者が込めた魔力以上の魔力が、その魔法文字に宿っている。
俺はそれを魔眼で眺めていた。
「ふむ。魔力がどこからか流れてきているようだが?」
「バランディアスからです」
背後に立っていたオットルルーが言った。
「魔力は浅きから深きへ流れる。この第七エレネシアは、バランディアスよりも深層に位置する世界。よって、バランディアスの秩序が働きます。魔法律もこれに含まれます」
ミリティア世界は暫定第〇層。
それより浅い世界はないため、その世界の秩序しか働かなかった。
だが、世界が深層へ行けば行くほど、別世界の秩序や魔法律が混ざり合うというわけだ。
一番下は、さぞ混沌としていることだろうな。
「深層世界の魔法は、それより浅い世界では使えない?」
ミーシャが小首をかしげて問う。
「秩序の類似率、また魔法の限定性によります。<契約>、<飛行>、<転移>などの魔法は、殆どの小世界において多少の差異はあれど共通して行使可能であり、その存在の確認がとれています。共通魔法と呼ばれます」
どの小世界にも、共通する魔法律があり、それを利用した魔法は問題なく使えるわけだ。
「深層世界の秩序においてのみ行使可能な深層魔法については、浅い世界では使えません。しかし、これも絶対ではないのです。遡航術式というものが存在します」
「深層世界の魔法律を逆方向の浅層世界へ流す、か」
「はい。遡航術式が組み込まれた深層魔法でしたら、浅層世界で行使が可能です」
概ね予想通りだな。
これについては少々気になることもあるが――
「だが、遡航術式というのは簡単なものではないぞ、不適合者」
こちらの話を聞いていたか、教壇のカルティナスが口を挟んできた。
「遡航術式とは、すなわち魔力は浅きものから深きものへ流れるという秩序を反転させる。無論、小世界全体においては、そんな大それたことは不可能ぞ。よって、魔法行使という限定的な部分においてのみ、秩序の遡航現象が働くようにするわけであるが、主神に選ばれた元首であってもそう容易くできることではない。それは、この広き海、銀水聖海の流れを変えるに等しき、大魔法なのだ!」
球形黒板に、カルティナスが複雑な魔法術式を描いていく。
「<堅塞固塁不動城>。これが朕の世界の築城属性最上級魔法。世界が滅びても決して落ちぬ不動の城ぞ。無論、浅層世界でも使えるように遡航術式が組み込まれておる」
自慢するように不動王は言う。
「貴様ら泡沫世界の住人に、二一層世界である朕ら虎城学院を倒す勝機があるとすれば、ただ一つ、二二層以上の深層魔法を身につけ、遡航術式を使うことぞ」
「ほう。敵に塩を送るような度量があるとは思えぬが?」
ふん、とカルティナスは鼻を鳴らす。
「貴様はまだ正式に加盟していないため聞いておらぬだろうが、パブロヘタラの学院条約では、講義は誠実に行うように定められておる。でなければ、誰が好きこのんで、これから戦う相手にこちらの情報を曝すものぞ」
「それは難儀なことだな」
俺が言うと、ちょうど耳慣れぬ鐘の音が鳴った。
「朕の講義は以上だ。どのみち、貴様に遡航術式は使いこなせん。天才と呼ばれた術者とて、一から身につけるとなれば一月はかかるのが深層魔法だからのう。まして不適合者、はてさて、一生かかって辿り着くかどうか」
ニヤニヤと挑発するような笑みを俺に向け、不動王は講堂から去っていった。
「元首アノス、次の講義までしばらく時間があります。パブロヘタラをご案内します」
オットルルーが言う。
彼女の後に続き、俺たちは講堂を後にした。
「――銀水序列戦とパブロヘタラへの正式加盟条件について説明します」
宮殿内を案内しながらも、裁定神はそう切り出した。
「銀水序列戦は自由海域にて行われる火露の争奪戦であり、模擬戦争です。パブロヘタラが回収した火露が両学院に渡され、これを奪い合います。相手のすべての火露を奪取するか、敵軍を戦闘不能、あるいは殲滅、元首及び主神が降伏を申告することで勝敗を決します。生死は問いません」
