空を覆う歯車
全身から聖なる炎を噴出させ、ラオスは聖剣をぐっと握る。
「やるぜっ、レドリアーノッ!!」
「ええ」
その場にそびえ立つ城、アルクランイスカから、聖水が霧雨のように降り注ぐ。
レドリアーノが眼鏡を外し、ベイラメンテを掲げた。
「ミッドヘイズ部隊は下がっててよ。魔族が結界内に入ると、やばいからさ」
ハイネの聖剣が大地を斬り裂き、それは土の魔法陣を描く。
同じくラオスは火、レドリアーノは水。
足りない風の魔法陣は、勇者学院の生徒たちが補った。
地、水、火、風、四つの属性の結界が、ニギットらの部隊を閉じ込めるような形で展開される。
「「「<四属結界封滅陣>」」」
それは、かつて学院別対抗試験で使用された<四属結界封>と同じ効果を有する結界だ。
魔族の力を削ぎ、その魔力を弱める。
しかも、あのときエレオノールが張っていたものよりも、上位の術式か。
<四属結界封滅陣>の内側では、並の魔族ならば戦わずして無力化されるだろう。
レドリアーノたちの言う通り、勇議会は怒らざるを得まい。
どう考えてもこれは、魔族との戦闘を見越して習得した魔法だ。
ディルヘイドに比べ、圧倒的に戦力の劣るアゼシオンが、防衛力を欲したとしても不思議はない。力を持つのは重要なことだ。
願わくば、戦わぬために手に入れた力であることを祈りたいものだが、上はともかく、少なくとも彼らについては心配あるまい。
「失礼。多勢に無勢ではありますが」
ニギットの前に、レドリアーノが立つ。
その隣で、ハイネとラオスが聖剣を構えた。
「二千年前の魔族は、皆化け物ばかり。どんな手を使ってでも、勝たせていただきます」
元ジェルガカノンの生徒たちは、デビドラに追い詰められているアイヴィスの援護に向かった。
ニギットは魔剣を正眼に構え、その魔眼を光らせる。
三人の勇者と、王城アルクランイスカ、そして勇者学院の生徒たちの戦力を計っているのだろう。
睨み合いの最中、使い魔のフクロウがレドリアーノの肩に止まる。
『勇者学院アルクランイスカへ。加勢を感謝する。だが、戦局は著しく劣勢だ』
魔皇エリオからの<思念通信>であった。
フクロウには魔法線がつながっているのだろう。
『骸傀儡の兵を撃退しても、あちらには神の軍勢が残っている。それを指揮しているのは、ニギット殿よりも更に強大な魔力を持った神だ』
『ええ。わかっております。残念ながら、地力では万に一つの勝ち目もありません。ですが、わたしどもにも、一つだけ勝機が』
『それは?』
『<聖刻十八星>によって、聖水の魔法線がガイラディーテとつながっています。これは本来、広いアゼシオンを我々が守るための策。本国からの<聖域>が届けば、更に我々に有利な結界を張ることができます』
『……それで神を滅ぼせると?』
『いいえ。我々人間が想いを振り絞っても、神族に伍することができるのは、せいぜい一秒がいいところでしょう。しかし、その一秒間、<転移>を妨げている奴らの結界に、僅かな穴を作ることぐらいはできるはず』
エリオが唸るように息を漏らす。
『……<転移>が使えれば、確かにディルヘイドの援軍も来るが、僅か一秒では<思念通信>で伝える隙も……』
『いいえ、来ます』
はっきりとレドリアーノが断言した。
『必ず来ます、彼の配下ならば。わたしたちにとってはあまりにも短い時間。だが、彼らにとっては恐らく、神につけいる十分すぎる隙かと』
一瞬の沈黙、先に決断したのはニギットだった。
「全隊、城を落とせ。あれが敵の要だ」
