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希望の中の絶望、絶望の中の希望


 そこは――

 暗黒の空だった。


 一切の光が存在しない、暗闇に閉ざされた場所。

 神の姉妹の心の深淵。二人の心象風景だ。

 

 投げかけた声は、闇に吸い込まれ、儚く消える。

 幾度となく繰り返し、俺は呼びかけていた。


 その言葉は二人の耳には届かない。

 暗黒の空に、彼女らはぽつんと佇んでいた。


 深い暗黒の淵、陰惨な心の底――

 絶望という名の車輪が、姉妹の心を轢き裂いている。


 ぎちぎちと、ぎちぎちと、鈍い音を響かせながら。


 その魔眼に映るのは――


 その神眼に映るのは――


 終わりゆく世界の瞬きだった。


「……ごめんなさい……」


 譫言のように、ミーシャが言う。


 彼女の心に鋭く略奪者の歯車が食い込み、それを無理矢理に回している。

 ぎち……ぎち……と不気味な音を立てながら、なにかが少しずつ壊れゆく。


「……優しく創ってあげられなくて……」


 こぼれ落ちるのは彼女の想い。

 創造神ミリティアだった、少女の願いだ。



 ――世界には、悪い人なんていない――


 ――悪いことをする人が、初めから悪意を持っていたわけじゃない――


 ――なにが人を変えたのか?――

 ――なにが彼や彼女を変えたのか?――


 ――大事なのは、その理由――


 ――大事なのは、悪意のはじまり――


 ――戦争、裏切り、絶望、喪失、迫害、虐待……

   数え上げれば、きりがない――


 ――それをわたしは悲劇と名づけた――


 ――初めから悪かった人は、どこにもいない――



「……どこにも、いなかった……」



 ――たとえ誰がどんな悪をなしたとして、

   わたしに、彼らを裁く権利があるのだろうか?――


 ――二〇万人もの人間を滅ぼし悪鬼と呼ばれた男の始まりは、

   幼い頃、友に裏切られたこと――


 ――だけど、その友は、悪魔のような親に人形のように扱われ、人を信用できなくなった――

 ――けれども、その親にも、悪魔となった原因があった――


 ――悪意の連鎖は果てしなく続き、

   世界はいつまでも滅びへと向かっている――


 ――悪意は彼らの咎?――


 ――違う。きっと、どこかにはじまりがある。

   わたしはそれを探した――


 ――罪の在処を――


 ――世界を見つめた。

   長く、とても長く――


 ――さかのぼり、さかのぼり、さかのぼって、

   わたしは、とうとう悪意のはじまりを見つけた――



 ――わたしが、創った――



 ――優しくなんかないこの世界を、わたしが創ってしまった――


 ――それが、それ以上さかのぼれない、世界のはじまり――


 ――覆しようのない、罪の在処――


 ――悪意の元凶をさかのぼれば、なにもかも、わたしに辿り着く――


 ――わたしに、どうして人が裁けるというのだろう――

 ――そんな風に、この心が創ったのに――


 ――この世界はいつも戦火に包まれ、焼かれながら誰もが叫ぶ――

 ――ゆらめく炎の中には、いつだって、悲しみと怒りと憎悪が渦巻いていた――


 ――あの幼い子供を殺したのは、誰?――

 ――あの恋人たちを引き裂いたのは、誰?――

 ――あの子の親を奪ったのは、誰?――


 ――答えは、いつも一つ――



 ――わたしだった――



 ――ごめんなさい――

 ――ごめんなさい――

 ――ごめんなさい――


 ――どれだけ心の中で繰り返そうと、それを創ったわたしの言葉は、

   いつも空しく闇に飲まれる――


 ――悪意の元凶を、誰がどうして許せるというのか――


 ――母の想いを受け継ぎ、心の底から、願ったはずだったのに――

 

