母さんと父さんの想い
キッチンに集まり、俺たちは夕食を作っていた。
「ごめんね、試験で疲れてるのに手伝ってもらっちゃって。今日はお店にお客さんが沢山来て、お料理を準備する暇がなかったの」
キノコのグラタンの準備をしながら、母さんが言う。
「気にしなくていいわ。いつもご馳走になってるもの」
「お料理は楽しい」
ミーシャは大量のキノコを次々と洗っていき、サーシャがそれを一口サイズにカットする。
「よし、これで野菜はぜんぶ洗ったぞ。まずはじゃがいもから取りかかるか」
父さんが洗ったじゃがいもをボウルいっぱいに入れて運んできた。
「カレーだから、皮を剥いて、適当に一口サイズに切ればいい」
「けっこうありますから、手分けしてやりましょうか。あ、でも、包丁が一本しかありませんね……」
ミサが言う。
「おっと、そうか。工房に作ったやつがあるから、取って来るな」
「大丈夫だよ。包丁を貸してくれる?」
父さんを呼び止め、レイはミサから包丁をもらう。
じゃがいものボウルを手にすると、おもむろに中身を空中へ放り投げた。
「……ふっ……!」
レイの手元が煌めいたかと思うと、一瞬にして宙を舞った大量のじゃがいもの皮が剥けた。
それらすべてが深皿に落下し、捨てる皮がボウルに収まる。
「ふむ。なかなかやるな。レイ。では、このにんじんで一勝負と行くか」
俺が手にしたボウルには、大量のにんじんが入っている。
「より多くのにんじんの皮を剥いた方が勝ちということでどうだ?」
「いいよ」
それを聞いていたミサが、苦笑しながら言う。
「でも、包丁は一本しかありませんが」
「これで十分だ」
俺はピーラーを手にした。
「後悔すると思うけど?」
「さて、どうだろうな?」
俺とレイの視線が交わり、火花が散った。
それを合図に、俺はボウルの中のにんじんを空中へばらまいた。
「……ここだ……!」
「甘い」
包丁とピーラーが閃光と化し、パラパラと皮の剥けたにんじんが深皿に降り注ぐ。
「ミサ。カウントを」
「ええと、ですね。アノス様が……一〇本、レイさんも……一〇本です。引き分けですね……」
すると、レイが爽やかな笑みを浮かべ、自分の皿のにんじんをミサに差し出す。
「よく見てごらん」
ミサはじっと皿に入っているにんじんを見つめる。
「……あっ!」
声を上げ、彼女はにんじんに触れる。
すると、にんじんはまるで解けるようにバラバラになった。
一見、皮が剥いてあるだけに思えたにんじんは、すでに一口サイズに切られていたのだ。それも一〇本全てである。
「それにこれ……ハート型に切られています……」
ミサは驚きの声を発した。あの一瞬の間に皮を剥き、一口サイズのハート型ににんじんを切り分けるとは、並大抵の技ではない。
「どうかな?」
勝ち誇ったように微笑むレイに、俺は自分のにんじんが入った深皿を差し出した。
「確かめてみろ」
レイはにんじんを見つめ、はっと気がついたように包丁でそれを刺した。
「……これは……星型に……」
そう、俺が皮を剥いたにんじんは、すべて一口サイズの星型に切り分けられていたのだ。
「ぴ、ピーラーでどうやって切ったんですか……?」
ミサが驚愕の表情を浮かべる。無理もない。ピーラーとは皮を剥くためのものだ。まさかそれでにんじんを一口サイズに切り、あまつさえ星型にしてのけるとは思いもしなかったのだろう。
「そう驚くな。道具を本来の用途にしか使えないようでは、始祖とは言えぬ」
まあ、この時代は平和だからな。いつでも包丁が手に入るのなら、ピーラーで星型にんじんを作る必要もあるまい。しかし、二千年前は違った。
「一本取られた、かな」
レイが呟く。そして、もう一つのボウルを手にした。
「ほう。たまねぎで決着をつけようというのか。面白い」
勢いよく、沢山のたまねぎが宙を舞う。
俺とレイは同時に動いた――
「なんか、向こうで馬鹿なことやってるわね……」
キノコのグラタンの準備をしているサーシャが、白けた視線を向けてくる。
「ふふっ、アノスちゃんって、皮剥きも上手なんだ。あんなにすぐたまねぎの下準備ができるなんて、すごいわね」
感心したように言う母さんを見て、サーシャは訝しげな表情を浮かべる。
「……お母様って、どうしてそんなに鉄壁なまでに動じないのかしら?」
