エピローグ 世界の夜明け
「アノスッ」
空からサーシャの声が響く。
見上げれば、<創造の月>アーティエルトノアから、月光が降り注いだ。
そこに、三人の人影が浮かぶ。
ミーシャ、サーシャ、レイである。
「もう神界がもたないわっ……! エクエスが滅んだから、秩序が消えて、崩壊するのは時間の問題よっ! 早くどうにかしなきゃっ!」
「そう焦るな。まだこいつはかろうじて生かしてある」
足を上げれば、そこに粉々になった歯車の残骸があった。
「どこがっ!?」
「もっとよく深淵を覗け」
サーシャはその魔眼を残骸の根源へと向ける。
すると、微かに呻き声のようなものが聞こえてきた。
『……ぅ…………ぁ……ぁ…………』
「いわゆる、虫の息だ」
「……治せるってこと?」
「手遅れだな。俺の滅びの魔力をまともに食らった。時間の問題にすぎぬ」
「やっぱり、そうじゃないっ!」
今のやりとりはなんだったのかといった風にサーシャが声を張り上げた。
「地上にも影響が及んでいる。四つに割れた大地は完全に離れた。数分で崩壊する」
ミーシャが言う。
「つまり、まだ時間はあるということだ。<想司総愛>は?」
「魔法線は、どうにかつながっているよ」
レイが答え、急かすようにサーシャが声を上げた。
「どうするのっ?」
「滅びゆく世界を止める方法は一つしかあるまい。<源創の月蝕>にて、この世界を創り変える」
「だって……」
サーシャが、ミーシャを振り向く。
「……そんなの、できるの?」
「<源創の月蝕>は、本来、わたしが滅ぶときに使える最後の創造。その光で、<魔王庭園>を創造できたのは<終滅の日蝕>がすでにあったから」
淡々とミーシャは説明した。
「つまり、<源創の月蝕>は、創造神が対となる滅びの力を発するとき、初めて使える権能だ。創造の秩序しか持たぬミリティアは、本来滅びの瞬間にしかそれを使うことができなかった」
滅びが近づくほどに、<創造の月>の魔力は高まっていく。
その月は滅びの瞬間に、<破滅の太陽>と同種の力をも放つのだ。
元はといえば、創造神と破壊神は表と裏。
滅びに至るときには、その境がなくなるのだろう。
「それじゃ……?」
サーシャの問いに、俺はうなずく。
「お前たち姉妹が同時に存在できるようになった今、ミーシャが滅ばずとも<源創の月蝕>は使える。破壊と創造を重ねればよい」
「それだけじゃ足りない」
「ミーシャの言う通り、破壊と創造を重ねれば、<源創の月蝕>にはなる。だが、創造神が滅びる際の莫大な魔力は、さすがに得られぬ」
頑丈なだけの<魔王庭園>ならば創れるが、ここは人が暮らせる環境ではない。
「じゃ、<魔王軍>でアノスの魔力を融通すれば?」
「普通の魔法ならばいざ知らず、それでは滅びに傾きすぎるな。<源創の月蝕>は、創造神と破壊神、その秩序の整合がとれて初めて為せる権能だ。他から借りてきた魔力では失敗する可能性が高い。自らの手に余るほどの魔力を得れば、なおのことだ」
サーシャが考え込むように頭に手をやった。
「……だけど、今のミーシャじゃ、わたしの力を足しても、この滅びかけの世界を創り直すほどの創世はできないわけでしょ?」
ぱちぱちとミーシャが瞬きをする。
「材料を増やす?」
「……そうか。<想司総愛>なら」
はっとしたようにレイは言った。
地底にて、<想司総愛>は天蓋を支える柱にもなった。
想いの魔力を創造神の力で創り直せば、地底が滅びるという秩序にも対抗することができたのだ。
ならば、十二分に世界を再構築する材料とできるだろう。
<想司総愛>は大地となり、空となり、森となり、山となり、新たな秩序となるだろう。
後は、その規模の問題だ。