 ――どうして世界はこんなにも悪意に満ちている?――


 ――秩序の歯車のせい?――


 ――違う。きっと、違う。

   それでも、創ったのはわたし――


 ――わたしのどこかに――



「この心のどこかに、小さな悪意の種があったのだろうか?」



 ――終わりを呼ぶ光が、こんなにも残酷に瞬いている――

 ――世界を滅ぼす<終滅の日蝕>――


 ――わたしの悪意が、こんなにも大きく――



「わたしが、真っ白だったら」



 ――なんの陰りもないほどに綺麗な心を持っていたら、

   こんな悲劇は起きなかったかもしれない――


 ――秩序の歯車に気がつかなかったのは、

   わたしの過ち――


 ――もっと早くに気がついていれば――


 ――創世のときに気がついていれば、

   わたしは、もっと優しい世界を創れた――


 ――うぅん。気がついていなくても、

   わたしがもっと優しい世界を願えていたなら――


 ――誰も、歯車には負けなかった――



「ごめんね。サーシャ」



 ――ごめんなさい――



「ただ世界を見たかった。あなたのお願いすら、わたしは叶えてあげられなかった」



 ――だって――



「世界はこんなにも悲しく、悪意に満ちている」


 ミーシャは、サーシャを振り向く。

 彼女は膝抱えたまま、暗黒の空を漂っている。


 その神眼は閉じていて、まるで眠っているかのようだった。


「――足りない」


 ミーシャが言った。

 創造神の神眼には、<終滅の日蝕>を通し、地上が見えていた。


 少しずつ、光が集まってきている。

 世界中の人々の想いを結集する、<想司総愛ラー・センシア>の光が。


「創造よりも滅びが多い。愛と優しさよりも、悪意と憎悪が強い。だから、いつも、いつだって――」


 ミーシャの瞳から、涙がこぼれる。


「<想司総愛ラー・センシア>は<笑わない世界の終わりエイン・エイアール・ナヴェルヴァ>を止められない。それが世界の秩序」


 すると、サーシャがぼんやりと神眼を開いた。


「……ミーシャ……」


 サーシャはゆっくりと指先を伸ばす。

 そうして、ミーシャの涙を拭った。


「泣かないで」


「……ん……」


「夢を見たわ」


 ゆっくりとサーシャは身を起こした。


「……どんな?」


「おかしな夢。わたしが、運命をぶち壊すの。奇跡でも起こらない限り、叶わない夢」


 自嘲気味に、サーシャは言う。


「破壊神のわたしが、地上を救うの。そんなことありえないはずなのにね。本当、おかしな夢だわ……」


 サーシャは左眼に<終滅の神眼>を浮かべ、ミーシャは両眼に<源創の神眼>を浮かべ、じっと見つめ合った。


「力を貸して、ミリティア」


 強い意志を込めて彼女は、言う。


「わたしはもう絶望なんて沢山だわ。みんな、あそこで戦っている。わたしが泣いているとき、レイもミサも、エールドメード先生も、誰も諦めてなかった。ここで怖じ気づいて泣いてるばかりじゃ、みんなに笑われるわ」


 サーシャの意志に呼応するように、その神眼に魔力が集う。


「運命をぶち壊すのに、奇跡を起こさなきゃいけないっていうなら、わたしが起こして見せる」


 ミーシャの手を取り、破壊神の少女は言った。


「世界が笑っていないなら、無理矢理笑わせてあげる。だから、お願い、ミリティア」


 決意した表情を浮かべるサーシャを見て、ミーシャは薄く微笑んだ。


「一緒に戦って。世界の秩序は、いつだって同じ結果をもたらしたかもしれないけど、今日は違うかもしれない。わからないけど、保証もないけど、でも、そんな気がするの」


「アベルニユー」


 指を深く絡めるようにして、ミーシャはその手をぎゅっと握った。


「ありがとう。わたしも諦めない」


「<終滅の日蝕>を止めるわ」


 じっとミーシャの神眼を見つめ、サーシャは言った。


「元に戻ろう、ミリティア。わたしたちが同時に存在しなければ、<終滅の日蝕>は起こらない。すぐには消えないかもしれないけど、少しでも威力が弱くなれば、きっとレイたちが<想司総愛ラー・センシア>で止めてくれるはず」


