重なる想い、束ねた力
音が戻った――
福音神、暴食神、狂乱神の妨害がなくなり、<思念通信>から再び魔王賛美歌の優しい音色が奏でられた。
それはアゼシオンからミッドヘイズへ。
ミッドヘイズから、アハルトヘルン、ジオルダル、アガハ、ガデイシオラへ。
みるみる広がっていくその曲は、世界中に響き渡る。
光が集う。
<思念通信>を通して、無数の目映い光の粒子がレイを中心に溢れ出していく。
「僕たちの勝ちだ、エクエス」
平和を願う人々の想いをその身に纏いながら、レイはアゼシオンの遙か上空に浮かぶ<終滅の日蝕>と巨大な歯車の化け物を睨む。
「終滅の光を世界のどこへ放とうと、平和を願う人々の想いがそれを受け止める」
空は暗闇に覆われた。
それは、サージエルドナーヴェの皆既日蝕、世界を闇に閉ざす暗黒に飲まれながらも、しかし、ディルヘイドの光は失われていない。
アゼシオンでも、アハルトヘルンでも、ジオルダルでも、アガハでも、ガデイシオラでも――
人々の想いが魔力に変わり、地上と地底に希望の光を満たしていた。
『想いが、秩序に優ると思うのか?』
ぎちり、ぎちり、と歯車が回る。
ノイズ交じりの不気味な声が、遠く地上へ響き渡った。
『愛と優しさをもてば、世界を救えると思うのか?』
「救えるよ」
気負わぬ口調で、レイは言う。
「救ってみせる」
『汝らが救おうとしている世界こそ、この私なのだ。世界は滅びを欲している。汝ら、生きとし生けるものの滅びを。それが定められた秩序だ。決して覆すことはできない』
天を覆う闇と地に満ちる光。
世界と人、闇と光が鬩ぎ合うが如く、両者は彼方の距離を挟み対峙する。
『世界を救うために、世界と戦う矛盾が、汝らを殺す。絶望の車輪は、その想いのすべてを轢き裂き、踏み潰していく』
黒檀の光が、空に浮かぶ<終滅の日蝕>に凝縮されていく。
暗く、禍々しく、そしてなおも神々しい力。
破壊神の滅びの権能が、今まさに世界へ向けて牙を剥こうとしていた。
『刻限だ』
歯車の化け物が、アゼシオン上空からミッドヘイズを睨む。
その瞬間、終滅の光が鮮やかに瞬いた。
『終滅の光が、今、地上を灼き尽くす』
放出されたのは、一度目とは比べものにならないほどの膨大な光だった。
ディルヘイドを丸ごと飲み込まんばかりの終滅が、瞬く間に押し寄せ、地上に満ちた光を黒檀に塗り潰していく。
それを迎え撃つが如く、地上からは純白の光が天を突く柱のように立ち上る。
レイの手の中に現れたのは、真っ白な聖剣である。人々の想いが凝縮され、具現化されたものだ。
その想いの聖剣を握り締め、終滅の光に向かって、レイは地面を蹴った。
後押しするように純白の光がその体をみるみる押し上げ、彼は滅びの真っ直中へ飛び込んでいく。
霊神人剣の加護がない今、彼に奇跡は起きない。
僅かでも押し負ければ、レイは今度こそ確実に消滅するだろう。
それでも、彼は地上にいるすべての者に見せなければならない。
人々の想いは、世界の秩序などに決して負けはしない、と。
迷わず飛び込んだ彼の姿を見れば、誰もがそう確信し、その想いは益々強まるだろう。
恐れはあろう。恐怖を感じぬわけがない。
それでも、レイはありったけの勇気を振り絞り、黒檀の光に白き想いの聖剣を突き出した。
「<想司総愛>ァァァァァァァァァァァッッッ!!!」
終滅の光と<想司総愛>が、真正面から衝突する。
激しく鬩ぎ合い、渦を巻く黒檀と純白の光は、大気を震撼させ、その余波だけで割れた大地を更に引き裂いていく。
圧倒的な滅びの力を一身に受け、純白の光を纏うレイの体が灼け焦げていく。
握り締めた真白の聖剣に、僅かに亀裂が走った。
『助け合い、手を取り合い、汝らは希望をつないできたつもりだった。世界の意志を挫き、ディルヘイドにやってきた神を撃退した。そう信じていた』
人々の想いを挫くように、ノイズ交じりの声が響く。
『すべては秩序の歯車に従っている。汝らは、滅びに立ち向かうための希望を一つずつ失ってきたのだ。霊神人剣エヴァンスマナを。不適合者グラハムが備えていた背理神を。セリス・ヴォルディゴードが遺した<波身蓋然顕現>を、汝らは失った』
ぎちり、ぎちり、と歯車が回る。
膨大な黒檀の光に撃たれ、聖剣の亀裂が更に広がる。
『歯車は回り、世界は回り、そして、絶望が回り始める。宿命を断ち切り、運命を覆す唯一にして最大の武器を失った時点で、汝は敗北していたのだ、愚かなる勇者よ』
レイの体が、<想司総愛>の光が、黒檀に飲み込まれ、押し返されていく。
すでに彼は一度目の終滅の光に撃たれ、その根源は激しく傷ついている。
ここまで動いていること自体が、不思議なぐらいなのだ。
かろうじて想いにて支えられていた体も、最早、限界を迎えようとしていた。