骸傀儡の兵たちが、<四属結界封滅陣>をものともせず、勇者学院の城アルクランイスカへ突撃していく。
結界を重ねるように、局所的に展開された集団魔法による<四属結界封>が、骸傀儡を封じようとするが、魔力任せに突破された。
一瞬、そちらを警戒したレドリアーノが目を見開く。
さっきまで離れた位置にいたニギットが、彼の眼前に突如現れたのだ。
雷の如く走った魔剣に反応したのは、彼ではなく、聖剣ベイラメンテ。レドリアーノの勇気に呼応するように、それは水の結界を構築し、目にも止まらぬ斬撃を防ぐ。
遅れてレドリアーノは剣身にて、ニギットの剣を受け止めた。
『勇者学院を全力で援護する。結界を構築してくれ!』
「「了解!」」
エリオからの通信に、ラオスとハイネが口を揃えて言い、ニギットを左右から挟み打ちにする。
炎に包まれたガリュフォードと、大地を揺らすゼレオ、ゼーレが同時に振り下ろされた。
「がっ……!!」
「……こっ、の……!!」
レドリアーノ、ラオス、ハイネの体が同時に斬り裂かれていた。
三対一。<四属結界封滅陣>。聖剣の加護。それでもなお、ニギットの力は圧倒的だった。
――奇跡が起きるとでも思っているのか?――
ノイズ交じりの声が響く。
「……ちっ……きしょう……! ディルヘイドには何人化け物がいるんだよっ……!」
ラオスが放った聖なる爆炎を、いとも容易くニギットは斬り裂き、背後に迫ったハイネの聖剣を、振り向きもせずに魔剣で払う。そうして、レドリアーノの結界を貫き、彼の腹に魔剣を突き刺した。
「……敵わないのは、最初からわかっています……。あと少し、時間を稼げれば…………」
――希望があるとでも思っているのか?――
ぎちり、ぎちり、と歯車が回る。
「エミリア……早く……!! このままじゃ、アルクランイスカは……!」
ハイネの<思念通信>は、<聖刻十八星>で作られた魔法線を辿り、ガイラディーテへと届けられる。
だが、未だ応答がない。
――見るがいい。世界はそれを望まない――
その刹那――
輝く黒炎が勢いよく立ち上り、爆発するようにそれが弾けた。
黒炎に包まれたのは彼らではなく、彼らを映し出している<遠隔透視>の歯車である。
「ふむ」
俺の眼下には、三角錐の神殿がある。
その外壁にめり込み、歯車仕掛けの集合神エクエスは、瓦礫に埋まっていた。
地上へ話しかけている途中に、弾き飛ばしてやったものの、その声は止まる気配もなく、僅かに震えることさえなかった。
「まあ、そうだろうな」
すべての神は<全能なる煌輝>エクエスの手である、というのは竜人たちの考え出した概念らしいが、その通りの存在になったようだな。
ディルヘイドへ差し向けた樹理四神や、その声などは、見えぬ歯車でつながる奴の手足。
多少殴ってやったところで、どうこうなるわけではない。
それを止めるには、奴本体の歯車を止めればいいはずだが――
「試してみるか? それはすなわち、世界が回るのを止めるということだ」
瓦礫に浮かんでいたはずのエクエスが、空に浮かぶ俺の後ろに転移していた。
反魔法を纏っていないところを、<根源死殺>、<魔黒雷帝>、<焦死焼滅燦火焚炎>を重ねがけし、弾き飛ばしたというに、その神体にはかすり傷一つついていない。
あの三角錐の神殿の門より脆いとは思っていなかったがな。
なかなかどうして、ろくに守りもせずにこれとは、本気で滅ぼすつもりでなければ、攻撃も通らぬか。
「<獄炎鎖縛魔法陣>」