「世界からは秩序が消えかけ、大地も空も四つに割かれている。終わりかけた世界に残存する魔力が乏しいからこそ、<源創の月蝕>でも創り直せぬ。つまり、世界の魔力を増やしてやればよい。このまま滅びゆくのが世界に定められた秩序だとしても、愛と優しさはそれを覆す」
レイはうなずく。
「すぐにみんなに伝えるよ。世界中に」
<思念通信>にて、彼は世界に語りかける。
「ミーシャ。ついでにこいつも材料に足しておけ」
俺は、踏み潰した歯車の残骸を魔力で浮かす。
『……な……にを…………する……異物よ……?』
「ほう。まだ喋れたか。先の命乞いで、お前の末路が決まってな。ちょうどいい。せめてどちらに転生したいか、選ばせてやろう」
『……転生……だと……?』
「世界が創り直されるなら、その歯車も転生するのが道理だ」
完全に溶けた<運命の歯車>に、俺は<創造建築>の魔法を使い、その形を整えていく。
氷の地表に流れる川、そこに建てられたのはいくつもの水車小屋だ。
その少し離れた位置にある丘には、数多くの風車が建てられた。
「さあ、エクエス、どちらがいい?」
歯車の残骸に触れ、俺の視界を共有してやった。
『……なんの……真似……だ?』
「くはは。鈍い奴だ。お前の歯車には運命を回す力がある。主に絶望のな。それにより神が支配され、秩序が操られ、地上では戦火が絶えなかった。だが、絶望に干渉できるということは、絶望からも干渉されるということだ。羽根車に改造してやれば、絶望を受けて回転する動力となる。絶望が強くなればなるほど、それに対抗する希望の車輪を回すことができるだろう」
エクエスは絶句し、息を飲むような声を漏らす。
「川に絶望の水が流れれば、水車はそれを受け回転し、力に変えることができる。丘に絶望の風が吹けば、風車はそれを受け回転し、やはり力に変えられる。絶望に立ち向かう力にな」
『……まさか……この私を……世界の意思を……ねじ曲げ、希望に変えると……いうのか……?』
「世界の意思? なにを言っている」
残骸と化したそいつを握り、魔法陣を描く。
「お前はただの歯車だ。ならば、人の暮らしに役立てる羽根車に変えるのがよい。ついでにかまどにもなるか? 水車を回し、愛と優しさの麦を粉に変え、希望のパンを焼き上げよ」
『……やめ……ろ……私に……この世界に、希望など押しつけるな……』
「なに、すぐにそれが癖になってくる。素晴らしいぞ、平和は。愛と優しさに満ちた、牧歌的な水車か風車。<運命の歯車>などよりも、よほど人のためになる。これからお前は多くの笑顔に囲まれるのだ」
『……馬鹿な……滅ぼせ…………異物よ……』
「お前の流儀だろう? すぐに滅ぼさず、ゆっくりと滅びへ向かわせるのはな。心配せずとも、お前がこれまで絶望を回してきた分だけ希望を回せば自由にしてやる」
俺は問う。
「さあ、水車と風車どちらがいい?」
『…………ぼしてくれ……』
「ん?」
笑みをたたえ、俺は手の中の残骸に視線をやる。
「言いたいことがあるなら、はっきりと口にせよ」
屈辱に耐えるような数秒の沈黙の後、エクエスは言った。
『……滅ぼしてくれ……私は世界の意思……人のために働く歯車などになるぐらいならば、いっそ……』
無言で奴を見据え、握った手に魔力を込めた。
「やめ――」
「人の祈りを、お前は聞き入れたことがあったか?」
<創造建築>の魔法を使い、エクエスの残骸を水車小屋に変えた。
「無駄口を叩かず、水車の如く働け」
エクエス水車をじーっと見つめ、ミーシャが首をかしげる。
「水車でいい?」
「まあ、風車も必要か。かまども欲しい。他にもあれば損にはなるまい。歯車は腐るほどあることだ。俺の創造魔法では見てくれを変えるのみだが、お前ならば世界に役立つ、運命の羽根車に創り変えることもできよう」
こくりとミーシャはうなずく。
「色々創る」
「でも、この歯車って火露が使われてるんじゃなかった?」
