捨てられた子
ミッドヘイズの往来を、俺はのんびりと歩いていた。
隣にはミーシャとサーシャがいる。
アルカナは、ゼシアとエンネスオーネの水車芸が気に入ったようで、デルゾゲード最奥部に居残り、三人でなにやら遊んでいた。
「そのまま下降、突き当たりを左に」
『了解』
ミーシャは<思念通信>でレイを誘導していた。
霊神人剣が埋まっている氷の山脈は、内部が迷路のように入り組んでいる。最短距離をぶち抜いた方が早いが、何者かの縄張りかもしれぬゆえ、事を荒立てぬ方がいいだろう。
ミーシャの神眼に見えている以上、迷う心配もない。
「人の気配は?」
『特に今のところはないね。呼びかけても返事はないし、誰かが暮らしてるような痕跡も見当たらないよ』
レイは氷の山脈の中を進みながら、<思念通信>を返す。
「そもそも、そんななんにもないところに誰か住んでるのかしら?」
サーシャがそう疑問を呈す。
「さてな。世捨て人のような暮らしをしている者がいたとて、別段驚かぬが」
魔族にはそういう手合いも多かった。
大抵が、強い力を持っている者だ。
「次の別れ道を右に」
ミーシャの指示に従い、レイは歩いていく。
「もう少しでつく」
『だけど、ここまで近づいたのに、霊神人剣の魔力を全然感じられないっていうのも、少し不思議だよね』
思案するように彼は言う。
<転移>が使えぬことと関係があるのか?
勇者学院がかつて神殿に安置していたときでさえ、近づけばその魔力が漏れ出ているのがわかった。
エヴァンスマナが少々損壊しているとしても、その力が感じられぬのは妙な話だ。
ミーシャにも見えぬ。
さすがにレイが近くまで行けば、なにかわかると思っていたが、気配すら感じられぬとはな。
なにが潜んでいる?
新世界になって間もない。
<転移>が使えぬのも、霊神人剣の魔力が感じられぬのも、単純な見落としをしていないとも限らぬが、しかし、警戒する越したことはあるまい。
「慎重に進め」
『そうするよ』
最大限、辺りを警戒しながらレイは氷の迷路を先へ進んでいく。
と、そのとき、駆けよってくる足音が聞こえた。
レイがいる氷の山脈からではない。
足音が響いているのは、俺のすぐそばだ。
「アノス様っ……どうか、お待ちを……!」
一人の男が、そう声をかけてきた。
顔は知らぬが、この街の者だろう。
魔力にはどことなく覚えがある。
「どうした?」
「私はノロス家のドラムと申します。おみ足を止めてしまった非礼をお詫びいたします。恐れ多くも、アノス様の配下、ネクロンのお二方に用があって参りました」
ミーシャとサーシャが不思議そうに顔を見合わせる。
「なに?」
淡々とミーシャが尋ねる。
「実はお母様のことで折り入ってお話が。誕生パーティの贈り物につきまして、ご相談したくございます」
ああ、と合点がいったようにサーシャが言う。
反応からして、ドラムとは知らぬ仲でもなさそうだ。
「ずいぶん気の早い話ね。それって、アノスの足を止めるほどの大事かしら? せめて、わたしたち二人のときに出直してきたらどう?」
サーシャが言う。
すると、ドラムはその場に膝をつき、深く頭を下げた。
「……誠に申し訳ございません。我がノロス家の存亡に関わりますゆえ、このような不作法を。処罰はなんなりとお受けいたします。どうか、どうかほんの少しだけでも、お時間をいただくことはできませんでしょうか?」
困ったようにサーシャが俺を見る。
「行ってやれ。レイの方は俺が見ておく」
そう口にして、<魔王軍>の魔法線をミーシャとつないだ。
「神眼を借りるぞ」
「ん」
ミーシャとサーシャは、頭を下げたままのドラムのそばまで歩いていく。
「今回は特別よ。今度からはせめて三日前には知らせなさい」
安堵したような表情で、ドラムはサーシャを見る。
そうして、再び頭を下げた。
「ありがとうございますっ!」
「それで、どこでなにをすればいいのかしら?」
「ご案内します。どうぞこちらへ」
ドラムは立ち上がり、ミーシャとサーシャを案内していく。
「レイ。そこを上だ。人一人通れる穴が空いている」
ミーシャの視界を覗きながら、そう指示を出す。
直接、レイがミーシャの神眼を使えればいいのだが、創造神の視界は広すぎる。
俺ですら持て余すほどだ。
レイが知覚しようにも、逆に付近の気配を見逃すことになりかねぬ。
「そこをしばらく道なりに進め」
口にした瞬間、魔眼の裏側に火の粉がちらつき、薪が燃える音がした。
エクエス窯の火が勝手についたのだ。
『……どうかしたかい?』
「なに、こっちのことだ。気にするな」
俺は自宅へ魔眼を向けた。
工房には誰もいない。
父さんとイージェスは仕事で出ているようだ。
カランカラン、とドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ!」
母さんが笑顔で客を出迎える。
鍛冶・鑑定屋『太陽の風』に入ってきたのは、くたびれた幽鬼のような男だ。
隻腕だった。
左腕の筋肉は、分厚く膨れあがっている。
纏っているのは見慣れぬ制服だ。
色は灰色。肩に髑髏の紋章を、胸には泡と波の紋章があった。
軍隊か、あるいは学院の校章のようにも思えるが、見覚えがない。
どこの者だ?
