奪われる世界で、魔王は一人
剣戟と爆音が幾度となく響き渡る。
その間隔は次第に短く、激しさを増していく。
戦いが、繰り広げられていた。
七魔皇老とニギットたち、ミッドヘイズ部隊と二千年前の配下。
両者は互いに剣を打ち交わし、魔法砲撃を交換する。
数で優るミッドヘイズ部隊は、<創造建築>で構築した魔王城を拠点に、その地形効果にて能力を増す。
更にはメルヘイスの<魔王軍>により魔力を分け与えられ、能力を底上げされていた。
一方のニギットたちの部隊は精鋭中の精鋭。その一騎当千の力をもって、ミッドヘイズを防衛する兵を蹴散らし、魔王城を落としにかかる。
「<風滅>――」
魔力の粒子が渦を巻き、剣と杖から、同時に風が吹き荒ぶ。
「――<斬烈尽>ッ!!」
左右から二つの疾風が衝突し、周囲の大気を切り裂いていく。
不用意に暴風域へ践み入れば、たちまちに切り刻まれ、肉片一つ残らず霧散したであろう。
魔法を放った術者は、風の担い手と謡われたルーシェ。
そして、七魔皇老最強のメルヘイス・ボランだった。
「さすがは暴虐の魔王が生みだした七魔皇老。<魔王軍>の魔法を使いながら、それだけの<風滅斬烈尽>を放つとはな」
ルーシェがそう口にしながら、切っ先をメルヘイスへ向ける。
「――骸傀儡と申していましたか。かつての味方が生前同様に振る舞うことで、戦意を削ぐといったところでございましょうな」
王笏を構えながら、メルヘイスは言う。
「変わり映えのしない手でございます。アヴォス・ディルヘヴィアのときに、それが通用しましたか?」
王笏に黒き稲妻が集う。
バチバチと激しい雷鳴を轟かせながら、メルヘイスは<魔黒雷帝>を放った。
「<風壁流道>ッ!」
ルーシェの前に魔力を伴った風の壁が現れ、それが空気の流れを作る。漆黒の稲妻は、<風壁流道>に誘導されるように、彼女の体を逸れていった。
地面を蹴り、一足飛びにメルヘイスに接近したルーシェは、魔剣を振り下ろす。
メルヘイスはそれを王笏で受け止めた。
「一緒に操られていた者が大層な口を叩くものだな」
「記憶も残っているようでございますね。なんと哀れな」
「ほざけっ!」
押し合いでは地力の差に加え、魔王のクラスにて弱体化しているメルヘイスに分が悪く、彼は弾き飛ばされた。
後退しながらも、メルヘイスは体勢を立て直す。
「操られていたからこそ、わかるのでございます。我が君に弓を引く恥辱は、たとえ滅びたとしても耐え難きこと。あの御方は笑って許してくれましょう。ゆえに、尚更自らが許せないのでございます」
その魔眼を光らせながら、メルヘイスはルーシェの深淵を覗く。
「本当のあなた様は一刻も早く滅びることを願っております」
その杖が魔法陣を描き、砲門から<獄炎殲滅砲>が発射される。
ルーシェはそれを斬り裂き、あるいはかわし、みるみる間合いを詰めていく。
「<風滅斬烈尽>」
「<次元牢獄>」
ルーシェが放った疾風の刃を、メルヘイスは<次元牢獄>に飲み込んでいく。
「お返ししましょう」
魔法の門が現れ、そこからルーシェの<風滅斬烈尽>が放たれた。
その場には罠のように、所々に<次元牢獄>が展開されている。通常空間に、異空間が混ざっているのだ。しかも、それが移動している。
その異空間を通ったあらゆるものを飲み込み、貯蔵し、そして吐き出す。
魔剣大会のときよりも、いっそう精密となった魔法制御であった。
「ちぃっ……!!」
反魔法を切り刻まれ、全身から血を流しながらも、構わずルーシェは突撃した。
渦を巻く<風滅斬烈尽>、その中心へ飛び込み、駆け抜ける。
