この世界は
――終滅の光が瞬いている――
三角錐の神殿内部。
<破滅の太陽>と<創造の月>が重なり、<終滅の日蝕>を引き起こしていた。
その間近で、歯車の魔法陣に拘束されているのは破壊と創造の姉妹神。
彼女たちの胸を刃が突き刺し、そこに縫い止めている。
「もう会えなくなるわ……」
サーシャが言った。
彼女たちが再び背表背裏の姉妹神となれば、破壊神と創造神が同時に存在することはなくなり、<終滅の日蝕>は消えるはずである。
だが、それは二人の別れを意味していた。
「ようやく会えたのに……やっと思い出したのにね……」
ミーシャはこくりとうなずく。
「寂しい」
「ねえ、ミリティア」
彼女へ視線を向け、サーシャは語りかける。
「運命はいつも残酷で、薄情で、わたしは大嫌いだったわ。神様なのに、奇跡なんて起こせなくて、ただ壊れていくものを見つめるばかり」
ミーシャはそっと相槌を打つ。
「破壊の秩序を押しつけられて、わたしは壊すことしかできない。この神眼で見たものはみんな、あっという間に砕け散った」
悲劇を振り切るように、まっすぐサーシャは前を見て、力強く言った。
「だから、この運命からわたしは目を逸らさない。わたしが壊すことしかできないなら、大嫌いな運命を直視して、ぶち壊してやるのっ」
破壊神の少女は、運命に挑むようにそう声を上げた。
それに応じるように、ミーシャが口を開く。
「わたしが創ったこの世界は、冷たくて、残酷だった」
彼女は悲しい神眼をしながら、どこか遠くを見つめる。
「愛と優しさは、いつも憎悪と悪意に負けて、いつの日も争いが絶えることはない。やっと平和になったはずだったのに、世界の意思は滅びを願っている」
サーシャがそっとうなずいた。
「でも、信じたい。そうじゃないって」
まっすぐ前を見て、ミーシャが優しく言う。
「この世界に優しさが少しでも残っているのなら、わたしたちのお願いを叶えてくれる」
二人の姉妹を、淡い光が包み込む。
彼女たちの魔力が、光り輝いていた。
「アベルニユー」
優しくミーシャは言った。
「勝たせてあげたい。せめて一度ぐらい、愛と優しさを信じたみんなに、わたしは創造神として報いてあげたい。想いを束ねて、人々は終滅の光に真っ向から立ち向かった。それが負けるような悲しい世界では、あってはならない」
はっきりとサーシャはうなずく。
「奇跡を起こそう、ミリティアッ! わたしたち二人なら、きっとできるはずだわっ!」
ミーシャは微笑んだ。
「いつもそばにいる」
「うん」
「わたしはあなた」
「あなたはわたしね」
キラキラと二人の周囲に、雪月花が舞った。
「いつも、一緒に――」
ミーシャの言葉と同時に、姉妹の体を白銀の光が覆う。
創造神ミリティアの権能が、二つに別れた彼女たちを再び一つに創り直していく。
背表背裏の姉妹神へと。
彼女たちの神眼には、今まさに激突する<想司総愛>と終滅の光が映っている。
ディードリッヒが、シルヴィアが、ネイトが。
エールドメードが、イージェス、ギリシリスが。
シンが、レノが、そしてレイが。
その想いを信じて、終わりの光に立ち向かっている。
――彼らに奇跡を――
――優しくないこの世界に、それでもほんの少しの優しさがあると信じたい――
――秩序の歯車が、たとえ絶望の車輪を回していても――
――わたしが創った世界には――
――わたしが、願った世界には――
――沢山の希望が込められていて、それを止めてくれるはず――
――そう、信じている――
――もしも、世界に優しさが足りないのなら――
――わたしが、その代わりになるから――
――お願い――
――どうか、どうか、今だけは――
――この世界が愛とともに、回りますように――
まだ足りない。
刃に縫い止められながらも、サーシャとミーシャは必死に互いへ手を伸ばす。
血が胸に滲み、苦痛を堪えながらも、懸命に姉妹は身を乗り出した。
そうして、二人の指先が、僅かに触れた。
「「<分離融合転生>」」
半円の魔法陣をそれぞれ描き、二人はそれをつなぎ合わせる。
ミリティアの神体とアベルニユーの神体。
かつて一つだったそれを、再び重ね、元に戻そうというのだ。
創造神の権能とネクロンの魔法<分離融合転生>。
それらを併用することで、二人はもう一度、背表背裏の姉妹神と化そうとしていた。
