投炭訓練
数時間後――
デルゾゲード深奥部には、完成した魔王列車ベルテクスフェンブレムの姿があった。
車体のベースは古い時代にアゼシオンを走っていた蒸気機関車で、上部には風車が、側面には水車が取りつけられている。
それら羽根車は、絶望の秩序や<運命の歯車>に類する力を受け車輪を回す。つまり、目に見えぬ歯車を捉える感知器のようなものだ。
その他、車体にはどんな悪路をも走破できるようありとあらゆる魔法のギミックが備わっている。
かつて破壊の空を飛び抜けた飛空城艦ゼリドヘヴヌスに、勝るとも劣らぬ出来映えと言えよう。
「カカカカッ、投炭がなってないではないかっ。缶焚き、火夫、それでは、魔王列車がまともな速度を維持できんぞ、ん? 空の藻屑に消えたくなければ、一分で六トンの石炭を投げ入れろ」
魔王列車の機関室にて、エールドメードが言った。
缶焚き、火夫とはどちらも蒸気機関車の火室にスコップで石炭を投げ入れる係のもので、黒服の生徒二人がその訓練を行っている。
「ええと、スコップ一杯で二〇〇キロだから……?」
「一分で三〇回っ? そんな無茶な……!?」
「ていうか、なんでこんな原始的な仕組みなんだよ……。飛空城艦みたいに、魔法で直接動かせないのか……」
ぼやきながらも、缶焚きと火夫の二人は手にしたスコップで必死に石炭室から石炭をすくい、火室に投げ入れている。
無論、それは、ただの火室ではなく、ただの石炭でもない。
「この魔王列車は魔力だけではなく、神の権能で動く。言わば、走る神域だ。オマエたちにも操縦ができるように、わざわざ創造神が原始的な仕組みで創ってくれたのではないか。魔力で動かそうと魔法線をつなげば、オマエたちの根源など一瞬で焼き切れるぞ」
カカカカ、と愉快そうにエールドメードは笑う。
「投炭の精度が低いですね。次は右下隅E6へ。秩序石炭は、決して片寄りが出ないように」
生徒二人の後ろで、シンが魔眼を光らせる。
石炭を均等に投げ入れなければ、効率的に燃焼せぬ。結果、魔王列車は本来の力を発揮できぬだろう。
「……って言われても、石炭は重いわ、火室前は熱いわで、そんなうまく投げ入れられないっていうか……」
「このスコップからして、持ってるだけで馬鹿みたいに魔力を消耗するし……」
魔王列車完成から、ずっと訓練を続けているからか、缶焚きと火夫の二人は肩で息をしている。
これ以上はあまり効率も上がるまい。
「一度休みたまえ。代わりに、そうだな、勇者カノン、お手本を見せてやれ」
黒服の二人は疲労困憊といった様子で、スコップを置くと、機関室から下りて床にへたり込んだ。
他の生徒が駆けより、彼らに回復魔法をかけていた。
残りの生徒たちは皆、機関室とはまた別の場所で魔王列車の操縦訓練を積んでいる。
「それじゃ」
入れ代わりで機関室にレイが入った。
「レイさんって、やったことあるんですか?」
開け放たれた扉から、休憩中のミサが機関室を覗く。
「アゼシオンの乗り物だからね。普通の蒸気機関車なら、一人でも動かせるよ」
「へー、そうなんですね。今度、アゼシオンに行ったら、レイさんが運転する列車に乗ってみたいです」
その言葉に、レイは笑顔を浮かべる。
「もちろ――」
ザンッとスコップがレイの足元に突き刺さる。
僅かでもズレていれば、足の指が落ちていただろう。
「どうぞ、お手本を」
殺気がこもったシンの視線が、レイに向けられる。
彼がスコップを手に取ると、シンはまた後ろに下がった。
「……あ、あれ……? ちょっとは打ち解けたのかなって思ってたんですけど……?」
小声でミサが言う。
苦笑しながら、レイは答えた。
「大丈夫だよ」
言うや否や、慣れ親しんだ所作でレイはスコップを構えた。
「ふっ!!」
ドドドドドドドッと一瞬の間に、三〇杯の石炭が火室へ投げ入れられた。
しかも、そのすべてが見事に等間隔に並んでいる。
火室の炎が勢いよく燃え上がり、魔王列車の煙突から夥しい量の煙が溢れ出た。
「っていう具合かな」
レイが、黒服の生徒二人を振り返る。
「簡単に言えば、スコップは剣みたいなものなんだよ。だから、剣を扱うように振れば、速度も出る」
「剣を扱うようにって言われてもなぁ……」
「いや……全然参考にならねえんだけど……」
「ええ。まったく参考になりませんね」
レイの背後に立ち、シンが言った。
「見たところ、秒間六トンというところですか。私なら、その一〇倍、六〇トンは入れてみせます」
「……さすがに、六トンが限界じゃないかい?」
レイは火室をちらりと見て、訝しげに首を捻る。
三〇杯以上の石炭は入りそうにない、と思ったのだろう。
「アゼシオンの乗り物だからと期待していましたが、六トンが限界ですって?」
シンがスコップを両手で握り、さながら剣を扱うが如く、切っ先を火室へ向ける。
横目で鋭い視線を、レイに向けた。
「投剣円匙、秘奥が壱――」
シンの魔眼が光る。
「投炎圧縮」
魔力を帯びたスコップ、すなわち投剣円匙がざっくりと石炭を乗せる。目にも止まらぬ速度でスコップの先端が加速すると、みるみる内に石炭が圧縮され、十分の一の大きさになった。
