あの日の予言は過ぎ去りて
ミッドヘイズ上空、樹冠天球――
稲妻の如く走った雷人形が、カンダクイゾルテの剣にて斬り裂かれた。
神の軍勢にギェテナロスの権能を加え、転変させた雷人形の個の力は、元々の剣兵神や術兵神を遙かに上回る。
数は竜騎士団の二〇倍以上、その上、樹冠天球を自由自在に飛び回る。
だが、シルヴィア、ネイトは竜技をもって、難なく神を圧倒する。
彼女たちは、普通の竜人よりも遙かに強力な子竜。
アガハを訪れた際の余興では、レイやミサと互角の勝負を演じたほどだ。
竜騎士団を襲うように、空模様は次々と変わった。
転変の空では、ギェテナロスの気まぐれで変わる不安定な環境に対応し続けなけばならないが、彼らには確かな足場があった。
雲を破るほど高く建てられた一二の時計台。
そこから水晶の橋が無数にかけられている。
未来神ナフタの理想世界。
カンダクイゾルテの剣を手にしたアガハの騎士たちは、理想を実現させる神域の恩恵を受け、次々と雷人形を屠っていく。
「――それはときに、烈火の如く。転変神笛イディードロエンド」
神の笛が奏でる曲が、燃えるような曲調に変化すれば、ギェテナロスの周囲に炎が集う。
「ほらー、炎熱神ヴォルドヴァイゼンの権能だよ。炎熱神砲バルドゲッツェ」
炎に神々しい光が集い、それが大砲のような形状に変わる。
大量の猛火がディードリッヒめがけ、放出された。
「ナフタは限局します」
彼女がそう口にした途端、ディードリッヒの拳に集う鈍色の燐光が輝きを増した。
「ぬあぁっ!!」
真正面から襲いくる神の炎砲に、剣帝は拳を突き出した。
炎が真っ二つに割かれ、その風圧でギェテナロスの頬が裂ける。
水晶の橋から跳躍し、ディードリッヒは転変神に殴りかかった。
だが、さすがに空中戦ではギェテナロスに分があるか、奴は風に導かれるように、その攻撃をひらりとかわす。
理想世界が重なっているとはいえ、<飛行>を使えるのは短時間。それも、大した速度は出せぬ。
自らの足で跳躍した方が速いが、自由に空を飛べるギェテナロスを捉えるのは至難の業だろう。
「炎は得意だったかな? それなら、これでどうだいー? 氷雪神フロイズアテネの権能。凍てつく雪雲アネアトアトネ」
歌うようにギェテナロスが言った。
空が変わり、氷の雲が辺り一帯を覆う。
勢いよく降り注ぐ無数の雹が、ディードリッヒの体を打つ。
それらは一六個で一つの魔法陣を描き、みるみるディードリッヒとナフタの体を凍てつかせていく。
拳で粉砕するには、雹の数はあまりに多い。
「こいつは、たまらんぜっ……!!」
ディードリッヒの全身の筋肉が躍動すれば、体を覆った氷にヒビが入る。
その背後に、魔力の粒子が激しく立ち上った。
彼の<竜闘纏鱗>が、剣を彷彿させる鋭い両翼を持った竜を象り、氷を吹き飛ばした。
ディードリッヒは、上空の雪雲を見据え、水晶の橋をドゴォンッと蹴った。
矢の如く跳躍した彼の体は、みるみる雪雲に迫っていく。
「アハハッ。雲は漂い、移ろうものさ」
笛の音が響くと、凍てつく雪雲アネアトアトネは、ディードリッヒと同じ速度で、上昇していく。
<飛行>では追いつきようがなく、足場のない空中では、これ以上加速することができない。
「ナフタは限局します」
未来へ先回りしたかのように、跳躍したディードリッヒのすぐ横に、ナフタが現れた。
「どうぞ」
「そいつは重畳」
ナフタが差し出した両手に、ディードリッヒは足を置く。
彼がそれを蹴ると同時に、跳躍力を最大に引き出すよう、ナフタはディードリッヒを空へ投げた。
光の砲弾の如く加速したディードリッヒは、凍てつく雪雲に到達して、<竜ノ逆燐>の正拳を繰り出す。
鼻歌交じりに、剣帝は言った。
「せっ!!」
氷の雪雲は粉砕され、その魔力が剣帝の拳に吸収されていく。
身を翻し、雪雲を蹴り壊すとともに、ディードリッヒはその反動でギェテナロスに襲いかかった。
「アハハッ、来てみなよ」
神の笛が再び転調し、終焉を思わせるもの悲しい曲を奏でる。
ギェテナロスの前に、出現したのは一〇〇本の枯焉刀グゼラミだ。
「空中じゃ避けようがないのさ」
グゼラミがまっすぐ撃ち出される。
万物を透過し、根源のみを斬り裂く必殺の刃に対して、ディードリッヒは真っ向から両拳を握った。
「あがけどもあがけども、砂の一粒さ」
「ナフタは限局します」
鈍色の燐光が、剣翼を持つ竜に集う。
<竜闘纏鱗>と<竜ノ逆燐>を併用して、ディードリッヒは合わせた両拳を突き出した。
「ぬうぅぅあぁぁっ、だっしゃあぁぁっ……!!」
根源以外を透過するグゼラミが、ディードリッヒに触れた途端に吸収されていき、悉く消え去った。
「なんだってっ……!?」
一〇〇本のグゼラミを真正面から抜けてくるとは夢にも思わなかったか、ギェテナロスは目を見開く。
直後、その顔面に、剣帝の拳が突き刺さり、思いきり殴り飛ばされた。
「がはぁぁぁっ……!!
