恨み
「レイ。そこを左だ」
隻腕の男を足で押さえつけながら、ミーシャの神眼で氷の山脈を覗き、<思念通信>を送る。
男はこちらにぎょろりと視線を向けた。
「気にするな。お前には関係ない」
奴は探るような魔眼で、平然とこちらを見ている。
顔面を床に打ちつけられたのを、まるで意に介してはいないようだ。
「……貴様が元首か?」
「質問するのはこちらだ。俺の顔も知らずに、なぜ俺の母を狙った?」
すると、なぜか男の顔色が変わった。
「……な…………に……?」
「聞こえなかったか? なぜ俺の母を狙った?」
なんとも言えぬ表情だった。
憤怒と歓喜、蔑みと狂気をない交ぜにした、ひどく醜い顔だ。
く、くく……と不気味な笑い声がこぼれた。
「くくく、くふふふふふふふふふふっ! そうか! 産んだか! とうとう産んだか! 抗い続けた貴様も、ついに災禍に身を委ねたがばはぁっ……!!!」
思いきり踏みつけてやれば、奴の顔が再び床に埋まった。
「立場を弁えよ。そんな下品な笑い声を聞かされては、母さんが怯える」
ぬっとその隻腕が伸び、頭を踏みつけている俺の足首をつかんだ。
奴の視線が、ねっとりと俺にまとわりつく。
「そう言うな。兄弟」
男の全身から漆黒の粒子が溢れ出す。
凄まじいまでの魔力の奔流が、結界に覆われた自宅をガタガタと揺らし始めた。
「一人占めするつもりか?」
その手が俺の足首をきつく握り締め、ミシミシと骨が軋む。
「あいにく俺はまだ八ヶ月でな。母を一人占めするのは当然の権利だ」
<破滅の魔眼>にて、奴の魔力を封殺していくも、漆黒の粒子は際限なく溢れ返り、室内にみるみる魔力が充満していく。
「しかし、俺の他に子がいたとは聞いておらぬ。新手の詐欺ではないだろうな?」
奴の力を押さえつけるべく、俺の体に漆黒の粒子が纏う。
「くっくっくっくっく、言葉を取り繕おうと魔力は隠しきれていないぞ。うまく変質させているようだが、己にはわかる。貴様にもわかるはずだ。己たちが、同種の魔力を持っているということが」
ギィン、ギギィ、と妙な耳鳴りが聞こえた。
確かに僅かではあるが、俺の根源は、奴の根源に共鳴するような反応を見せている。
同種の魔力というのも、あながち間違いではないだろう。
「世の中には同じ顔の者が三人いるという。たまたま似通った魔力の持ち主がいたからといって、兄弟とは限らぬ。そもそも――」
奴の手が更に俺の足首に食い込んだ。
なかなかどうして、アナヘムと同じか、それ以上の膂力だ。
俺が足に魔力を集中した瞬間、奴は素早く手を放し、床に落ちていた赤い爪を母さんに投げつけた。
<四界牆壁>を張ったが、赤い爪は黒き防壁に触れた途端にそれを取り込み、力に変えた。
黒きオーロラを纏った爪が、母さんの眼前に迫る。
奴の頭を蹴り飛ばすと同時に後退し、赤い爪をこの手でつかみとった。
バチバチと激しく火花を散らして暴れるそれを、力任せに押さえつける。
エクエス窯の秩序に守られている俺の家でなければ、辺り一帯が吹き飛んでいたところだ。
「万一、同じ腹から産まれていようと、お前のような親不孝者は兄弟とは呼べぬ」
ようやく解放された奴は身を起こしており、猛然と俺に肉薄した。
「<根源戮殺>」
「<根源死殺>」
使った魔法は異なるが、互いに手を漆黒に染めた。
奴の手刀がまっすぐ突き出され、俺の掌がそれを受け止める。
強力な魔法同士の衝突に、大量の火花が辺りに撒き散らされ、家の柱が悲鳴を上げる。
「ふむ。これだけの力を持っていながら、どこに隠れていた?」
「それは貴様の方だ、兄弟。どうやって隠していた?」
「なんの話だ?」
「とぼけるか」
俺と奴の押し合いに耐えきれず、両者の足がズガンッと床にめり込む。
瞬間、その隻腕に黒き粒子が集う。
不自然だった。
奴の右腕は、肩から先がない。
だが、存在しないその右腕にこそ、より強力な魔力が宿っているように見えた。
禍々しいその右腕の魔力が、奴の隻腕に力を与えている。
男の力が異常なほど高まり、俺の体が押された。
