配下に捧ぐ、魔王の行進
エクエスの歯車が回転し、その両腕が俺の肩をぐっとつかむ。
奴は地面に足を踏ん張り、銅色の魔力を噴出する。
火花を散らせながら時間の歯車と上限の歯車が回転すれば、僅かに俺の体が持ち上がった。
「ほう。まだそんな力が残っていたか」
「……認めよう。世界の異物よ。汝はこれまで世界に飲み込まれた、どの不適合者よりも強い……」
神体に亀裂が入るほど高速で歯車を回し、エクエスは俺の体を完全に持ち上げた。
「だが、汝の弱点は依然としてここにある」
歯車の足が、思いきり地面を蹴った。
上限の歯車の力を、時間の歯車で加速し、まさに光の矢と化して、俺を抱えたエクエスは球体を成す無数の歯車、ベルテクスフェンブレムへ突っ込んでいく。
「あの<運命の歯車>こそ、すなわち絶望。それに飲み込まれれば、世界とて轢き裂かれる」
「なるほど。振り払えば、お前はそのままあの歯車に突っ込む。お前が轢き裂かれれば、秩序が消失し、世界は滅びるというわけだ」
エクエスの体に<四界牆壁>を展開してやれば、奴は得意気に言う。
「そうだ。結局は同じことだ。汝は世界を守らなければならない。世界を守り、絶望の歯車に噛み砕かれるがいい、矮小なる異物よっ!!」
直後、<運命の歯車>ベルテクスフェンブレムへ、俺とエクエスは突っ込んだ。
耳を劈くようなけたたましい音が鳴り響き、魔力の粒子が激しく散った。
「ギ、ギギッ、ギハハハハっ!」
錆びた音を響かせ、エクエスが笑う。
奴が飲み込まれぬよう庇ってやったため、俺だけがベルテクスフェンブレムに飲まれ、その無数の歯車の歯がこの身に食い込んでいた。
「理解したか、アノス・ヴォルディゴード。世界は今日も正しく回る。絶望とともに。今のお前はまさしく歯車の異物にすぎない」
「……確かにな」
ぎちぎち、と嘲笑うように歯車の音が響いた。
「<世界のために運命は回る>」
エクエスが自らの歯車を回転させ、俺の体に食い込んだ<運命の歯車>を勢いよく回す。
五体に<運命の歯車>の強大な力がかけられ、ブチンッとなにか肝心なものが切れた音がした。
莫大な魔力がふっと消失していく。
「………………か…………な…………………………」
この身を巻き込もうとした<運命の歯車>が数個、混入した異物の存在に耐えかねたようにぶち切られ、ガラガラと地面へ落下した。
「…………馬…………鹿……な……それは…………その歯車は…………絶望を回す、運命…………」
「よく回っているようだ」
俺は近くにあった巨大な歯車をぐっと手でつかみ、止めた。
「お前の絶望がな」
ギギギギギッと行き場のない力により、ベルテクスフェンブレム全体が軋む音が聞こえる。
連動する歯車という歯車が、異音を放ちながらみるみる止まっていく。
「……なにを、手にしているのか、わかっているのか……世界の異物よ……」
「この歯車のおもちゃのことか?」
止めた歯車を、僅かに逆向きに回す。
「やめ……ろ……! 今すぐ、その愚かな手を放せ……! ベルテクスフェンブレムは、世界の運命を回している……それを壊せば、汝が愛する世界も、無事にはすまない……」
「お前は自分の矛盾に気がついているか、エクエス?」
奴はベルテクスフェンブレムの軋む音に、カタカタと震えながら、俺に視線を向ける。
「滅びへ向かうことこそ秩序だと宣うお前が、なぜ世界の滅びをそんなにも恐れている?」
巨大な歯車仕掛けの球体にミシミシと無数の亀裂が走った。
「……やめ、ろ……」
「この<運命の歯車>が回り続ければ、やがて世界は滅びるのだろう? 遅いか早いかの違いしかあるまい?」
行き場のない力が、歯車という歯車にかかり、絶望がベルテクスフェンブレムに襲いかかる。
「……やめろっ……!」
「動くな」
腕に力をいれてやれば、飛びかかろうとしたエクエスがピタリと止まる。
「滅ぼす気なら、もっと上手いやり方があったはずだ。なぜ火露を奪うなどという回りくどいやり方をした?」
「ちっぽけな異物には、計り知ることはできない。世界がただ秩序通りに回った結果にすぎないのだ」
「なんのための秩序だ? なぜそんな秩序に決めた? なんのために?」
ますます歯車には亀裂が走る。
ベルテクスフェンブレム全体が、ガタガタと不穏な音を立て始めた。