段々サーシャが母さんにまで歯に衣着せぬ物言いになっている。
「びっくりしない?」
サーシャとミーシャの言葉に、母さんはにっこりと笑った。
「ふふ、びっくりしてるわよ。毎日、びっくりの連続ね。生まれたばっかりなのにこんなにおっきくなっちゃって、すごい魔法は使えるし、すっごく賢いし、ディルヘイドの魔王学院に通うって言い出して、こんなに沢山のクラスメイトを連れてきてね」
「……怖いって思ったことはないのかしら……?」
サーシャがそう口にすると、母さんは優しげに「ん?」と彼女の顔を覗き込む。
「あ……」
サーシャがしまったというような表情を浮かべる。
「サーシャは魔力が強くて、怖がられてた」
ミーシャが言う。
「ご両親に?」
「ん」
「そう」
母さんはサーシャの頭に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。
「辛かったね、サーシャちゃん」
「……べ、別に……大したことないわ……ミーシャがいたもの……」
よしよし、と母さんに背中を撫でられながら、サーシャはその胸に顔を埋める。
「……わたしね、お医者さまに、ちゃんとした子供は産めない体質だって言われたの……」
「え……?」
「……アノスちゃんを妊娠して、魔法で調べてもらったときに言われたのよ。きっと産まれたとしても、五体満足じゃないだろうから、子供のことは諦めた方がいいって……その方が子供もきっと幸せだろうって……」
母さんは優しげに微笑む。
「でも、お腹の中にはアノスちゃんがいて、生きてるって思ったら、諦めるなんてできなかった。少しぐらい人と違っても、お勉強が出来なくても、体が弱くてもいい。この子を、ありのまま、精一杯愛して、幸せにするんだって思ったのよ」
気がつけば、父さんが母さんのそばに立っていた。
「あなたが言ったのよね。俺たちがこの子を不幸だって決めるつけるもんじゃないって。なにかができないぐらいで、幸せになれないなんて、そんなことがあるもんかって」
父さんがうなずく。
「でも、アノスは母さんのお腹の中にいるとき、思った以上に状態が悪くてな。一度は死にかけたんだ」
「お医者さまの魔法でも手の施しようがなくてね。わたしは毎日、神さまに祈ったわ。なんとか産まれてきて欲しいって。産まれてきてくれさえすれば、たとえどんな子でも、なにがあっても、絶対幸せに育てますからって、そうお願いしたの」
「……どうなったの?」
サーシャが訊く。
「一度ね、心臓が止まったの。死んだんだって、お医者さまは言ったわ。でも、わたしは諦めきれなくてね。神様じゃなくてもいいから、悪魔でも、誰でもいいから、この子を助けて欲しいって、お祈りしたの。そうしたら、また心臓が動き出したのよ」
より正確に言えば、母さんのお腹の中にいた子供は死んでいる。
初めから生きていなかった、といった方が適切か。医者の診断通りだ。母さんは子供を産めない体質で、その子には元々、はっきりした意識が現れるほどの根源がなかった。
体だけが母さんのお腹にあって、その体も産まれる前に死ぬことは決まっていたのだ。
だが、その器に俺がちょうど転生したことで息を吹き返した。
魔法は時に、意志の力が大きく作用する。魔法を使えない、魔力の殆どない人間でも、意志が強ければ、魔を引き寄せることは希にある。
もしかしたら、母さんの強い祈りが、俺を呼んだのかも知れぬ。
「それから、アノスちゃんはすっかり元気を取り戻して、お腹の中でどんどん大きくなったわ。お医者様も奇蹟だって言ってた」
ほんの少し涙ぐみながら、母さんは笑った。
「だからね、怖いなんて思ったことは一度もないの。どんな子でも構わないわ。だって、アノスちゃんは、こんなに元気に生きてるんだもの。それ以上に望むことなんて、なにもないの」
母さんの話に、ミーシャとサーシャは涙を浮かべている。
ミサもハンカチで目元を拭い、レイでさえしんみりとした表情を浮かべていた。
みんな、俺と同じく、こう思っているに違いない。
だから、二股でも重婚でもホモでも受け入れるのか――と。
今明かされる母さんと父さんが、すべてを受け入れる理由っ。
ギャグパートが続きましたので、今回はすこししんみり系のお話でメリハリをつけてみました。