伝説の鑑定士
結局、昨日父さんは帰ってこなかった。
父さんの本職は鍛冶職人だから、剣についてはそんな馬鹿なことはしでかさないと思う。そう思うのだが、そこはかとなく不安である。
「……妙な気分だな」
なにかあれば、俺がどうにかすればいいことだ。さして心配に思う理由などないはずなのだがな。
「アノスちゃーん。ミーシャちゃんが迎えに来たわよー」
一階から母さんの声が聞こえてくる。
自室を出て、店舗の方へ降りていった。
そこに、ミーシャと母さんがいた。
「おはよう」
ミーシャが言う。
白いワンピースを身につけ、ふわふわの縦ロールにリボンを結んでいる。
「見ない服だな」
「……新しい服……」
なるほど。どうりで生地が新鮮だと思った。
「……変?」
上目遣いでミーシャが訊いてくる。
「いや。よく似合っているぞ。良い服だな」
少し照れたように彼女ははにかんだ。
「アノスの好み」
「俺の? まあ、確かに良いとは思うが、結局ミーシャの質問には殆ど答えなかっただろ」
すると、昨日と同じように「ふふっ」とミーシャは笑う。
「目を見ればわかる」
「そうなのか?」
「ん」
俺としては結論は出していないつもりだったが、まさか心底を見抜くとはな。
さすがに良い魔眼をしている。
「よく気がついたな。嬉しいぞ、ミーシャ」
ミーシャの才能はかなりのものだ。正しく成長すれば、神話の時代の魔族に迫る可能性を秘めているだろう。
「よかった」
俺の言葉に、ミーシャは満足そうにしている。
「じゃ、母さん。行ってくる」
「いってらっしゃい」
にっこり笑って、母さんは俺たちを送り出してくれた。
「さて。ミーシャの好きなことを教えてくれるんだったな?」
こくりとミーシャはうなずく。
「こっち」
ミーシャが俺を案内してくれる。
どこへ行くのか楽しみにしながらも、一緒に歩いていった。
やがて、多くの店が立ち並ぶ場所へやってくる。ミッドヘイズ商店街である。この辺りで一番賑わっている場所だろう。往来には多くの人が行き交っている。
「ここ」
ある店の前でミーシャは足を止めた。
魔法模型屋『創竜のふるさと』と看板が出ていた。
なかなか規模のでかい店舗だ。
中へ入ってみると、帽子を被った女性店主がこちらを向いた。
「あら? ミーシャちゃん、いらっしゃい。今日も作っていくの?」
「ん」
「いつもありがとね。この間作ってくれたお城の魔法模型、もう買い手がついたのよ。ほんと助かっちゃうわ」
女性店主が奧のドアを開ける。
「そういえば、こちらのお兄さんは、ミーシャちゃんの彼氏?」
ミーシャは一度俺の方を向き、ぶるぶると首を横に振った。
「友達」
「アノス・ヴォルディゴードだ」
俺がそう口にすると、女性店主はにっこりと笑う。
「あたしはメリッサ・ノマド。よろしくね」
「ああ。ところで、魔法模型とはなんだ?」
尋ねると、メリッサはびっくりしたような表情を浮かべた。
「……今時、魔法模型を知らない人っているのねぇ。お兄さん、ディルヘイドの人じゃないでしょ? どこから来たの?」
二千年前からだ。などと言っても、信じないだろうしな。
「人間の大陸アゼシオンにある辺境の街からだ」
「へー。そっか。じゃ、ミーシャちゃんはお兄さんに魔法模型を見せに来たのね」
ミーシャはこくりとうなずく。
「じゃ、どうぞ。今、工房は誰も使ってないから」
ミーシャとメリッサの後に続き、俺は工房の中へ入っていった。
工房の床には魔法陣がいくつか描かれている。限定魔法陣だ。場所も魔法の種類も限定されるが、その分、精度の高い魔法を行使することができる。
また長いテーブルや棚が設けられており、その上には球状のガラスがある。
ガラスの中に入っているのは、小さな建物や木々、草花である。まるで風景を切り取り、縮小したかのようだった。
「どう? これが魔法模型よ。すごいでしょ。ちなみに、この間ミーシャちゃんが作ったのが、これ」
メリッサが示したガラス球体の中には、森に建つ氷の城があった。この間の班別対抗試験でミーシャが建てた魔王城を小型にしたものである。背景は魔樹の森だ。
テーブルには売約済みの紙が張ってある。
「なるほどな。<創造建築>で作ったのか」
ミーシャがうなずく。
巨大なサイズの物を<創造建築>で作るのはかなりの魔力と魔法術式の理解が必要になるが、小さく細かい物を作るにはそれ以上の力が必要となる。だから、限定魔法陣が必要になってくるわけだ。
「小さく、精密に作られた魔法模型ほど出来がいい」
それだけ難しいからな。
確かにミーシャが作ったという魔法模型は、手の平に乗るほどのサイズでありながら、細部はかなり細かく作り込んである。
「これがミーシャの好きなことか?」
「細かいところを作るのが好き」
抑揚のないミーシャの声が、普段よりも弾む。
「見てて」
ミーシャは手をかざし、限定魔法陣を起動する。