「なにかご入り用でしょうか? 見たいものがあったら、お取りしますから、遠慮なくおっしゃってくださいね」
隻腕なのを気遣い、母さんがそう声をかける。
男は一瞬店内の剣や槍に視線をやると、「貧弱極まりない」と呟いた。
「……どうしました?」
訝しむ母さんのもとへ歩いていき、男はゴトッとテーブルにある物を置いた。
赤く鋭い刃だ。柄など持ち手はついていない。
「覚えがあるか?」
「鑑定ですね。少々よろしいでしょうか?」
そう断り、母さんは白い手袋をつけて、その刃物を手にした。
「変わった刃物ですね……刃物というより、生き物の爪に似ていますが……」
「爪だ」
低い声で隻腕の男は言った。
母さんは、ルーペを手にして、その赤い爪を丁寧に見ていく。
だが、手持ちの知識には心辺りすらないようで、困ったような表情を浮かべた。
「思い出せないか?」
「……すみません。うちではちょっと……なにか手がかりでもつかめればと思ったんですが……」
母さんがテーブルに赤い爪を置く。
「もっと大きなお店をご紹介しましょうか?」
「いや」
無骨な声が響く。
ギラついた視線で、隻腕の男は言った。
「それは貴様しか知らない」
一瞬、不穏な沈黙が流れる。
母さんは不思議そうに、その男の顔を見た。
「まだ思い出せないか? 貴様が捨てた子のことを」
驚いたように母さんは目を丸くする。
隻腕の男は、赤い爪を手にして、眼光を鋭くした。
平民でもわかるほどの強い殺気を受け、母さんが後ずさる。
「これはな」
男が赤い爪の先を母さんへ向けた。
「こう使うものだ」
赤い爪が母さんの腹を狙い、恐るべき速度で走った。
その刹那、キッチンから放たれた激しい猛火に男は包まれる。
「エクエスちゃんっ……!」
『おのれぇぇぇ、なぜ私がぁ、許さぬぅぅぅ……!!』
絶望を燃やすエクエス窯は、不穏な足音が聞けば、それをたちまちに焼き払う。
この新世界の秩序であり、母さんの守護者だ。
しかし――
ズガンッと男が足を踏みならせば、その音だけでエクエス窯の炎がかき消えた。
「主神が仕えているとは。人違いではなさそうだな、災禍の淵姫」
「――ふむ。知らぬことばかりを言う。お前はどこの誰だ?」
隻腕の男が、視線を後ろへ向ける。
奴が炎をかき消した隙に、俺は転移し、その背後をとっていた。
「ゴミが、邪魔をするな」
問答無用とばかりに、男は裏拳を放つ。
それよりも早く、後頭部を掌で打ち抜いた。
「……がっ……ぶ……!?」
男は頭から倒れ込み、鈍い音を立てて顔面を床にめり込ませた。
「それだけの力を持っていながら、俺を知らぬか。おかしなものだな」
「小癪――がぶっ……!」
すぐさま起き上がろうとした奴の頭を、足で踏みつける。
「質問に答えよ。洗いざらい吐けば、火あぶりで許してやる」
白状しても火あぶり――