サーシャが疑問を浮かべる。
「心配するな。それは取り除く」
「自由にしてあげる」
ミーシャはそう言い、サーシャに手を伸ばす。
二人はそっと両手をつないだ。
ミーシャの神眼にはアーティエルトノアが、サーシャの神眼にはサージエルドナーヴェがあり、月と太陽が見つめ合った。
<魔王庭園>の空に浮かぶ<創造の月>と<破滅の太陽>が重なっていく。
刻一刻と月が欠ける。
やがて、アーティエルトノアの皆既月蝕が起こった。
<源創の月蝕>は赤銀の光を放ちながら、<魔王庭園>を優しく照らす。
「三面世界<創世天球>」
氷の世界が消えていく。
地表や山々、森や街が消えていき、最後、空に浮かんでいた<源創の月蝕>も消えた。
そこは、上下も左右も判然とせぬ一面が真白に染められた空。
立っているのか、浮いているのかもはっきりとしない不思議な世界では、どこまでも白が続いていた。
「ここって……?」
サーシャの問いに、ミーシャはこくりとうなずく。
「<源創の月蝕>の中。<創世天球>は、世界を俯瞰する」
足元にあった、白い世界が溶けていく。
まるで雪のように、優しく、柔らかく。
そうして、やがて、眼下には、四つになって滅びゆく地上と、崩壊寸前の神界が映っていた。
<源創の月蝕>は、今、神界と地上の空、どちらにも昇っている。
俺たちはその中から、両方を俯瞰しているのだ。
「アノス」
ミーシャは言った。
「どんな世界がいい?」
俺は一瞬考え、だがすぐに思い直した。
「任せる」
ミーシャは瞬きをして、神眼を丸くした。
「お前が願う世界こそがふさわしい」
嬉しそうに彼女ははにかみ、こくりとうなずいた。
世界が優しくないと悔やみ続けた七億年間。この世界のことを誰よりも考え続けてきた創造神の少女は、以前にも増して優しく、希望に溢れた世界を創るだろう。
俺が今更、なにを言うまでもない。
「――ああ、だが、そうだな。贅沢を言うなら」
ミーシャが小首をかしげる。
「愉快な遊び場があればいい」
「無茶言ってるわ……」
ミーシャと手をつなぎながら、サーシャがぼやく。
呆れた視線が、俺に突き刺さった。
「がんばる」
赤銀の光が、世界を照らす。
神界と地上が、美しい光で優しく染め上げられていく。
「アノス、みんなに」
レイが言い、真白の聖剣を掲げた。
彼の魔法線につなげるように、俺も<想司総愛>の術式を描く。
手の中に、レイと同じく、真白の聖剣が現れた。
俺は、ゆるりと口を開く。
「聞こえるか? 世界の民よ」
<創世天球>から、地上を俯瞰すれば、多くの者が俺の声に耳を傾けている。
「我が名は、魔王アノス・ヴォルディゴード。世界の意思を自称する歯車の集合神エクエスは、俺の手に落ちた」
途端、耳を劈くばかりの声の豪雨が、<想司総愛>の魔法線を通じて返ってくる。
勝ち鬨の声、喜びの声、安堵する声、様々な感情が入り交じり、涙する者もいた。世界が滅びゆく最中だというのに、誰も彼もが思いきり手を振り上げ、笑っている。
俺は、言葉を続けた。
「奴は長きにわたり、この世界を支配していた。<運命の歯車>を回し、秩序を司り、俺たちに争いと絶望を強制した。世界の理は、滅びへと傾いていた。すべてとは言わぬ。だが、多くの理不尽が奴の手によるものだった。今回の戦いも、二千年前の大戦も、数多の争いが、秩序という名の歯車が遠因だ」
力なき者には、気づくことすらかなわなかっただろう。
ミリティアやディルフレッド、父セリス、そして俺の魔眼すら欺いて、それは巧妙に隠されてきた。
神々の蒼穹。その深淵の底で、ようやく見つけた世界の瑕疵だ。
平和はほんの些細なことで崩れ去る。
そして、その歯車は人知れず、僅かな整合を崩し、世界を戦火に飲み込んできた。