「みんなでご飯」
<創造建築>が行使され、まずガラスの球体が現れる。その中に俺の家のリビングが構築されていく。食卓には沢山の料理が並べられ、そこを囲んでいるのはミーシャやサーシャ、レイ、ミサ、母さんと父さんだった。この間、みんなで食べたときの風景だ。
ミーシャは簡単にやっているが、イメージだけで実際に存在するものの細部まで作り込むのはかなり難しい。彼女には見たものを瞬時に記憶する能力があるのだろうな。
それにしても、いつになく楽しそうだな。
普段は無表情なミーシャの顔が、ほんのりと綻んでいる。そのまなざしは真剣そのもので、魔法模型をじっと見据えていた。
ふと彼女は魔法行使をやめ、俺の方を向いた。
「つまらない?」
少し不安そうな面持ちだ。
「いいや、興味深いぞ。ただのお遊びだろうが、より小さく、細かさを追究することは、<創造建築>の深淵に迫ることにもなる」
ふふっとミーシャは笑う。
「アノスは魔法が好き」
「そうでもないと思うが……」
ミーシャは首を横に振った。
「好き」
ふむ。そんなことは考えたこともなかったのだがな。
俺にとって魔法というのは呼吸のようなものだ。
「そう見えるか?」
こくりとミーシャはうなずく。
「なら、そうかもしれぬな」
自分のことなど、わからぬものだからな。
ミーシャが言うのなら、一考の価値はあるだろう。
彼女はまた<創造建築>の魔法を再開する。
数分が経過し、最後に俺の姿が食卓に現れる。
魔法模型の完成だった。
「できた」
「なかなかの出来だな」
ミーシャが作った魔法模型に視線を落とす。球形のガラスの中にあるリビングは細部まで作り込まれている。これだけの<創造建築>を使える者は、この時代にはそうはいまい。
「やってみる?」
「俺がやっては、この世に二つとない傑作ができてしまうぞ」
すると、後ろから、あはっ、と笑い声が聞こえた。
「大きく出たねー、お兄さん。でも、魔法模型の歴史はもう五〇〇年もあるし、そうそう簡単じゃないよー」
「そうか? では、一番優れた魔法模型を見せてくれるか?」
「……あー、さすがに一番っていうのはこの店にはないんだけど、でも、すっごいのがあるよ。人によっては一番って言うぐらいのやつがね。ついてきて」
メリッサは楽しそうに踵を返す。
彼女の後についていき、魔法模型が飾られている場所へやってきた。
思ったよりも店内は広く、人で賑わっている。
ディルヘイドでは魔法模型が流行っているのかもしれない。
「ここの奥にね、魔法模型で一〇指に入るぐらいのすごいやつがあるのよ。創作者は不明なんだけど、幻の逸品って呼ばれていて、名のある魔族が何十年もかけて作ったものじゃないかって言われてるわ」
メリッサは店内の奧へ案内してくれる。
すると、他の作品とは違い、綺麗に飾られた魔法模型が並ぶようになった。
恐らく高価な品なのだろう。
更に進めば一際、豪奢に飾りつけられた一角が見えてきた。
恐らく魔法模型があるだろう場所に、一人の男が立っている。モノクルを身につけた老紳士だ。
隣には店員らしき男が付き添っている。
「あー、ごめんね。うっかりしてたわ。ちょっと待たないとだめみたい」
魔法模型を見ているのは一人だけだ。
待たなくとも、普通に覗けるだろう。
「目当てのものはあれではないのか? 空いていると思うが?」
「ちょっとね。有名な鑑定士の先生なのよ。デミル・グラハって言ったら、この界隈じゃ誰でも知ってるぐらいよ。伝説の鑑定士って言われててね。彼に認められて、ようやく魔法模型士として一流なの。だから、まあ、一緒に見るのはちょっと無礼って言うかね」
特別待遇というわけか。
まあ、ここからでも見えるがな。
「……ほう。さすがは幻の逸品と呼ばれるだけのことはある」
魔法模型をじっと覗き込んでいたデミルが言った。
「小指ほどのサイズで、これほど精密に作り込まれていて、しかも中まで忠実に再現してあるとはな。デルゾゲードの造りが古いということは、噂通り、数百年以上前に作られたものか。素晴らしい。これほどの<創造建築>を使えるものは、歴史上でも五人といないだろうな」
どれほどのものなのか気になり、遠見の魔眼で魔法模型を覗く。
「あれが、魔法模型で十指に入るのか?」
「お兄さん、見えるのー? そうだよ。すごいでしょ。さっきの発言、早速後悔したんじゃない?」
からかうようにメリッサが言ってくる。
「後悔? は。なにを言う。あれぐらいなら簡単に造れる」
すると、熱心に魔法模型を見ていたデミルが振り向いた。
彼は周囲に刺すような鋭い視線を注ぐ。
「誰かね? 今、この素晴らしい作品を冒涜したのは?」
叱責するような口調に、賑やかだった店内がシーンと静まり返る。
「まったく。名乗り出る勇気もないなら、軽はずみなことは言うもんじゃない。素晴らしい作品に対する敬意も持てず、貶めるような発言をするとは、魔法模型の愛好家として嘆かわしいことだ」
