魔の王族に名を連ねる者
ディルフレッドは黙したまま、深藍に染まった神眼を熾死王に向ける。
策を巡らし、敵の裏をかくことを得意とするエールドメードの深淵を暴き、丸裸にしようとでもいうように、ひたすら<深奥の神眼>にて凝視していた。
熾死王もまた動かず、地面に杖をついたまま、人を食ったような魔眼で、深化神をただ見返している。
「問おう、簒奪者」
生真面目な口調で、深化神が言う。
「魔王が貴君に課した契約の枷、私の神眼と杖をもってすれば、外すことが可能だ。ならば真の魔王の敵として、貴君はディルヘイドへの背信を望むか?」
「カカカ、代わりにエクエスに与しろとでも言うのかね?」
「然り。貴君はノウスガリアよりも、その天父神の権能を綾なすことが可能だ。エクエスにつくのならば、かつてないほど巨大な魔王の敵が誕生する。それは貴君の願望ではないか?」
コツコツ、と地面を杖で叩き、エールドメードは愉快そうに笑う。
「ここにきて、ヘッドハンディングとは! 世界の意思も肝がすわっているではないか。しかし、愛するディルヘイドと大切な生徒を引き換えにしてまで、魔王の敵となることが大事かと言うと、いやいや、そんな大胆不敵な真似が、小心者のオレにできるものかどうか? 考えただけでも、呼吸困難になってしまいそうではないか」
わざとらしく首元に手をやり、エールドメードは呼吸困難に陥ったフリをする。
「ならば、更なる問いを与えよう。適合者とは、どう定義する?」
エールドメードがピタリと動きを止めた。
手を下ろし、彼は答える。
「さてさて、情報があまりに少ない。秩序に背く暴虐の魔王が、不適合者というのならば、秩序に迎合するのが適合者のはずだが――」
熾死王は杖の先端をディルフレッドへ向けた。
「――それでは、オマエたち神族と代わりあるまい」
「魔王の敵となるならば、熾死王。貴君を適合者に昇華させよう」
その言葉を受け、エールドメードは口元を吊り上げる。
「天父神の力を簒奪した貴君は、その資格を有している」
「カカカカッ、それはエクエスの命か?」
「然り」
「面白いではないか!」
深化神は深化考杖を、エールドメードへ向ける。
その螺旋が、魔法陣を描いた。
「賛同という意味で、よろしいか?」
エールドメードがうなずけば、課せられた<契約>へ深淵草棘を打ち込み、魔法契約を瓦解させるということだろう。
明確な背信の意志を示せば、その時点で熾死王は滅ぶはずだが、深化神はそれを防ぐ手段を持っているということか。
「まあ、待て。一つ懸念がある」
指を一本立て、ニヤリ、と熾死王は笑った。
「拝聴しよう」
「このオレがエクエスに与するのはなかなか悪くない考えだ。悪くはない、そう悪くはないのだが、しかし、どうも一つ決め手にかけると思わないかね?」
「なにを所望か?」
なに食わぬ顔で、熾死王は言った。
「エクエスが、この熾死王の下僕になった方がいいのではないか?」
ディルフレッドの生真面目な顔が、一瞬固まった。
「決裂という意味で、よろしいか?」
「カカカ、そんな回りくどい断り方をすると思ったかね?」
当たり前のように言った熾死王に、ディルフレッドは怪訝そうに神眼を向けた。
「考えてもみたまえ。秩序という名の歯車、複数の神の集合体、確かにエクエスは強力だ。しかし、秩序に従う以上、自ずと限界が存在する。この熾死王ならば、その枠組みの外へ出し、更なる力を与えてやることができるぞ?」
「然り。そして否だ。貴君の考えを実行すれば、エクエスは世界の意思ではなく、秩序の枠から外れた存在となる」
「そう、そうそう、そうだ! なんの不都合もあるまい? 不適合者の敵には、より強力な不適合者が望ましいではないかっ!」
「不適合者を消すために、不適合者を生み出すのは、愚者の行為だ」
カッカッカ、とエールドメードは笑い飛ばした。
「賢しい者が、奴の敵になれるものかね? ん? 常識で立ち向かっては、あの常軌を逸した存在の歯牙にもかからんではないかっ! 異常と狂気と愚考こそ、彼に対抗すべき唯一の道。ならば、狂え。つまらん秩序など今すぐ捨ててしまえっ! 世界の意思が、その意思を捨ててようやく手が届く頂、いいか、それこそが――」