「腕一本で壊れるおもちゃを作るのに、そんなにも火露が必要か? 奪った火露が、ここにすべてあるようには思えぬ」
魔眼を向け、奴を見据える。
「……汝の望む答えなど存在しない。火露は<運命の歯車>を維持するためにすでに消費された。言ったはずだ。世界は適合者を求めている。そのための緩やかな滅び、そのための絶望だ」
「適合者とはなんだ?」
「進化の証だ。数多の滅びを繰り返し、適合者を迎えた世界は進化するのだ」
「進化してどうなる?」
「猿が人間のことを理解できるか? 世界はまだ進化していない」
歯車の神眼にて、奴はこちらをじっと睨んでくる。
「正直に話せば、手を放してやろう」
<契約>の言葉を飛ばす。
奴は調印の言葉を返した。
「私の言葉に疑問を抱くのは、汝が生ある者だからだ。世界はただそうであるがゆえに、そうである。進化を求めるがゆえに、進化を求める。世界になぜを問うとは愚かなことだ。すべては秩序が定めた通りだ、矮小な異物よ」
「ふむ。よくわかった」
滅紫に染まった左眼に闇十字が浮かぶ。
<混滅の魔眼>を放ちながら、俺はつかんだ歯車にぐっと力を入れる。
「正真正銘、お前は歯車のようだな」
勢いよく、俺は歯車を反対に回す。
突如、逆向きの力を加えられ、噛み合っていた歯車同士が反発するように音を立てて、ガタガタと崩壊を始める。
「ばっ……!? ……あ…………ぁ……あ……」
あまりのことに思考がまとまらなかったか、エクエスは言葉にならぬ声を上げた。
「……な……な……なんの真似だっ……!?」
「契約通り手を放しただけだが? 順方向が絶望の車輪を回すのだろう。ならば、逆に回せば希望に変わると思ってな」
「……なん……そんな……そんな愚鈍で、蒙昧な思考が……そんな秩序があるわけが――」
エクエスは、その歯車の神眼を丸くする。
けたたましい音を立てて、<運命の歯車>は一部逆向きに回り始めている。
無論、無理な力が加わったため、その半数ほどが砕け、折れ、切断され、ガラガラと地表に落下していた。
「くははっ。半分残ったか。そら、次々回すぞ」
俺は飛び上がり、残った巨大な歯車をぐっとつかむ。
慌てふためいたようにエクエスが追ってきた。
「――世界の異物よ。汝は自分がなにをしているかわかっているのかっ……!?」
限界以上に自ら歯車を高速で回転させ、エクエスは火花のように散る銅色の魔力を拳に乗せた。
「ちょうどいい」
突き出された拳をよけて、俺はエクエスの腕をつかんだ。
「回すのを手伝え」
「やめ――」
奴の魔力に俺の魔力を上乗せし、その拳を思いきり歯車に向かって突き出させた。
殴りつけられた<運命の歯車>が逆向きに回転を始め、向かい合う力にて周囲の歯車に亀裂が走り、ぶち切られるように崩落していく。
「なかなかどうして、やはり回すのはお手の物だな、エクエス」
「……蒙昧な異物めっ! その<混滅の魔眼>では、絶望を希望に変えることなどできないっ!! 汝は滅ぼすことしかできぬ存在っ! 絶望は混沌とし、そして滅ぶっ! それでなにが救えるっ!? <運命の歯車>が消え去れば、世界もまた滅びゆぐぼほぉぉっ……!!」
エクエスを思いきり蹴り飛ばし、その威力にて離れた位置にあった歯車を逆向きに回転させる。
同じく噛み合った歯車に亀裂が走り、ガラガラと破壊されていく。
<運命の歯車>を跳ね返っては、戻ってきた奴の頭をわしづかみにして受け止めた。
最早、ベルテクスフェンブレム自体がボロボロのため、歯車に巻き込まれたにもかかわらず、エクエスは健在だ。
「……愚か、な……正常な、思考を、持て……歯車を、壊せば……歯車で、回る、世界もまた……」
「皆、平和のために命をかけた。ここに来るまでに、何人滅んだか知っているか?」
バギンッと頭の歯車を突き破り、俺の指がめり込んだ。
「やむを得ぬ戦いだと思っていた。憎悪が憎悪を呼び、俺たちは殺し合った。避けられぬ悲劇の中、それでも平和を求め、皆散っていったのだ。本当に悪い者など、どこにもいないのだと。俺たちは分かり合えるはずと、確かに信じながら」
奴の体に<四界牆壁>を纏わせ、片手でその頭を持ち上げる。
「お前が元凶だ。お前と、このつまらぬ歯車のおもちゃが、我が配下の運命を弄び、我が民の絶望を嘲笑い、命まで奪った。父も母も死んだ。戻らぬ者もいる。たとえ戻ったとて、あの悲劇が、あの苦しみが、あの理不尽な戦いが消えてなくなるわけではない」