流星の如く落ちていった転変神は、ドゴゴォォッと水晶の時計台にめり込む。
「炎だろうと、氷だろうと、剣だろうと変わるまいて、転変神。俺はなんでも食らうものでな」
ナフタの神域によって、ディードリッヒの<竜ノ逆燐>は限りなく彼の理想に近づいている。
本物のグゼラミならばいざ知らず、ディードリッヒに投擲されたのは、ギェテナロスの魔力から作られたものだ。
その秩序と威力は本物に劣らぬとしても、所詮は偽物。
より深淵を覗けば、本質は転変神の魔力だ。
それを直接食らうことのできるディードリッヒには、なにを放ったところで弱点とはなるまい。
むしろ、ディードリッヒの魔力を高めるのみだ。
「さあて、そろそろ、仕舞いにしようや。お前さんばかりにかまけている余裕もない。世界の崩壊を止め、あの日蝕を止めねばならんものでな」
ディードリッヒは拳を握る。
橋を蹴り、ひとっ飛びで転変神を間合いに捉え、<竜ノ逆燐>の拳を突き出す。
ギェテナロスは、イディードロエンドを口に当て、新たな曲を演奏し始めた。
「そいつは効かんぜ」
火でも水でも雷でも、なにが来ようと粉砕し食らうとばかりに、剣帝は躊躇わず、ギェテナロスの土手っ腹に正拳をぶち込んだ。
けたたましい音が鳴り響き、ギェテナロスの背後にあった時計台が吹き飛んだ。
直撃ならば、ただでは済むまい。
だが、ディードリッヒは視線を険しくした。
「なんでも食らう拳でも、食らわなきゃいいんじゃなーい?」
ひらりと舞い上がり、ギェテナロスは、いとも容易くディードリッヒから離れた。
チクタク、チクタク、と時計の針を連想させるような曲が響く。
ギェテナロスの目の前に現れたのは、四六個の未来世水晶カンダクイゾルテだ。
「キミの弱点見つけたよー。未来神ナフタの権能。勿論、彼女がその神眼を失う前の、完全な未来が見えるカンダクイゾルテさ」
カンダクイゾルテが二つ、ギェテナロスの両眼に吸い込まれていく。
その未来神の神眼にて、奴はディードリッヒを見下ろした。
「ざーんねん。この神眼には、キミの敗北が映っているよ」
「……そいつは、お前さんには過ぎた秩序だろうよ……」
浮かんだ未来世水晶が一つ、槍に変化し、ディードリッヒに降り注ぐ。
<竜ノ逆燐>の拳を突き出すも、未来は限局され、槍を食らえなかった未来に辿り着く。
その体が、カンダクイゾルテの槍に貫かれた。
「……ぐぅっ……!」
「串刺しの刑に処す。なーんて、ほら、未来通りだよー。なにが過ぎた秩序なのさ?」
未来を限局され、根源を激しく傷つけられながらも、ディードリッヒは豪胆な笑みを覗かせる。
「見えた未来が当たって喜んでいるようでは、まだまだわかるまいて」
「へえー。ちっぽけな竜人が、なに上から見てるのさ? ほらー」
転変神の目の前に浮かぶ未来世水晶四四個が、すべて槍に変わった。
その先端が向けられた瞬間、ディードリッヒは言う。
「<憑依召喚>・<選定神>」
ナフタがカンダクイゾルテの剣を立て、胸の辺りに持ってきて敬礼する。
剣を残し、彼女は水晶のように砕け散った。
「アハハッ。その未来もお見通しさ」
砕け散ったナフタの破片を閉じ込めるように、いつのまにか、大きな水晶玉がそれを覆っていた。
ギェテナロスの未来世水晶カンダクイゾルテが、未来へ先回りしたのだ。
未来が限局され、ナフタは元の神体に戻った。
<憑依召喚>は完了せず、彼女は水晶玉の中に閉じ込められる。
「無駄なことはキミが一番よくわかっているはずさ、ナフタ? 理想だのなんだの口にしたところで、結局はただ未来が見えなくなっただけ。不確かさを希望だなんて、そんな愚かな話はないさ」