大きく跳躍して、ダンッと地面を踏みならし、エールドメードは両手を掲げる。
浮いたシルクハットからは、無駄な紙吹雪とリボンが舞い、無意味な光が溢れかえった。
「――暴虐の魔王、アノス・ヴォルディゴードだ!」
口を真一文字に閉じ、深藍に染まった神眼にて、ディルフレッドは熾死王を見据える。
ストン、とシルクハットが奴の頭に落ちた。
「是非とも、手を組もうではないか、エクエス。生ぬるいオマエを、真の化け物にしてやる」
「どうやら貴君に交渉を持ちかけた、私の神眼が誤っていたようだ。狂った心に、論理は通じない」
一転して、エールドメードは鋭い視線を放つ。
「オマエの神眼が誤っていた? カカカ、誤るものかね、深化神。どの神よりも、深く深淵を覗くその神眼は、しかし、心を見抜くには少々杓子定規がすぎる。いやいや、そんなことは元より、オマエの思考の内だ。つまり――」
エールドメードの側面に、いつの間にか、水溜まりができていた。
水飛沫が弾け飛ぶ。
そこから、勢いよく突き出されたのは水の槍。
矢の如く迫ったそれを、熾死王は身を捻ってかわす。
「問答しながらも、援軍を待っていたというわけだ」
ディルフレッドが、深化考杖を傾け、熾死王の根源を狙う。
それを警戒した途端、避けた水の槍が、かくんと曲がり、彼の背中を貫く。
「……カ、ハッ……!」
血を溢れさせながらも、胸から突き出たその穂先を、エールドメードはわしづかみにした。
「天に唾を吐く愚か者よ。秩序に背いた罰を受けろ。神の姿を仰ぎ見よ」
奇跡を起こす神の言葉が、エールドメードの口からこぼれる。
その体が光に包まれ、瞬く間に変化していく。
髪は黄金に煌めき、魔眼は燃えるように赤く、その背には魔力の粒子が集い、光の翼を象った。
「姿を見せたまえ、水葬神。オマエには、神剣ロードユイエの審判を下そうではないか」
熾死王の手から、黄金の炎が噴出し、神の剣へと変わった。
射出されたロードユイエは勢いよく、水溜まりに突き刺さる。
激しい噴水が立ち上り、中から姿を現したのは、水の体を持つ者。
性別不祥の武人のような神は、かつて冥王イージェスと盟約を交わしていた水葬神アフラシアータだ。
熾死王がつかんだ槍がどろりと液体に変化し、水葬神の手元に戻っていく。
再び水の槍と化したそれを、アフラシアータは整然と構える。
「どこにも隙がないではないか!」
愉快そうに言って、エールドメードはシルクハットを手にする。
「<不揃意分身>」
ボンッとエールドメードが煙に包まれたかと思えば、姿が消えた。
残ったのは宙に浮かぶシルクハット、それが回転しながら水平に移動していくと、手品のように二つ、三つと増えていく。
合計九つに分裂したシルクハットから、再びボンッと煙が放たれ、そこに九人の熾死王が現れた。
「「「種も仕掛けもありはしない」」」
九人の熾死王が同時に言った。
「八人が偽物で、一人が本物。オマエの神眼で、正解を当ててみろ、深化神」
全員が黄金の炎を出し、神剣ロードユイエを手にした。
「ちなみに、オレが一番強いぞ?」
そう口にしたエールドメードの深淵を、ディルフレッドが覗く。
確かに、天父神の魔力が感じられただろう。
エールドメードの根源も確かにそこにあった。
だが、それは半分だけだ。
ディルフレッドは隣にいたエールドメードへ素早く視線を移す。
そいつからも天父神の魔力は感じられた。
しかし、ひどく弱々しい。
エールドメードの根源もあったが、しかし、二〇分の一ほどだ。
深化神の視線が険しくなり、その表情が強張った。
まともに考えるならば、全員が本物で、単純に自らの根源を分割している。
それでは数が増えようとも弱くなるばかりで、なんの意味もない。
手数は増えるが、魔力が弱まれば深化神の守りを貫くことはできぬ。
むしろ、的が増え、倒されやすくなるだけだ。
だが、なんの意味もないと思わせ、虚を突くのが熾死王という男だ。
ゆえに、深化神の思考は深く沈む。
それさえ見越しているとしたら?
