世界の名
二時間後――
魔王列車の前方に、巨大な銀の泡が見えてきた。目的地の小世界だ。
「あの銀灯へレールを連結したまえ」
熾死王が指示を出す。
「了解! 線路連結!」
銀のレールがまっすぐ延びていき、小世界からこぼれ落ちる銀の光の中へ入っていった。
「線路連結、完了しました!」
「汽笛を鳴らせ。銀泡に入るぞ」
銀の灯りに誘われるように魔王列車はレールを進んでいき、やがて目の前が銀一色に染め上げられた。
光を抜ければ、目の前は黒き空、黒穹だ。
「線路固定」
「了解。線路固定完了しましたっ!」
進行方向に延び続けていた線路がそこで固定される。
「脱線」
「了解、脱線しますっ!!」
魔王列車の車輪が銀のレールから外れ、そのまま車体は黒穹を降下していく。
次第に雲が窓の外をよぎる。
黒穹の下にある空に到達したのだ。太陽はすでに沈んでおり、代わりに月が昇っている。
ミリティアの世界と同じく、こちらも夜だ。
「上方より巨大な魔力源が接近」
魔眼室のミーシャより、淡々と報告が上がる。
彼女は魔法陣を描いた。
「<遠隔透視>」
各室に備わっている魔法水晶に、魔眼室が捉えた映像が表示された。
一瞬、魔眼を疑う。
接近してくるのは、空を飛ぶ巨大な城だ。
見とれるほどに美しく、芸術的なフォルムにはひどく見覚えがあった。
サーシャが<遠隔透視>の映像を食いつくように見て、窓の外へ視線を向ける。
「これ……」
驚きとともに、言葉がこぼれる。
「ゼリドヘヴヌスだわ……」
かつて、破壊の空を自由に飛んだ飛空城艦。
<破滅の太陽>の輝きにさえ真っ向から立ち向かったその船の姿は、破壊神アベルニユーの記憶に深く刻まれている。
「ねえっ、そうでしょ?」
サーシャが俺を振り向く。
「多少、外観は違うようだがな」
だが、ゼリドヘヴヌスにそっくりだ。
創術家ファリス・ノインの死とともに、ディルヘイドからあの船は失われた。
彼の転生も未だ確認できていない。
なぜ外の世界を飛んでいる?
「飛空城艦の主に告ぐ」
魔王列車の後列に並走する飛空城艦へ向け、<思念通信>を飛ばす。
「俺はアノス・ヴォルディゴード。ミリティアの世界の、まあ、元首のようなものだ。二、三尋ねたいことがある」
応答はない。
代わりに飛空城艦は、魔王列車にみるみる接近してくる。
「衝突する」
ミーシャが言った。
エールドメードの指示で、警告の汽笛が鳴らされた。
『朕は銀城世界バランディアスが元首、不動王カルティナス・イルベナ』
<思念通信>が響き、飛空城艦が魔王列車に接触した。
「きゃああぁっ……!」
「ちょ、ちょっと……!」
「……んだよぉっ、前見ろっ……!」
振動が魔王列車を襲い、生徒たちが声を上げる。
『名前も知らぬ浅層世界のノロマめ。礼儀を教えてやろうぞ。ここでは自らより深層の者の前へ出るな。まして、元首の船の前にはな』
意図的にぶつかってきたのだろう。
魔王列車を軽く押し飛ばした後、飛空城艦はすぐさま進路を変え、恐るべき速さで追い抜いていった。
それが向かった先は、浮遊大陸にそびえる銀水学院パブロヘタラだ。
魔法障壁の中へ、その飛空城艦はゆっくりと降りていった。
「……あれが、アノスの言ってたパブロヘタラ?」
サーシャが問う。
ここに来るまでに、現時点で判明したことはすべて皆に話してある。
「そうだ」
「ふーん。じゃ、今の奴も、学院同盟の一員ってわけね」
カルティナスとやらの態度が気に食わなかったのだろう。サーシャは、パブロヘタラに降りた飛空城艦を睨んだ。
「レイとシンを発見した」
ミーシャの声が響く。
<遠隔透視>の水晶に二人の姿が映された。
こちらに気がついたようで、二人は魔王列車に向かって飛んできている。
「客室の扉を開け」
エールドメードの指示で、客室の扉が開く。
そこから顔を出したミサが、シンとレイに大きく手を振った。
「お父さーん、レイさーん、こっちですよー」
二人は魔王列車に向かって飛び、中へ入った。
「我が君、賊に動きはありませんでした」
シンが言う。
「ご苦労だった。しばらく休め」
「御意」
さて、まずは仮入学を済ませねばな。
「パブロヘタラの門番に告ぐ」