光に包まれた二人の輪郭が僅かに揺らぎ、交わろうとしたその瞬間――
二人の心臓に、光の歯車が現れた。
神族に埋め込まれたその秩序が、二人の意志を挫くように、<分離融合転生>の発動を妨げる。
「……負けないわ……今度は……今度こそ……!」
「みんな、戦ってる。ディルヘイドを、この世界を守るために。わたしも」
歯車に抵抗するように、苦痛に表情を歪ませながら、二人は更に指先を伸ばす。
突き刺さった刃が、彼女らの体に食い込み、歯車が心臓を引き裂くように回転する――
だが、それでも、二人の想いは、挫けはしない。
――笑顔が見たい――
――贅沢は言わない。傷ついたっていい――
――悲しんだっていい――
――それでも最後に、みんなが笑っている世界を――
――がんばって、がんばって、がんばって、やっと平和になったんだもの――
――それをわたしがぶち壊すなんて、そんなのまっぴらご免だわ――
――運命なんてぶち壊してやる――
――秩序なんてぶち壊してやる――
――たとえ、わたしが二度と笑えなくなっても――
――お願い――
――どうか、どうか、今日だけは――
――この世界が笑顔とともに、回りますように――
「消えなさい……!!」
サーシャの五指が、ミーシャに届く。
彼女らの頭上で、<終滅の日蝕>は、暗く瞬いている。
「消えて……!」
二人は魔力を振り絞る。
混ぜ合うようにそれが互いの体を駆け巡った。
日蝕は――消えない。
地上の空では、<想司総愛>の剣を突き出したレイが、黒檀の光に突っ込んでいた。必死の形相で彼は叫ぶ。
もう幾許も、猶予はない。
「お願い……!」
レイと一緒になって、サーシャは叫んでいた。
「お願い、今日だけでいいっ! 明日はいらないからっ! ねえ、わたしの力は、破壊神の秩序は、ただ壊すためだけにあるのっ!? 壊すために生んで、生まれたからまた壊して、そんなのもう沢山だわっ! こんな歯車引き千切って、わたしも、わたしもみんなと一緒に、この世界を守りたいのっ!」
「夢を見させて……。今だけは。遅くないって、信じさせて。世界を創るのに失敗したわたしに、もう一度だけチャンスを与えて欲しい。今度こそ、わたしは、真っ白な心で、愛と優しさを込めてあなたを創るから。お願い、まだ――」
ミーシャは大きく声を上げる。
「終わらないで……!!」
心臓の歯車に、亀裂が入る。
それを粉々に砕きながら、二人の手がしっかりと握り合った。
二人は、その神眼を合わせた。
「最後でいい。神様の奇跡を」
「見せてあげるわっ!!」
<分離融合転生>の魔法陣が一際大きく光を放ち、彼女たちの輪郭がぐにゃりと歪む。
その瞬間、ぎちり……ぎちり……と歯車が回る音が聞こえた。
不気味なノイズ交じりの声が響き渡る。
『<笑わない世界の終わり>』
黒檀の光が煌めく。
彼女たちの目の前で、地上の空すべてを覆いつくすほどの、とてつもない大爆発が巻き起こった。
ゆっくりと<分離融合転生>の光が収まっていく――
神殿内を照らしていた目映い光は消えてなくなり、そうして、そこには、二人の少女がいた。
歯車の魔法陣に拘束されたまま、ぽつんと取り残されたように。
失敗した。
背表背裏の姉妹神には、戻れなかったのだ。
「……どう……して……」
サーシャの目の前で、<終滅の日蝕>が輝いている。
「だめ……だったの……」
呆然とした言葉とともに、涙の雫がこぼれ落ちる。
――そう、この世界は、残酷なまでに秩序の通り……――
――……奇跡は……起きない……――
――起こせなかった――
「……ごめんなさい……」
神眼に涙をいっぱいにため、ミーシャの口から悲しみがこぼれ落ちた。
――この世界を救うために――
――みんな、がんばってくれたのに――
――だけど――
「……世界は、優しくなんかない……」
――創造よりも、いつだって破壊が強い――
――憎悪と悪意がいつだって、愛と優しさを消し去っていく――
――人々は死んでいき、希望は消える――
「……わたしが創った……」
――ああ、やっぱり――
――わたしは、一番最初に間違えた――
――この心のどこかに――
――小さな悪意の種があったから――
『馬鹿を言うな』
響いた声に、二人の少女が反応した。
『お前が創った? 悲しく、悪意に満ちた世界をか?』
神眼を丸くしながら、二人は声に耳を傾ける。