「んー、それって模擬戦争っていうか、殆ど戦争じゃなあい?」
エレオノールがのほほんとした表情で言う。
「いいえ。真の戦争は一つの銀泡が消滅の危機に曝されます。生かすべきは神ではなく、人ではなく、火露。それがパブロヘタラの理念につながります」
「主神を斬滅してもよろしいのですか?」
ぼそり、とシンが問う。
「問題ありません。銀水序列戦で主神が滅びた場合、その小世界では火露を維持できなくなり、銀海に溢れ出します。回収する権利は滅ぼした学院にあり、平たく言えば火露の所有権が移ります」
確かに<裁定契約>にもそう記載があったな。
「えーと、じゃ、主神をやっつけちゃったら、あっちの世界はぜんぶボクたちのものになるってことなんだ?」
「そうです。銀城世界バランディアスを第二ミリティアとするか、あるいは火露をすべてミリティア世界に取り込み深層を目指すか、勝者はどのような選択でも行うことが可能です」
「植民地にするか、火露を略奪するか以外には?」
俺の問いに、オットルルーが答える。
「火露の量に辻褄が合うことでしたら如何様にも。たとえば、半分の火露を主となる世界、第一ミリティアに取り込み、残りの火露を所有するバランディアスを第二ミリティアとすることも可能です。独力で難しければ、オットルルーが手助けをしましょう」
「小世界を植民地にしてメリットがあるのかね?」
エールドメードが問う。
「パブロヘタラにおいては、序列の向上に有利に働きます。また銀水序列戦では銀泡の所有数が多い方の自由海域が舞台となります。今回、第二バランディアスが舞台となったのは、その規定に則ってのことです」
つまり、所有する小世界の数が多ければ多いほど、自分の土俵で戦いやすくなるわけか。
「銀水学院とは関係なくとも、元首の方にとって銀泡を得ることは魅力的のようです。その点については、また講義で説明もあるでしょう」
単純に、自らの領土を増やしたいという輩もいるのだろうな。
小世界自体を奪えば、ミリティア自体の階層は変わらぬが、別世界にミリティアの秩序が働く。
そして、火露の所有量が増えれば、世界は深化し、深層に近づく、か。
とはいえ、主神を滅ぼせば総取りだ。余程のことがなければ、その前に白旗を上げるだろう。
メインとなるのは火露の争奪戦に違いあるまい。
「こちらを」
オットルルーが魔法陣を描けば、俺たちの制服が光に包まれ、胸に泡と波の校章がつけられた。
「それはパブロヘタラの校章です。ただし、仮のものになります。校章を身につけている間のみ、パブロヘタラの生徒としての権限を有します」
「ふむ。これがなければ銀水序列戦にも出られぬわけか」
「はい。銀水序列戦において、登録する生徒の数だけ敵軍から校章を奪えば、パブロヘタラへの学院同盟へ正式に加盟する権利を得られます」
なるほど。
「仮の校章を敵軍が奪えば、本物の校章と引き替えられます。生徒の数が増やせるため、銀水序列戦に有利です。敵軍はあなたたちの校章も狙ってくるでしょう。死守してください」
加盟を最優先に考えるならば、火露を囮にして校章を狙うのが得策なのだろうな。
「生徒の登録はまだ完了していません。人数を調整することが可能です。その場合は、仮の校章を返却してください」
少数精鋭で望んだ方が集める校章も少なくて済む。
しかし、ここまで連れてきたのだ。見ているだけでは授業にならぬ。
「このままで構わぬ」
「わかりました」
父さんと母さんにも校章が渡されたが、まあ、二つ余分に奪うくらいはどうとでもなろう。
「先程の話ですが」
歩きながら、オットルルーは言う。
「泡沫世界へ火露を戻さないのは、銀灯がないために外から中を見ることができないからです。泡沫世界は安定していないため、外から入ろうとすれば秩序に異変が生じ、結果進化の可能性が閉ざされる場合があります」
「入っただけで滅ぶと?」