意味がないと思わせ、本当に意味のないことをしていることも考えられる。
深化神は深淵を覗けるがゆえに、その思考は螺旋の如く、同じところをぐるぐると回ったことだろう。
「明快、明快、明快だ。オマエの神眼は深く覗けるが、視野が狭い。ならば、浅く広く勝負といこうではないかっ!」
ディルフレッドが、九人全員の深淵を覗く前に、エールドメードたちが動き出す。
アフラシアータが水の槍で一人を串刺しにすると、ポンッと間抜けな音が響き、その神体が煙に包まれる。
<煙似巻苦鳥>によって、中から出てきたのはアヒルとハトだ。
ただのこけおどしの魔法。
攻撃を防いだわけではなく、食らっていないように見せかけただけ。
アヒルとハトに追撃をしかけながらも、もう一人のエールドメードを貫いた水葬神だったが、そいつも<煙似巻苦鳥>でアヒルとハトに変わった。
ダメージは受けている。
二対一で劣勢なのは熾死王の方だ。
だが、深化神はますます思考にのめり込み、その神眼を光らせた。
「カカカッ、どれだけ深淵を覗こうとも、底はないぞ? 浅く、薄っぺらく、空っぽの魔法だ。子供でさえも見抜ける<不揃意分身>と<煙似巻苦鳥>はお気に召したか? ん?」
アフラシアータが槍を突き出し、また二人のエールドメードがアヒルとハトに変わる。
ディルフレッドは、半分の根源を持っているエールドメードからその神眼を逸らさずにいた。
なにかを狙っているのなら、魔力を残しているそいつが動くはずだと判断したのだろう。
しかし、次の瞬間、その熾死王があろうことか、<不揃意分身>を使った。
ただでさえ半分の根源を更に割り、エールドメードは再び分身した。
「「「種も仕掛けもありはしない」」」
煙とハトとアヒルと、分身。
深淵の底を覗くまでもない薄っぺらい魔法が、深化神の前に突きつけられる。
「ちなみにオレが一番強いぞ?」
「貴君は道を惑わす、蜃気楼。すなわち、空虚だ」
突如現れた透明な布が、エールドメードに巻きついた。
それは蜘蛛の巣のように広がり、アヒルやハト、分身したエールドメードすべてを絡み取っていく。
光が輝き、その場に、小さな無数の歯車が出現する。
人型を象ったそれは、裸体に布を巻きつけた淑女に変わった。
結界神リーノローロスである。
「浅きを深きと誤解させ、この神眼を疲弊させるが目的なり。されど――」
再び光が瞬き、小さな無数の歯車がディルフレッドの後ろに現れる。
歯車は、巨大な目の形と化し、それが石像に変わった。
魔眼神ジャネルドフォックである。
「魔眼の神が広きを見つめる。貴君の魔法は、浅いと見せかけ、真に浅きかな」
一番大きな根源を持ったエールドメードへ深化神はその杖を向ける。
「カッカッカ、だが、真に浅いと見せかけ、思ったよりも深いといったことも考えられるぞ?」
「否。広きも浅きも、貴君のすべては見えている」
ボストゥムが魔法陣を描く。
「無数に分割しようと要は一点。そこを穿てば、すべては瓦解する」
神の杖から深淵草棘が放たれた。
「螺旋に迷え、簒奪者」
リーノローロスの結界布に包まれたどのエールドメードも、根源を多数に分割しているために、抜け出るだけの力はない。
まっすぐ深淵草棘はエールドメードに突き刺さった。
致命傷かと思えるほどの、大量の血が溢れ出す。
しかし、奴は笑っていた。
「紅血魔槍、秘奥が参――」
溢れ出した血は、真紅の槍に変わる。
熾死王の体内から突き出された十数本の紅血魔槍はぐんと伸び、ディルフレッドの肩と、リーノローロスの胸、そしてジャネルドフォックを貫く。
「<身中牙衝>」
暴れ狂うその槍は、周囲の結界をズタズタに斬り裂き、エールドメードを解放した。
