界門
光の深淵に潜んでいたそいつを、<滅紫の魔眼>で睨みつけながら、右手で強引に引きずり出す。
目映い輝きが縦に引き裂かれ、その隙間から更に煌々とした瞬きが溢れた。
それと同時に、あらわになったものがあった。
光の歯車だ。
ぎちり……ぎちり……と不気味な音を立てながら回転し、互いに噛み合っている無数の歯車は、そいつの手であり、足であり、胴体であり、頭だった。
グラハムが改造した選定審判が、神々に埋め込まれていた歯車を集め、<母胎転生>により、その集合体が生み出されたのだろう。
「ようやく会えたな、エクエス。まさか、姿形まで本当に歯車仕掛けだとは思わなかったぞ」
そう告げれば、人型の歯車が口を開く。
「――言ったはずだ、世界の異物よ――」
ガタガタと歯車を回転させながら、ノイズ交じりの肉声が響く。
「まもなく扉が開く。絶望の扉が。汝らが手にした平和の代償を支払うときがやってきた」
「ほう」
俺に首をつかみあげられ、だらりと両手両足を下げながらも、奴は不気味な歯車の神眼を光らせる。
「誰の前にいると思っている?」
右手を黒き<根源死殺>にて染める。
そのまま、歯車の首をぐっと締めつければ、ミシミシと軋んだ。
直後、その手応えが消え、奴はまるですり抜けるように俺の背後にいた。
「ふむ。つかんでいたはずだが」
滅紫に染まった魔眼にて、エクエスを見やる。
「狂乱神アガンゾンの権能だな、それは」
事象を改竄し、因果を狂わせた。
あの選定審判より後に滅びた神々の力が、恐らくすべて奴に宿っていると見て間違いあるまい。
どうやらその制御も、思いのままのようだな。
「世界と異物の戦いは、ここに至るまでにすでに終わっている」
エクエスが足を揃えて、両手を伸ばす。
その姿は、十字架を彷彿させた。
「常に小さな歯車が回っていたのだ。その矮小な歯車は、ほんの少し大きな歯車を回す。その歯車が更に大きな歯車を回す。次々と回り始める無数の運命が、やがて絶望という名の車輪を回し始める。それは、地上の命を踏み潰すだろう」
ぎちり、ぎちり、とエクエスの歯車が回る。
奴は言った。
「汝は歯車を止める異物だ。だが、その矮小さゆえに、回ってしまった絶望を止めることはできない」
ザザッザッとノイズが響く。
「地上を見るがいい。汝の国、その中心たるミッドヘイズを」
エクエスの背後に光が満ち、中から巨大な歯車が出現した。
<遠隔透視>の魔法によって、そこに映し出されたのはディルヘイドの風景。ミッドヘイズの南方である。
緑に溢れていたはずのその大地が、途中から枯れ果て、砂漠と化している。
それも、ただの砂漠ではない。
白いのだ。異様なほどに。
火の粉が舞い、白き炎が立ち上るその光景にはひどく見覚えがあった。
「枯焉砂漠か」
「界門は開かれ、今、地上と神界がつながった。樹理四神は滅び、世界の意思と同化している」
終焉の砂漠に、無数の歯車が見えた。
それはエクエス同様、人型を象っている。
ぎちり、ぎちり、と歯車が回り出せば、次第にそいつは姿を変えていく。
現れたのはターバンを巻き、マントを羽織った神――終焉神アナヘムである。
滅びた神がエクエスに集められるならば、アナヘム本人の意思などは最早なく、すで奴の手足と化しているだろう。
文字通り、歯車仕掛けの操り人形だ。
終焉神の背後には剣兵神や術兵神など、神の軍勢が姿を現した。
「行けい。魔族どもを終焉に没せ」
「承知」
アナヘムの命令で、軍神ペルペドロ率いる神の軍勢は進撃を開始した。
かなりの兵力ではあるものの、その程度ではミッドヘイズは落とせぬ。
ということは――