<思念通信>にて、浮遊大陸の門番に話しかける。
「俺はアノス・ヴォルディゴード、ミリティアの世界の住人だ。我が魔王学院は、パブロヘタラの学院同盟へ加盟の意思を示す。返答を待つ」
すると、遠くで門番同士が顔を見合わせた。
「マオウ学院……? マオウって、もしかして魔王か? おいおい……」
「恐らく、浅層世界の新顔だ。知らぬのだろう。わざわざ言わずとも、すぐに改名することになる」
聞こえぬと思っているのか、彼らはそんなやりとりを交わす。
『こちら、パブロヘタラだ。我々は、パブロヘタラの理念に賛同する何者をも拒まない。ミリティアを歓迎する。魔法障壁を解放するので、中へ入ってくれ』
「わかった」
視線を向ければ、パブロヘタラを覆っていた魔法障壁の一部が消えた。
存外に、簡単なものだな。
加盟の意思を示しはしたが、それだけでどこの馬の骨ともわからぬ者を、こうも容易く中へ招き入れるとは。
たかだか船一隻、万一暴れたところでどうとでもなるということか。
「降下したまえ」
「了解。パブロヘタラへ降下開始します」
パブロヘタラの上空へ移動した魔王列車は、魔法障壁がない入り口部分へめがけ、ゆっくりと降下していく。
『都市中央、パブロヘタラ宮殿に隣接する湖が船着き場だ。白の魔法陣に着水してくれ』
門番の声に従い、エールドメードは魔王列車を降下させていく。
俯瞰したパブロヘタラの浮遊大陸は、中央に巨大な宮殿があり、その周囲には都市が形成されていた。
敷地面積は、ざっと見てミッドヘイズの十倍以上だ。
「着水しますっ」
透き通った巨大な湖、そこに白く細長い魔法陣が描かれている。魔王列車の形状に合わせたのだろう。
ゆっくりと魔王列車が降りると水飛沫が上がった。白の魔法陣から水の泡のようなものが出て、列車を包み込む。
すると、魔王列車はそのまま勝手に水中へと沈んでいく。水底まで到着すれば、そこにいくつもの洞窟があった。その一つに入り、しばらく進むと今度は浮上していく。
水をかき分け、魔王列車は再び水面に上がった。
役目を終えたかのように、車体を覆っていた泡が弾けて消える。
「降りるぞ。扉を開放せよ」
俺の指示で、魔王列車の全扉が開く。
玉座から立ち上がり、俺は外へ出た。
他の者も次々と列車から降りてくる。
見渡せば辺りは石造りの一室だ。かなり広い。船を入れる格納庫といったところか。
「ようこそ、パブロヘタラへ」
声が響いた。
やってきたのは、銀のドレスを纏った女だ。
大きなねじ巻きを手にしている。人間大のゼンマイ人形のねじを巻けそうだ。
「お初にお目にかかります。この身はパブロヘタラの裁定神オットルルー。オットルルーはパブロヘタラにおける裁定を執り行います。元首はどなたですか?」
「我が世界に元首は存在せぬ」
裁定神の前へ歩み出る。
「学院の代表は俺だ。便宜上必要なら、元首ということにしておけ」
特に不審に思った素振りも見せず、オットルルーは俺に問う。
「パブロヘタラの学院同盟へ加盟を望みますか?」
「そのつもりで来た」
オットルルーは丁寧にお辞儀をする。
「歓迎します。そして、元首が存在しない銀泡はありません。あなた方はこの銀水聖海に出てまもないと推察されますが、いかがでしょう?」
「今日出たばかりだ」
「それでは、主神はどこにいますか? 世界の意思、または世界の秩序を統べる神族、それが世界主神です」
世界の外に出たばかりで、主神や元首といった名を知らぬ者もよく来るのだろうな。
オットルルーは慣れた口調だった。
「あいにく、うちのはできそこないでな。主神と呼べるような大層なものではないが」
俺は魔王列車に視線をやる。
「強いて言うなら、あれがそうだ」
「お会いできますか?」
会うというか、あれそのものなのだがな。
まあ、話をできなくもないか。
「こちらだ」
俺はオットルルーを連れ、魔王列車の機関室に移動する。
火室の蓋を開け、中へ言った。
「エクエス。喋ってよいぞ」
そう口にすると、すぐさま火室から火の粉が舞った。
『貴様の思い通りに――』
エクエスの声が聞こえてくる。
『貴様の思い通りになると思っているのか?』