ぐっと右手に力を入れる。
「お前の神眼には見えぬのだろうな。彼らは必死に生きたぞ。俺に後を託し、皆死んでいった。俺は報いなければならぬ。これを、こんなものを、ここに放置しておくことなどできぬ。希望にならぬ運命なら、いっそ滅びよ。なにもかも」
投げ飛ばしたエクエスは、閃光の如く飛来しては<運命の歯車>の中を幾度となく跳ね返り、その歯車という歯車を逆向きに回転させる。
ベルテクスフェンブレムが、ボロボロと崩壊していく。
もっと早く。
もっと以前に辿り着いていれば――
もっと多くの者が、我が傍らで笑っていたはずだった。
「許せ。こんなつまらぬもののために、お前たちを犠牲にした」
<森羅万掌>の手で、無数の歯車をぐっとつかむ。
それらすべてを、一気に逆に回した。
耳を劈くような破裂音が鳴り響き、粉々になった歯車の破片が飛び散った。
「……やめろ――」
エクエスがボロボロの体で両手を広げる。
その五体に、かろうじて原型を留めたベルテクスフェンブレムの歯車が七つ、結合されていく。
「異物如きが、手を出していいと思っているのか? <運命の歯車>は、世界の根幹。虫のように湧いて出てくる魔族を幾億犠牲にしたとしても、比べものにならない。いいか? 汝らは世界の糧なのだ。世界を生かすために命があるのだ」
「歯車如きが、我が配下を語るな」
奴に接近し、その神体に右の拳を叩きつける。
破片を撒き散らしながらぶっ飛んだ奴は、地表に叩きつけられ、転がっていく。
「……ぎ、ぎ……」
ぎこちなく歯車を回しながら、エクエスは立ち上がり、俺がいる上空を睨んだ。
十分に距離がとれたと判断したか、奴は背後に光を放つ。
現れたのは三角錐の門である。
「僅かな気の緩みが――」
ぎぃ、と音を立てて界門が開く。
奥から漏れた神々しい光の向こう側に、地上の風景が映っていた。
「僅かな気の緩みが、絶望をもたらす。調子に乗りすぎたな、世界の異物よ。ここから、ただ去るだけで世界はまたいつも通りに回り始める。そう、粛々と、粛々と」
<混滅の魔眼>を軽く向ければ、バタンッと開いた界門が閉ざされた。
「………………馬……鹿…………な…………」
俺はゆるりと地表に下り、界門を視界に収める。
エクエスへ向かって歩いていく中、奴は扉を開けろとばかりに界門に手を叩きつけた。
「開け!」
手の平の歯車が回転し、魔法陣を描く。
「開けっ! 秩序に支配されし、門よ。運命よ、回れ!」
門は、開かない。
「回れ、回れ、世界よ」
体に結合したベルテクスフェンブレムを回し、すべての歯車を総動員させて、懇願するかの如く奴は言った。
「回れ」
ぎぃ、と音を立てて、界門が開き始める。
ニヤリとエクエスが笑い、足を踏み出した瞬間、門は黒き炎に包まれ、灰と化した。
「……か…………う…………ぁ…………」
一瞬、奴の動きが完全に停止していた。
「絶望を味わう気分はどうだ、エクエス」
エクエスの背中から、その肩を優しくつかんだ。
「我が配下に課せられた理不尽は、こんなものではなかったぞ」
そのままエクエスを無造作につかみ上げ、思いきり投げ飛ばす。
ベルテクスフェンブレムの残骸が積もった山に、奴は頭から突っ込み、歯車の破片を四散させた。
「そこがお前の墓場だ」
地面を蹴り、エクエスを追撃する。
「――のない」
ノイズ交じりの声が響く。
ベルテクスフェンブレムの残骸に巨大な魔法陣が構築されていた。
「――秩序を歪めたくはなかったが、仕方のないっ!!」
<運命の歯車>の破片や残骸が、エクエスの魔法陣によって再構築されていく。
それは歯車を動力源に、車輪を刃とした、長く巨大な剣と化した。
「わかるか? 戦闘には適さない<運命の歯車>を武器に変えたのだ。汝はこれまで回っているだけの歯車を、ただ一方的に破壊していたにすぎないっ!」
<運命の歯車>が回転し、絶望の車輪が回る。
「車輪剣ベルテクスフェンブレムッ!!」
奴に押し迫った俺の身に、車輪剣が横薙ぎに振るわれた。
左腕で受け止めれば、血が勢いよく溢れ出し、車輪が骨を削る。
「<運命の歯車>は回り、絶望が汝を斬り裂く。これが世界の示した意思だ、愚かなる異物よ!」
