線路は続く
もうもうと黒煙を立ち上らせ、魔王列車が夜の空を走っていく。車体はみるみる加速し、あっという間に黒穹まで上昇した。
「ミーシャ。黒穹には、外へ渡るための銀灯という秩序が働いている。その風や波は、普通の魔眼では見ることができぬが、魔王列車ならば反応を示すはずだ」
俺はそう<思念通信>を送った。
「試してみる」
ミーシャがいる魔眼室は、いくつもの歯車が設置されており、水車や風車、車輪の回転、火室の燃焼状況など、車体内外の深淵を覗く。その名の通り、魔王列車の魔眼となる場所だ。
「見てて」
ミーシャは魔眼室担当の生徒たちへ告げる。
彼女は両手を伸ばし、室内に魔法陣を描いた。
指先から発せられた魔力により、無数のスイッチが次々と切り替えられ、いくつかのバルブがくるくると回る。
水車と風車が受ける秩序の波長を変更しているのだ。
生徒たちは、その様子を注意深く観察していた。
やがて、水晶に魔法文字と魔法数字の羅列が浮かぶ。
ミーシャはそれを横目で見た。
「五番水車と二七番風車に反応」
魔王列車に取りつけられた水車と風車が、それぞれ一つだけ回転していた。
魔眼に見えぬ銀灯の風と波を捉えたのだ。
「秩序の波長を合わせる」
再びミーシャは魔力を送り、スイッチを切り替え、バルブを回していく。
すると――
「……エンネ、見るです……。水車、風車、回ってます……」
列車の窓を指さし、ゼシアが言う。
魔王列車は孤を描きながら走っている。ちょうど彼女たちのいる前列からは、車体後列の回転する水車と風車が見えた。
「わあぁ……! すごいねっ! 秩序の風と波を受けてるんだっ!」
エンネスオーネは感嘆の声を上げた。
「からから……からから……」
「からからっ、からからっ!」
エンネスオーネとゼシアの声に合わせるように、魔王列車の水車と風車が勢いよく回転を始め、それに連動し魔眼室の歯車が重たく回り始める。
その秩序の力は、車輪に伝わり、銅色の輝きを纏った。
まるでなにかに引き寄せられるかのように、魔王列車は前進していく。
目の前には銀の光が見えてきた。バルツァロンドの銀水船のときと同じだ。それはベルテクスフェンブレムを導く道のようである。
「外へつながる道」
淡々とミーシャが言う。
彼女は銀灯と魔眼室の水晶に表示される文字や数値に、神眼を向けた。
「エクエスの歯車と同種の秩序」
「この銀灯がか?」
「ん」
ロンクルスの話とあの隻腕の男の言葉から推測するに、エクエスはこの世界の主神となる素質があった。
少なくともその魔力は、主神のそれと遜色ないのだろう。
ならば銀灯自体が奴の秩序でできていても不思議はないか。
そう考えれば、バルツァロンドの船がこの世界に入って来られるのは、主神同士の秩序は波長が似ており、干渉できるということなのだろう。
ゆえに、主神の力で創った船ならば、小世界を渡ることができるというわけだ。
「魔王列車用のレールに変えられると思う」
「試してみよ」
ミーシャは再び魔力を送り、スイッチとバルブを操作する。
魔王列車の車輪がすべて歯車に変わったかと思えば、銀の光が変化を始めた。
それらは歯車を象り始め、魔王列車の歯車と次々と噛み合わされていくのだ。
魔王列車の歯車が回転すれば、銀灯の歯車も回転する。
秩序が魔王列車に従うように、再び銀灯の歯車が別の物に変わり始めた。
レールである。
銀に輝くレールが黒穹にかけられ、その向こう側が出口のようにきらきらと輝いていた。
歯車が車輪に戻り、銀のレールにしっかりとはまった。
「カカカッ、面白いではないかっ! 缶焚き、火夫っ、全力で石炭をぶち込みたまえっ! あの光の出口へ一気に行くぞっ!」
エールドメードの指示に、黒服の生徒二人は「了解っ!」と声を上げ、スコップを駆使して火室に石炭を放り込んだ。
煙突から勢いよく煙が噴出し、車輪が高速で回転する。
「エレオノール、魔法障壁を張れ」
「了解だぞっ!」
結界室にて、エレオノールは固定魔法陣の上で魔力を放出する。
すると、噴出される黒煙が透き通っていき、魔王列車をキラキラと覆う魔法障壁へと変わった。
銀のレールの上を魔王列車は目にも止まらぬ速度で進んでいき、そして光の中に飛び込んだ――
瞬間、大量の泡が窓の向こうに溢れかえった。
「わおっ!! 銀色の海だぞっ!」
エレオノールが声を上げる。
銀の光がさんざめく海に、一瞬、皆言葉を忘れて見とれていた。
壮観なだけではない。
その美しさは同時に、恐ろしさを孕んでいる。
銀水聖海は想像を絶するほどに広く、そこにはどんな危険が潜んでいるかわからぬ。
窓の外へ視線を注ぐサーシャは、先の見通せぬ銀水を見つめながら、深刻そうな表情を浮かべた。
「破壊の子」
ふと彼女の後ろから、アルカナが声をかけた。
「今、なにか面白いネタを思いついた顔をしただろうか?」
「全っ然、してないわっ! なんでこんなときに面白いネタを思いつくのっ!?」
深刻さが一瞬で消え去り、サーシャは鋭くつっこんだ。