「――界門は一つではない」
俺の考えを見透かしたように、エクエスが言った。
もう一つの歯車がエクエスの背後に現れ、先の歯車と噛み合った。
<遠隔透視>に、今度はミッドヘイズの東側が映し出される。
三角錐の門があった。
一面だけを見れば、三角錐の神殿にあったあの頑強な門と同じだ。
その場所は草原――
しかし、次の瞬間、まるで絵の具で塗り潰されるかのように鬱蒼した森に変わっていく。
蒼き葉が螺旋を描くその神域は、深層森羅。
人型の歯車が現れたかと思えば、それは深化神ディルフレッドに変わる。
その前方では神の扉が開き、神の兵たちが続々と森へやってくる。
「殲滅するのだ。秩序に恭順し、戦火をもたらせ」
エクエスの背後に再び歯車が追加され、それが回り始める。
<遠隔透視>に映し出されたのは、同じくミッドヘイズの西の風景だ。
三角錐の門が現れると、そこに大樹が出現する。
みるみる大樹が成長するにつれ、土が水に、草が珊瑚に、動物が魚へと変わっていき、大地が大海と化していた。
その神域は、大樹母海。
先程同様に、人型の歯車が現れ、今度は生誕神ウェンゼルと化す。
海底からは、無数の神族の兵が上がってきた。
「さあ、行きましょう。可愛い我が子。世界を戦火に飲み込み、魔族を根絶やしに」
エクエスの背後に、更に四つめの歯車が出現した。
<遠隔透視>が映し出したのは、空である。
ミッドヘイズの上空だった。
三角錐の門が現れ、無数の枝葉が冠のように、大空を覆いつくす。
転変の空、樹冠天球。
人型の歯車が現れ、そいつは転変神ギェテナロスに変わった。
同じく神の扉からは、大量の神の兵たちが現れ、翠緑の風に乗る。
「アハハッ、歌おう、踊ろう。戦火の音を、魔族の国に届けに来たさー」
包囲したミッドヘイズに向かい、神々は進軍を始めた。
駐屯する魔王軍は数も多くそれなりの手練れだが、樹理四神全員を相手にできるほどではない。
その上、神の軍勢はこれまで以上の数であり、部隊長として軍神ペルペドロが四体いた。
<終滅の日蝕>で地上を滅ぼせるとは最初から奴も思ってはいなかった、か。
たとえ失敗したとして、レイとミサ、ニギットらを誘き寄せ、ミッドヘイズが手薄になれば、それで構わなかったというわけだ。
『カッカッカ、珍しく一本取られたようだな、暴虐の魔王』
魔法線を通し、エールドメードから<思念通信>が飛んでくる。
『首都ミッドヘイズの危機、急ぎ戻りたいところだが、どうやら<転移>と<飛行>を封じられたようだぞ』
樹冠天球と深層森羅の秩序、か。
恐らくそれが、ディルヘイド全域に及んでいる。現れた神域から離れることで影響力は弱まり多少のムラはあるだろうが、ミッドヘイズに直接転移することはできまい。
『それと<思念通信>もか。魔法線がつながっていれば、どうにか届くようだが。勇者学院にもつながらぬところを見ると、かなり広範囲で妨害されている』
エールドメードが言う。
恐らく<思念通信>については、大樹母海の秩序か。<思念通信>の進路上にあの海があれば、遮断されてしまうのだろう。
ならば、枯焉砂漠の影響で、回復魔法もろくに働かぬはずだ。
使えたとしても、気休め程度といったところか。
神の軍討伐のため、ディルヘイド各地へ派遣した兵を、戻すことができない。
エクエスはこの状況を狙っていたのだろう。
樹理四神は、神々の蒼穹から動けぬ。
当然、神域も動かせぬはず、と俺に思い込ませていたのだ。
「築城主による魔王城の建築準備完了っ! メルヘイス様、指揮をっ!」
「うむ」