逃げ場のない彼女へ、メルヘイスは杖を向けた。
「<魔黒雷帝>」
メルヘイスが放った漆黒の稲妻に、ルーシェは魔剣を突き出し、そして<風壁流道>で受け流す。
軌道を変えられた<魔黒雷帝>が、渦を巻く<風滅斬烈尽>に衝突し、ジジジジジと轟音を鳴らしながら、それを相殺した。
「……ぬうっ……!?」
弾けた雷光にて一瞬、ルーシェを見失ったメルヘイス。
彼女は跳躍していた。<飛行>にて急降下し、風の如くメルヘイスの胴体を魔剣にて貫く。
「……く……かっ……」
どくどくと血が溢れ、魔剣に伝う。
「終わりだ」
更に深くルーシェは魔剣をメルヘイスに押し込む。
口から血を吐きながら、彼は手にした杖を地面に落とす。
「……ええ、これにて……」
魔法の門がルーシェの背後に現れたかと思えば、漆黒のオーロラが彼女を包み込んだ。
「……終わりでございます、ルーシェ様……!」
「私を封じられるとでもっ!」
漆黒のオーロラにルーシェが勢いよく魔剣を突き出す。
その魔法に触れた途端、彼女の魔力に包まれた剣身がいとも容易く砕け散った。
「……な…………!? これ……は……? ま、さか…………?」
驚愕の表情で、ルーシェはその魔力の深淵を覗く。
「ええ。こちらは二千年前から貯蔵していた<四界牆壁>と、魔剣大会にて恐れ多くもいただいたアノス様の魔力でございます」
黒きオーロラが凝縮されるように、ルーシェを押し潰していく。
魔剣は粉砕され、纏った反魔法も魔法障壁も粉々に砕け散った。
ボロボロと彼女の体が崩れ始める。
神の秩序を阻む<四界牆壁>によって、骸傀儡の権能が無効化されていくのだ。
「おの……れ……いや…………! いや、違う……」
困惑したように、けれども、彼女は言った。
「メル、ヘイス……?」
彼女の瞳から、一滴だけ涙がこぼれ落ちる。
絞り出すかのような声で、彼女は言った。
「……頼……む…………滅……して、くれ……私は、この街を…………」
うやうやしくメルヘイスはうなずく。
「承りましょう。せめて最後は我が君の力にて、お眠りくださ――」
とどめを刺そうとしたメルヘイスが、その場に崩れ落ちる。
一瞬にして、彼は背後を取られ、根源を斬り裂かれていた。
「……ニギット…………」
地面に伏したメルヘイスの前に、ニギットが立つ。
周囲を見渡せば、ガイオスとイドルが同じく根源を斬り裂かれ、地面に伏している。
アイヴィスは膝を折り、デビドラに追い詰められていた。
大きな音が聞こえた。
ミッドヘイズ部隊が建てた魔王城が一つ、崩れ落ちたのだ。
「エリオ様が……負傷をなされたっ……!! 応援をっ!」
「くそっ、だめだっ。回復魔法が効かないっ!! このままではっ……!?」
「狼狽えるなっ! ここで我らが怯めば、敵の思うつぼだっ!」
ミッドヘイズ部隊は、まだ戦意を失ってはいない。
とはいえ、メルヘイス、ガイオス、イドル、アイヴィス、そして魔皇エリオが負傷したとあっては、指揮系統は総崩れか。
戦力はあちらが圧倒的に上。
神の軍勢に加え、まだ終焉神アナヘムが控えている。
他の樹理四神が進軍してくる以上、他の部隊はここへは回せぬ。
<飛行>と<転移>が使えぬため、ミッドヘイズ以外からの援軍もすぐには望めない。
急いではいるだろうが、もたぬな。
彼らが駆けつけるより先に、ミッドヘイズは戦火に飲まれるだろう。
となれば、押さえるべきは――
「汝の結論は正しい」
歯車仕掛けの神が言った。
エクエスの後ろでは、四つの歯車が回り、そこにミッドヘイズの状況が映し出されている。
俺はエレオノール、エンネスオーネを経由してつながっているありとあらゆる魔眼にて、地上の状況を把握しながら、目の前のそいつを睨む。