「だが、この世界の民は、絶望などに負けはしなかった。歯車が回り、絶望の車輪に轢き裂かれていく大地に、確かに希望の光があったのだ。それも、無数に」
壊れゆく世界が、赤銀の光に照らされ、静寂に満ちていた。
「アゼシオンの勇議会。そして勇者学院の勇者たちよ」
ミッドヘイズにいるレドリアーノたちと、ガイラディーテにいるエミリアたちが、空を眺めているのが見えた。
「よくぞエクエスに立ち向かう決断をしてくれた。お前たちの勇気がなくば、ミッドヘイズへの救援は間に合わなかった。二千年前、ただ争うしかなかったアゼシオンが、魔族であるエミリアを真に勇議会の一員と認め、我が国ディルヘイドのために立ってくれたことは、言葉で言い表せぬ感慨がある。心より感謝を示そう」
「……礼を言うのは、わたしたちの方です、魔王アノス」
レドリアーノが言う。
「おかげで半端もんの俺らも、ちったぁ勇者らしいことができたことだしよ」
そうラオスが続き、ハイネが口を開く。
「ていうか、ちょっと頑張って、おいしいところをもらっただけだよね」
彼らなりの照れ隠しなのだろう。
その表情は、誇らしげだ。
「また学院別対抗試験でも興じたいものだな」
はは、とレドリアーノたちは乾いた笑みを見せる。
「それだけはやめておきます」
「エミリア」
円卓の議場で窓の外を眺めていた彼女が反応し、ディルヘイドの作法に従うように跪く。
仕事だと言わんばかりのすまし顔に俺は言った。
「お前を誇りに思う」
彼女の肩が、僅かに震える。
「円卓の議場に刻まれた血の<契約>を、俺は生涯忘れぬだろう。お前は、お前以外の誰にもできぬことを成し遂げたのだ。大義であった」
「……光栄に存じます……」
世界中に聞こえているからか、堅い口調でエミリアは答える。
儀礼的なはずのその顔に、けれども一筋の涙が伝った。
彼女自身、それに驚いているようでもあった。
「アハルトヘルンの母レノ。そして噂と伝承により生じた数多無数の精霊たちよ」
ミッドヘイズにいるシンはすでに跪いており、レノはその傍らで空に向かって手を振っていた。
その背後に沢山の精霊たちと、それからミサの姿が見える。
「争いを好まぬアハルトヘルンの民を戦に駆り出してすまぬ。精霊の救援により、我が配下の危機を救うことができた。ありがとう」
「私の夫と娘の故郷だからね、この国は。それに精霊たちは噂と伝承で生まれるんだから、世界中の人々が危機だっていうなら、いつだって駆けつけるよ」
晴れやかにレノは笑う。
「シン」
「は」
跪いたまま、シンは短く声を発した。
「よく守った。よくレイの背を押した。お前の忠義に、俺はいつも救われている」
「もったいなきお言葉です、我が君」
頭を垂れ、感極まったような声で、シンは言った。
「アガハの剣帝ディードリッヒ、王妃ナフタ。そしてアガハ竜騎士団の精鋭たちよ」
ミッドヘイズで<創造の月蝕>を眺める騎士たちは、剣を胸の中心に持ってきて、アガハ式の敬礼を行う。
「アガハの竜騎士団なくば、ミッドヘイズの空は暗闇に支配されたままだっただろう。お前たちの剣は、ディルヘイドの未来を切り開いてくれた」
「いいえ、魔王アノス。これはあなたがナフタに見せてくれた未来です。あの日、救われた我が国は、今日この理想へ至るのが必然だったのです」
ナフタが笑う。
「きっと」
そんなあやふやな言葉を最後につけ足して。
「魔王や。またいつぞやのように、酒を酌み交わそうぞ」
ディードリッヒは言う。
「魔王聖歌隊の歌を肴にな」
豪放に彼は笑った。
「そいつはたまらんぜ」
「ジオルダルの教皇ゴルロアナ。そして、ジオルダル教団の信徒たちよ」
彼らは祈りを捧げるように手を組みながら、跪いている。
「神を信仰するお前たちが、エクエスを偽物と断じてくれたからこそ、地底の竜人たちの不安も消えた。地上でも迷わず戦えた者は少なくないだろう。お前たちの神とお前たちの信仰に、心より敬意を表する」
