覚悟
ミッドヘイズ市街地。
喧騒が響いていた。
商店街で起きた最初の爆発を皮切りに、悲鳴と怒号、剣戟と爆音に包まれ、まるで街中がパニックを起こしたかのようだった。
ミッドヘイズを飛び回る使い魔のフクロウたちが、その被害の有様を一望していた。
エールドメードが<魔王軍>の魔法線を、街のフクロウたちとアゼシオンにいるエンネスオーネにつなげておいたのだ。それゆえ、ミッドヘイズとその周辺の視界はこの魔眼に共有できている。
鍛冶鑑定屋『太陽の風』にも、フクロウがとまっていた。
窓から中を覗けば、父さんと母さんは、一階の店舗部分で身を寄せ合い、じっと息を潜めている。
いつまで経っても騒ぎが収まる気配はなく、それどころかますます激化しているように思えた。
二人を守るように冥王イージェスが、店の入り口前に直立している。
厳しい表情を崩さぬまま、その隻眼をドアの向こうへ向けていた。
次元を貫く魔槍を操る彼ならば、ミッドヘイズの状況も大凡把握できたことだろう。
「――やはり、神族どもが、街へ入ってきた様子……」
イージェスが呟く。
すると、後ろにいた父さんが言った。
「な、なあに、心配はいらねえよ。ミッドヘイズには、アノスの魔王軍がいるんだし、この家だって、あいつの結界があるからな」
「そ、そうよね……すぐに落ちつくわよね……」
母さんが言う。
「それより、アノスちゃんは大丈夫かしら?」
イージェスが僅かにその隻眼を丸くする。
ミッドヘイズに敵兵が侵入してきたこの状況で、暴虐の魔王の身を案じているのだから、無理もないだろう。
「奥方様。ご安心を。たとえ、世界が滅びたとしても、あなたのご子息は生存するというものよ」
「……でも……」
「なにかご不安が?」
重たい表情で、母さんはうなずく。
「アノスちゃんはね、世界より後に、滅びるような子じゃないわ……きっと、世界が滅びるぐらいなら、自分の身を盾にすると思うの。優しい子だから……」
その言葉に、イージェスは一瞬押し黙る。
「……撤回しよう」
表情を和らげ、冥王は言い直した。
「魔王はあなたを悲しませるようなことはしないかと。あの男ならば、世界を守り、己の身を守り、なに食わぬ顔でこの街へ戻って来るというもの」
母さんを安心させるように冥王は言う。
「ゆえに、あなたは生き延びることだけを案じるように」
「……そう、よね。アノスちゃんが必死に頑張ってるんだから、笑顔でお迎えしてあげなきゃいけないもんね」
首肯して、再び冥王はドアの向こうへ魔眼を向けた。
「……しかし、雑兵ばかりが派手に騒ぎ立てるとは妙なことよ。神族どものこの動き……狙いはミッドヘイズ城? いや、魔王学院か……?」
冥王は呟く。
魔王学院の敷地には現在、奪われたデルゾゲードの代わりに、レプリカの城が置いてある。
城の真下、その大地にはかつて地上を四つに分けた<四界牆壁>を発動する術式が刻まれているのだ。
「それは、アノスの学友が狙いってことか?」
「いえ……それは定かでは……ただ少なくとも、戦いに巻き込まれることは必至……」
厳しい面持ちで冥王は言う。
向かっているのが深化神ディルフレッドだとすれば、生徒や教員たちに勝ち目はない。
次いで、イージェスは窓から、空へ視線を向ける。
<終滅の日蝕>は、七割ほどまで進んでいた。
再び皆既日蝕が起こるとき、エクエスはなにを仕掛けてくるのか。
想像に難くはないだろう。
「師よ。提案が」
父さんが振り向く。
「魔王が作った地下街がある。そこへ避難するのがよろしいかと」
イージェスは、足元に魔法陣を描く。