再び魔法模型を見ようとするデミルに俺は声をかけた。
「今、言ったのは俺だ」
すると、デミルが俺を睨んできた。
「別段、その作品を貶めたわけじゃないのだがな。事実を言ったにすぎない」
俺の発言に、デミルは顔をしかめる。
隣にいたメリッサが慌てたように言った。
「え、えーと、お兄さん……? その辺りにしておいた方が……」
「大丈夫だ」
「だ、大丈夫って。ね、ねえ。ミーシャちゃんからも止めてあげて」
ミーシャはじっとメリッサを見返した。
「大丈夫」
「え、ええぇ……大丈夫って……」
デミルが一歩俺に向かって足を踏み出す。
「君は魔法模型士かね?」
「いや。だが、この程度の<創造建築>なら容易い」
その言葉に、デミルは失笑した。
「やれやれ、まったくこれだから素人は。いいかね? 小さい模型を作るのは、君が考える以上に大変なことなのだよ。できると言うのなら、今すぐ工房に行って見せてもらおうじゃないか。ん?」
「その必要はない」
デミルは、ははは、と笑い声を上げる。
「そら、見たことか。以後、大層な口を叩くのは慎みたまえ。優れた作品と模型士には敬意を持つべきだと私は思うよ」
「なにを勘違いしている? 工房になど行かずとも、ここで作れると言ったのだ」
手をかざし、魔法陣を描く。
次の瞬間、豆粒以下の極小の石がそこに現れていた。
「これは……!?」
デミルはわなわなと震え、その小石をじっと見つめた。
そこへ、メリッサが慌ててやってきて、頭を下げた。
「も、申し訳ございませんっ! このお兄さんは、その、魔法模型のことなんて、なんにも知らない素人なんです。そのぐらいで許していただければ……」
デミルが怒っていると思ったのだろう。
だが、割って入ってきたメリッサに彼は言った。
「君はなにを言っているのかね?」
「え……?」
メリッサはきょとんとした表情を浮かべる。
「魔法模型屋の店主のくせに、まるでなっていない。この作品の素晴らしさがわからないなら、黙っていたまえ」
デミルのあまりの変わり身に、メリッサは呆然とするばかりだ。
そんなことは気にもとめず、デミルは俺が作った極小の石をじっと見つめる。
魔法具のモノクルに魔力が集中し、彼は魔眼をじっと凝らす。
「……あぁ……思った通り……いいや、思った以上だ……。信じられない……誰に言っても信じないだろう……。なんだこれは……!? この極小の粒が、デルゾゲード城になっているだと……!? いや、いや、違う。デルゾゲードどころか、これはまさか、そんな……この街を再現しているのか? 一万倍、いや百万倍にしても、まだ細部を見ることができない……」
「細かく見たいなら、十億倍にするんだな」
「じゅっ、十億っ!? き、君は十億分の一のサイズで魔法模型を構築したというのかねっ!?」
「簡単だと言っただろう」
デミルはまさに驚愕といった表情を浮かべ、全身をがくがくと震わせている。
「な、なんということだ……十億分の一の魔法模型を、固定魔法陣さえ使わず、一瞬にして……」
デミルは魔力を全開にして、必死に極小の魔法模型を凝視する。
モノクルに備わった魔法で、魔法模型を拡大して見ているのだろう。
「……素晴らしい……素晴らしすぎる……!! なんという精密さだ。こんなことが可能なのか? 君、い、いえ……! 先生っ! あなたの名前をお聞かせ願えませんかっ?」
「アノス・ヴォルディゴードだ」
「アノス先生っ! あなたの作品をもっと見たい! 必ず私が先生を世界一の魔法模型士にして見せます! どうか、これから作品を作ったら、私に見せていただけませんか? お金は言い値でお支払いいたします」
やれやれ、大げさなことだな。
デミルが騒いだため、周りには人だかりができており、こちらを興味深そうに見ている。
早々に退散するか。
「悪いが、魔法模型士になるつもりはない」
「な……これだけの才能を持ちながら……それはいったい、どうしてですか……? 富も名声も思うがままなのですよっ!」
「あいにく興味がない」
「きょっ、興味がないぃぃっ!?」
デミルが素っ頓狂な声を上げる。
指をさすと、デルゾゲード魔王城の魔法模型が宙を浮かび、俺の手の平に収まった。
「で、でしたら、先生っ、せめて、せめてその素晴らしい作品を売っていただけないでしょうか? いくらでも、お支払いいたしますのでっ!!」
「残念だが、まだ使い道がある」
「そんなっ! 先生っ! アノス大先生っ!!」
踵を返し、ミーシャに言う。
「悪いな。ちょっと騒ぎになった」
ミーシャは首をふるふると振った。
「悪いことはしてない」
「騒ぎにはなったが?」
「アノスらしい」
ふむ。動じぬな、ミーシャは。
「とりあえず出るか」
「ん」
周囲の喧騒をよそに、俺たちは魔法模型屋を後にした。
なんてデートらしくないデートなのか……。