 ミーシャは二度瞬きをする。

 そうして、こくりとうなずいた。


 彼女たちは、背中合わせになり、後ろ手で手をつなぐ。

 これは心象風景。実際には、二人は魔法陣の歯車に拘束されている。


 魔力を込めようとして、ふと、ミーシャが顔を上げた。

 なにかが聞こえたといったように。


『どれだけ呼びかけようと無駄だ。汝の声は、もう届かない』


 爆炎が視界を覆いつくした。


 ノイズ交じりの声が響き、俺は目の前に降り注ぐ神の猛火を一睨みする。

 <滅紫の魔眼>が、無数の神炎しんえんをかき消した。


 神々の蒼穹。

 その深淵の底にて、エクエスは宙に浮かんでいる。


 ずらりと並べられた炎の大砲が、こちらへ照準を向けていた。


『――ミーシャ』


 降り注ぐ神の炎を<四界牆壁ベノ・イエヴン>で受け止めながら、彼女のたちの心の深淵へ魔眼を向け、<思念通信リークス>にて何度も呼びかける。


『――サーシャ』


「いい加減に理解した頃だ、世界の異物よ。私の歯車が埋め込まれた破壊神と創造神は、汝を認識することができない」


 炎の大砲の掃射が止む。


 エクエスは十字架のような姿勢をとり、ぎちぎちと体の歯車を回し始めた。

 それだけで、奴の莫大な魔力が更に高まっていく。


 <遠隔透視リムネト>に使っていた五つの巨大な歯車が縦になり、こちらに狙いを定める。

 その歯を、刃の代わりにでも使おうというように。


「呼び覚ますことなど不可能だ」


「くはは。ブラフならマヌケだが、エクエス、本気ならば、その頭の歯車に油をさしておけ。錆びてろくに回っておらぬ」


 奴がその指先を俺へ向ける。

 不気味な音を立てながら、一枚の巨大な歯車が発射された。


 迎え撃つように、俺は魔法陣を描いていく。


「あいにくサーシャは寝起きが悪くてな。なかなか起きぬのはいつものことだ。仲の良い妹の方は、それにつき合っているといったところか」


 激しく回転しながら歯車は、俺に突っ込んでくる。

 放った<獄炎殲滅砲ジオ・グレイズ>と<魔黒雷帝ジラスド>を轢き裂きながら、俺の体を深く抉る。


「普段の登校前となにも変わらぬ」


 根源が斬り裂かれ、魔王の血がどっと溢れ出した。


 それにより僅かに腐食した一点へ、<焦死焼滅燦火焚炎アヴィアスタン・ジアラ>を叩き込み、内側に<灰燼紫滅雷火電界ラヴィア・ギーグ・ガヴェリィズド>を撃ち放つ。


 膨大な紫電とともに、歯車は灰燼へと変わる。


「それにお前が言うほど、絶望してはおらぬようだぞ」


「汝はわかっていない。歯車はとうに回り始めた。絶望は希望の中にこそあるのだ」


 二発、三発、四発と今度は歯車が大地へ向かって放たれていた。

 ガガガガガガッとそれは深淵の底を削る。


 大地に埋まっていた火露が、歯車にまとわりつき、その魔力を高めていた。

 火露が奪われれば奪われるだけ、循環するはずの生命が滅ぶ。


 それ以上、やらせるわけにはいかぬ。

 

「守り続けるがいい、世界の異物よ。汝は、あのセリス・ヴォルディゴードの息子。彼になにが救えた? 自らの妻を見殺しにしてまで平和を望んだあの男は、結局なにを守れた?」


 俺は大地を蹂躙する歯車へ突っ込み、あえて根源を傷つけさせては魔王の血で腐らせ、<焦死焼滅燦火焚炎アヴィアスタン・ジアラ>と<灰燼紫滅雷火電界ラヴィア・ギーグ・ガヴェリィズド>で、歯車を灰燼に帰した。


「俺を守り、平和を守った。その誇り高き意志を伝え、父はすべてを守り通したのだ。今、この瞬間もな」


「誤りだ。力を失ったあの男は、なにも守れなかった」


 エクエスの背後に光が満ち、巨大な歯車が再び姿を現した。

 更にもう一つ、二つと歯車が出現していく。


「これが、その結末だ」


 巨大な歯車に<遠隔透視リムネト>の魔法陣が描かれる。

 そこに映ったのはミッドヘイズにある鍛冶鑑定屋『太陽の風』だ。


「守る者はいない。どうする、不適合――」


 エクエスが息を飲む。

 勢いよく飛び上がった俺は両手に、紫電を握り締めていた。


 右と左からこぼれ落ちる紫電にて、合計二〇の魔法陣を描く。

 それらが連なり、巨大な魔法陣が二重に重ねられた。


「<灰燼紫滅雷火電界ラヴィア・ギーグ・ガヴェリィズド>」


 二重重ねの滅びの魔法が、エクエスを紫電の結界で覆う。


 紫電と紫電が衝突し、圧倒的な破壊が内側で巻き起こる。

 荒れ狂う稲妻と雷光が、世界を紫で埋め尽くした。


「――間違えたのは貴様だ、エクエス。絶望の中にこそ、希望があるものだ」


 けたまたましい雷鳴が響き渡り、やがて、光が収まっていく――


 しかし――

 エクエスは、健在だ。


 その歯車の神体は、やはり傷一つついていない。


「では、その魔眼でとくと見るがいい。絶望が回る瞬間を」


 ぎちり……ぎちり……と歯車が回る。


 <遠隔透視リムネト>に映った鍛冶鑑定屋が、立ち上った猛火に包まれた――



守るべき者が、炎に飲まれ――



【書籍3巻・コミック1巻、発売前日カウントダウン寸劇】



サーシャ     「――って、ちょっと待って、なにこれっ!?