床が透けて、地下街への階段が見えた。
「お、おう。それなら、街の人たちも一緒につれていこう。俺がひとっ走り、呼んでくる」
父さんの言葉に、しかし冥王は首を左右に振った。
「恐らく、あなた方も狙われている。目立たぬ方が懸命かと」
母さんがきょとんとした表情を浮かべた。
「どうして、わたしたちを?」
「魔王は今、神界で奴らの親玉と戦っている最中と思われる。あなた方を人質に取られれば、いかに魔王が優勢とて、敵の要求を飲まざるを得ないというもの」
二人は真剣な表情でイージェスの話に耳を傾ける。
「俺たちが捕まったら、あいつの足手まといになるってことか」
冥王は首肯した。
「ゆえに、先に避難を」
「わかった」
父さんが振り向けば、母さんも力強くうなずいた。
深層森羅の影響で、未だ<転移>は使えない。
イージェスの槍で次元を超えさせることはできるだろうが、本来、移動魔法ではない。
父さんと母さんの体では耐えきれぬだろう。
地下街の階段へ、母さんが足を踏み出す。
瞬間、イージェスが隻眼を険しくした。
「奥方様っ!!」
きらりと輝いたのは、神の矢だった。
弓兵神アミシュウスの神弓から放たれたそれは、まっすぐ母さんの心臓を狙う。
イージェスは咄嗟に母さんの前へ出て、その身を盾にした。
神の矢がイージェスの右胸を貫く。
追撃とばかりに、階段から飛んできた無数の矢が冥王に襲いかかった。
「……笑止……!」
右胸に刺さった矢をつかみ、イージェスは思いきり引き抜く。
溢れ出した血が、真紅の槍に変わった。
紅血魔槍ディヒッドアテム。それを回転させては、放たれた無数の矢をイージェスはすべて弾き返した。
「紅血魔槍、秘奥が壱――」
イージェスが、静かに呟き、槍を突き出す。
地下街にいるであろう神々は、その神体に穴を穿たれただろう。
「<次元衝>」
ディヒッドアテムが、魔力を放つ。
イージェスの視線の先、遙か彼方にいた弓兵神アミシュウス、そして術兵神ドルゾォークは自らの神体に空いた穴に吸い込まれ、消滅した。
「音を立てては、せっかくの隠蔽魔法も台無しよ」
<幻影擬態>と<秘匿魔力>、それにより魔力と姿を隠蔽して、ここまで接近したのだろうが、幻名騎士団であったイージェスに見抜けぬはずもなかった。
「お怪我は?」
「……だ、大丈夫。イージェス君こそ、矢が刺さって……」
「なんの、これしきは傷の内に入らぬというものよ。多少血を流しているぐらいが調子がいい」
ディヒッドアテムを使うため、イージェスはあえてその身で矢を受けたにすぎぬ。
支障はないだろう。問題は地下街だ。
「あいにく、地下にも奴らの手が及んでいる様子。ここで籠城するのが一番安全かと」
「……お、おう。そうか……」
戦う術をもたない父さんは、うなずくしかない。
「師よ。ご安心を。機会がなく、お伝え損ねていたが、余は二千年前、暴虐の魔王とともに戦った四邪王族が一人、冥王。鍛冶の腕はあなたに及ばぬが、槍の腕には自信がある」
すると、母さんが気がついたように言う。
「そういえば、アノスちゃんと昔話をしてたよね? 二千年前のキノコがどうのって……?」
イージェスはうなずく。
「奴が帰ってくるまで、代わりにお二方の警護を」
そのとき、家の外から、けたたましい音が鳴り響いた。
結界が破れ、建物が崩れ落ちるような、そんな音である。
イージェスは、険しい視線を魔王学院の方角へ向けた。
僅かにその瞳に、葛藤があった。
父さんと母さんを、彼は守らなければならない。
だが、それで果たして、ミッドヘイズはもつのか?