「その場合もあります。なにより、戻した火露を泡沫世界はまた外へ出すことになるでしょう。それは穴の空いたバケツに水を汲むようなもの。非効率であり、逆に火露の消失を招くとされています」
もっともらしい話ではある。
「では、バケツの穴を塞げばいいわけだ」
「それができれば一考の余地はあるでしょう」
建物から出ると、今度は庭園にやってきた。
宮殿内に設けられたものだけあり、手入れが行き届いている。ちらほらとパブロヘタラの校章をつけた生徒たちの姿が見えた。皆、思い思いにくつろいでいる。授業に関係があるのか、魔剣や魔法具の手入れ、魔法陣の構築など、作業をしている者の姿もあった。
「アーツェノンの滅びの獅子についてなにか知っているか?」
「パブロヘタラの学院同盟が一界、災淵世界イーヴェゼイノの幻獣機関。彼らが擁する最高位の幻獣がアーツェノンの滅びの獅子と呼ばれています。イーヴェゼイノは長らく聖剣世界ハイフォリアと敵対関係にあり、パブロヘタラとも良好とは言い難くございました。しかし、最近になりパブロヘタラに加盟しました」
「最近というと?」
「一週間ほど前です。イーヴェゼイノは元々深層世界、銀水序列戦においても瞬く間に勝利を収め、聖上六学院の末席に名を連ねたのです」
オットルルーの後ろについていきながら、俺は庭園を見渡す。
「聖上六学院とはなんだ?」
「パブロヘタラの序列六位までを指します。現在、序列一位は魔弾世界エレネシア。そのため、このパブロヘタラ宮殿はここ第七エレネシアに位置します。第二位が聖剣世界ハイフォリア。この二界に、長らく三位以下の小世界は追随できませんでしたが、イーヴェゼイノは序列こそまだ低いものの、それに匹敵する可能性を秘めています」
ずいぶんと名だたる者たちが、ミリティア世界に来ていたようだな。
「それではハイフォリアの心境は穏やかなものではあるまい?」
「学院条約に則り、銀水序列戦での決着を望むなら、パブロヘタラは歓迎します」
学院同盟は異なる小世界が、利害の一致で条約を結んでいるにすぎぬ。
特にこれまで敵対していたイーヴェゼイノが、大人しく軍門に下ったとは思えぬな。
もっとも、それは俺たちとて同じことだが。
「聖上六学院と話す機会はあるのか?」
「浅層世界の住人から声をかけるのは礼を失します。聖上六学院の方々から、声がかかるのを待つのが習わしです。あるいは序列が十位以内にまで上がれば、その機会も与えられることでしょう」
「なら――」
ふと目の端に、積み上げられた立方体の石が映った。
一人の男が、岩を浮かせては、それを立方体に切断している。
使っている道具は剣だが、少々特殊な作りだ。刃先がノコギリのようにギザギザなのだ。
積み上げられていく石は、どれも寸分違わず同じサイズだった。それどころか、石が保有する魔力すら、ピタリと揃えられている。
形を整えると同時に、必要な分だけ魔力を削ぎ落としているのだろうが、簡単なことではない。それを呼吸をするように淀みなく行い、次々と石材を作っていく。
建築物に使うものか。必要な仕事をしているのだろうが、そのノコギリのような剣を振るう男の姿は、どこか楽しげでもあった。
着ている制服は、群青色の羽織だ。肩についているのは、城の校章である。不動王カルティナスと同じく、銀城世界バランディアスの者だろう。
輝く金の髪は、芸術的なポンパドールに仕上がっている。
「――城剣が珍しいですか?」
俺の視線に気がついたか、その男が作業を止め、ゆるりと振り返る。
「これは鋸と剣が一体になった魔剣の一種、銀城世界バランディアスで築城と戦に用いられ――」
俺の顔を見て、俺の魔力を見て、彼は言葉を失った。
長い、とても長い沈黙だった。
「…………………………陛下……」
ようやく、彼はそれだけを口にした。
見間違えるはずもない。
二千年前、破壊の空に散った希代の創術家、ファリス・ノインがそこにいた。
世界の外での再会――