ディードリッヒが橋を蹴り、転変神へ向かって飛び上がる。
<憑依召喚>を封じる隙をついたその策は、しかし、ギェテナロスの神眼がすでに見通していた。
迎え撃つが如く、四四本のカンダクイゾルテの槍がディードリッヒに降り注ぐ。
「ぬああああああああぁぁぁっ……!!!」
<竜闘纏鱗>がこれまでで一番濃く浮かび上がり、背後に浮かんだ剣翼の竜は、二つの翼を合わせ、一本の大剣とした。
そこに<竜ノ逆燐>が集い、鈍色に輝く。
「預言者じゃなくなったキミにはわからないだろうから、予言してあげるよー。キミたちはここで滅び、そして世界は終滅の光に灼かれる。未来はもう決まっているのさ」
カンダクイゾルテの槍が、やはりディードリッヒの拳をすり抜け、次々と彼の体を抉っていく。
血が溢れ出し、剣帝の魔力が空に散った。
「いいえ、転変神」
そのカンダクイゾルテの剣を、ナフタは内側から水晶玉に突き刺していた。
「ディードリッヒとナフタ、この両眼が希望を見つめている限り、未来は決して決まっていない」
限局されたはずのナフタの剣が、しかし、未来世水晶を粉々に砕いた。
「それが魔王が教えてくれた、アガハの未来――そして、この世界の未来です」
ギェテナロスが、驚愕したようにその神眼を丸くする。
すべての未来を見るはずの神眼が、見逃した未来。
かつての未来神ナフタが辿り着けなかった光景が、そこにあった。
水晶の如く砕け散ったナフタ。
未来神はディードリッヒの周囲でキラキラと輝き、彼に憑依していく。
背後に浮かぶ<竜闘纏鱗>の竜が黄金に染められ、竜を彷彿させる大剣が剣帝の手元に収まった。
全身をカンダクイゾルテの槍に貫かれながらも、ディードリッヒはぐんと加速し、ギェテナロスへ押し迫る。
「変えられぬ未来になんの意味があろうか、転変神っ!!」
未来世大剣カンダクイゾルテが、ギェテナロスの神眼を斬り裂く。
「ぁっ……! この……たった二つ砕いたぐらいで、代わりはいくらでも……!」
砕け散った神眼を押さえながら、転変神は風を纏い空へ逃げる。
刹那、その脳天には大剣の刃が振り下ろされていた。
「…………か………………は…………」
「当たれば当たるだけ、空しさが募るばかりよ。予言というものはな――」
真っ二つに斬り裂かれた転変神は、歯車に戻り、バラバラに壊れていく。
ディードリッヒは豪放に笑った。
「――外れたときこそ、たまらんもんだぜ」
歯車は滅び去り、空に散った。
ディードリッヒはその神眼にて周囲を見つめる。
樹冠天球が消え去る気配がなかった。
「三角錐の門の影響だろうよ……あれをどうにか塞がねばなるまいて」
『大樹母海も決着がついたようです。背理神は魔力が尽き、根源が傷ついています。しばらくは動けないでしょう。そちらはナフタが』
ディードリッヒの体から水晶の破片が溢れ出し、それが再びナフタの姿に変わった。
「これで終わる相手ならば、魔王が手を必要とはしまいて。油断するな」
それを聞き、僅かにナフタは微笑した。
「なにを笑っておるのだ、ナフタ?」
「あなたの言葉が」
ナフタは飛び上がり、緩やかに大樹母海へ向かいながら、ディードリッヒを振り返る。
彼女は、愛のある笑みをたたえていた。
「すべての未来が見えていたあのときよりもずっと、ナフタには心強いのです」
その眼は、愛と希望を見つめ――
いつも『魔王学院の不適合者』をお読みくださり、
ありがとうございます。
活動報告にも書いたのですが、
3巻の発売が来月11月10日ということで、
書影が完成しました。
↓へスクロールしていただければ、
ご覧になれるかと思います。
コミック1巻と同日発売ですので、
ぜひぜひよろしくお願いします。