全能神の教理
ミッドヘイズの東――
深層森羅。
鬱蒼とした螺旋の森を、神の軍勢が規律正しく進軍していた。
迎え撃つミッドヘイズ部隊は、いくつもの魔王城を建てて防衛線を敷いている。
彼らは集団魔法による<獄炎殲滅砲>を撃ち放ち、神の軍勢を牽制しているが、術兵神の結界にて瞬く間に砲撃は石に変えられ、足を止めるには至らなかった。
「ゾロ様っ! エルドラ様! 神族の兵が正面から突っ込んできますっ! 数は約五〇〇!」
東のミッドヘイズ部隊を指揮するのは、七魔皇老ゾロ・アンガートとエルドラ・ザイアである。
部下の報告を受け、彼らは魔眼を凝らしながらも、戦局を分析する。
「たった五〇〇で中央突破か。どう見る、エルドラ?」
「偵察ならばこれほど派手には動くまい。囮だろう」
エルドラは魔法陣を描き、地図と敵、味方の配置を映し出した。
「二〇〇〇の兵を出し、この部隊を全力で叩く。囮に引っかかったと思わせ、あえて北側の陣形に隙を作る。そこに本隊が現れるはずだ。ガルゼの部隊にて殲滅する」
ガルゼは二千年前の魔族。
戦闘能力はゾロやエルドラより遙かに優るが、指揮能力に欠けるため、前線で敵を打ち倒すのが役目だ。
「承知。全隊へ告ぐ!」
ゾロはすぐさま、東の部隊に<思念通信>を飛ばした。
五〇〇名の部隊は、神剣を携えた剣兵神ガルムグンド、神槍を構える槍兵神シュネルデを前列に出し、小細工なしで突っ込んできた。
いかに神族、いかに多数が少数を制する軍神ペルペドロの秩序が働いていようとも、万全の体勢で迎え撃つミッドヘイズ部隊を相手にしては、そうそう力押しは通じぬ。
「出撃! 包囲せよ!」
神の軍勢が、正面の魔王城にまで接近したところで、その周囲の城から次々と魔族の兵が現れる。
その数は神の軍勢の四倍。四人一組の分隊にて、一名の神と戦う。分隊長にはニギットら二千年前の魔族に鍛え上げられた優秀な兵がついているため、時間稼ぎならば十分にできるだろう。
ゾロとエルドラの命令通り、中央突破を計ろうとする神の軍勢に引き寄せられる形で、防衛線の北側が薄くなっている。
「さあ、来るがよい。一網打尽にしてくれる」
『貴君に質問しよう、七魔皇老』
ゾロとエルドラが、表情を険しくする。
深化神ディルフレッドからの<思念通信>だった。
大樹母海が現れた影響で、通常の<思念通信>は使用できないはずだが、樹理四神には影響がないようだ。
『螺旋は深化。秩序は森。螺旋の森を行く旅人が、その場に留まり休憩するとき、選択すべき事柄はなんとする。すなわち、前進か後退か停滞か?』
不可解な問いに、エルドラは眉をひそめる。
目配せをした後、ゾロが言った。
「休憩ならば、停滞であろう。揺さぶりをかけているつもりか、深化神ディルフレッド」
『否。停滞すれば深化は遠ざかる。螺旋の森を前進して初めて、その場に留まり続けることが可能なのだ』
ディルフレッドが答えを示す。
その次の瞬間である。
ゾロたちが映し出していた魔王城前の光景が変わった。
神の軍勢も、自軍の姿も、一瞬にして消え去ったのだ。
「馬鹿なっ……!?」
すぐさま、ゾロとエルドラは玉座の間を出て、肉眼で城の外を確認した。
辺りは鬱蒼とした森だ。
ミッドヘイズを背後に防衛線を敷いていたはずが、一瞬にして別の場所へ飛ばされているのだ。
『こちら第三魔王城っ! いつのまにか、敵に包囲されていますっ!』
『第四魔王城、同じく前方に敵影を確認。約二〇〇〇! 援軍を!』
『第一一魔王城、味方と分断されました!』
『第二中隊。強制的に、転移させられました! 恐らくこの森が全体が異空間とつながっている模様』
『第七魔王城、現在地不明! 森しか見えませんっ!』
つながっている魔法線を通し、次々と各部隊から<思念通信>が届く。
「……我々が防衛線を敷いたのは、確かに神域の外側だったはず……」
「……森が広がっている、ということか……」
「防衛線を維持している部隊は応答せよ。神の軍勢はどうなっているっ!?」
ゾロがそう言葉を発す。
だが、返ってきたのは静寂のみだった。