「ミッドヘイズを囲む四つの界門が、神々の蒼穹に位置する樹理廻庭園を地上へ降ろしている。あの門を閉ざせば、ディルヘイドを戦火から救うことが叶うだろう」
本来、樹理四神はダ・ク・カダーテに座する神。
界門を閉ざせば、地上にはいられぬ。
「そして、世界の異物よ。汝はこの場にいながらも、地上に出現した界門を塞ぐ手段を隠している」
俺の手札を見透かしたように、エクエスが言う。
「かつて世界を四つに分けた壁、<四界牆壁>の魔法術式は今なお地上に刻まれているのだ」
驚くには値せぬ。
神々であれば、それぐらいはとうに見抜いていただろう。
神族に埋め込まれた歯車の集合体である奴が気がつかぬはずもない。
ゆえに、起動するための魔法陣があるミッドヘイズに攻め込んでいるとも言える。
いざというときの最後の護りを破壊するために。
『ミーシャ。サーシャ』
<思念通信>にて呼びかける。
ぎちり、ぎちり、と歯車が回った。
――やめて、壊さないで、これ以上――
サーシャの絶望が聞こえ、
――わたしが、創った。滅びゆく世界を。わたしが――
ミーシャの嘆きが溢れ出す。
「ふむ。まだ戦っているところか」
ギ、ギギ、と鈍い歯車の音を響かせながら、エクエスがノイズまみれの声を発す。
「期待するだけ無駄だ。世界の意思には逆らえない。誰もが汝と同じではないのだ、不適合者よ。すでに絶望の車輪は回り始めた」
エクエスの神眼が怪しく光った。
「二千年前、創造神ミリティア、大精霊レノ、勇者カノン、魔王城デルゾゲードと化した破壊神アベルニユー、そして霊神人剣エヴァンスマナ。これだけの魔力をかき集めてなお、あの壁を作るには汝の命が代償だった」
レイ、ミーシャ、サーシャ、レノ。
俺の味方を一人ずつ、削いでいったとでも言いたげだな。
「それがどうした?」
「今、汝にはいずれの魔力も存在しない。その身一つ、たった一人だ。二千年前とは違う」
軽く手を上げ、奴に言った。
「この身一つで十分だ。貴様を滅ぼすにはな」
「私を滅ぼせば世界を救えると思うのならば、やってみるがいいだろう」
ぎちり、ぎちり、と歯車を回し、エクエスは身を差し出すように、自らの反魔法を解いた。
「できまい? 汝はわかっているのだ。数多の神の集合体である私を滅ぼせば、世界は秩序を失い、瞬く間に崩壊する。汝は世界を救いたいと思っている。だが、その救うべき世界とは、私なのだ」
「世界は救う。お前は滅ぼす」
「ディルヘイドが滅亡する方が早い」
ザ、ザザーッとノイズが言葉と同時にこぼれ落ちる。
「それが世界だ、暴虐の魔王。誰も彼もが、肝心なものを奪われる。優しい世界を願ったミリティアは、その願いを。笑っている世界を見つめることを望んだアベルニユーは、その穏やかな神眼を奪われた。不適合者の汝とて、例外ではない」
歯車のその顔が、嘲笑しているように見えた。
「なにもかもを滅ぼせる力を持ちながらも、暴虐の魔王よ、汝の望みは穏やかな平和だ。その力を振るうほどにそれは遠のく。汝は本当に守りたいものを守ることだけはできない。それが世界の意思だ」
ガラガラとなにかが崩れ落ちる音が聞こえた。
歯車の<遠隔透視>に映った魔王城がまた一つ、崩れ落ちたのだ。
「さあ、<四界牆壁>を使え。二千年前と違い、お前の味方はここにはいない。だが、来世の力を手放せば、界門を塞げる。そうだな?」
俺は黙って奴をただ見据える。
「二千年前は記憶を奪った。今度は汝のその力を奪おう。二千年後か、三千年後、再び生まれ変わった汝を待っているのは、平和ではなく地獄だ。力を失った汝は、その地獄でただひたすらに嘆くこととなる。次は私に辿り着くことさえできない」
