強さと弱さ
ミッドヘイズ市街地に駐屯する魔族の兵は、侵入してきた神の軍勢の対処に奔走していた。
数はさほど多くないが、奴らは<幻影擬態>と<秘匿魔力>で姿を隠し、孤立している魔族を狙う。
殺された兵は終焉神アナヘムの権能により、骸傀儡へと変わる。
それを倒そうとする隙をつかれ、やはり姿が見えぬ神にやられてしまうのだ。
それに対抗するため、ガイラディーテから<聖刻十八星>で飛んできたアゼシオン兵は、大陸中から集う<聖域>を使い、民家一つ一つに結界を張っていく。
隠れている兵も、さすがにそこに触れれば判別がつく。
力を持たない民たちを優先して守りつつ、侵入した神の兵の対処に追われた。
アハルトヘルンからは、遊戯精霊ポポロンが応援に来た。
鬼ごっこや、じゃんけん、おままごとなどを一緒に遊んでくれる精霊である。
彼らと遊ぶとき、ズルはできないという噂がある。ポポロンとかくれんぼを始めれば、<幻影擬態>と<秘匿魔力>は無効化されるのだ。
アハルトヘルンとアゼシオン、そしてミッドヘイズの兵たちの力により、戦う術をもたない民たちの被害は、かろうじて押さえられている。
だが、ミッドヘイズに侵入した神のうち、彼らにはどうしても止められぬ者がいた。
「螺旋穿つは、深淵の棘」
深化神ディルフレッドである。
彼が一度、その極小の棘を放てば、魔族たちは為す術もなく崩れ落ちる。
根源深くに突き刺さった深淵草棘が、体への魔力の供給を断っているのだ。
三度刺されば、根源を瓦解させる神の棘。
されど一撃のみとて放っておけば傷が広がり、命を落とすだろう。
ディルフレッドはすでに魔王学院の結界を崩し、その門をくぐっていた。
周囲には彼と戦ったであろう教員や生徒ら、駆けつけた兵士たちが伏している。
深化神は敷地の隅々に神眼を向ける。
深淵深くを覗く彼ならば、城の下に、<四界牆壁>の魔法陣が刻まれているのがわかったことだろう。
術者以外がそれに手を出すには、まずは城を破壊せねばならぬ。
「止まりなさいっ!」
声が響き、ディルフレッドは足を止めた。
魔王学院の校舎部分、本棟の前に立ちはだかったのは耳の長い魔族の女。
三回生を受け持つ教員メノウだった。
「それ以上は行かせないわ」
「否。貴君に私を停止させることは不可能だ」
ディルフレッドは深化考杖を傾ける。
その先端は、メノウではなく、学院の校舎へ向けられた。
「三つの棘で、この校舎は崩壊する」
ボストゥムが魔法陣を描き、深淵草棘が放たれる。
その棘が、城を貫いたかと思えば、ガラガラとけたたましい音を立てて、その一部が崩れた。
「<魔雷>!」
メノウが素早く魔法陣を描き、そこに魔力を振り絞った。
雷鳴を轟かせながら魔なる雷がディルフレッドに直撃する。
しかし、彼はまるで意に介さない。
メノウの魔力では、ディルフレッドの反魔法すら、傷つけることができなかった。
「深淵を覗くのだ、旅人よ。貴君に叶うのは逃走のみ」
再び、深化考杖から棘が放たれる。
メノウが反魔法を展開するも、それを難なく貫き、やはり校舎の一部が崩れ落ちた。
「その小さな手は、深淵にいる私には到達できない」
再びボストゥムから、矮小な棘が放たれた。
三つ目の棘は、校舎を崩壊させる。
止める術のないその深淵草棘に対して、メノウが取った手段は一つ。
己の身を、いや、己の根源を盾にして、その棘を受け止めた。
「……ぁっ……ぅ……!」
狙いが校舎であったとはいえ、深淵草棘が根源に突き刺されば無事ではすまない。
メノウはがっくりとその場に膝をついた。
「問おう、螺旋の旅人よ」
ディルフレッドはすぐに深淵草棘を放つことなく、メノウに話しかけた。
「戦闘すれば死滅する。逃走すれば、救済される。それが唯一深化への道。なにゆえ立ち向かう?」
「あなたはまっすぐここへ向かってきたわ」
「然り」
問答に応じるように、ディルフレッドは答えた。