ゴルロアナはゆるりと顔を上げ、その曇りなき眼で月を見上げた。
「魔王アノス。あなたが神を信じることはないのでしょう。ですが、その言葉の奥に、私は天啓を見ました。神は時折、人の口を借りて我らに意思をお示しになります。あなたが時折口にする言葉にこそ、もしかすれば真なる神の意思が込められているのかもしれません」
「くはは。からかうのはよせ。そんな上等なものではないぞ」
「あなたがそうおっしゃるのならば、未だ私の迷いは深いのでしょうね」
ゴルロアナは微笑みを見せ、また祈るように目を閉じた。
「ガデイシオラの背理神にして、我が妹アルカナ。そして、ともに戦った禁兵たちよ」
意識を取り戻したばかりなのだろう。
大地に仰向けになりながら、アルカナはぼーっと<源創の月蝕>に視線を向けている。
その周囲には、ガデイシオラの禁兵たちがいた。
「我が国ディルヘイドの危機に、よく戻った。よく駆けつけてくれた。お前たちが間に合わねば、<思念通信>が使えず、世界中の人々の想いは分断されたままだっただろう」
「……わたしは、役に立てただろうか……?」
「俺の妹の名に恥じぬ、見事な戦いだった」
それを聞き、アルカナは微笑む。
「嬉しいと思っているのだろう、わたしは」
「四邪王族。エールドメード、イージェス、カイヒラム、ギリシリス」
魔王学院の敷地にて、彼らは思い思いに空を見上げている。
「反りが合わぬことも多いが、ディルヘイドの危機には必ず駆けつけてくると思っていたぞ。よくエクエスの目論見を打破してくれた。二千年前からの戦友に、心より感謝を」
「汝に礼を言われる筋合いなどな――ワンッ!」
口を開いたギリシリスがたちまち熾死王に犬にされて、尻尾を振る。
ワンワンと吠える奴は、なかなかどうして、喜んでいるようにしか見えない。
「さてさて、礼などいらないが、代わりに一つ聞かせてもらおうではないか」
杖に両手を置き、エールドメードが問う。
「居残りの言葉で、この熾死王の心が動くと思っていたか? それとも、他に打つ手があったのか?」
「なに、お前の愛国心の深さを信じたまでだ」
一瞬虚を突かれたような顔をした後、ニヤリ、とエールドメードは愉快そうに笑った。
「いやいや、なるほどなるほど。そういうことだったか。このオレの中に、まさかこんな愛国心が眠っていたとは、まったくまったく、自分でも気がつかなかった」
「世界の面前で猿芝居はその辺りにしておくことよ」
イージェスが言う。
「これまでと同じ、ただの成り行きよ。たまたま目的が一致したまでのこと」
「俺様の故郷を守っただけだ」
カイヒラムとイージェスは二人並び、彼ららしい笑みにて返礼をくれた。
「エレオノール」
神々の蒼穹にて、ゼシアとともにぼんやりと月蝕を眺める彼女に俺は言った。
「お前がいなければ、神界と地上の連絡は途絶えていた。俺たちの生命線をよくぞつなげ、その身を削ってよく維持し続けた」
エレオノールがピッと人差し指を立てる。
くすくすと笑いながら、彼女は言った。
「魔王様の仰せのままにだぞ」
すると、ゼシアがじとっと空を見つめる。
「……ゼシアは……お褒めの言葉……ありますか……?」
「よく母を守り抜いた。お前と、そして地上にいるお前の姉たちは、勇敢に、絆をもって戦った。全員、大義であった」
ゼシアは嬉しそうに頬を緩ませ、背伸びをするように跪く。
地上にいる姉たちも、なにやら集まり、喜びを示すように跪いていた。
「魔王聖歌隊」
ガイラディーテ近郊に作られた舞台の上で、彼女たちは跪いている。
「エレン。ジェシカ。マイア。ノノ。シア。ヒムカ。カーサ。シェリア」
一人一人その名を呼ぶ度、彼女たちの体が震える。