あるいはそんな疑念に駆られたのやもしれぬ。
敵軍の撃退に勢力を傾けているため、ミッドヘイズ内の戦力は乏しい。
エクエスは、二人を守らせることで、冥王をここに釘付けにしているとも言える。
魔王の両親を人質に取ったとして、無意味である可能性も考慮しているだろう。
狙う素振りを見せ、冥王という戦力を削ぐことができるならば、街を制圧しやすくなる。
「イージェス」
冥王が振り向けば、父さんがいつになく真剣な表情を浮かべていた。
「行ってこい」
「……は?」
突拍子もない発言に、冥王は怪訝な顔をした。
「まだ日は浅いが、俺はお前の師匠だ。わかってるぞ。四邪王族っていうことは、お前には後三人仲間がいる。助けに行きたいんだろ?」
イージェスは無言だった。
父さんがあまりに自信満々だったので、なんとも答えづらかったのだろう。
「……死んでも死なぬような奴ばかりよ……。今、この街にいるとも……」
「それでもお前は、この街のために戦いたいんだろ?」
イージェスは真顔で、父さんを見た。
「……なぜ……?」
「顔を見りゃわかる。お前はさっきから、ずっと外を気にかけてる。いてもたってもいられないってな」
核心をつかれたか、イージェスが沈黙する。
「二千年前は、戦争ばっかりだったってな。お前はアノスと一緒に戦って、やっと平和な世の中を勝ち取ったんだろ。それを荒らすような奴らを、許せないわな」
イージェスは幻名騎士団、最後の生き残りだ。
彼らは戦乱の世にあってなお、人知れず、平和を願い、戦い続けてきた。
ミッドヘイズの街中にまで侵攻されるこの事態を、黙って見過ごせるはずもない。
「俺たちは大丈夫だ。アノスからもらったこの剣もあるしな」
父さんは万雷剣を取り出し、イージェスに見せる。
母さんが隣に来て、優しく言った。
「それに、アノスちゃんのミッドヘイズがこんな状況だもの。イージェス君なら、きっと沢山の人を助けられるはずでしょ?」
「しかし、もしも、お二人が人質になれば……」
「イージェス。俺ぁな。戦う力はない」
朗らかに父さんは言う。
「でもな、こんなんでもあいつの父親だからよ。あいつが魔王になったときから、魔王だってわかったときから、覚悟はできてんだ」
ぐっと万雷剣の柄を握り締め、父さんは言った。
「子供の足は引っぱらねえ! アノスの街を守ってやってくれ。いざとなったら、華々しい男の散り様って奴を、見せてやるからさ。ははっ」
いつものように、父さんは冗談っぽく笑った。
いつものように笑って、父さんは覚悟したのだ。
人質になる前に、自ら命を断つという覚悟を。
母さんはそれに従うといったように、真剣な表情でうなずいた。
「行ってあげて。力はないけど、わたしたちも戦うわ。一緒に、この街を守って、みんなで笑ってアノスちゃんをお迎えしてあげよう!」
胸にこみ上げるものがあったと言わんばかりに、イージェスはぐっと息を飲む。
「なあに、大丈夫だって。こう見えても、俺はかつて幻名騎士団の団長、滅殺剣王ガーデラヒプトと呼ばれた男なんだぜ?」
冥王の背中を後押しするように、父さんはおどけて言った。
「……ええ、そうですね……」
イージェスはまっすぐ、ドアの方へ向かう。
ディヒッドアテムの穂先が消え、一閃される。
紅血魔槍、秘奥が肆、<血界門>。
流れ落ちるイージェスの血が、家を囲うように四つの血の門を作り出した。
その扉がゆっくりと開く。
鍛冶鑑定屋に足を踏み入れれば、彼方へと飛ばされる次元結界だ。
「あなたこそは、幻名騎士団の団長。力なくとも、その誇りはなによりも気高く」
イージェスはドアを開け、外へ出た。
見送る父さんと母さんへ、冥王は振り向く。
「<血界門>の内側には、並の神族とて入れません。矢も魔法も防ぎます。どうか、ここから出ませんように」
父さんと母さんはうなずく。
「帰ってきたら、秘伝を伝授してやるぞ」
「……よろしいのでしょうか、もう秘伝など……」
ちっちっちと父さんは指を横に振った。
「俺の秘伝はいくらでも増える」
「イージェス君の大好物のトマトジュースを沢山作って待ってるからね」
僅かに破顔し、イージェスはうなずいた。
そうして、彼はその場に跪く。
「団長、奥方様。この街を、守って参ります」
颯爽と身を翻し、イージェスは槍を手に駈け出した。
背中から、「おうっ、行ってこいっ!」、「気をつけてねっ!」という声が響く。
自信に満ちた表情で、彼は走っていった。
団長の命を受け、一番は駈ける――