敵の進軍を察知した魔王軍が、素早く出撃して、最も敵部隊が街に近づいている南方に布陣を敷いていた。
七魔皇老メルヘイス、アイヴィス、ガイオス、イドル。
そして、魔皇エリオが率いるミッドヘイズ部隊だ。
ぎちり、ぎちり、と歯車が回る音が聞こえた。
悪い予感が、頭から離れぬ。
白き砂漠と化したそこに、見知った魔力があるのだ。
「敵前衛部隊、目視で確認できますっ! あ……あれはっ……!?」
エリオの部隊で、遠目の利くものが声を上げた。
「どうした? 報告しろ!」
「に、ニギット様ですっ! ニギット様、デビドラ様、ルーシェ様が、まっ、魔族の部隊を率いて、こちらへ進軍してきますっ!!」
「……なん……だと…………!?」
ノイズがザッと鳴り、終焉神の声が響いた。
「終焉の砂漠に、転変はない。滅びた骸は、僕と化す。骸傀儡」
ニギット、デビドラ、ルーシェ以下、彼らの部隊の魔族に、白き火の粉がまとわりついている。
終滅の光から地上を守った彼らは滅びる寸前、最後の望みを託して<転生>の魔法を使った。
しかし、アナヘムの権能がそれを妨げたのだ。
彼らの根源を終焉に留め、生まれ変わることのない自らの傀儡としたのである。
「魔族の意思など、このアナヘムの前では砂の一粒。進軍せよ、骸の兵。貴様たちが守ろうとしたその国を、貴様たちの手で攻め落とせ」
ニギットたちは、ミッドヘイズへ進軍していく。
二千年前の魔族だ。速い。
瞬く間にミッドヘイズ部隊と接触するだろう。
「メルヘイス様っ! ご指示を」
「……彼らはすでに死人。完全に屠ってやることが、せめてもの手向けとなりましょう……」
メルヘイスは、骸傀儡の深淵を覗き、ニギットたちが最早この世にないと悟った。
「アイヴィス、ガイオス、イドルはわしとともに。ニギット、デビドラ、ルーシェを押さえましょう。ミッドヘイズ部隊は、残りの骸傀儡と神の軍勢を。倒す必要はありませぬ。時間を稼げば、ディルヘイド各地から援軍が訪れましょう」
「承知いたしました!」
エリオは部下たちを鼓舞するように、大声を上げた。
「我が隊はここに防衛戦を敷く! 一兵たりとも街へは入れるな。ここはミッドヘイズ。我らが始祖が求めた、平和の象徴なりっ!」
<創造建築>の魔法が発動し、その場に次々と魔王城が建てられていく。
防衛線が敷かれるや否や、開戦の合図とばかりに<獄炎殲滅砲>が一斉に放たれた。
それは迫りくる敵部隊に着弾し、派手な爆発を引き起こす。
だが、あちらも黙ってやられているばかりではない。
襲いかかる漆黒の太陽を、その魔剣にて切り裂きながら、ニギットはまっすぐミッドヘイズ部隊へと近づいていく。
その後ろにルーシェ、デビドラが続いた。
「<風滅斬烈尽>」
荒れ狂う疾風の刃が、砂埃を上げながら、ミッドヘイズ部隊の魔王城を切り裂こうとする。
だが、それは途中で次元に飲まれたかのように、消え去った。
<次元牢獄>の魔法だ。
ルーシェが足を止め、周囲を警戒した。
「命を賭して、あなた方はこのディルヘイドをお守りになりました。その無念、その怒り、痛いほどにわかります。あなた方の誇りを嘲笑う、不敬な所業。断じて、許せることではありますまい」
白髭の老人が行く手を遮るように、ルーシェの前に姿を現す。
<次元牢獄>内を移動したメルヘイスだ。
大剣を担いだ巨漢のガイオス、長髪の双剣使いイドルが、ニギットの前に立つ。
デビドラとは、骨の体を持つ不死者のアイヴィスが対峙していた。
「どうか、ご安心ください、ルーシェ様。あなた方はミッドヘイズに足を踏み入れることなく、ここで安らかな眠りにつくでしょう」
ミッドヘイズに絶望が押し寄せる――