「あの歯車の化け物の狙いは、ここにあるんでしょ。ここは暴虐の魔王の城だもの。アノス君が残したなにかを、あなたは狙っているはずだわ」
「然り。魔眼は粗悪なれど、賢しい旅人よ。この城の下には、不適合者が世界を四つに隔てた壁、<四界牆壁>の魔法術式が刻まれている」
険しい視線で、メノウはディルフレッドを見た。
彼が手の内を曝したことを訝しんでいるのだろう。
「その魔法陣の深淵を覗き、一部を書き換える。そこへ私の権能を追加するのだ。かつて平和をもたらした<四界牆壁>は、此度、貴君らを襲う絶望の壁へと深化する」
世界を四つに分けた壁、その全世界規模の<四界牆壁>を利用する、か。
それらすべてが人々に牙を剥くのならば、世界のどこにも逃げ場はなくなる。
「……あなたたちの目的はなに?」
少しでも時間を稼ぐようにメノウは問う。
「世界の意思に背く存在、世界の歯車を止める異物、不適合者の排除だ。滅ばぬ根源を持つあの男には、ただ一つの弱点が存在する」
一瞬、メノウは思考するように黙り、そして言った。
「……そうは思えないわ」
「否。不適合者は心が弱い。たとえ根源が滅ばずとも、心に傷はつく。世界の人々が自らの術式で滅びゆく様を目の当たりにすれば、無傷にもかかわらず、彼は傷を負う」
ディルフレッドは、その螺旋の杖で魔法陣を描く。
「それが不適合者の弱点だ」
強い視線を発し、メノウは言った。
「違うわ。それは彼の強さよ。他人の傷を自分のことのように受け止められるなんて、弱者にできることじゃない」
「深化は複雑怪奇なる螺旋。ならば、強いがゆえに、彼は弱い」
ディルフレッドの言葉と同時、深淵草棘が放たれた。
メノウがそれを止めようとするが、しかし、根源に刺さった棘がそれを許さない。
もはや体が思うように動かせぬ彼女の脇をすり抜け、深淵草棘は直進した。
「――さっせるかよぉぉっ……がっ……!」
その場に飛び降りてきた黒服の生徒は、自らの根源を盾にして、深淵草棘を受け止める。
あっという間に魔力と意識を失い、男子生徒はその場に倒れた。
ディルフレッドが再度、螺旋の杖で魔法陣を描く。
「残念だがよ」
次々と人影が校舎の窓から飛び降りてくる。
白服と黒服の生徒たちが、その場に立ちはだかった。
「俺たちを全員倒さないと、この校舎は壊せないぜ」
「その棘が狙ってるのは、ここだろ?」
「いくら俺らが雑魚でも、まっすぐ飛んでくる棘を根源で受け止めるぐらいはわけねえ」
圧倒的なディルフレッドの力を目の当たりにし、校舎の中にいた者は殆どが退避した。
そこに残っているのは、魔王学院一回生二組の生徒たちである。
ディルフレッドの深淵草棘が狙う箇所を判明した今、彼らは、校舎の盾になるように布陣した。
「問おう、旅人よ」
ディルフレッドは螺旋の杖から、深淵草棘を放つ。
力の差は、絶大であった。
一人ずつ順番とばかりに、生徒たちはその棘を根源で受け、次々と倒れていく。
「滅びは恐怖か否か?」
「バッキャロオォォッ、魔王の方が一億万倍恐ええんだよぉぉっ……!!」
棘に撃たれ、叫んだラモンが地面に伏す。
一秒毎に、一人が倒れた。
全員がその場に屈するのは時間の問題にすぎない。
絶望的な状況にもかかわらず、しかし彼らは皆、その魔眼の光を失っていない。
なにかを狙っている。
それに、ディルフレッドも気がついた様子だ。
「盾になる気のない者が存在する」
これまで建物に向けていたボストゥムを、ディルフレッドは一人の女性徒へ向けた。
盟珠の指輪をつけた、ナーヤだった。
「貴君だ、召喚師の女。なにを召喚するつもりか?」
その問いとともに、深淵草棘がナーヤの根源に放たれた。
ナーヤが切り札であることを悟られないよう、彼女のそばから離れていた生徒たちは、反応することさえできない。
容赦なく神の棘は彼女へと迫る。
