大世界教練
きぃ、と音を立て、カボチャの犬車のドアが開く。
気まずそうに出てきたナーヤは身を小さくしながら、ぺこりと頭を下げる。
「お、おはようございます……」
彼女は足早に自席へ向かい、着席した。
「では、講義の概要をざっくり説明しようではないか」
エールドメードが話し始める。
「大世界教練は、この新たな世界の深淵に迫る教練だ。かつて歯車の集合神エクエスの意に従い回っていたこの世界は、数多の人々の想いを集めた<想司総愛>と<優しい世界はここから始まる>により転生を果たした。ここまでは、オマエらも知っての通りだが」
彼は手遊びをするように、杖をくるくると回転させる。
「具体的に、この世界にどんな変化が起こったのか」
すっと手にした杖の先端が、白服の男子生徒を指した。
「答えたまえ」
男子生徒はじっと考え、そしてお手上げとばかりに言った。
「……その、僕の見てきた範囲ではこれといって変わったことは感じられず、ディルヘイドもミッドヘイズもそのままですし、世界が転生したというわりには、地形も殆ど変わっていないといった印象なのですが……」
「そうそう、そうだ。良いことを言ったではないか!」
熾死王に褒められ、生徒は僅かに表情を和らげた。
「一見して変わっていない、というのは重要だ。なぜなら、世界を創り直したのは、そこにいる創造神の仕業だからだ」
エールドメードは杖でミーシャを指す。
彼女はこくりとうなずいた。
「世界を大きく変貌させてしまえば、今生きている者にとって不都合が多い。未開の大地に人だけを放り出せば、土地や魔力資源の所有を巡って争いにもなりかねない。国の境をどうするかといった問題もある。よって、基本的には以前の世界と変わらないように創り直したのだ」
以前の世界と明らかに異なる場所も存在するが、それはおいおいわかるだろう。
今回の大世界教練で伝えるべき要所は他にある。
「ならば、どこが変わったのかね?」
再び熾死王は生徒を見る。
「……どこが、ですか……」
「見える部分は大きく変わってはいない。ならば、どこが変えられる?」
白服の生徒は再び頭を悩ませる。
「見える部分でないのなら?」
「……目に見えない部分が、変わったんでしょうか?」
「そう。そうそうそう。近づいているぞ。目に見えない部分だ。つまり?」
「その……秩序、ですか?」
熾死王はニヤリと笑う。
「秩序! そう、正解だっ! 世界の転生により、もっとも大きく変化したのは、世界の法則、この世の理、すなわち神族どもが秩序と呼んだ力だ。さて、それでは、秩序がどう変わった?」
「確か、アノス様がお話しされていたのは、旧世界は緩やかに滅びへ向かうのが秩序だったはずです。それがこの新世界ではなくなって……滅びと創造の整合は釣り合うようになった……ということですか?」
エールドメードは大きくうなずく。
「素晴らしい。正解ではないか」
創り変えた世界は滅びへ向かうことなく、生命は輪廻を続ける。
神々の蒼穹では、もう火露を奪われることはない。
「ていうか、どうせなら、滅びなんてなくしてくれりゃよかったのに」
と、生徒の一人が口にした。
「確かに、そうだよな。俺たちが神族みたいに不滅になったら、最高じゃねえ? 難しいことを考えなくても平和になりそうだよな」
「カカカカ、オマエら。良い疑問ではないか!」
愉快そうにエールドメードは唇を吊り上げ、発言した生徒たちを杖で指す。
「さてさて、滅びをなくしてしまえというのはもっともな話だ。生命の終わりさえなくなれば、大抵の問題はどうにかなる。争ったところで誰も死なないなら、二千年前の大戦すらお遊戯だ。だが!」
熾死王は大きく跳躍して、ダンッと足を踏みならす。
彼が両手をさっと上げれば、黒板に光が差し、大きく『不可』という文字が描かれた。
「できなかった! そうだな、創造神?」
こくりとミーシャはうなずく。
「創造神の権能では、不滅の世界を創るのは不可能」
「さあ。聞いたか、オマエら。ここから先はテストに出るぞ。この世界を創った創造神の権能を持ってすら、この世界を自由に創り変えることができない。邪魔なエクエスは解体し、<運命の歯車>はなくなっていたのにもかかわらず」
この上なく饒舌に、エールドメードは語る。
「なぜだ? なぜ創造神が、自らが望む世界を自由に創ることができない? ん? 思うがままの世界が創造できてもよかったではないか」
熾死王が生徒たちに視線を向ける。
彼らは皆、真剣な表情で、その理由を考えていた。
「どうかね? 伝説の勇者」
エールドメードが、レイを指した。
このことは、まだ俺やエールドメード、シンなど一部の者しか知らぬ。
彼もこの授業で今、初めて耳にしただろう。
「創造神も、自らが創り出した世界の秩序に縛られるってことかな? すでに世界が存在する限り、どうしてもその秩序の影響を受けてしまい、それを大きく逸脱するようなことはできない」