「……ま……さ、か…………?」
足に魔力を込めて跳躍し、木の上からゾロとエルドラはミッドヘイズの方向へ視線を飛ばす。
魔王城にて固く防衛線を敷いていた場所、そこには最早なにもなかった。
魔族の兵一人すらいないのだ。
ミッドヘイズの外壁に待機させてある使い魔の魔眼から見れば、がらりと空いた広大な地を神の軍勢が、ゆうゆうと進軍していた。
「最初から、あの五〇〇の兵で突破するつもりだったのか!」
「全部隊へ。最優先で防衛線へ戻れっ! 奴らがミッドヘイズに侵入するっ!!」
空は樹冠天球。<飛行>は使えない。
ゾロはその背にある蝙蝠の羽を広げ、低空で飛んだ。自らの翼で、高度を上げなければ、樹冠天球の影響は薄い。
だが、木の葉が視界をよぎったかと思えば、次の瞬間、彼は大地に足をついていた。
魔王城が目の前にあり、隣にはエルドラがいた。
先程、飛び立った場所である。
『螺旋の森に旅人ぞ知る――』
鬱蒼とした森の深淵から、深化神の声が響く。
ゾロとエルドラは走った。
他の魔族たちも、ミッドヘイズを守るために、森の中を駆け回り、あるいは木から木へと跳躍し、元の場所へ戻ろうとする。
『この葉は深き迷いと浅き悟り。底知れぬ、底知れぬ、貴君は未だ底知れぬ』
だが、遠い。
距離としてはさほどではないはずが、様々移り変わる異空間によって移動され、辿り着けないのだ。
『森羅の迷い人永久に、沈みゆくは思考の果てか。ついぞ抜けれぬ、螺旋迷宮』
迷い続ける旅人のように、その螺旋の迷宮から彼らは抜け出ることができない。
どれだけ駈けようとも、延々と同じ場所を巡るばかりだった。
「馬鹿な……! このままではっ……!!」
「戦うことさえ、できないというのかっ……!?」
魔族たちが焦燥に駆られる中、五〇〇体の神の兵は、あっという間にミッドヘイズの外壁を視界に捉えた。
そうして、閉ざされた門を打ち破るべく、勢いを上げて突進した。
外壁の門に、神剣が振り下ろされ、神槍が突き出される。
そこが破られれば、ミッドヘイズを壁伝いに覆う魔法障壁と反魔法は効力が半減するだろう。
神の矢が無数に飛来し、次々と門に穴を穿つ。
ミシミシと魔法障壁が軋む音が聞こえ、バチバチと反魔法が散っていく。
「こじ開ける」
その言葉で、神の軍勢は秩序だった動きを見せ、外壁の門に対して、鏃のような陣形を敷いた。
一番先頭に歩み出たのは、赤銅色の全身鎧を身に纏った神族、軍神ペルペドロ。
その手には赤銅に輝く神剣が握られていた。
「<一点攻城秩序陣>」
五〇〇の兵が神々しく輝き、神の魔力がすべてペルペドロの神剣に集中していく。
兵の力を一点に集め、城や砦を粉砕する陣形魔法だろう。
「ときは来た。戦火に飲まれ、陥落せよ。不適合者の都よっ!!」
巨大な鏃が放たれるが如く、神の軍勢は突撃した。
ペルペドロの神剣が唸りを上げ、ミッドヘイズの門を貫く。
神族五〇〇体分の攻撃を前に、堅固な魔法障壁が張られた門は脆くも破れ、その余波で、付近の防壁さえも弾け飛ぶ。
「行くぞっ! このまま城を蹂躙せよ、神の兵。秩序を破った愚かな魔族に、世界の正しさを教えるの――」
ロォン、ロォン、と微かな音がそこに響く。
神族たちの耳に聞こえたのは、歌声だ。
一人、二人という人数ではない。
何千、いや、万にも達する数の者たちが、音程も拍子も外すことなく、歌い上げている。
門を打ち破った神々の足元に、音韻魔法陣が構築されていた。
「――ああ、そのとき、神は言われた。汝の隣人を愛しなさい。隣人の隣人を愛しなさい。愛は信仰を運び、信仰は愛を運ぶでしょう。再編の書、第一楽章<聖歌唱炎>」
地中から、歌声とともに、浄化の火が燃え上げる。
かつて、地底の都から、ディルヘイドを撃った巨大な唱炎。
天蓋を溶かし、穴を穿ち、ミッドヘイズ地下に構築した結界さえも貫かんとしたその炎が、瞬く間に五〇〇体の神を飲み込み、燃やし尽くしていく。
「……これは……馬鹿な……」
浄化の火に包まれながら、ペルペドロが驚愕をあらわにする。
「……この歌は……唱炎……はっ……!? な、ぜだ…………?」