足が床を滑っていき、俺の背中が壁につく。
「己の隻腕を、片手で押さえようとは。魔眼が悪いようだな、兄弟」
「ああ、実は最近、小さいものがよく見えぬ」
背中の壁に、ヒビが入った。
「特に小者など目に入らなくてな」
俺の挑発に乗ったか、隻腕を中心に黒き粒子が渦を巻く。
奴は勢いよく地面を蹴り、俺の体ごと、勢いよく壁をぶち抜いた。
「アノスちゃんっ……!?」
母さんの声が響く。
隻腕の男はそのまま俺を押しやり、キッチンへと移動した。
「ふん。力の深淵も覗けぬ分際で口だけは達者だ。対等な条件で力を見せつける気だったか知らぬが、己の隻腕は片腕ではなく、腕二本分だ。さっさと右腕も使わねば、後悔するぞ」
「なに、腕一本で釣り合いは取れている。なにせお前は」
更に一歩後退し、俺は言った。
「頭が足りぬ」
掌の力を抜き、奴の手刀を受け流す。
たたらを踏み、つんのめった奴の後頭部を<根源死殺>の手でわしづかみした。
「こんな時間に、これ以上の力を出しては近所迷惑というものだ」
奴が前進した勢いを殺さず、頭をつかんだまま、勢いよく投げつける。
その先に待ち受けているのは、火の入ったエクエス窯だ。
「……ごっ、がぁっ……!!」
頭からエクエス窯に突っ込み、その炎が奴を焼く。
素早く奴は反魔法を展開し、左腕でかまどの縁をつかんだ。
「往生際の悪い」
勢いよく奴の尻を蹴り飛ばしてやれば、半分出ていた体がエクエス窯に入った。
「……ぬっ……!」
「<獄炎殲滅砲>」
頑丈なエクエス窯の中へ、漆黒の太陽を連射する。
国を焼くほどの威力の<獄炎殲滅砲>が、次々と着弾し、かまどの内部に漆黒の炎が荒れ狂う。
「答えよ。お前は何者だ? なぜ母さんを狙った?」
ゴオオオオオオオォォォと黒く炎上するエクエス窯の奥へ、俺は問う。
「…………とぼけるのが上手いな、兄弟……」
「ふむ」
<獄炎鎖縛魔法陣>にて奴の体をがんじがらめに縛りつける。
「……ぐむっ……!?」
「話す気になったら出してやる」
バタンッとエクエス窯のフタを閉めた。
ダンッ、ダンッと中から暴れる音が響く。
とはいえ、エクエスを元にして創ったかまどだ。滅多なことでは壊れはせぬ。
奴は絶望をもたらす、そうエクエス窯は判断した。ゆえにこのかまどには、大量の燃料が投じられたに等しく、内部ではみるみる燃焼が広がり、刻一刻と温度が上昇していく。
いずれは耐えられなくなるだろう。
椅子を引き寄せ、腰かけようとして、ふと視線を感じた。
天井を見上げ、透視する。空には誰もいない。
視野を狭め、魔眼に魔力を込めて、細く遠くへ視線を延ばす。
空の果てにもまだいない。
それは空の遙か彼方、黒穹に長い三つ編みの少女がいた。
肩には髑髏の、胸には泡と波の紋章をつけ、日傘をさしている。
女物だが、隻腕の男と同じ制服だろう。
彼女は瞳を閉じている。
だが、それでも知覚しているのか、遙か地上にいる俺へ日傘の先端が向けられ、そこに魔法陣が描かれた。
<森羅万掌>にて、俺は右手を蒼白く染めた。
「あいつの仲間か?」
<思念通信>を飛ばす。
『一応ね』
日傘の先端から漆黒の光弾が放たれた。
<四界牆壁>を多重に展開し、家の外を覆う。
同時に、母さんの周囲にも<四界牆壁>を張り巡らせた。
瞬間、その<四界牆壁>は消え、漆黒の光弾が母さんの目の前に現れていた。
入れ替えられたのだ。
「え……」
母さんの呟きとともに、大爆発が起きた。
外壁と天井が吹き飛び、ガラガラと音を立てて自宅が崩れ落ちる。
「せっかく頑丈に創り直したというに」
母さんを抱き抱え、爆発が広がるより早く、俺は脱出していた。
条件はわからぬが、魔法と魔法を入れ替えるのだとすれば、そばを離れるわけにはいくまい。
ガタッと爆破された家から音が鳴る。
唯一原型を留めているエクエス窯のフタが開いた。
今の爆風で留め具が外れたのだろう。
「これからが本番だ」
隻腕の男がエクエス窯から這いずり出てきた。
奴は片手で魔法陣を描き、俺を睨む。