          この漫画版、まずいわっ!!」


アノス      「ふむ。落丁でもあったか?」


サーシャ     「違うわよっ。これ、この漫画版の最後のページ、

          どういうことよ?」


アノス      「どういうこともなにも、お前が俺に因縁をつけてきたシーンだが?」


サーシャ     「そうだけど、だってこれじゃ、わたしがどう考えても完全に悪者のまま、

          終わるじゃない! 小説はいいわ。だって、清らかなサーシャになって

          終わるもの。でも、この漫画版、二巻発売まで、なにこのムカツク女って

          思われながら、過ごすわけっ!?」


エールドメード  「カカカ。なかなかの引きではないか、ん? 身の破滅の魔女?」


サーシャ     「ああぁぁぁーっ、やめてくれるかしらっ!」


アノス      「なに、長くともたった数ヶ月ほどだ。

          アヴォス・ディルヘヴィアに書き換えられた

          俺の名も、結局は正しく戻った」


サーシャ     「アヴォス・ディルヘヴィア並に払拭するのが大変ってことなのっ!?」


アノス      「悪評や噂など気にせぬことだ。お前はなにも間違ったことをしてはいまい。

          大きく構えていればよい」


サーシャ     「で、でも、これから数ヶ月も、あの性格悪い女って後ろ指指されながら、

          暮らすわけでしょっ! どうするのよっ?」


ゼシア      「……サーシャ……ゼシアに……良い考え……あります……

          隣の部屋へ……行くです……」


サーシャ     「え? ほんと? どうすればいいのっ? 行くわ!」


エレオノール   「……。……。……。戻ってこないぞ? 隣の部屋でなにしてるのかな?」


アノス      「さてな。気になるのなら、覗いてみてはどうだ?」


エレオノール   「……うーん、大丈夫かな? ゼシアー? サーシャちゃん? なにしてるんだ?

          ちょっと開けていい?」


エールドメード  「カカカ、返事がないではないか! 臭う! 臭うぞ!

          ただならぬ臭いがするっ!」


エレオノール   「あ、開けるぞっ! ゼシ――」


サーシャ     「……ずん……ずん……サーシャが……ずん……」


ゼシア      「……ゼシアも、ずん……」


エレオノール   「えぇぇっ!? サーシャちゃんっ……!?

          落ち込んだゼシアと一緒に、負の心を重ねちゃってるぞ……!」


エールドメード  「さしずめ、ずんずん<聖域アスク>か!」


エレオノール   「サーシャちゃん、戻ってきてっ! その魔法は危険だぞっ!

          負の心に囚われちゃうぞっ」

         

サーシャ     「……はっ!? あ、危ないところだったわ。エクエスの歯車のせいね。

          わたしを落ち込ませて、つけいるつもりってことかしら? そうはいかないわ!」


エレオノール   「……。今のはサーシャちゃんのメンタルの問題じゃ――」


サーシャ     「エクエスのせいだわ! そ・う・でしょ?」


エレオノール   「う、うん。そうかもしれないぞ……」


サーシャ     「とにかくっ! エレオノール、ちょっと行くわよっ!」


エレオノール   「え、えーと、うん……」


サーシャ     「なんとかしなきゃ。このままじゃ、まずいわ。手伝ってくれるかしら?」


エレオノール   「それはいいんだけど、どうするんだ?

          アノス君に漫画版の発売を止めるように言っても、聞かないと思うぞ」


サーシャ     「一つだけ、方法があるわ。こうなったら、毒を以て、毒を制す――」


エレオノール   「それって、もしかして……!?」


サーシャ     「お父様とお母様に相談するわ」


エレオノール   「あー……」


サーシャ     「二人も漫画版に出ているもの。

          なにか気に入らないことがあれば、アノスに抗議してくれるはず。

          お父様とお母様の言葉なら、アノスもなんだかよくわからないうちに

          押しきれるかもっ!」


エレオノール   「……サーシャちゃん、言っていいかな……?」


サーシャ     「なに?」


エレオノール   「ものすごく悪い予感しかしないぞ……」



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