『よく神眼を開き、もっと耳をすませ。なにが聞こえる?』
ミーシャが問いかけようとして、しかし、口を噤んだ。
どこからともなく、音楽が聞こえていた。
優しい、優しい、そんな歌が。
――いつか、この世界の創造主に出会ったら、ありがとうと伝えたい――
――悲しいことと苦しいことは、いくらでも転がっている人生だけど――
――それでも、私たちには、いつだって大きな希望が残されていた――
――目を開き、耳をすまそう――
――ほら、沢山の人たちが、一緒に歌っている――
――毎日をともに笑い合い――
――挫けそうなときに、手をさしのべてくれたよ――
――ああ、きっと、この世界は、綺麗で透明な心から始まった――
――だから、ほら――
――世界はこんなにも優しく、あなたに笑いかけている――
『くはは、なんだその顔は。なにを泣いている、サーシャ。滅びるものか。この世界は、お前が睨んだぐらいで壊れるほど、やわにできてはおらぬ』
サーシャが、耳をすまし、息を飲んだ。
『なにを謝っている、ミーシャ。創造よりも破壊が強い? 愛と優しさよりも、悪意が強いだと? ならば、その神眼ではっきりと見るがいい』
純白の光が目映く煌めく。
<終滅の日蝕>――
暗黒よりもなお深い黒檀のサージエルドナーヴェに、真っ白な剣閃が走った。
「あ…………」
終滅の光を斬り裂いて、<終滅の日蝕>の中から姿を現したのは、想いの結晶である聖剣を握り締めた一人の勇者――
地上から、絶望を斬り裂き、ここまでやってきたのだ。
「レイ……」
『愛と優しさが強い』
力強く声が響く。
彼女たちの魂を揺り動かすように。
『戻れなかったのではない。戻らなかったのだ。お前たちの心は、俺との約束を覚えていた。世界もお前たちも、すべてを救う、と。世界中の人々の歌う歌が、あの終滅の光を必ず打ち消すと信じていたのだ』
地上から昇ってきた勢いのまま、まっすぐレイはその神殿の壁をぶち抜いていく。
どでかく空いた穴へ、少女たちは視線を向けた。
『お前の心には、小さな悪意の種すらない』
これまで認識できなかったこの背中を、彼女たちははっきりと視界に捉えた。
俺は振り返り、二人の顔を見つめる。
隙だらけの背後からエクエスの歯車が襲ってくるが、レイが<想司総愛>の剣を長大に伸ばし、それを薙ぎ払った。
「これが、お前が創った世界だ。お前が俺たちに与えてくれた世界だ。聞け、ミーシャ、お前に贈るこの歌を」
彼女たちを拘束する魔法陣の歯車に亀裂が走った。
「この世界は、こんなにも優しさに溢れている」
――ああ、思い出した――
「地上を見よ、サーシャ。お前が望むこの世界は、こんなにも豊かに笑っている」
――そうだ――
――そうだった――
――奇跡なんて一度も起きなかったけど――
――わたしたちにはいつも、無敵の魔王さまがついていた――
「いつまで寝ぼけている? もうまもなく夜明けだ。早々にアレを片付けねば、学校に遅れるぞ、ミーシャ、サーシャ」
そのとき、レイが叫んだ。
「アノスッ……!」
撃ち出された複数の歯車のうち一つが、彼の聖剣をすり抜け、俺の背後に迫りくる。
だが、それに見向きもせず、俺はただ二人の姉妹を迎えるように腕を広げた。
我がもとへ帰ってこい。
瞬間、二人を拘束する魔法陣の歯車が粉々に砕け散る。
彼女たちは弾き出されたように、<飛行>にてまっすぐこちらへ飛んだ。
「わたしの魔王さまに、手を出してるんじゃないわっ!」
<終滅の神眼>が歯車を睨めつけ、それをズタズタに引き裂いていく。
「氷の世界」
<源創の神眼>が瞬きをする。
小さなガラスの球体がそこに出現し、構築した氷の世界に歯車を飲み込んでいった。
そのままの勢いで彼女たちは、俺の腕に飛び込んできた。
「ふむ。相変わらず朝が弱いことだ」
俺の腕の中で、二人は涙を浮かべる。
そうしながらも、俺に応じるように、微笑んだのだ。
「……だって、弱いんだもの……」
「……寝坊した……」
レイが俺の背後を守るように飛んできて、エクエスに<想司総愛>の剣を構えた。
「さて」
ゆるりと振り向き、俺は歯車の集合神を睨みつける。
「守るものは守った。ずいぶんと好き勝手してくれたものだが――」
全身から黒き魔力を解放し、俺は言った。
「これで存分に踏み潰せる」
魔王の時間が始まる――