こちらの相手は容易いが、黒穹にいる女が厄介そうだな。
『退いて』
日傘の女から、隻腕の男に<思念通信>が飛ぶ。
隠すつもりはないようで、傍受するまでもなく聞こえていた。
「目的はまだだ」
『それ以上の収穫があった。退きなさい』
高圧的に女は言った。
『ここは向こうの領域だよ。すぐに応援が来る。君の隻腕も使えない』
「五秒だ。それで目的を果たす」
言うや否や、隻腕の男は俺に飛びかかり、<根源戮殺>の手刀を高速で振るう。
母さんを抱き抱えながら、俺はその悉くを難なく避け、反対に奴の顔面を蹴り飛ばした。
「ぐっ……!」
「手が塞がっているなら、与し易いとでも思ったか?」
「なんの痛痒にもならん打撃でよく言う」
隻腕の男が、その手を、右腕の切断部に当てた。
そこに、禍々しい魔法陣が浮かぶ。
「手加減をしていれば、あまり調子に乗るなよ」
漆黒の粒子が溢れ返った次の瞬間、男の姿が忽然と消えた。
代わりにぽとりと地面に落ちたのは、片腕のない小さな人形である。
「ふむ。類似点があれば入れ替えられるといったところか」
頭上を見上げ、遙か黒穹に視線を飛ばせば、日傘の少女の隣に隻腕の男が浮かんでいた。
静かに母さんを下ろし、俺は問うた。
「お前たちはどこの者だ?」
『今、話すことはなにもないよ。君が見つかるとは思わなかった。次に会うとき、私たちは君の味方かもしれないし、敵かもしれない』
「他人の家に土足で上がり込んで、そんな理屈が通じると思うか」
『ただの事実だよ。私は君に恨みはないし、今更、母親なんか――」
女ははっと気がついたような表情を浮かべる。
先程からずっと閉じている目に違和感を覚えたように、右のまぶたに手をやった。
「ようやく気がついたか」
俺は手を開き、空に見せてやる。そこにガラス玉が乗っていた。
義眼だ。
先の攻防の際、<森羅万掌>の手にてそっと奪い取ったのだ。
「目を開かぬのはどういうわけかと思ったが、その男の隻腕といい、この義眼といい、お前たちの力の秘密は欠けている体にあるといったところか」
『……君の名前は?』
冷静だった女の声が、僅かに震えている。
「さて、名乗らぬのはお互い様のようだが」
『コーストリア・アーツェノン』
吐き捨てるように、女は言った。
俺は不敵に笑ってみせる。
「アノス・ヴォルディゴードだ」
『……アノス……』
怒りに震えながら、彼女は言った。
『……許さない。君が敵になっても味方になっても、関係ない。その義眼を持っていなさい。私の名を覚えてなさい。コーストリア・アーツェノンは君の一番大切なものを奪ってやる……』
「ほう。こいつがそんなに大切か?」
ぐしゃり、と義眼を握り潰す。
コーストリアが驚いたように口を開いた。
「つい先刻、お前がしようとしたことだ。逆恨みをする前に、己の身でしっかりと味わい、悔い改めよ」
コーストリアの左のまぶたが開き、怒りに染まった義眼が俺を睨みつけた。
『覚えてなさい。君はいつか、いつか必ず滅ぼしてやる……!』
「いつかと言わずに今やればどうだ?」
彼女は歯を食いしばる。
だが、挑発には乗らず、隻腕の男に声をかけて黒穹を更に上昇していく。
さすがにこれ以上魔眼で追うのは、ミーシャでもなければできぬな。
すると、すぐそばに二つの魔法陣が描かれ、シンとイージェスが転移してきた。
この騒ぎを知り、駆けつけたのだろう。
「ご命令を」
シンが言う。
「しばらく待つ。賊に<追跡>を仕掛けた。逃げ帰る場所で、どこの手の者かわかるだろう」
隻腕の男を蹴ったときだ。
まだ気がつかれてはおらず、現在奴らは黒穹を高速で移動中だ。
どこに戻ろうと、俺の魔力ならば、世界の果てまで追跡できる。
「……ほう?」
「どうした?」
険しい表情で、イージェスが問う。
「<追跡>が途絶えた」
「勘づかれたか」
「魔法になにかされたなら、そうとわかるはずだがな」
仕掛けた<追跡>は破壊されることも、遮断されることもなく、ぷっつりと途絶えた。
まるで有効範囲の外へ出たかのように。
有効範囲の外へ――