「お前たちの歌が、ミーシャとサーシャに埋め込まれた秩序の歯車を打ち砕いた。今回もまた、一段と胸に響く、素晴らしい歌だった」
「「「ありがたき幸せです、アノス様」」」
声を揃えて、彼女たちは言った。
「そして、なによりも」
大きな感謝を込めて、俺は語りかける。
「この世界に生きるすべての人々よ。一人一人に絶望を振り払うほどの力がなくとも、手を取り合い、心を重ね、巨大な理不尽に立ち向かった。終滅の光を想いの力にて打ち消したお前たちこそが世界の希望――運命を弄ぶエクエスではなく、お前たち一人一人がこの世界の意思なのだ」
世界中の人々が、赤銀に輝く月蝕を見上げている。
皆、誇らしげで、優しく、愛に溢れた顔をしていた。
「最後の仕上げだ。<源創の月蝕>が、新たな世界を創造する。<運命の歯車>はもういらぬ。絶望や理不尽は沢山だ。次の世界は、ここに生きる人々すべての愛と優しさにて生まれ変わり、そして希望とともに回り始める。世界をエクエスの支配から解放し、お前たち一人一人が形創るのだ」
地響きがした。
優しく、温かく、どこまでも遠くへ伝わる――それは世界の胎動だった。
「さあ、歌え。新しい世界の夜明けだ」
音楽が流れ始める。
優しい歌声とともに、世界中から、純白の光が立ち上っていく。
それは四つに分断された大地をつなげるように、幾本もの橋をかけ、世界中を包み込む。
赤と銀の光が、優しく差し込んだ。
アーティエルトノアの月明かりが<想司総愛>と混ざり、なにもかもが愛と優しさで生まれ変わる。
取り戻した無数の火露が、蛍のように輝き出した。
<想司総愛>の白き光が、火露をそっと包み込む。
それらは新しい秩序を創っていく。
最初に生まれた生命は、樹理四神。
生誕神ウェンゼル、深化神ディルフレッド、終焉神アナヘム、転変神ギェテナロス。
彼らは目映い光に包まれながら、次々と生まれ変わる無数の神々たちとともに、新しい神界へと帰っていく。
「今度はもっと優しい世界に」
ミーシャが言った。
「今度はもっと笑顔の世界に」
サーシャが言った。
俺とレイは視線を交わし、笑みを交わして、互いが手にした真白の剣を重ね合う。
<想司総愛>の光が一段と大きく瞬き、すべてが創世の光にて生まれ変わる。
この世界が、転生していくのだ。
緑溢れる大地と、青々とした海が見えた。
夜が明けるように、太陽が昇っていく。
歌が聞こえた。
平和を示す、世界の歌が。
――憎しみよりも、愛が強いよ――
――俺たちはわかりあえるはずと、希望を未来に託した――
――守るために剣をとったんだ。血に汚れていく手は、命を握っていた――
――綺麗事のない世界に打ちのめされ――
――願っても願っても、悲しみはただ増えていくばかり――
――二千年の想いが、きっと、世界を変えてくれるはず――
――そう、信じていた――
――二千年、待った。お前と笑い合うために――
――二千年、待った。お前と手を取り合うために――
――もうまもなく夜は明けるよ――
――孤独な眠りから、魔王は目を覚ます――
――どうか、どうか、願ったのは一つだけ――
――目映い朝日を、俺に見せてくれ――
――どうか、どうか、願ったのは一つだけ――
――世界が愛に満ちるように――
世界は、新しい朝を迎え――
ここまでお読みくださり、誠にありがとうございます。
おかげさまで、無事に十章を書ききることができました。
面白かった、続きが気になる、末永く続いて欲しいと思った方は、ぜひぜひ書籍1~3巻、漫画版1巻が発売中ですので、そちらの方のご購入もご検討いただければ幸いです。
前回もお伝えしたのですが、これで終わりではなく、新章が始まります。
次の更新は来年1月4日予定です。
少々間が空きますが、精一杯面白い物語にするための準備をして参ります。新たな世界に飛び出すアノスたちにご期待いただければ幸いです。