『世界は、優しくもなければ、笑ってもいない』
終滅の光が一際大きく瞬く――そのときだった。
地上から、光とともに飛び上がってきた者がいた。
終滅の光に押されていたレイの背中が、その者の手によって支えられる。
「情けない。その程度ですか、あなたの力は」
シン・レグリアだ。
レイを支えながらも、流崩剣アルトコルアスタに魔力を注ぎ込み、彼は黒檀の光にそれを突き刺す。
「世界も救えぬような男に、娘はやれません」
「……それは、困るね……」
ぐっと歯を食いしばり、ボロボロの体に鞭を打つように、彼は魔力を振り絞った。
「「命剣一願っ!」」
地上から、再び光とともに飛び上がってきた人影があった。
ディードリッヒ、ネイト、シルヴィア。
アガハ最強の子竜たちだ。
「「「お・お・お・おおおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!」」」
カンダクイゾルテの剣を、彼らは終滅の光に突き刺す。
ナフタの作り出す理想世界が、その滅びと鬩ぎ合う。
「行きたまえっ、犬ぅっ!」
ジェル状の犬が黒檀の光に突っ込み、「ぎゃん、ぎゃわんっ」と鳴き声を上げる。滅びながらも、<根源再生>にて復活を繰り返し、緋碑王ギリシリスは終滅の光が持つ力を消耗させている。
「カカカ、気をつけろ。うっかり当たり所が悪ければ、<根源再生>の術式ごと滅ぼされるぞ」
地上から飛んできたのは、冥王イージェスと熾死王エールドメードだ。
二人は神剣ロードユイエと紅血魔槍ディヒッドアテムが突き出し、終滅の光に対抗した。
「行くよっ、みんなっ! <精霊達ノ軍勢>っ!」
六枚の羽を輝かせ、翠に輝く精霊たちを引き連れながら、大精霊レノがそこへ飛んでくる。
数多の精霊の力を束ね、輝く手の平を黒檀の光に差し出して、それを支えた。
<想司総愛>と魔族、竜人、精霊の力を結集して作り出したその純白の魔力場は、かろうじて黒檀の光を押し止めた。
二つの力が衝突する場所は、暴風域の如く荒れ狂っては無数の火花を散らし、黒と白の粒子が膨大に撒き散らされている。
「さてさて、どうにか押し止めたはいいが、どうするか? サージエルドナーヴェの皆既日蝕が終わるまで、この終滅の光は消えないのではないか?」
熾死王が言う。
死力を尽くしたこの状況では、残り数十秒、膠着状態を続けられれば良い方だろう。
それでは終滅に飲まれるのは時間の問題にすぎぬ。
「カノン、アレを使おうっ! 二千年前、一緒に戦ったときみたいに!」
レノが叫ぶと、熾死王がそれに続いた。
「良い考えではないか。あの<破滅の太陽>を斬り裂くしか道はない。オレたちの力を持っていくがいい。なあ、アゼシオンの大勇者」
「かつて見た未来では、お前さんと力を合わせることもあった。我らの剣も託そうぞっ!」
ディードリッヒが声を上げ、レイはうなずく。
シンに背中を支えられながらも、最後の力を振り絞り、彼は魔法陣を描いた。
<勇者部隊>、仲間の魔力を勇者一人に集める軍勢魔法である。
今その場にいる者たちの力を合わせたならば、それは二千年前、レイが人間たちを率いて戦ったときの比ではあるまい。
「みんなの想いと、魔力をこの剣に」
レイの体から膨大な光が噴出し、欠けていた六つの根源が一気に再生する。
せせらぎが聞こえた。
終滅の光とレイの間に、薄い水鏡が現れる。
そこに波紋が浮かんでいた。
「あそこが終滅の光の急所です」
レイの背中を支えながら、シンは流崩剣の秘奥を使う。
「あれが剣だとすれば、隙だらけの大振りもいいところ。最も滅びの力が集中する一点こそが、自らの滅びをも強める。つまり、<笑わない世界の終わり>を斬り裂く活路――」
レイがうなずくと同時に、シンは彼に魔力を分け与え、全力で背中を押した。
「――あなたに斬れぬ道理はありませんっ!」
後退するシンたちに代わり、膨大な<勇者部隊>の魔力を体に纏い、レイは<想司総愛>を一振りの剣に束ね上げる。
「たとえ滅びが定められた運命でも、霊神人剣がこの手になくても、僕たちはっ!!」
真っ白な光の尾を引いて、レイは黒檀の光を斬り裂いていく。
近づけば近づくほどに、<終滅の日蝕>の威力は莫大なものとなり、黒檀の光が獰猛に襲いかかる。
凝縮された滅びという滅びが、<想司総愛>の剣としのぎを削り、世界の空を黒白に染め上げた。
「そんな宿命、何度だって断ち切ってみせるっっっ!!」
暗き滅びの太陽、<終滅の日蝕>にレイは肉薄し、膨大な光の剣と化した<想司総愛>を突き出す。
「<総愛聖域熾光剣>ッッッ!!!」
黒檀と純白が空を揺るがし、世界を覆いつくすような光の大爆発が巻き起こった――
絶望を斬り裂け――