「お初にお目にかかります。主神エクエス。この身はパブロヘタラの裁定神、オットルルー。パブロヘタラの学院同盟への加盟意思を確認させていただけますか?」
『加盟意思だと?』
エクエスが吐き捨てるように言う。
『そんなものはない……! その男の思い通りになど誰がなるぎゃうぅぅん……!」
スコップで石炭を放り込み、エクエスに誰が主人か教えてやる。
「……これは……?」
「憎まれ口しか叩かぬが、こいつの秩序は素直なものでな。石炭を放り込んでやれば、すぐに尻尾を振って、従順になる」
ザバァッと火室に、石炭を放り込む。
『……おのっ……うぐぅっ……おのれぇぇっ……なぜ私がぁぁぁっ、こんなぁぁぁっ……!!』
もうもう煙突から黒煙が立ち上る。
それが文字状に変化していき、『加盟万歳』と記された。
「ご覧の通りだ」
機関室から出て、黒煙文字を指さす。
すると、選定神オットルルーは神眼を向けた。
魔力が集中すれば、瞳の奥に歯車のような魔法陣が描かれる。
「確かに、黒煙からは主神と同種の魔力、そして確かな秩序の光が見えます。主神と元首に、様々な関係があるのはパブロヘタラも承知のこと。元首が主神を奴隷のように扱うケースは珍しいですが、それも一つの世界の在り方でしょう。この黒煙の文字をもって、主神は加盟の意思を表明したと見なします」
オットルルーはサーシャとミーシャに視線を向ける。
瞳の奥の歯車が回った。
「他の神も付き従っていることですし、あなたを元首と認めましょう」
ふむ。一悶着あるかとも思ったが、あっさりしたものだな。
それだけ、小世界同士の価値観も異なるということか。
「どうぞ、こちらへ。パブロヘタラについて説明したいのですが、今は夜分、すべての講義は行われていません。宮殿内の宿舎にご案内しますので、そちらでお休みください。明日、改めてお迎えにあがります」
オットルルーは踵を返し、格納庫の通路を進んでいく。
俺たちはその後に続いた。
「加盟にあたり、いくつかお尋ねします。あなたの世界の名前をお教えください」
「ミリティアの世界と呼んでいる」
「あなたの世界の主神は、名付けを行っていないようですね」
「さっきも言ったが、できそこないでな。日々、雑事に追われ、目が回るほど忙しい」
隣でミーシャとサーシャがなんとも言えぬ表情をした。
「秩序に従えば、世界の名は、創世を行った創造神の名となります。また小世界の秩序に相応しい字を冠することとなるでしょう」
名前に法則性があるわけか。
「つまり、聖剣世界ハイフォリアであれば、創造神はハイフォリアという名で、小世界の秩序に、聖剣が深く関わるというわけか?」
「そのような理解で問題ありません」
事務的にオットルルーは答えた。
「では、世界の名はミリティアで問題ない。字は後々決めよう」
「そのように登録します」
オットルルーは続けて言った。
「元首の名前をお聞かせください」
「アノス・ヴォルディゴードだ」
オットルルーが足を止める。
扉を開けば、そこは客室だった。一通りのものが揃っている。
「奥にも部屋があります。数は十分かと。本日はこちらでお過ごしください。明日、お迎えに上がります」
「わかった」
すぐにパブロヘタラを見て回りたいところが、今日は大人しく休むとするか。
皆、疲れていることだ。
「最後に、学院名をお伺いできますか?」
「魔王学院だ」
事務的に質問していたオットルルーが、思案するように口を噤む。
「なにか問題か?」
「いいえ。小世界で定められた名に、オットルルーが裁定を下すことはありません。それはあなた方の自由です」
もったいぶった言い回しだな。
まあ、しかし、今はそれよりも訊きたいことがある。
「この小世界はなんという名だ?」
「名称は、第七エレネシア世界」
ミーシャとサーシャが目を丸くした。
「魔弾世界エレネシアが所有する七番目の銀包です。第七エレネシアは、自由海域に指定されており、どの小世界の住人も許可なく自由に出入りすることができます」
二人は呆然とそれを耳にしながら、俺を見た。
世界の名には、創世を行った創造神の名が使われる。
だとすれば、魔弾世界を創ったのは、創造神エレネシア。
ミリティアの母と同じ名だった――
海に散らばる、失われた世界の欠片――