瞬きをする間に、無数の剣閃が走り、夥しい量の石炭が投げ入れられる。
火室は圧縮された石炭でぎっしりと埋め尽くされていた。ちょうど六〇トンだ。
途端にゴオオオオオオォォォッと火室が猛火に包まれ、もくもくと黒煙が煙突から噴出される。機関室は並の魔族ならばそこにいるだけで溶けてしまいそうなほどの熱気に包まれていた。
「先程、スコップは剣みたいなものと言われていましたが」
陽炎ができるほどの熱気を浴びながら、シンは涼しい顔でスコップをレイの眼前に突きつけた。
「スコップは剣です。それがわからないあなたの蒸気機関車に、娘を乗せるわけにはいきません」
鐘の音が鳴った。
本日の授業はこれで終了である。
「続きは、また明日」
シンは機関室から出て、颯爽とこの場を立ち去っていく。
「スコップは剣、か……」
「ご、ごめんなさい。お父さんはああ言ってますけど、あんまり気にしなくて大丈夫ですよ? 蒸気機関車ぐらいで、心配しすぎなんです。大体、脱線したってへっちゃらですし」
慌てたようにミサがそう言うと、レイは苦笑した。
「そういうわけにはいかないよ」
ミサは目をぱちくりとさせる。
「君のお父さんだからね」
嬉しそうにミサは笑った。
「じゃ、あたしも一緒に戦いますっ……」
今度はレイが驚いたようにミサを見る。
「あ、えーと、つまり、話し合って、態度が軟化するようにしてきますっ」
「聞いてくれるかな?」
「ふふふー、あたしだって、色々成長したんですよー? 期待しててくださいね」
ミサは一瞬、シンの背中を見る。
「ちょっと行ってきます」
そう口にして、ミサはシンの後ろを追いかけていく。
「お父さーん、待ってくださいよー。一緒に帰りましょうよ」
シンは足を止め、静かにミサの方を向いた。
「ミサ。学院では先生と」
「だって、授業は終わったじゃないですかー」
言いながら、ミサはシンの腕にしがみついた。
彼の眼光が鋭さを増した。
「……それもそうですね……」
「でも、知りませんでした。お父さんって、蒸気機関車を動かせるんですね」
「昔、我が君の命で少々。あえて口にするほどのことではありません。嗜む程度の腕ですから」
「でも、すごいですよー。今度、みんなで旅行に行きましょうよー」
甘えるようにミサが言う。
シンは魔眼を光らせ、深淵を覗くように彼女を見た。
「ミサ。私も伊達に魔王の右腕と呼ばれてはいません。あなたの心底は――」
「お父さんの蒸気機関車に乗りたいなぁ」
「考えておきます」
腕を組みながら、仲良く親子は帰っていく。
最初にシンの蒸気機関車に乗ってさえしまえば、レイの蒸気機関車は二番目になる。そうすれば、態度は軟化すると判断したのだろう。
「ふむ。最初はぎこちなかったが、ずいぶんと親子らしくなったものだな」
「ていうか、シン先生、親バカじゃないかしら……?」
俺の隣でサーシャが呆れたように言った。
「あー、サーシャちゃん、わかってないんだ。親は、子供に甘えられたら、なんでもしてあげたくなっちゃうものなんだぞ」
つん、とエレオノールがサーシャの肩を指でつく。
すると、それを聞きつけたゼシアが、嬉しそうにとことこと走ってきた。
「……ゼシア、ママの……お料理……好きです……」
「おっ、じゃ、可愛いゼシアには、美味しい野菜コロッケと野菜スープを作ってあげるぞっ。今晩はごちそうだっ」
「……嘘つき……です……! 草の話は……してません……!」
ゼシアがぽこぽことエレオノールを叩いている。
「レイ」
ミーシャが機関室から下りてきたレイに声をかけた。
「見つけた」
「霊神人剣かい?」
こくりとミーシャがうなずく。
「アゼシオン大陸の北東。氷の山脈の中」
ミーシャが一度瞬きをすると、彼女の視界に<遠隔透視>の魔法陣が描かれる。
氷の山脈が映っており、その深部に霊神人剣が埋まっているのが見えた。
「早速、行ってくるよ」
「不思議なことがある」
ミーシャは<転移>の魔法陣を描く。
転移先は氷の山脈の中、霊神人剣のそばだが、しかし魔法が発動しなかった。
「……神眼に見えているのに、<転移>が使えない?」
レイが尋ねる。
「原因はわからない」
本来ならば、神眼に見えているならば、転移は可能なはずだ。
魔力場が大きく乱れているならともかく、その様子もない。
「誰かが邪魔している可能性は?」
「ある。だけど、人の姿は見えない」
レイは真剣な表情で考え込む。
「お前の神眼をすり抜けているのだとすれば、只者ではあるまい」
ミーシャの後ろから声をかければ、彼女は上を向いて俺を見た。
「まあ、霊神人剣に手を出しているわけでもなし、単純にここを縄張りにしているだけやもしれぬ」
「だとしたら、迷惑をかけたかもしれないね」
縄張りに、聖剣が突っ込んできた形になる。
レイ以外には抜くことができぬのだから、困ったものだろう。
「誰かいたら、謝ってくるよ」
そう言って、レイは<転移>の魔法陣を描く。
近くには転移できぬため、氷山の外へ行き先を定めている。
「気をつけろ。念のためな」
そう口にして、<魔王軍>の魔法線をレイとつないだ。
「そうするよ」
笑顔で応じて、レイは転移していった。
彼をなにが待ち受けるのか――?