<一点攻城秩序陣>により攻撃に全精力を傾けていたペルペドロ率いるその部隊は、不意を突かれた唱炎になす術もなく焼かれ、灰と化していく。
「……ジオルダルが……神の信徒どもが…………我らがエクエスに逆らう………………だ、と…………」
赤銅色の鎧ごと、ペルペドロは燃え尽き、その場に崩れ落ちた。
唱炎により穴が空いた大地から、巨大な竜が何十体と飛び出してくる。
その背には、ジオルダル教団の信徒たちが乗っていた。
続々と地中から上がってくる彼らの人数は、凡そ数個大隊はくだらない。
先頭には、厳かな法衣を纏った中性的な顔立ちの男がいた。
彼は、その麗しい顔を、ミッドヘイズの外壁へ向ける。
そこに魔眼として隠れていた一羽のフクロウが飛んできて、男の腕に止まった。
使い魔は、魔法線で主人とつながっている。
彼は言った。
「ミッドヘイズの七魔皇老へ。私はジオルダルの教皇、ゴルロアナ・デロ・ジオルダル。我が教団は、神の御名のもと、暴虐の魔王より賜りし慈しみを、今日この場でお返しします」
『……こちら、七魔皇老ゾロ・アンガート。ジオルダルの援軍に感謝する。敵は深化神ディルフレッド。気をつけろ。この神域は異空間とつながり、迷宮と化して――』
ゾロの<思念通信>が突如途絶える。
『貴君に質問しよう、ジオルダルの教皇』
魔法通信に割りこむように、ディルフレッドの声が聞こえてきた。
『<全能なる煌輝>エクエスの声を、貴君は拝聴したはずだ』
ゴルロアナは口を開かず、黙ってその言葉に耳を傾けている。
『なにゆえに信徒を奸計にはめ、信仰を捧げるべき神と敵対する?』
ディルフレッドの<思念通信>は、森中に響き渡った。
ジオルダル教団は、信仰を士気として、聖戦に臨む神の使徒。
この質問に教皇が正しく答えられなければ、彼らは戦う意義をなくし、たちまち無力化するだろう。
深淵を覗く神眼を持つディルフレッドは、その問いこそが、ジオルダルの急所をなにより射抜き、瓦解させると悟ったのだ。
静かに目を閉じて、ゴルロアナは言った。
まるで教えを説くように。
「男は訊いた。もしも、神を名乗る者が我らが信徒の行く道に立ち塞がったなら、どうすればいいのでしょうか? 天は答えた。退けなさい。その者が神を名乗る愚者ならば、あなたは神の使徒として彼に天罰を下すでしょう。その者が誠に神ならば、あなたに許しを与えたもう。神は間違えたものをお許しくださる。許しをいただくことこそ、我ら信徒の務め」
信者たちは、皆跪き、ゴルロアナの説法に耳を傾けながら、目を閉じる。
信仰を示すその歌はますます遠く響き渡り、音韻魔法陣を構築していく。
「深化神ディルフレッド。逆にあなたに問いましょう。あなた方がもしも、真に<全能なる煌輝>エクエスだとおっしゃるのならば、なにゆえに我々に敵対されるような行動を取られたのでしょう? なにゆえに我々に嫌疑をかけられるようなことをしたのでしょう?」
ゴルロアナはディルフレッドに問いながら、信徒たちに道を説いている。
「エクエスは自らをエクエスと名乗るでしょうか? いいえ、そのような必要はありません。もしも、エクエスが我らが前に御姿を現しになるのならば、我々は疑いを挟む余地などなく、心からそうと理解することでしょう」
祈るようにゴルロアナは両手を組む。
「あなた方が真に全能ならば、どうか今すぐ愛する隣人たちが戦火に飲まれるこの悲劇を終わらせ、笑顔をもたらしくださいますよう」
『神の秩序はディルヘイドの滅亡を啓示した』
ディルフレッドの言葉に、ゆっくりとゴルロアナは首を左右に振る。
「未だ国一つ滅ぼせぬ全能神がどこにおりましょうか? エクエスは望むことも、願うことも、脅すことも、なされる必要がございません。そうと決めれば、そう実現なさればよいのです。その神が、信徒になにを請うというのでしょう? 彼はただお与えくださるのみです」
ゴルロアナの説法に、うやうやしく頭を垂れ、信徒たちは祈りを捧げる。
教皇は静かに目を開き、結びの言葉を説いた。
「汝、全能を騙ることなかれ」
揺るぎなき教理と信仰――