「相も変わらずの、博打好きよ。ディルヘイドの危機に、一か八かとは呆れる他ない」
次元を斬り裂くようにして、そこに姿を現したのは、槍を手にした隻眼の男、冥王イージェスである。
熾死王の体内に深淵草棘が突き刺さり、根源の要に刺さる直前に、その紅血魔槍にて、棘を次元の彼方に消し去ったのだ。
「……仲間が来訪するのに賭けていたと?」
「カッカッカ、言ったではないか。種も仕掛けもありはしない、と。ただの時間稼ぎを、オマエはああだこうだと考えていたというわけだ」
ボンッ、ボンボンボンッと音を立てながら、分身したエールドメードが煙に変わっていく。
シルクハットが一つ、宙を舞い、そこから紙吹雪とリボンが舞った。
魔眼神がその魔眼を光らせ、リーノローロスが結界布を伸ばした。
それを冥王が槍で斬り裂いた瞬間、水葬神アフラシアータが水の槍を突き出す。
紅血魔槍がそれを弾くも、水葬神の追撃でイージェスの手が塞がる。
「螺旋穿つは、深淵の棘」
分離したエールドメードの神体と根源が再び一つに統合される隙を狙い、寸分の狂いなく、神の棘が放たれた。
しかし、立ち塞がるように、黒い靄がそこに漂っていた。
「……ぎ、ががが……ぎ…………!」
身代わりになったかのように、棘が貫いたのは、頭から六本の角を生やした男。
詛王カイヒラムである。
「……俺様に……身代わりをさせたな……熾死王。大戦のときから、これで何度目だと思っている? いい加減、呪うぞ……」
「カカカ、進んで食らっておいて、恨み言か。見ないうちに、マゾヒストに並ぶ新たな性癖が追加されたのでないか、詛王」
<不揃意分身>の解除が完了し、一人に戻った熾死王が、魔法陣から杖を抜く。
「来たまえ。犬ぅっ!!」
バシンッと杖で地面を叩くと、「わおおぉぉん」という遠吠えとともに、ジェル状の体を持った一匹の犬が走ってきた。
「カッカッカ、祖国の危機だ。今日ぐらいは元の姿に戻してやろうではないか」
熾死王が指を鳴らせば、そこに大きな布が現れた。
その犬をさっと布で覆い隠し、ばっと再び姿をあらわにすれば、犬は人型になっていた。
派手な法衣と大きな帽子を被ったのっぺらぼうの男。
緋碑王ギリシリスは、元の姿を取り戻すなり、目の前にいる深化神を睨む。
「深化神ディルフレッドねぇ。この吾輩をさしおいて、深淵を知ったような口を叩くとは、虫酸が走るものだねぇ」
深化神はそれには応じず、四邪王族にその神眼を向けた。
「エクエスは数多の神の集合体。空には<終滅の日蝕>が瞬き、刻限となれば、地上を一掃する。時は幾許もなく、魔王は不在」
ディルフレッドは、彼らに問いを突きつける。
「問おう、旅人たちよ。なにを縁に神々に立ち向かうか?」
カッカッカ、と熾死王エールドメードは笑った。
冥王イージェスは油断なく魔槍を構え、詛王カイヒラムは呪うように魔弓に矢を番える。
緋碑王ギリシリスは、その場に巨大な魔法陣を描いていく。
「フフフ、立ち向かうのはどっちなのかねぇ?」
「俺様になめた口を叩くな。呪うぞ」
「それは愚問というものよ」
「カカカ、いやいや、まあ、無理もないのではないか。なにせ、四邪王族は魔王に負けた。完膚無きまでの敗北だ。魔王と敵対している輩から見れば、格落ち、格下、雑兵同然。侮られたとしても、不思議はない」
エールドメードはついた杖に重心を預け、口元を歪ませた。
「とはいえだ。何分、記憶力に自信がないもので、万が一忘れていたら、教えて欲しいものだが――さて?」
挑発するように顔を突き出し、熾死王は眉を上げる。
冥王、詛王、緋碑王は魔眼を光らせ、その場にいる四体の神を睨んだ。
「オマエらに負けたことがあったか? ん? 秩序の下僕?」
四邪王族出陣――