「正解だ。しかし、ここでまた愉快な疑問が生じる」
カカカ、と笑いながら、エールドメードはサーシャを指した。
「世界と創造神ミリティア、どちらが先に生まれた?」
「世界よ。ミリティアが生まれる前に世界は存在し、先代の創造神エレネシアがすでにいたわ。古い世界が限界に達すると創造神は滅ぶ。そのとき、滅びに近づいた根源が、最後の創造を行い、次の創造神を生み出すんだわ」
自らの誕生にまつわることだ。
サーシャはすんなりと解答した。
「では、はじまりにまで時間を遡ろうではないか。原初の創造神はどうやって生まれた?」
サーシャが、返答に詰まる。
ミリティアの母、先代の創造神エレネシアは先程サーシャが答えたように語った。
しかし、一番最初の神――原初の創造神がどう生まれたかは、知る由がない。
「……わからないわ……確かめようもないし……」
「カカカッ、確かに確かに。調べることは難しい。ならば、どんな仮説が立てられる? 神が先に生まれたのか、世界が先に生まれたのか?」
サーシャは頭に手を当てながら、口を開く。
「どちらかと言えば、神だと思うんだけど……」
「なぜかね?」
「だって、世界が最初に生まれたって、秩序が存在しなきゃその世界は崩壊するわ。偶然神が生まれるまでもつとは思えないもの」
秩序がなければ、世界は滅びる。
神なき世界が長く続かないのは自明だ。
「では、神が先に生まれたのだと仮定しよう。創造神だけが生まれたのか、それとも他の神も一緒に生まれたのか?」
エールドメードはミサを指す。
「……えと、創造神だけだと思います。いくらなんでも、色んな神族が同時に生まれるのは、偶然でもなかなか起こらない気がしますし……」
「カカカッ、良い答えだ。ならば、最後の難問だが、創造神はいかにして生まれたのか?」
エールドメードは、杖でナーヤを指した。
「どう思う、居残り?」
「……ど、どうでしょう? ぽ、ポコッて生まれたんでしょうか?」
一瞬の沈黙。
噴き出したような声が教室中からどっと溢れる。
思いも寄らぬ珍回答に、皆笑い、その中でもエールドメードが一番腹を抱えていた。
「カカカカッ、カーカッカッカッカッ! ポコッと生まれたか、創造神が。ポコッとな。いやいや、居残り、なんの音だ、それは?」
「な、なんの音でしょうね? なにかの音だと思うんですけど……生まれるときの……」
「な・る・ほ・どぉ」
くすくす、と生徒たちの笑い声が聞こえた。
「……す、すみません……」
「いやいや、正しいではないか」
「え?」
ナーヤはきょとんと熾死王を見た。
ニヤリ、と奴は笑った。
「音があったかはわからないが、なにかがあったのは確かだ。なにもなければ、なにも生じない。つまり、創造神が生まれるためのなにかが、最初からあったのではないか」
エールドメードは杖をつき、両手に体重をかける。
「なにもない世界で、ポコッと音が鳴るにはなにが必要だ、居残り?」
「……音の秩序……ですか? 福音神のような?」
「そう、そうそう、秩序だ! 少なくとも、それに類する物がこの世界ができる以前に、初めから存在していた。そうでなければ、創造神が生まれるとは考え難い。いやいや、しかし、そう考えると困ったことになってしまうな」
首を左右に振りながら、愉快でたまらぬといった風にエールドメードは笑みをこぼす。
そうして、前を向き、彼は言った。
「この世界ができる前から、すでに秩序が存在するなら、他にも存在するものがあるのではないか?」
ナーヤがはっとする。
教室中がざわつき始める。
先程までの和気藹々とした雰囲気から一転、この場に緊張感が立ちこめた。
「……神族が、いるんですか……? この世界以外の……?」
ナーヤが問う。
正解とばかりに、エールドメードは笑った。
「そもそも、誰があの歯車をこの世界の神族に埋め込んだ? 偶然? いやいや、もはや奇跡だと思うがね。ならば、起こしたのは誰だ? 奪った火露を消費したとエクエスは言ったが、本当にそうかね? 確かに、神々の蒼穹からも地上からも、火露は完全に消失している。だが、消えたのではなく、移動したのだと考えても辻褄は合う。なんの意図で? 誰がそんなことを企てた?」
エールドメードは黒板に杖で魔力を送る。
「つまり、結論はこうだ」
黒板に大きな円が描かれ、そこにミリティアの世界と書き込まれる。
そして、その隣に、もう一つの円が描かれた。
中心に『?』を書き、熾死王は杖でそこをダンッと叩く。
「この世界の外に、別の世界が存在しているのではないか」
示唆された、もう一つの世界の可能性――
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
『魔王学院の不適合者』4巻<上>が、3月発売予定に決まりました。
四章の大精霊編ですが、かなり長いため、上下巻の構成となります。
また新しい情報が出ましたら、お知らせいたします。