勝利を確信したように奴は言う。
構わず、俺は前へ進んだ。
「<涅槃七歩征服>」
魔法が発動した瞬間、禍々しい魔力が俺の全身に渦を巻く。
車輪剣が砕け散り、黒き灰と化した。
「……ばっ…………!? ……世、界の…………運命を剣に、変えてなお……灰、に…………」
<涅槃七歩征服>は、根源で凝縮した滅びの魔力を一歩ごとに解放し、俺の力を瞬間的に底上げする。
エクエスへ向かい、足を踏み出した。
一歩目――
「運命などなければ、二千年前、俺とレイが勝者のいない死闘を繰り広げることはなかった」
<飛行>の魔法にて、俺は飛んだ。
その勢いのままエクエスの神体に埋まった<運命の歯車>を指先で撫でてやれば、いとも容易く砕け散った。
「……なっ……ふ、<飛行>の勢い、だけ、で――!?」
二歩目――
「秩序などなければ、エレオノールは戦うために生まれた我が子を、何度も看取ることはなかった」
<成長>で指先を縦に振り下ろせば、触れた箇所が常軌を逸した急成長を見せ、腐食する。
真っ二つに両断されたようにエクエスの神体が割れ、<運命の歯車>が一つ砕け散った。
「……世界がぁ……腐るほどの、異常な成長だと――!?」
三歩目――
「歯車などなければ、シンとレノは死の別れに涙することはなかった」
二つに分かれたエクエスを、<拘束魔鎖>が一つに縛りつける。
魔力の鎖が世界の意思を拘束し、回転しようとした<運命の歯車>が一つ粉々に砕け散った。
「……動か……な……世界を、鎖で繋ぎ止める、などぉ……!」
四歩目――
「愚かな神がいなければ、ミサは偽の魔王となり自らの信念を裏切ることはなかった」
奴の耳元に手をやり、<音楽演奏>を響かせる。
滅びの音が、エクエスの全身を揺さぶり、<運命の歯車>が一つ砕け散った。
「……馬鹿……な……音だけで……私……が……」
五歩目――
「世界の意思などなければ、アルカナは普通の少女でいられた」
<解錠>の魔法にて、エクエスの胸部を無理矢理こじ開ける。
<運命の歯車>が一つ砕け散り、連結されている古びた木の車輪があらわになった。
「……なんだ……なぜ、開く……? なぜ勝手に開いているのだっ? やめ、や、めろ……それは……それだけ、は……」
六歩目――
「絶望などなければ、サーシャは滅びのお仕着せに泣くことはなく、ミーシャは優しい世界を見つめていられた」
<火炎>の魔法を、古びた木の車輪へ放つ。
煌々と赤く炎上しながらも、その滅びの熱にてエクエスはどろりと溶けた。
「……私の……力が……溶け……る……世界の運命が、燃え……て…………」
七歩目――
「お前さえいなければ、誰も、この理不尽を強いられることはなかった」
地べたに唯一残った歯車の頭蓋を踏み潰そうとしたが、俺は足を止める。
さすがの<魔王庭園>も限界だ。
<涅槃七歩征服>を解除して、静かに足をついた。
<火炎>の火が回り、周囲の残骸と化していた<運命の歯車>もまとめて完全に溶けている。
虚ろな神眼で、脅えたようにエクエスは俺を見上げた。
「命乞いをしろ。俺の涙を誘う事情がないなら、己の罪を悔いるがよい。言葉を選べば、マシな末路を辿らせてやる」
「……わかっ……ているのか……? 異物が……世界の異物如きが……私を、滅ぼせば……汝が守るべき世界は、滅び去る……」
ぐしゃり、と残った頭蓋を踏み潰す。
「〇点だ」
世界の意思すら蹂躙す――
いつもお読みくださり、誠にありがとうございます。
十章も残すところ、次回のエピローグのみとなりました。
今にも完結の気配が漂っておりますが、実は終わりではなく、
『魔王学院』はもうちょっとだけ続くのです。
次の章の予定なのですが、十章で大きな区切りがつきますので、
少々プロットの構築に時間がかかりそうです。
(※概略は考えているのですが、ここにきて
仕事が少し忙しくなってしまったのもありまして)
いつも更新を楽しみにしてくださっている方には
お待たせしてしまい、申し訳ないのですが、
12月いっぱいはお休みしまして、年明け1月4日から
再開しようと思います。
それでは、エピローグもがんばって書きますので
何卒おつき合いくださいましたら幸いです。
追伸
書籍三巻の誤字を見つけた方いらっしゃいましたら、
教えてくださいますと助かります。