「……みんなが真剣なときこそ、腹筋を破壊する秩序が働く……」
「なんでわたしが虎視眈々と爆笑を狙おうとしている道化みたいになってるわけっ?」
「……みんなの緊張を解そうと思ったのではないだろうか……」
「どうしてわたしがそんな馬――あれ? 意外と良い奴だわ」
はたと気がついた風にサーシャが呟く。
すると、同室にいた魔王聖歌隊のメンバーが二人のもとへ集まってきた。
「カナッちはまつろわぬ芸人だからねっ」
「うんうん、いつでも笑いを忘れない心すごい」
エレンたちが言う。
「砲塔室ってやることなくて暇だから、緊張するよね」
「わかるわかるっ。だからって、忙しくなっても困るんだけど」
「敵来ちゃうもんねー。カナッちとサーシャ様がいつも通りでほっとした」
「わたしは、役に立てただろうか、聖歌隊の子」
アルカナの問いに、「もちろん!」「さすが背理神カナッち」「今日もまつろわないー」などと彼女たちは声を上げる。
サーシャが先程とは別の意味で視線を険しくする。
「背理神カナッち……? なにそれ……」
まつろわないー、と楽しげな声が砲塔室に響き渡った。
「こちら魔眼室。レールはこのまま延ばせそう」
ミーシャが機関室へ報告を上げる。
「カカカ、朗報ではないか。世界の外と内をつなぐ銀灯が延びるのならば、<思念通信>ぐらいならばミリティアの世界へ届くのではないか?」
「試してみて」
俺は<思念通信>の魔法陣を描く。
「メルヘイス、聞こえるか?」
すぐには応答がなかったが、しばらくして――
『はい』
ふむ。いけるな。
「よい報せだ。外の世界にもある程度まで<思念通信>が届く。途中で途切れそうならばまた連絡する」
『承知しました』
レールがあちらまで延びれば、万一、ミリティアの世界が侵略されても報告を受けることができる。ただちに戻ることができるだろう。
「それで、進路はどうするのだ、魔王?」
エールドメードの目の前に魔力で地図を描いてやる。
「そこが目的地だ。多少海流が荒れたところはあったが、迂回せず最短距離で向かえ。慎重にな」
ざっと地図を眺め、すぐにエールドメードは言った。
「缶焚き、火夫、分間六トンを維持しろ。車輪を第二歯車へ連結。全速前進」
「「了解っ!」」
黒服の生徒二人が、スコップを操り、火室へ投炭する。
「魔法線路構築開始」
「了解っ。魔法線路構築開始っ」
ニヤリとエールドメードが笑う。
「終着駅は未知の世界だ」
魔王列車の前方に、銀の線路が構築されていき、そこを高速で走っていく。
魔王列車の性能と銀灯のレールが合わさり、バルツァロンドの銀水船よりも速度が出ている。この分なら、想定より早く着くだろう。
ぐすっ、と鼻をすする音が聞こえた。
見れば、母さんがはらはらと涙をこぼしている。
その肩を抱きながら、父さんも涙ぐみ、堪えるような顔で前を向いていた。
ふむ。これは、いかぬな。
少々、母さんと父さんを図太いと思い込みすぎていたやもしれぬ。
前世はどうあれ、今の二人はただの人間だ。
サーシャたちでさえ、この銀水聖海の美しさと恐ろしさに一瞬息を飲んだ。
生命の存在を許さぬようなこの海は、根源に恐怖を訴えかける。
ただの人間である二人には、それに抵抗する術がなく、本能的に恐れてしまうのだろう。
「父さん、母さん、安心せよ。俺が守る」
涙目で母さんは、俺の顔を呆然と見た。
言葉も出てこぬ様子だ。相当参っているか。
「アルカナ、サーシャ、機関室へ来い」
すぐに二人は<転移>で転移してきた。
「どうしたの?」
サーシャが言う。
「俺は外を警戒する。しばし、父さんと母さんの相手をしてくれ。少々、心が弱っているようだ」
彼女は察したような顔をして、うなずいた。
「わかったわ」
アルカナとサーシャは、すぐに父さんと母さんのそばに寄っていき、声をかける。
「わたしは話し相手になりたいと思っているのだろう」
「心配しなくても大丈夫だわ。どんなに危険な世界だって、アノスのそばほど安全なところはないんだし」
「サーシャちゃんっ! アルカナちゃんっ……!」
母さんは張りつめた糸が切れたように涙をこぼしながら、二人に抱きついた。
「うっ、ぐすっ……お母さんもう……だめ……耐えられないかも……」
「大丈夫よ、そんなに心配しなくても」
「だって、だって……仕事中のアノスちゃんが、格好良すぎて……!!」
「……はい?」
「うっ、ぐす……アノスちゃんが……うっ、うっ……せっかく、アノスちゃんのお仕事場にせっかく潜入できたのに、お母さん魔法写真機、持ってこなくて……お母さん一生の不覚よっ!!」
サーシャは真顔になった。
アルカナが父さんを見る。
「すまん。俺も忘れた……! 家は燃えたし……!」
父さんは椅子に座りながら、膝に置いた手を震わせ、男泣きをしている。
アルカナとサーシャが顔を見合わせた。
「父と母は授業参観気分だったのだろうか」
「さすがだわ……」
危険な海の中、平和な俺たちを乗せ、魔王列車は順調に進んでいた。
この後、写真撮影した――