そのとき、クゥルルーと鳴き声が聞こえた。
音の竜から実体へと変化したトモグイが、ナーヤの目の前に現れる。
小さな竜は、深淵草棘に突っ込むと、その身を今度は燃え盛る炎体と化した。
魔導王ボミラスを食らったトモグイは、その根源が有する力を自らに取り込んでいたのだ。
「クゥル――」
ギャッ、と鳴き声が響く。
深淵草棘は、炎体すらも容易く貫き、トモグイの根源に突き刺さった。
小さな竜が、地面に落ちる。
ナーヤは言った。
「<憑依召喚>――」
ナーヤが盟珠の指輪に描いた魔法陣は四つ。
同時に四体の神を召喚し、憑依させるつもりだろう。
一体ずつ喚べば、ディルフレッドに術式を破られる恐れがある。
その隙を作らぬよう、魔力を練っていたのだ。
「――<融合神>!」
再生の番神ヌテラ・ド・ヒアナ。
空の番神レーズ・ナ・イール。
守護の番神ゼオ・ラ・オプト
死の番神アトロ・ゼ・シスターヴァ。
自らの体を器として、その四神を注ぎ込み、水のように混ぜ合わせる。
顕現し、憑依するのは、熾死王が名づけた融合神ガラギナ。
「螺旋穿つは、深淵の棘」
放たれた深化神の深淵草棘に対し、ナーヤは<知識の杖>を向け、言った。
「<重渦>」
空間が捻れ、渦を巻く。
深淵草棘はその中に飲まれ、圧し潰された。
「重力の渦……重神ガロムの権能に類似しているが、ガロムの重さに渦は発生しない」
<深奥の神眼>にて、ディルフレッドはナーヤの深淵を覗く。
「<融合神>。貴君の力は、どちらかと言えばエクエスに近い」
ディルフレッドが校舎めがけ、棘を放つ。
すぐさま、ナーヤは<重渦>でそれを圧し潰した。
「よって、ここで抹消される」
「……させませんっ!」
ナーヤが大きな<重渦>を、ディルフレッドの体に出現させた。
空間が捻れていき、重さを伴う渦がその神体を圧し潰していく。
だが、奴は動じず、螺旋の杖を前へ突き出した。
その先端が<重渦>の急所を穿ち、重力の渦は霧散する。
「要を穿孔すらば、いかなる魔法も瓦解する」
深化考杖ボストゥムが、長い針のように変化する。
それをまっすぐナーヤへ向けながら、ディルフレッドは前進していく。
彼女は<知識の杖>を手に、ぐっと身構える。
カタカタ、と意匠のドクロが顎を揺らし、言葉を発す。
『来るぞ、来るぞ。全身全霊で、食らいつきたまえ』
「貴君の<憑依召喚>も、また魔法だ。それにはやはり、要が存在する」
まっすぐ向かってくるディルフレッドに対して、魔王学院の生徒たちは一歩も動くことができなかった。
彼らはいつ校舎に放たれるかわからない深淵草棘を警戒するだけで精一杯。
深化神を相手に、ぎりぎり食い下がれるのは融合神を憑依させたナーヤのみである。
迎え撃つように大きく一歩を刻み、彼女は<重渦>を纏わせた杖を思いきり振り下ろす。
「――えいっ!!」
それはいとも容易く打ち払われる。
構わず二撃、三撃と杖を振るう毎に、なぜかナーヤの体勢が不利になっていく。
まるで杖術で行うチェスのように、必然性を持ってナーヤは追い詰められる。
その手から<知識の杖>がこぼれ落ち、深化考杖ボストゥムがナーヤの体に突き刺さっていた。
「その魔眼では、勝利は皆無だ」
カタカタと音が響いた。
まるで笑うかのように、<知識の杖>のドクロが揺れていた。
杖に貫かれ、<憑依召喚>が瓦解しようとする中、ナーヤは声を上げた。
「<憑依召喚>・<飽食竜>!」
地面に倒れていた小さな竜が光に包まれ、すうっとナーヤに憑依する。
貫かれた体に更に杖を押し込むように一歩を踏み込み、彼女は深化神の肩をつかむ。
開けた口からは竜の牙が覗いた。
『<融合神>を憑依させた術者は神も同然。すなわち――』
<知識の杖>が言う。
『カーカッカッカッカッ! トモグイ、トモグイ、トモグイだぁっ!!』
「はいっ、杖先生っ!」
ナーヤが、深化神の首筋に牙を突き立てた――
神に食らいつけ――