黒き炎が極炎鎖となりて、エクエスの歯車仕掛けの体に絡みつく。
「<四界牆壁>」
更に黒きオーロラを絡みつかせ、その秩序を封じる。
「<時間操作>」
俺が知っている限りの神々、エクエスのその起源に働きかけ、その時間を停止させる。
そうして、滅紫に染まった魔眼にて、奴を強く睨みつけた。
「今更なにをあがく?」
ぎちり、とエクエスの体の歯車が僅かに回れば、鎖はいとも容易く千切れ、<四界牆壁>は消し飛んだ。
魔法も神の権能も使ってはいない。
歯車一つで、<獄炎鎖縛魔法陣>と<四界牆壁>、<時間操作>、<滅紫の魔眼>を弾き飛ばした。
「世界を縛りつけることも、封じることも、汝にはできない。ゆえに、その命と力を手放すと決めたはずだ。希望がその魔眼を曇らせたか?」
エクエスがまっすぐ間合いを詰めてくる。
突き出された右の指先を、左手で受け止めた瞬間、俺は頭上から殴り飛ばされていた。
狂乱神アガンゾンの権能。
事象を改竄した無秩序な打撃により、体が地面に叩きつけられる。
受け身を取り、空にいるエクエスを睨んだ。
「あの人間どもにすがっているというのならば、汝は再びその矮小さを突きつけられるだろう」
エクエスの歯車が一つ回転すれば、目の前に炎が渦を巻く。
いかなる神の権能か。
そこに神々しい光が集い、炎は大砲のような形状に変わった。
神の猛火が俺に向かって放出される。
<滅紫の魔眼>にてそれを睨み、<破滅の魔眼>にて減衰させる。
<焦死焼滅燦火焚炎>の指先にて、その神の猛火を握りつぶし、灰燼に帰す。
しかし、その魔力は無尽蔵とばかりに空には炎の大砲がずらりと並べられ、数千もの神の猛火が大地に向かって放たれた。
「<四界牆壁>」
広範囲に闇のオーロラを展開し、その神炎を悉く封殺していく。
この蒼穹の深淵の底は、さほど頑丈とも言えぬ。
火露を奪われ、崩壊しつつあるダ・ク・カダーテで派手に暴れれば、神域は破壊され、秩序に傷ができるやもしれぬ。
秩序そのものであるエクエスには大した影響がなくとも、<笑わない世界の終わり>にて崩れかけた世界には、致命傷ともなりかねない。
「<灰燼紫滅雷火電界>」
ぐっと紫電を凝縮し、十の魔法陣をつなげて放つ。
中空に放たれた圧倒的な破壊の紫電は、その滅びの力にて降り注ぐ数多の神炎を相殺した。
奴は徹底して俺に守ることを強いている。
エクエスを滅ぼせば、世界が滅びる。
この蒼穹の底が壊れれば、秩序が壊れ、やはり多くの人が死ぬ。
ディルヘイドが侵略されれば、魔族の民が蹂躙されるだろう。
それらすべてを一人で守ろうとする限り、奴を滅ぼすのは確かに簡単なことではない。
「見るがいい、世界の異物よ。今、新たな絶望が回り始める」
神炎を乱射しながらも、エクエスの神体が、十字を描く。
その背後に五つ目の歯車が現れる。
<遠隔透視>に映し出されたのは、ガイラディーテ――
円卓の議場である。
エミリアと、勇議会の議員たちがそこにいた。
彼らは窓から、空を見上げている。
視線の先にあるのは、半分まで日蝕の進んだ<破滅の太陽>。
その太陽が右眼となったような、巨大な顔が空に出現していた。
歯車仕掛けの顔が。
更に、ぬっと巨大な歯車が現れる。
否。現れたと言うより、空が変化したといった方が正しい。
歯車の胴体は、世界を覆いつくさんばかりに、天に広がっていた。
そうして、そいつは言った。
『アゼシオンを牛耳る、矮小なる人間どもへ告ぐ。私は、この世界の意思である』
アゼシオンに、響き渡る絶望――