不気味な音を立てながら、エクエスの歯車が回転する。
「ゆっくりと、一つずつ、汝は、奪われていく」
けたたましい音が鳴り響き、ミッドヘイズの南方では、三つめの魔王城が崩壊した。
「……こっ、これ以上はもちませんっ!!」
「エリオ様、一時退却をっ!」
「どこへ退くというのだっ! 援軍はない。我らの後ろには民がいる。ミッドヘイズは魔王様より預かった街、我が身可愛さにここで逃げては、二度と合わせる顔はないっ!」
ミッドヘイズ部隊は、刻一刻と追い詰められていく。
滅びた者から、終焉神の秩序にて骸傀儡と化し、かつての味方を襲う。
それはまさに地獄絵図だ。
消耗戦では、ひたすら向こうの戦力を増大させるだけだろう。
せめて、シンとエールドメードが間に合えばと思ったが、どうやらここまでか。
これ以上は、戦う術をもたぬ民が痛みを強いられることとなる。
平和な時代を生きる彼らに、そんな想いをさせるわけにはいかぬ。
「ふむ。仕方あるまい。お前の思惑に乗ってやる」
歯車仕掛けの集合神へ俺は言った。
「来世の力と今世の命まではくれてやる。だが――」
右手を黒き<根源死殺>に染める。
造作もないことだ。
この根源を貫くと同時に、滅びへ近づく力を利用して、ミッドヘイズに残した術式を起動し、<四界牆壁>を展開する。
かつて世界を四つに分けた壁、その真の力を解放し、界門を閉ざす。
神界との関わりを完全に遮断すれば、樹理四神は消えるだろう。
そして――
「平和は渡さぬ。地獄を見ることになるのは貴様の方だ、エクエス――」
そう口にし、<根源死殺>の指先を自らの体に突き刺そうとした瞬間だった。
「……うらららららら…………」
間の抜けた声が、遠くに響く。
「うああああああああああああああああぁぁぁっっっ!!!」
ふむ? なんだ?
歯車の<遠隔透視>から聞こえているようだが、これは?
防衛線を敷くように建てられた魔王城。
その目の前へと突如、上空から降ってきたのは聖水の砲弾。
ぜんぶで一〇と八。
それらは地上に着弾すると、ミッドヘイズ部隊と魔王城を護るかのように結界を構築した。
長距離結界魔法<聖刻十八星>。
いや、それだけではない。
結界の中、霧雨と水飛沫が晴れていく毎に、そこに着弾した人影と巨大な城があらわになった。
アルクランイスカ城。
そして、その門前には緋色の制服を纏った勇者学院の生徒たちがいた。
<飛行>も<転移>も使えぬこの場所まで、<聖刻十八星>で城を撃ち出してやってきたのだ。
「……あー、しっかし、やっちまったよな。ディルヘイドを助けるのにこの隠し球を使っちまったら、お偉いさんが怒るぜ」
聖炎熾剣ガリュフォードを担ぎ上げ、ラオスが言う。
「さて。怒られるだけで済めばいいのですが、わたしの見たてでは良くて裁判ですかね」
聖海護剣ベイラメンテを携えながら、レドリアーノがメガネのつるにそっと手をやる。
「そんなことよりさ、ここで生きて帰れる保証もないんじゃないの?」
大聖土剣ゼレオ、大聖地剣ゼーレを両手に持ちながら、ハイネは、目の前にいる骸傀儡を睨む。
軽口から一転、彼らは気勢を発し、レドリアーノが大声で言った。
「ミッドヘイズ部隊へ。我らは勇者学院アルクランイスカ。我が師エミリア・ルードウェル、そして暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴードの恩義に報い、貴軍を援護します!」
駆けつけた現代の勇者たち――